「救急搬送。65歳男性。胸痛が1時間前からあるそうです。お願いします」
「も、もう来るんでしょうか?」
病院の事務室で僕はへばりついていた。
「はい、当院の方針となっておりまして・・救急は断るなとの院長の判断です」

もういいかげん年の白髪事務員が、冷淡に答える。大学病院の院生が実験の都合でバイトを休むことになり、僕が代わりに担ぎ出された。「何もない、寝当直だ」と聞いてたのに・・。

浅はかだった。

本は・・かろうじて「救急マニュアル」程度のものはある。胸痛。心筋梗塞なのか・・。

「それで、あとどのくらいして到着を・・」
「さあ、知りません」
「どこから」
「さあ、知りません」
「・・・・・」

遠くから聞こえてくる、サイレン・・?いや違う、あれか・・いや、空耳だ。以前、こういうことがあったな・・。


あれからもう半年が経とうとしていた。

秋の気配とともに、みんなとの交流も増え、自分も社会人の一員としての自覚がやっと芽生えた、何かできるようになった・・そう錯覚しはじめた時。

平成6年  11月

「僕で、いいんでしょうか・・」
「エッ?だって・・おたく・・医者でしょ」
「いえ・・・・レジデントです」
「はぁ・・・まあ・・はぁ・・」

 救急車が到着。中は慌てふためいた様子ではない。上下する姿はなし。じゃあ心マッサージでなし。まずは第一段階クリアーといったところだろうか。

「65歳!男性!2時間前から腹部の痛み!嘔吐!高熱!腹痛は2日前から徐々にありましたがいったんおさまっていたとのことです」

「腹痛?胸痛って聞いたけど?」

・・・症状からすると、イレウスか?半年前に経験したばかりだ。それにしても、さっきの事務員の言ったことと内容が違う・・。違いすぎる。

 こういったボケボケした事務員たちを休日に配置して救急を堂々掲げる病院の、なんと多いことか。

「先生!先生!」
「あ、はい?」
「そろそろ・・私たち、帰ってもよろしいでしょうか?」
救急隊が3人、貧乏ゆすり気味で帰りたがっている。
「ははい、そうぞ」

「看護婦さんはいますか?」
「呼んでるんですがね・・」
なんだ?コンパの約束・・・違うよな。

年老いたその事務員は、あくまでも事務員に徹していた。電話のボタンをひたすら、ゆっくり押している。14インチテレビの音声がやかましい。

やっと老年の看護婦が降りてきた。パーキンソン様だ。無動・振戦・筋固縮。かなり近づいてくる。息が荒い。オバハン気持ち悪い。突進現象か。

「はい・・・」

はい、じゃねえだろ!

「ああ、看護婦さん・・点滴ルートは確保しました。採血の取る容器がどれかよく分からないんですが」
「先生、ここの採血は外注検査です。結果が分かるのは翌日以降です。今日は結果は出ません」

「なっ?」

「レントゲンと心電図ならできますが」
「・・じゃあ、はい、それ、お願いします」
「・・・・・」

 救急指定としておいて・・このズサンさは何なんだ?

心電図はかなり旧式のようで、基線が一定しない。一部紙が焼ききれている。カチャンカチャンと不快な音がする。

触ったら、ものすごく高熱だ。

「あっつ!」

心電図は異常ない、と思う。腹部レントゲンは・・くそっ、見にくい写真だ・・。いったいどんな機械使ってんだ・・。

少なくともイレウスではない。と思う。

やっぱ血液検査の結果を知りたい。CTも必要だろう。でも読む自信がまだない。いずれにしてもCTが置いてない・・。

救急マニュアルを読んでみる。

「・・・・腹部大動脈瘤?・・血圧は普通みたいだしなあ。腹部も膨張してないし・・」
「イテテテ、先生、あんまり押さえんといてもらえるか!」
「ああ、すみません」
「はよう何とかしてくれ・・イタタ」
「・・・・胃潰瘍・十二指腸潰瘍、膵炎・・・あの、お酒飲みましたか」
「そ、そりゃよ、酒は飲むことあるわい、気持ち程度はなっ」
「どんな時に痛くなってましたか。食べた時、食べてない時・・」
「そ、そんなん思い出せん・・ようわからん。わし、実は耳が遠いんよ。もうちょっと大きい声で言うてくれんかいな!」

微熱あり。黄疸は・・なさそう。でも自信ない。
「でも胆石だったりしてなあ・・」
「さ、さっきから先生何を言うてまんの」

家族が駆けつけた。

「先生、失礼します。病名はなんでしょうか」
「え?今調べているところです」
「調べ・・?そ、それで、本人は帰れるんでしょうか」
「まだ分かりません」

あ・・そうだ。大事なこと、聞かないと。

「おっきな病気したことあります?」
「いや、そんなのはない・・」

「入院したことあります?」
「・・・・・ええ、石で。主治医の先生が手術せよせよって言うのに、本人が嫌がって、退院してしまったんです」

「石?どこの石?」
「さあよう分からん。わしら素人やから。専門的なことは分からん。胆石いうことぐらいしか」

 なんだ、胆石って知ってるやんか。

「?それは最近?」
「先月です」

 最近やないか。

「痛みは同じような感じ?」
「ああそうじゃ、同じかそれよりキツイ」

腹部レントゲンをよく見ると・・肝臓の部位に、1,2センチの丸い影がある。

 レントゲンは、疑いの目でみれば読影がうまくなる。本では骨、肺、心臓・・とかいうが、その発想ではつまらない。見落としてはいけないものを考えながら、スリリングに読むんだ。

 胸部は、「骨折してたりして、肺は上に結核あったりして、癌があったりして、心臓でかかったりして、動脈でかかったりして、水たまってたりして。気管分岐部が開いてたりして」とか。

 腹部は、「イレウスないな、フリーエアないな、じゃあ緊急じゃないな、石とかあったりして、胆石、尿路・・」
 というふうに。正解してなかったら「ああ、やられた!」というふうに。

だがやられて迷惑するのは患者だ。気をつけないと。

「ああ、これだったのか・・・」

 患者は急性胆のう炎疑いで入院となった。抗生剤の指示。消化器に移行性のいい、ホスホマイシン。あとは・・・

 あとは知らない。

 僕の業務は終わった・・。診断はあれでよかったのか・・それを知っているのは、あとで顔を出す常勤医のみ。

 あとは頑張ってくださいよ・・。

 車はラッシュに捕まった。身動きできない。車のゴミすら片付ける時間がない。ガソリンを入れる時間も惜しい。ドライブスルーは満杯。音楽も新しいの仕入れていない。世の中は今、何が起きているんだ?楽しみといえば、もうすぐ公開される「スピード」。

ラジオから流れる、槙原敬之の「SPY」。

 今僕を笑うやつはきいいいっと、ケーガをすーるーーーーー。

 医局員の連中め・・・・見てろよ(意味不明)。

 だんだん大学病院が近づいてきた。

 しかし・・・

 止めるところがない・・・。

<つづく>

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