ES-MEN 21

2007年8月29日
 開院して2週間。

 外来の客足はまだ少ない。収益は入院患者と往診にかかっていた。というか、患者の数次第だった。でも往診数は伸びていき、1日50人を超えた。僕らは3日に1回くらいの割合で、1日の1部をそれに充てた。

 重症もそこそこあり忙しさも増してはいたが、収益的には到底ハカセの病院にかなうわけもなかった。僕や慎吾は、病院どうしの争いなど全く興味がなかったので無茶はしなかった。前にも誓ったが、僕らは

 道具なんかじゃ、ない・・・!

 事務長は僕に何か相談したそうだった。どこか遠慮している。だが八百長の匂いがするため、無視し続けた。

「降ろして!降ろして!」 

 救急車から、慢性期患者ベッドが降ろされている。うちの職員が一斉にベッドに移す。

「では宜しくお願いします」白衣がペコッと頭を下げた。
「あ。ちょっと待ってください。先生は・・」慎吾が待ったした。
「あ、あの。自分はドクターではなくPTで」
「なんだ。そうでしたか。でも最近、うちへの紹介が多いですね」
「当院も、少しずつ患者さんを手放すことになってまして」
「・・・・」

 例の潰れかけの民間ヤマト病院だ。すでに半ば真珠会の支配下となってはいるが、一部の切に転院を願う家族の希望で当院への入院が決まっていた。不渡りが1回出て、倒産は目前となっている。

 2階の事務室に入ると、慎吾は呼び止められた。

「なに?事務長。書類は全て・・」
「さっき話してたのは」
「PTだよ」
「ああ。ヤマト病院のPT長ですか」
「あの病院が倒産したら、一部が当院スタッフになるんだよね?」
「ええ。面接の結果次第ですが・・・でもヘッドは例外です」
「院長職?」
「世間知らずだなあ。慎吾先生も。各部署のリーダーですよ。技師長や事務長、薬局長・・・」
「でもさっきの人。能力あるみたいですよ」
「あってもですよ。組織スタッフを吸収するなら、ヘッドは切らないといけません。社会の常識です。うちとしては雇えないんです」
「え?」
「施設をリメイクする以上、各部署はクリーンでフレッシュなものでないといけません。そうしなきゃ、これまでやってきた古参の人間が納得しない。それに・・・」
「?」
「経営者から見て、不安です。ヘッドっていうのはいろんな情報網やコネを持ってるものですからね・・・」

 水面下・・・社会人になってよく耳にする言葉だ。僕らは水面の上でアチチと飛び跳ねている。落ち着く先が見えてこない。

ES-MEN 22

2007年8月29日
事務長の言葉に、慎吾は言葉を失っていた。

「慎吾、流しとけ」僕は近くで本を読んでいた。
「何を?」
「こいつは経営者の言いなりだから。怖いんだよ。裏切られるのが」
「下克上か?」

 搬送を終えた救急車が、次々と引き揚げていく。おかげで病床はかなり埋まってきた。

 僕は続けた。

「でも・・・俺も賛成ではあるよ。力の大小はピラミッドの流れに従順でないといけない。中間層に力を持たせたら、水面下で何をするか分らない」
「お前らしくない言い方だな・・・」
「オレが大学で中間どころを演じてたとき、大学の医局の雰囲気をなんとか変えようとした。ノナキーって奴に、<もうちょっと下に優しくせんかい>って。でも結局は混乱を招いて傷つく人間が増えた。いろいろ学んだよ」
「なんだよユウキ。お前もなんだかんだ言って、今の日本の堕落を作ってるんじゃないか!」
「日本だと!大げさな!」

横綱が、ずっと聞いて笑っていた。
「うはは!うはは!あんたら見てると、あきんわ!職、間違えたんちゃうか?」
「(2人)うるさい!」

事務長は僕の肩をもんだ。

「でも。学びましたね!成長した先生!」
「お前が言うとやらしいんだよ。でもお前から学んだことが多いんだよ実は」
「身内が一番!」
「そこまで気は許してない!」

 昔、野球の試合でこの男に八百長試合を仕組まれた。僕はずっと根にもっている。

 田中君が当直表を持ってきた。
「今日の当直は、ユウキ先生。はは、当直ばっかし!」
「どれ。見せろ・・・おい!なんだこれ!」
 慎吾ものぞきこんだ。

「今日から3連続って、どういうことだ!」
「だ。だって当直はドクターがすべきだし」田中君は的外れしてた。
「それは知ってら!新しいドクターはどうなったんだ!もう1人来るって話は!」
「らら、来週には。しかもじょ、女医です。先生の好きな」
「なんと!」
「すい・・・」
「性格がよかったらいいや・・・」
「またまた!」

事務長の冷たい視線を受けて、田中君はうなだれた。

「事務長すんません。女医さんは来週には来ます」
「本当なんだろな!もいっぺん、確認しろ!」

 2階から見下ろす、バリアフリーの1階待合。落ちたら確実にアウトだなと思いつつ、ガラス越しに思いを馳せた。

 この下で救急処置が行われるんだな・・・患者が来たらの話だが。今はポツポツとしか来ない。

「な〜田中くん。どんな感じの女医なのか、教えろよ」
「関東の救命で修業した先生です。先生もご存知では・・・」
「関東の救命で修業?そんな女医、いたかな?」

ついに思い出せず、事務室に張ったテントの中で熟睡に入った。
「呼ぶなよ〜呼ぶなよ・・・どうかグウ」

 東海道。

 夜行が、波打ち付ける静岡の岸壁を沿って走っていた。
眠れず、波を見下ろす女性。

 いつか海に降りた、駐車場・・・誰かがいたような気が。

 何やら考えているようだった。

 ハンカチを持った拳を、グッと握りしめ・・・。

 列車はガタタン、ガタタンとトンネルに入って行った。

ES-MEN 23

2007年8月29日
 
 満月に近い夜中。僕は当直中。

 真田第二病院の山の上から、山道を下へ走る人間の姿があった。

「はあ、はあ、はあ」
 勾配が急になってきたせいもあるが、気が急いたせいか一段と加速した。
 女性はついに悲鳴らしき言葉をあげた。

「うわあ!うわあ!ごめんよおお!ごめん!」

 背中に小さな子供を背負って、たすきがけの中年女性は病院の横の階段を駆け下り・・・正面へと回った。

 ビー!ビー!という呼び鈴を聞き、事務当直はゆっくり起きた。事務的な町の元役人が担当。

「どうされました?」マイクに向かう。
<開けてください!開けてください!>
「どなたさまですか?お名前を」
<先生よんでください!よんでください!>
「かんじゃさんの、おなまえを。初診ですか?」
<そうです!しょしん!はやく!>
「どなたを?家族の方?」
<男の子!>

リモコンでロックを外したとき、やっと気づいた。
「オトコノコ・・・?ってことは?」

 開いたとたん、ドカンと母親が走ってきた。帯で子供が背中に結わえてある。顔が真っ赤だ。
「はやくう!はやくう!」
「子ども?」
「そうや子供や!はよみてくれへんのか!病院だろが!」

 怒りでパニクった母親は紐をほどき、活気を失った子供を待合に寝かせた。

 テントの中、PHSが鳴る。

「は・・はい。もしもし」
<事務当直です。患者さんがお見えになっておりますです>
「どんな?」
<それがね。2歳くらいの子供で>

僕はガバッと起きた。

「しょ!小児科はやってないぞうちは!」
<母親がね、強引に入ってきてそんで>
「断われよ!無理だってば!よそ、行ってもらえ!」

『はよせんかー!』

 電話口でなく、下のバリアフリーから声が通って聞こえた。ガラスが振動。

 2階正面窓から見下ろす。

 PHSをおそるおそる持ち上げる。
「ちょ・・・ちょっと待てよ。待てよ!小児なんて経験ない!」
『そういいましても・・受付に参られているので』

 待ってても解決しないので、とりあえず近くの滑り台へ走る。

 スル〜、と滑り台を降りて、砂場に着地。ゆっくり歩く。
 診察室の奥、電気で明るい。不安は的中した。

「ああ、ああ。大丈夫やないかね」老ナースが、聴診器を外している。泣きわめく子供。見るからに高熱だろう。

「もうねもうね!さっきはもどしてもどして・・・死ぬんやないかと!意外といけるかもな!はっ!おお先生来た来た!来たでぇ〜!もう大丈夫やでぇ〜!」

 母親は寝巻のまま両足をドスドスと動揺していた。僕はとりあえず・・・聴診した。しかし子供の泣き声で聞き取れない。

「い!いきなりやったらおどろくんちゃうんか!」母親は目くじら立てた。

「す、すんませ・・・」脈をとる。首を触ろうとするが、子供は巧みに両手で振り払ってくる。

「ぎああ!ぎああ!」
「ちょっと、ちょっといいですかあ!あ。ごめん」
「げああ!げああ!うぷっ」
「うだっ!」

 噴水のような吐物が僕の胸に飛び散った。
 母親は僕の背中をたたいた。

「点滴とかほら!せないかんのとちがうんか!ふぬけが!」
「え、ええ!てて、点滴!」
「アンタがするんやろおが!医者やろがあ!」
「やるってよ・・やるってよ・・!」

 泣きそうになりながら、駆血帯を巻く。

 しかし、当直老ナースには母親としての包容力がある。どことなく余裕。これが女性特有の優しさなのか。さっきは女を見下してはいたが・・・。

 ルート確保しようとするが、失敗。十分、抑えていなかった。

「す、すんません!血管が細くて・・脱水もあって細くて」
「ぎああ!ぎああ!」子供は今度は足でけってきた。

 見かねたナースが、家族をなだめて抑えを指示した。
 泣きがちょっとおさまったとこで、ナースは翼状針をピンと上に向けた。

「ぎあ!ふげ・・・」
 点滴が入ってみなの手が離れ、子供はやがて泣きやんだ。

 僕は医局から持ってきてもらった医学書をあちこち飛ばし読んだ。
「小児科のページ、ページ・・・!」
 ある程度頭に叩き込んで、子供に近づくが・・そこは母親のオーラが遮った。

「この先生、ちと頼んないなあ!」
「う、うう・・・!」

 研修医のとき以来の屈辱だった。

1 2

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索