救急室では心電図を撮り終わったところ。

「ねーねー、これどう思う?」
川口はバリッと心電図を剥がした。

男前で有名なエリート研修医の野中、が知らない間に来ている。
「そうだね、診断は間違いないよね。STが上がってる。胸の痛みもある。心筋梗塞だね」
「上の先生方はまだなの?」
「呼吸器科の先生が1人下りてくるって」
「それって松田先生でしょう。8年目で院生の人。使い物にならないって話よ」
「僕たちでは判断できんだろう。上の先生の判断を仰ごうよ」
「さっすが、なかちゃん!落ち着いてるわね!色男だし!」
「俺はでも悪いことしてないよ、何もね」

何しゃべってんだ、こいつら・・・。
僕は2人に見つかった。

「あ!戻ってきた!おそいわね!」
「野中です。先生、ポケベル鳴らしてたんだよ。どうして出なかったの?」
「?ポケベル・・あ、医局に置いてきた!」
「研修始めたハナから、どーすんのよー」
「まあ仕方ない、彼はよその大学から来たわけだし」
野中は川口をなだめた。

「そんなの関係ないわよ・・ま、いっか。あ、松田先生!」

「・・・・」
背が高く、むっとした表情の先生。一見、頼りになりそうだが・・。やっぱ評判どおりの先生なのか?
「・・・心筋梗塞って何故分かるんだい?川口ちゃん」
「・・・胸が痛くて、心電図の所見が合ってると思って」
松田先生は眉をしかめた。
「野中くん、何とかしてくれよ」
「はい、もう1つ可能性があるもの、ありますね」

なんだこいつ、さっきは何も言ってなかったのに。

「あ、あたしそれ分かります。不安定狭心症ですね」
「そうだ!分かってたのか、2人とも。・・おっと、君もいたな。ユウキ先生。知ってた?」
「はい」
「本当に?」
「はい!」
実は考えてもなかった。不安定狭心症の定義すらよく分からない。

不安定狭心症・・狭心症は冠動脈の中が狭い・・狭窄というが・・状態だが、不安定狭心症は血管が今にも詰まりそうな状態。心筋梗塞にすぐなるかもしれない状態。古い呼び名では、
「切迫心筋梗塞」という。

松田先生は腕組みした。
「川口君、2つの違いは?」
「心筋梗塞は血液検査で異常がでます。壊死した組織・・心筋が壊れて出てくる物質・・酵素が検査で検出されますから。
でも実際組織がまだ死んでない不安定狭心症ではその物質は出ません。これで見分けられます」
「そうだ!まあ知ってて当たり前だがな。」

嫌な奴。

「野中くん、何かまず使うべきかな、薬を」
「亜硝酸剤という血管を拡げる薬が効くかどうかです。冠動脈が痙攣して狭くなっているタイプの狭心症という場合もあるからです」
「そうだな!まずそれが効くなら、この患者さんはそのタイプの病気ということだ。そうなれば君らみたいにあわてふためく必要もない。あっちこっち電話しまくる必要もない。僕の貴重な時間もつぶされずにすむわけだ」

ますます嫌な奴。

「川口君、飲ませなさい。舌の下にね」
「はい、お口、アーんしてー・・はい」
「そうだ。5分待とう。その間にレントゲンを撮ろう」

待つこと5分。

「どうだ、川口君・・心電図もう1回してはみたが、変化は?」
「良くなってません・・そう思います。できれば先生、見ていただけま・・」
「ところでオイ、超音波はしてもらったのか?」
「え?」
いきなり先生のテンションが高くなってきた。
「超音波も用意せずに、のんびり突っ立ってるなよ!持って来いよ、超音波、ちょうおんぱっ!」
狂ってる?顔が真っ赤になってる。野中が取りに走った。

松田先生は平静を取り戻した。精神的に不安定なんだろうか、この人・・。
「よおし、もう1回トライしよう。川口くん、飲まして」

 なんか、のんびりしてるなー・・・。

松田先生が超音波を胸に当てて調べている。バクバク動いているのが心臓だとは分かる。
「ウーン・・・・ウーン」
僕らはただ画面に食い入るだけだ。しかし、この先生、専門は呼吸器だな。でもひととおりのことはできるわけか。自分もこうなれるのかな・・。

「ウーン・・・・。ンン?・・・ンーーーー」

もう30分も経つ。点滴には冠動脈拡張剤など入れているが、詰まった血管を拡げるほどの力はない。ただ血栓溶解剤なら詰まったところが自然と解除される可能性はある。

川口がしびれをきらした。
「先生、t-PAはだめですか。溶解剤」
「ウーン!しゃべるな!うーーーー・・」
うまく見えないらしい。

「この人、いかんな」

何が?

「太りすぎてるせいで、なかなか見えん」

検査が終わったらしく、電源が切られた。

「・・・ウーン」

最後もそれだった。

動きの悪い場所を探すためだったが、よくわからなかったのだろう。

野中が血液検査のデータを持ってきた。
「おい!君!ユウキ先生っての!」
いきなり研修医にしかられた。
「え?」
「え、じゃないよ!血液検査が緊急の扱いになってなかった!それで遅かったんだよ!」
「え、そうなの」
「そうなのじゃないよ!」

松田先生は微笑んだ。
「まあまあ野中君、許してあげな。野中君はほんと正義感強いからね」

僕はかなりいらだった。
「落ち着けよ」
「何を落ちつけだと!」

川口は止めにかかった。
「やめて!ケンカなら外でやって!この人を3階の集中治療室に上げてからにしましょうよ!」

松田先生はデータに目を通していった。
「ふうむ、データからみると・・なるほど」

??なんだというんだ?

「なるほど」

教えろよ。見てもよく分からない。どれが正常でどれが異常なんだ?

「川口君、これ見て」
「・・ははーん」
「ね、だろう」

野中も首を縦に振っていた。これから松田先生がやっと指示を出すわけか。治療はどうするか。

「よし!・・・・・・・集中治療室に上げて・・・君ら」
「はっ?」
「今の内容を、循環器の先生に全て電話で伝えること!その上で即、指示をあおぐべし!」

それが方針なの?

川口がさらに苛立つ。
「でも先生、カテーテル検査できる先生もいないし、それだったらせめて血栓溶解剤を・・」
「さっきから、けっせんようかいざい、けっせんようかいざい!うるさいな!研修医の君に言われるすじあいはない。それぐらい知ってるわい!」
いや、知ってるかどうかじゃなくて・・
「まずコンサルトしてみて、それから対応すること!研修医が余計な口挟んだらイカンのだよ!医療ミスのもと!」

医療ミス・・?

もうしてると思うんだけど・・・。

 その後、その患者は集中治療室に送られ、循環器チームへの電話相談を行った。発症から6時間以上過ぎてしまったので、
血栓溶解剤は使えない、と。患者が来るまで2時間、集中治療室に入るまで6時間もかかった。それには集中治療室のベッドの用意時間も含まれる。計8時間。うろうろしている間に、薬の適応時間を過ぎてしまったのだ・・。

 幸い心不全などの合併症を引き起こすことなく、「落ち着いた」状態で翌日より循環器チームが引きうけた。主治医は川口が
不満そうに引きうけた。

僕は部屋の隅に追い込まれ、倒れそうになりながらかろうじて呟いた。

「こ・・・これが・・大学・・」

<つづく>

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