23歳初診の検査が戻ってきた。特に所見はない。

「う〜ん・・少なくともやはり。緊急性はなさそうだな」
「でも先生!現に本人がこうして!しんどいって言ってる!」
「だ、だけど・・・」
「入院を!」

 何か、狙いがあるのか・・・。だがいろいろ頭をよぎった。大学にいたときだが、他のドクターが夜間に来た倦怠感の患者をそのまま家に帰し、翌日心電図で心筋梗塞だったケース(無症候性だったのか狭心症の段階だったのか)など。

 今の時点で所見がなくとも、あとで何か形で現れることも・・・

「そ、そうだな。数日の検査入院ってことで」
「あ〜よかった!たのむで!」

 刺青があり、HCV抗体は陽性。肝機能自体は問題ない。ウイルス量にセロタイプ、それと数日の検査を組んで・・・。

 いきなり、コワモテの中年男性がガラッと入ってきた。
「よろしゅう頼んますわ!」
「ちょ!ちょっと!」
「おたく、主治医なんやってな!新顔やな!」
「新顔ではないけど・・・すまんが、いきなり入っては。あ、島のところでさきほど入院になった人か」

近くのナースの顔がひきつる。伝説的な患者なのか・・・。

 21歳女性。高熱・嘔吐。
「インフルエンザの検査?してください」
「ほうでっか・・やあ!」
「ふぇぇ〜ん!」大泣き。

 陽性。ナースが後ろからマスクを巻く。

「ええーっ!うそーっ!」
「ウソではないです。今日から薬、飲んでください」

この頃はまだタミフル騒動はなく・・・。
診断書を作成。

「次!」

 20代ほどの女性。平気そうだ。
「吐いたり下痢したり・・・」
「どうぞ、横になって」ナースが上着を脱がせようとした。

「きゃっ!ああ、あたしじゃないです!」
「何やってる!」僕も勘違いしてたが、ナースのガサツさに叫んだ。

 2歳の男の子が寝かされた。顔が真っ赤で元気がない。

「うう〜」叫ぶ気力も足りない。聴診では腹部の動きも弱い。ガスではってる。母親は持ってきたオムツをいきなり広げた。

「白色だ。発熱・嘔吐→下痢か。ロタウイルスかな。キットで測定しよう!お母さん。脱水がひどい。採血と点滴をさせてほしい」
「・・・・・えっ?ここでできるんですか?」
「はっ?」
「小児科のないここでもできるんですか?」
「自分の外来は、内科および小児科内科も診るようにしてますが・・」
「よかった。あちこち行ってたんですが、点滴断られて」
「あちこち?」

 父親がぶら下げてる袋の中に、大量の薬。3か所の病院をここ3日で受診。飲み薬だけ渡されている。

「水分もろくに取れないのに、飲み薬だけ渡すんですよ・・」母親は困惑していた。
「飲めないですのにね」思わず同情した。
「お父さん。ねえ、あなた。ここの先生は、わかってくれてるよ。ねえ父さん!」
「お、おううん」お父さんは小刻みに従った。

各病院をチェックすると・・・
「まただ。松田すこやかクリニック・・・」
「すごく患者さん、多いと聞いたんで行ったんですが」と母親。
「で?」
「疲れ、だって」
「どある・・・!」
「この水、買って飲ませろって」飲料水のペットボトル。
「・・・・・・飲めました?」
「吐きました」
「・・・・・」

 もうあそこにはかかるな、と言いたいところだが。どういうトラブルになるか分らないので伏せるしかなかった。

近くのベッドで、ナースが4人がかりで押さえこんだ。

「ぎああ!ぎああ!」と叫ぶ子供を頭側から父親が押さえる。
「はいはいはい!はいはいはい!」
「ぎやああ!ぎやあ!」

近くのナースが僕の腕をつかんだ。
「はい!大将!」
「なんで大将なんだ!え?俺がすんの?」

 小児の点滴か・・半年ぶりだった。

 近くに、子供用の童話など置くように命じていたが・・・そこに見えた本は。

<吾輩は猫である>。

「あのなあ・・・」

 呑気にも、文章が浮かんだ。ふと<吾輩>を振り返った。

 吾輩は医者である。彼女はまだ無い。

 どこでメシ食ってるのかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした当直室でグーグー寝ている事だけは記憶している。吾輩はここで初めてプレステ2というものを見た(うそうそ)

 ・・・かくして吾輩はついにこの部屋を自分の住家と極める事にしたのである。

 「いやいや。あってはならん!」
家庭教師の、いや点滴をトライ。

「・・・・・ここかな」
「ぎゃあ!ぎゃあ!」泣く子供。近くで押さえるメンツが僕をうかがう。
「こっち見るな。・・・ここかな?ふん!」
「うぎい!うぎい!」
「違うな・・・ごめん!」失敗だ。

 父親が不信がる。

「先生。まだかな?(小声→)やっぱ大きい病院のちゃんとしたとこでしたほうが」
「まだだよ!でももうすぐ!」
「ホンマかいな・・・」
「・・・・よし!いけた!」

 なんとか入り、採血。引き続き点滴。大汗かいた。
 子供も大人しくなる。

 検査室の女性が結果を。

「ロタウイルス!陽性です!」
「でけえ声で言うな!」
「(ナースら:)ロタロタ!オタオタ!」
「いちいち騒ぐなお前ら!」

 ロタ野郎に、ノロ野郎・・・(意味不明)!

 ナースらはムッとして戻った。

 母親は子供の顔をなでた。

「かわいそうやったね!ひどいことされたね!」
「(どある・・!)」
「もう大丈夫やで!すぐ治るくすり、出してくれるんやって!」
「(言うてないだろが!)」
「で、先生。なんでこうなったんですか?」と言う父親。
「・・・それは」
「・・・・・」
「何かに触った拍子に移った可能性が。おもちゃとか・・・」
「家のおもちゃは、新品でキレイですけど?」父親がムキに。
「いやいや、何も家だけとは限らず・・」
「あわかった。しんちゃんの家や。あそこ汚いよな。母さん」
「(やれやれ・・・)」

 オムツ替えのときの注意などは、ナースら通してさせてもらった。

 事務長のはからいで、病院のあちこち(手すりや便器など)が改めて清掃され始めた。次亜塩素酸ナトリウムで拭いて水拭き。僕らも石けんで手洗い。

「ネクスト!」
「ブヒ。関節の痛み」
「アホ!それは整形だろ!」
「ふしぶしの痛み」
「どある・・ならいい」

 30歳男性。倦怠感、ふしぶしの痛み。高熱。

「インフルエンザだろどうせ・・・」
「インフルエンザです!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。検査してから・・・」
「周囲の皆がインフルエンザなんです!なので僕もたたっ・・・!」
「すんませんいきなりメーン!棒で。おいこれ!」

 綿棒を差しだすと、オークナースは・・・足元をボーッと見ている。
 僕は近くの木の物差し(50cm)を横から伸ばし・・・

「どーう!」
「ブヒッ!」驚いたナースのマスクから、アメがこぼれ落ちた。
「何アメなめとんか!マスクは便利よな!間食できて!」

 陰性。

「あれ?陰性だな・・・」
「でも自分はインフルエンザなんです!会社にそう言って休んだんです!」
「・・・・・」
「そ、それって100%の検査じゃないでしょ?」
「ま、ある意味・・」
「責任、取りますから!」

まるでデキ婚する前の青二才だな・・・。

「いいのかな。わかった。症状も合いすぎてるし」
「ありがとうございます!」

 また診断書。

 いったん事務所で休憩。事務長がせっせと病名を打ち込む。

「ユウキ先生。病名多すぎ!」
「いちいち書いてやってんだぞ!」
「それもかえって困るんだよな〜うそうそ!」

「ここの病院も、なんか雰囲気変わってきたよな・・・」
「冬ですからね」
「いやいや。メンバーが入れ替わっただろ。ていうか、妙なのばっか残った。できる奴はスカウトされてしまって。出戻りミチル師長も以前のキレがない。なんか、みんなダルいんだよ。ダルは俺だけかと思っていた」

 事務長は指をポキポキ鳴らした。しかし頭の円形(脱毛)は隠せない。

「ふーっ。そのうち日本全体が、総ダルになるかもですね」

 何か言葉にしたくて、サッとカーテンを開けた。

 ピースをする、そうじのおばちゃん。わざとらしくモップ掃除を再開。

「1億総ダル時代か・・・」

 何を夢見ているんだ・・・オレは。
 11時台ともなると、施設や開業医からの紹介受診が多くなる。

「なになに紹介状は・・・<腎不全です。お願いします>。どある!これだけかい!」

 自己紹介みたいだな・・・。

 老人ホーム<ひでぶ園(仮名)>からの紹介。医者が週に2日ほど来る。適宜検査の名目だが、職員の仕事が増えるため通常めったにしない。というか、それが必要なら病院を受診する。

 ただ、バイタルだえよければという慣れが災いして、見落とされる病態が多々ある。腎不全も、かなり進行した状態で発見されることが多い。

 紹介されたばあさん(90歳)は、クレアチニン6.6mg/dl。カリウムは幸い上がらず。入院。

「こういうケースは、昔からだな・・EBMとか言うとる場合じゃないな。トシ坊みたいに」
「はい?」そのトシ坊が、近くにいた。島と話している。

「トシキ医長。今日はオレ、入院が多い。お願いできるか?」
「僕もシローも手一杯です」
「もう1人、医者がいるだろ!」
「ザッキーですか。彼は・・・」

 ザッキーという若手医者がいるが、以前から技術信奉者で・・・それはいいのだが、病棟患者からのクレームが多かった。失言、暴言、無診療。僕らが説教したことがあったが、ブチ切れてケンカになりかかった。それ以来、彼は僕らにあまり口をきかない。

 これが大学人事で動く病院なら、医局長に告げ口されて即刻転勤かお叱りなんだが・・・。

 ただ、僕らの間では<最後通告>をいつ出すか考えていたほどだった。しかし人手に困ってる事務長にとって、これらはモメゴトにしか過ぎない。

「トシキ。も、ええわ・・俺が診る」
「お願いしましたよ!」
「礼は?」
「えっ?」
「いやいや・・・通じない奴!」

 ばあさんを診察。何箇所か打僕の跡が・・・。なるほど、そういう施設かもしれんな。これを見落としてはいけない(入院後に気づくと、どこでどうなったか把握できない)。

 インフルエンザもどきの診察を終え、医局へ。

「めし、食うたか〜?」ガラッと戸を開ける。
「じゃ!これで!」早くも身支度した島。
「お帰りか。これから大学で実験か?」
「え。まあ」何か、サッと隠したように見えた。
「ガニーズに言っとけ。ユーバスタード!」
「アホくさ」
「なっおい!」

 そのまま彼は帰った。

 ソファに、ザッキーが寝ている。僕は彼に<ちゃんとしろ!>と怒鳴ったことがあったが・・・それ以来気まずい。

 僕はリモコンのチャンネルをカチカチ変えた。

「・・さんでーす!おおきにおおきに(NHK)」
「なわけですよ〜どう思われます。それはね血液が(思いっきり)」
「そうですね!鍋がおいしい季節だね。そうですね!(いいとも)」
「露天風呂を出た後は、おいしい料理で舌鼓(したづつみ)・・・!(特番)」

「おおっ!うまそうだなあ!あれあれ!」
「うるさいなあ・・・」ザッキーが寝返り。
「今は、寝る時間じゃないよ」
「・・・・・」
「さ、食いに行くか!」

 職員食堂へ。大勢で賑わう。しかし雰囲気は刑務所食堂のようだ。囚人のように並ぶ。

 ガタイのいかつい兄さんが、旧日本兵みたいな帽子をかぶっている。彼は僕のお皿に目一杯、チキンライスの塊をかぶせた。
「ありがとう」
「お茶で流すなよ〜!」
「げっ」食ってるとこまで見てるのか・・・?

 座ると、ミチルが横に座ってきた。

「じゃじゃ〜ん」
「・・・・・」
「もうこれ以上、入院は入れませんので!」
「満床か?もぐもぐ。ずず」
「実質的にはね」
「トシ坊医長を、必ず通しておけよ!げっぷ」
「トラブルメーカー、あれどうすんの?入院させて」
「4年ぶりの?あの人は、島が入院させたんだ!オレじゃない!げっぷ」
「でも主治医は・・」
「医長と島が決めたんだ!なあ、何かあったのか?以前!ふぐふぐ」
「あたしはそりゃ知ってるけど。でも師長になる前だったし・・・若かったし」
「どある。蛇足だ今の」
「なに?」

 周囲がシン、となった。それくらい師長というのは周囲から窺われる。

「あたしはこれまでみたいに・・・すぐは怒らないわよ」
「あとがないもんな」とは言えず。

 しばらくして、彼女の眼が見つめたのが分かった。
「先生。気をつけてね」
「何に?」

 ガタン、と彼女は出ていった。

 そして見送りながら・・・思った。

「も、もう食ったとは・・・連邦の師長はバケモノか?」
 再び医局へ。ザッキーはおらず、今度はシローが寝ている。僕の弟分だが、今も彼の行動には解せないとこがある。

 以前から注意してるんだが、あれだけニセ開業医(松田すこやかクリニック)のバイトを辞めろって言ってるのに・・・。というかそういう注意は辞めた。生活のため、割のいい金額は削れない・・という本音を聞いたことがある。

 彼は子供をカルト宗教団体のワイフから取り返し、父子家庭として子供を託児所に預けていた。応援すべき人間だ。だが別れの日々が近付いていた。調停とかいう裁判?などを経て、ワイフに主導権を渡すことになっていた。

「だれも彼にも、気を遣うんだよなア・・!」

 屈伸運動をして、机に向かう。郵便物を次々にごみ箱に落としていく。呼吸器関係の本で、肺線維症のところを再確認。パルス療法の是非を、今日決めないといけない。みな病棟で集まる昼過ぎ、そこで相談しようと思う。

「ふああ。あ、先生」シローが起きた。
「おうお疲れ。今日は子供の点滴、大変だったよ」

「小児内科とかなんとか、先生が言い出すからですよ?」
「僻地でちょっと影響されたんだ。俺の悪い癖だ。教授が海外で影響されて、実験の方針を変えるみたいなパターンかな?」

「これ以上、仕事増やさんことっすよ・・・」
「医者は見つかるって?」
「事務長が?ガセですよどうせ」
「1人欠けると大変だな・・・」

「もう1人、欠けてるようなもんでしょ」
「ザッキー。あいつな・・・!」

「慎吾先生が辞めたのは、ユウキ先生に責任あるって事務長が」
「僻地を望んだから、仕方ないだろ?たく、どいつもコイツも俺のせいにして・・・!」

 この男が、なんとか僕の愚痴を聞いてくれる唯一の人間だった。

ガラッ、とトシ坊が入ってきた。
「タミフルの在庫が減ってますので、処方は3日分でお願いします!」
「タミフル無くなったら、リレンザでいくんだな?」
「ええ。ただし!」

「は?」

「検査が陰性なのに処方するのは慎むように!」
「なんだ?それ、俺に言ってんのか?」
「いや別に」
「その態度、やめろってこの!」つまらない態度に気が立った。

 本気と感じたらしく、シローが立ち上がった。
「ユウキ先生。まあまあ抑えて。医長も言葉、横暴すぎですよ」
「横暴?」トシ坊が少しおさまった。

 僕は机にまた戻った。

「陰性でも、陰性でも・・・!」
「それ、僕のマネなんですか?」トシ坊が食ってかかった。
「知ってんだ。知ってんだ・・・!」

 みな、過労のせいか怒りやすくなるときがある。それもつまらん事で。診療中は冷静なんだが、こういう場ではどうも何故か・・・。

 シローは目のクマを両指でこすりながら、少しかがんだ。
「っし!いこか!」
 ダン!と両足で床を蹴り、廊下へと。

 僕も、真似してダン!と床を踏んづけた。
「あれ?」
 違和感がある。サンダルの裏にガム。

 その足が、さらに上にのけぞった。
「うわっ?ちょちょっ!」
 掃除のオバサンが、モップで下から持ち上げている。

「おおお、大きなガムやでえ!ほれほれ!」
「わちょっ!わちょっ!もうやめてえな!」

 トシ坊は白衣の襟を正し・・・こう言い残した。

「お似合いですよ・・2人とも」

 僕は意地でも追っかけ、同時にズドーン、と廊下へ飛び出した。

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