< レジデント・ファースト 14 問診係 >
2004年2月2日 お仕事朝6時の目覚ましが鳴った・・はずだった。知らない間に止めてしまっていた。
朝の7時。
「こりゃえらいこっちゃ!」
昨日の集中治療室の患者のことではない。
「生食負荷試験があるんだった!」
そう、今日は朝の6時すぎから約2時間、生理食塩水を2時間で点滴、合間に採血を何度か行うんだった。検体の一部は
大学院生に渡さないといけない。検査終了後に患者は朝ごはんをやっと食べれる。従って点滴の開始が遅くなると終了も遅くなり、朝食の時間が遅れていく。
自転車で行きたいところだが、ダッシュでいきなきゃならない。車を猛発進させた。
病室に着いた。最近また新しく入った高血圧の患者。
「あー、あ、来た来た、やっと来た」
中年女性が苛立った表情で迎えてくれた。
「すみません、遅くなりまして」
「あーあ、わしゃもう見捨てられたんや、そうみんなに言いよったんや。わしのことを何とも思ってない。第一に考えてくれてへん」
部屋中がどっと沸いた。
ある意味当たっていた。
「痛いイタイ!何をしまんの!」
「点滴です」
「何も言わず刺してくるから、ビックリこいたわ」
「・・あれ」
「?・・・どしたの。入らないの?」
「うーん・・」
血管がない、この人。
「まだ?」
「うーん・・ないな、こりゃ」
「なんて?」
「いえいえ、ちょっと時間がかかるかなあと」
「はようしてえな、先生」
「うーん・・・ここか?」
「知らんよ、そんなん聞かれても」
「・・・あ、血返ってきた。よし・・」
「イタイイタイ・・」
「いや、血管の中入りましたよ」
「いや、なんかイタイ・・抜いて抜いて!」
プクーっと膨れてきた。
「ああ、漏れたんだ・・」
「ッーっ!ああ、痛かった!もうええんじゃないの、こんな検査!あ、看護婦さん!」
ちょうど部屋周りしていた看護婦が。
「看護婦さん、ちょっとあんたが入れてえな」
「点滴は規則でドクターが入れることになってますので」
「そんなん言わんといてえな、頼むわー」
「失礼します。申し送りがありますので・・・」
「あ!待って待って!」
そう叫んだのは僕のほうだった。
この検査は中止になってしまった・・・。
外来の問診係。問診の部屋にはいろんな科の研修医がいる。まるで職業相談所だ。1対1の会話があちこちで行われている。研修医の目は患者のほうでなく、問診表の方に釘付けだ。
「家族の構成は・・・・」
「そこで飲んでた薬は・・・」
「その手術は何年・・病院名は・・・」
僕が担当することになったのは、30後半、女性。きゃしゃで物静かな方だった。
「問診を」
「はい」
「主訴・・いやいや、症状は」
「胸が痛いのです」
「どこらへんです?」
「左胸の前・・ここ」
彼女は僕の手を自分の胸に持っていった。あまりに突然だったのでドキッとした。
「か、家族構成ですが」
「主人とは離婚してます。娘が2人います。1人は中1です」
「タバコは」
「吸ったことないです」
「なるほど・・」
「これだけいろいろ聞かれるということは・・何かあるのでしょうか」
「いえ、そういう意味ではありません」
なんか自分も大学病院の人間に染まってきたのか・・・。
「お待たせしました。検査に行きましょう」
あと数人の問診が終わったときは昼の2時を過ぎていた。
昼2時過ぎの食堂は、邪魔な学生や看護婦がいなくていい。
「ランチは何が?」
「うどんしかありません」
「ああ、それでいいです」
適当なところに座った。また誰か来たりしないだろうな。
またポケベルが振動してる・・。
「もしもし」
「病棟医長です。1人入院だよ。先生、主治医な。病名は、たぶん癌性胸膜炎。レントゲンで肺の異常な影と、胸水。組織型はまだ不明だが、たぶんアデノだろう。アデノーマ。腺癌だ」
「肺癌ですね」
「ああ、状態は落ち着いているんで。検査の予約を出しといてほしい。オーベンに許可取ったが、呼吸器の助手の益田先生が指導してくださる。今日はちょうど晩に呼吸器カンファレンスがあるので、それまでに経過をカルテにまとめておくように」
「え?今日の夜?」
「そうだ。何がいけないか!」
「夜、何時くらい・・」
「知るか。益田先生に確認を取れ。呼吸器のカンファレンスのあとは外科との混合カンファレンスがあるらしいぞ。帰る暇などないぞ!」
こりゃ、遅くなるな・・・。
「医局秘書さん。川口先生はどこに」
「彼女?フフーん、怪しいねえ、キミたち」
「相談事があるんで」
「川口先生は今日は臨時のバイトを頼まれて、よその県へ行ったわ」
「帰ってくるんですか」
「先ほど出られたのよ。病院へは戻ってこないみたい。夜は講演会を聞きに行くと言ってたので」
「たしか彼女には重病の患者さんもいるんですけど、変わりは誰が診てるんですかね」
「間宮先生が代理になってる。彼女は何人いようと見れるから、凄いよねー」
「ええ、僕と違ってね・・」
そうか。講演会ということになってるのか。なんか嬉しい。
病棟では入院カルテができていた。
「病室は・・この大部屋か」
その患者は、僕が朝問診した女性だった。
「ああ、先生でしたか。宜しくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
「娘が来てるんですが、もう帰ってもいいでしょうか。学校休んでるんで」
「ええ、どうぞ」
「姉妹も来てるんです。もう帰ったかも・・」
詰所のすぐ外にその姉はいた。
「こちらの、カンファレンスルームへどうぞ」
と導く。
中年肥満ドクターの益田先生と僕は腰掛け、患者の家族と向かい合った。
「指導医の益田といいます。この先生と2人で見させていただきます」
「はい。で、病名は何なんでしょうか」
「それはですね・・」
「癌なんでしょうか」
「後ろの写真、ここ・・ここです。肺の上のほう。左の上。肺の中に、腫瘍と思われる影があります」
「かげ?」
「それを取ったわけではないので、確定ではないのですが、水まで溜まっています。肺の外に。これはこの腫瘍が胸膜に浸潤して溜まった、胸水と思われます」
「・・・・・・」
こんな説明では、理解できるはずがない。
「この胸水の中に癌細胞があれば確定的です。胸膜が炎症を起こして溜まったものである可能性が高い。胸の痛みはそのためと思われます」
「先生、私が聞きたいのは・・・」
「ドレナージといって、管を胸に入れて、水を抜きます」
「よく分かりません、ただ聞きたいのは・・癌だとすれば・・その、長くないっていうことでしょうか。そうなんでしょうか。娘はまだ小さいのに」
姉はもう感情を抑えきれてなかった。
「さっそく明日にでも、ドレナージを行おうと思います。まず胸水を抜いて、もう出なくなったらそこへ薬を入れます。胸膜に炎症を起こして、糊付けするのです。そこにもう水が溜まらない様に」
「ちょ、ちょっとすみません・・難しい話・・私には」
「家族の方の了解も必要なので」
なんか冷たい医者だなあ・・。姉は続ける。
「本人に、どう言えばいいのでしょうか」
「病名が癌と確定した場合、本人への告知はまたここで話し合って決めましょう。そのときは家族全員を」
「でも・・小学生の娘には・・ダメです。ダメです。本人に知らせたとしても・・・」
「・・・では、これが同意書です」
「先生、私、病室へは戻れない。混乱してしまう」
朝の7時。
「こりゃえらいこっちゃ!」
昨日の集中治療室の患者のことではない。
「生食負荷試験があるんだった!」
そう、今日は朝の6時すぎから約2時間、生理食塩水を2時間で点滴、合間に採血を何度か行うんだった。検体の一部は
大学院生に渡さないといけない。検査終了後に患者は朝ごはんをやっと食べれる。従って点滴の開始が遅くなると終了も遅くなり、朝食の時間が遅れていく。
自転車で行きたいところだが、ダッシュでいきなきゃならない。車を猛発進させた。
病室に着いた。最近また新しく入った高血圧の患者。
「あー、あ、来た来た、やっと来た」
中年女性が苛立った表情で迎えてくれた。
「すみません、遅くなりまして」
「あーあ、わしゃもう見捨てられたんや、そうみんなに言いよったんや。わしのことを何とも思ってない。第一に考えてくれてへん」
部屋中がどっと沸いた。
ある意味当たっていた。
「痛いイタイ!何をしまんの!」
「点滴です」
「何も言わず刺してくるから、ビックリこいたわ」
「・・あれ」
「?・・・どしたの。入らないの?」
「うーん・・」
血管がない、この人。
「まだ?」
「うーん・・ないな、こりゃ」
「なんて?」
「いえいえ、ちょっと時間がかかるかなあと」
「はようしてえな、先生」
「うーん・・・ここか?」
「知らんよ、そんなん聞かれても」
「・・・あ、血返ってきた。よし・・」
「イタイイタイ・・」
「いや、血管の中入りましたよ」
「いや、なんかイタイ・・抜いて抜いて!」
プクーっと膨れてきた。
「ああ、漏れたんだ・・」
「ッーっ!ああ、痛かった!もうええんじゃないの、こんな検査!あ、看護婦さん!」
ちょうど部屋周りしていた看護婦が。
「看護婦さん、ちょっとあんたが入れてえな」
「点滴は規則でドクターが入れることになってますので」
「そんなん言わんといてえな、頼むわー」
「失礼します。申し送りがありますので・・・」
「あ!待って待って!」
そう叫んだのは僕のほうだった。
この検査は中止になってしまった・・・。
外来の問診係。問診の部屋にはいろんな科の研修医がいる。まるで職業相談所だ。1対1の会話があちこちで行われている。研修医の目は患者のほうでなく、問診表の方に釘付けだ。
「家族の構成は・・・・」
「そこで飲んでた薬は・・・」
「その手術は何年・・病院名は・・・」
僕が担当することになったのは、30後半、女性。きゃしゃで物静かな方だった。
「問診を」
「はい」
「主訴・・いやいや、症状は」
「胸が痛いのです」
「どこらへんです?」
「左胸の前・・ここ」
彼女は僕の手を自分の胸に持っていった。あまりに突然だったのでドキッとした。
「か、家族構成ですが」
「主人とは離婚してます。娘が2人います。1人は中1です」
「タバコは」
「吸ったことないです」
「なるほど・・」
「これだけいろいろ聞かれるということは・・何かあるのでしょうか」
「いえ、そういう意味ではありません」
なんか自分も大学病院の人間に染まってきたのか・・・。
「お待たせしました。検査に行きましょう」
あと数人の問診が終わったときは昼の2時を過ぎていた。
昼2時過ぎの食堂は、邪魔な学生や看護婦がいなくていい。
「ランチは何が?」
「うどんしかありません」
「ああ、それでいいです」
適当なところに座った。また誰か来たりしないだろうな。
またポケベルが振動してる・・。
「もしもし」
「病棟医長です。1人入院だよ。先生、主治医な。病名は、たぶん癌性胸膜炎。レントゲンで肺の異常な影と、胸水。組織型はまだ不明だが、たぶんアデノだろう。アデノーマ。腺癌だ」
「肺癌ですね」
「ああ、状態は落ち着いているんで。検査の予約を出しといてほしい。オーベンに許可取ったが、呼吸器の助手の益田先生が指導してくださる。今日はちょうど晩に呼吸器カンファレンスがあるので、それまでに経過をカルテにまとめておくように」
「え?今日の夜?」
「そうだ。何がいけないか!」
「夜、何時くらい・・」
「知るか。益田先生に確認を取れ。呼吸器のカンファレンスのあとは外科との混合カンファレンスがあるらしいぞ。帰る暇などないぞ!」
こりゃ、遅くなるな・・・。
「医局秘書さん。川口先生はどこに」
「彼女?フフーん、怪しいねえ、キミたち」
「相談事があるんで」
「川口先生は今日は臨時のバイトを頼まれて、よその県へ行ったわ」
「帰ってくるんですか」
「先ほど出られたのよ。病院へは戻ってこないみたい。夜は講演会を聞きに行くと言ってたので」
「たしか彼女には重病の患者さんもいるんですけど、変わりは誰が診てるんですかね」
「間宮先生が代理になってる。彼女は何人いようと見れるから、凄いよねー」
「ええ、僕と違ってね・・」
そうか。講演会ということになってるのか。なんか嬉しい。
病棟では入院カルテができていた。
「病室は・・この大部屋か」
その患者は、僕が朝問診した女性だった。
「ああ、先生でしたか。宜しくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
「娘が来てるんですが、もう帰ってもいいでしょうか。学校休んでるんで」
「ええ、どうぞ」
「姉妹も来てるんです。もう帰ったかも・・」
詰所のすぐ外にその姉はいた。
「こちらの、カンファレンスルームへどうぞ」
と導く。
中年肥満ドクターの益田先生と僕は腰掛け、患者の家族と向かい合った。
「指導医の益田といいます。この先生と2人で見させていただきます」
「はい。で、病名は何なんでしょうか」
「それはですね・・」
「癌なんでしょうか」
「後ろの写真、ここ・・ここです。肺の上のほう。左の上。肺の中に、腫瘍と思われる影があります」
「かげ?」
「それを取ったわけではないので、確定ではないのですが、水まで溜まっています。肺の外に。これはこの腫瘍が胸膜に浸潤して溜まった、胸水と思われます」
「・・・・・・」
こんな説明では、理解できるはずがない。
「この胸水の中に癌細胞があれば確定的です。胸膜が炎症を起こして溜まったものである可能性が高い。胸の痛みはそのためと思われます」
「先生、私が聞きたいのは・・・」
「ドレナージといって、管を胸に入れて、水を抜きます」
「よく分かりません、ただ聞きたいのは・・癌だとすれば・・その、長くないっていうことでしょうか。そうなんでしょうか。娘はまだ小さいのに」
姉はもう感情を抑えきれてなかった。
「さっそく明日にでも、ドレナージを行おうと思います。まず胸水を抜いて、もう出なくなったらそこへ薬を入れます。胸膜に炎症を起こして、糊付けするのです。そこにもう水が溜まらない様に」
「ちょ、ちょっとすみません・・難しい話・・私には」
「家族の方の了解も必要なので」
なんか冷たい医者だなあ・・。姉は続ける。
「本人に、どう言えばいいのでしょうか」
「病名が癌と確定した場合、本人への告知はまたここで話し合って決めましょう。そのときは家族全員を」
「でも・・小学生の娘には・・ダメです。ダメです。本人に知らせたとしても・・・」
「・・・では、これが同意書です」
「先生、私、病室へは戻れない。混乱してしまう」
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