< レジデント・セカンド 3 アズマ >
2004年2月15日 連載 僕らはまた廊下を歩き始めた。
「先生、聞いてよろしいでしょうか?」
「?」
「抗癌剤を実際使用していますが・・今回の分で終了なのですか?」
「そうカルテに書いてたつもりだけど」
「写真では腫瘍の影は小さくなっているように見えるのですが。先生のカルテにもPR・・半分以上の縮小だと」
「みかけの影だけ良くなってもいけない、そこが難しい」
「でも抗癌剤を使用した理由は、完全に・・」
「治すためじゃない」
「え?」
「・・・延命のためだ」
「延命?」
「残った時間をなるべく長くしてあげること」
「それは知ってますが・・完全に消すまで治療したら、ひょっとしたら再発しないこともあるのでは、ないのですか・・」
「それは無理。半年前の時点でStageIIIB。これ自体オペの適応ではない。それだけ進行してるから」
「でもせっかく腫瘍が小さくなってきてるのに・・」
「腫瘍だけ見て治療しようとしたら、消えないどころか副作用で参ってしまう!するとずっとこのまま病院に・・・・!」
僕は立ち止まった。
「なるべく早く、家に帰してあげたいんだよ」
学生は話を少しそらした。
「抗癌剤の副作用の骨髄抑制で下がったんですね、白血球は。これは戻るんですね、元に」
「ああ、でも下がったときに感染が起こりやすい。白血球だけでなく、貧血が進むこともありうる」
「ヘモグロビンですね」
「ああ、それと血小板。血小板が2万を切ると、出血傾向がひどくなる」
「ヘモグロビンはそれくらい下がったら輸血するので?」
「いろんな先生に聞いたら、6が多かったな。でも状況に応じてだろうな・・さて、僕はこれから心筋梗塞の患者さんを見に行くけど・・」
「ついていきます」
「担当じゃないだろ?」
「できればついていきたいと」
「どうぞ。ここ、CCU。ああこれこれ!靴、クツ!脱いで!」
モニターのピコピコ音、スパゲティ様にからんだルートやコード。60歳のその男性は眠っている。
「心筋梗塞で入院した、3日前。心電図、これどう思う」
「STがII/III/aVFで上がってます・・心筋梗塞ですね」
「でも冠攣縮性の狭心症かと思って亜硝酸剤を飲ませたが、やっぱり効かなかった」
「なるほど、それで心筋梗塞と」
「超音波を当ててもらったら、教科書通り下壁の動きが悪かった。これで診断は間違いなし。血液検査もひっかかった」
「血圧が低いですね、90くらいですね。状態、悪いんですか。」
「というか、単なる下壁の心筋梗塞じゃなかったんだよ。その後右心室まで巻き込んできた。いわゆる右室梗塞というヤツだ」
「とにかく嫌なヤツ、なんですね」
「ちょうど野中のオッサンみたいなね」
「おい、オッサンとは何だ、オッサンとは」
ベッドサイドで完全武装の野中が顔を上げた。
「俺がいると知ってて言ったんだろ」
実はそうだ。
野中は3ヶ月間の限定の研修でCCUに配属されていた。主治医にはならないが、CCUに入っている患者の観察をしなくてはならない。しかし朝ー夕方までの割り切った業務で帰れる。ただし朝・夕のカンファレンスには出席しなくてはいけない。
「野中・・ペースメーカーはまだ抜けないか?」
「なんだよ、まるで自分が入れたみたいに・・学生さんの前で」
「言い直すよ。野中先生、ペースメーカーはまだ必要でございますでしょうか」
「まだペースメーカー・・時々作動してるなあ・・3度の房室ブロックが、今は2度Mobitz・・・そろそろWenckebach型になるんちゃうんかなあ・・」
僕は学生に向かって語った。
「入院してカテーテル検査したら、右の冠動脈が閉塞していたんだ。根元から。そこめがけて、血栓溶解剤を流して頂いた。すると閉塞は解除された」
野中に反抗したり、学生にも気を使って大変だ。
「しかし後遺症のように心筋梗塞は残っており、右心室まで巻き込んだ状態のため、このような独特な状態となった」
「どのような・・」
「血圧低下と脈拍数減少」
「えーっと、け、つ、あ」
「早くメモしてくれよ。右心室が血液を左心室に十分血液を送り込めないから・・・」
おいしいところは野中がさらった。
「それで、輸液を十分に追加することによって、右心室に無理矢理容量負荷をかけ、その水分をそのまま左心室へ流す。右心室は動き悪いから、ただの管みたいなものだね。1時間で100cc入れたって構わない。そこまでしてでも左心室へ送り出す。しかし気をつけてチェックすべき項目は何だろう?」
「・・・」
「尿量と、肺うっ血の有無。肺の外に水が漏れないように。何でチェックすると思う?」
「・・・その、患者さんの股から心臓に入っている、カテーテルでしょうか」
「そうだ、スワンガンツ・カテーテルだね。よくできる学生さんだなあ。うちの科、入る?」
「じゃあその数字を見れば誰でもわかるんですね。なんだ、簡単だ」
「なに?誰でもって何だよ!」
野中がキレ始めた。
「いや、その、別に」
「誰でもって、じゃあこうならこうするっていう基準とかあるのか?正常値だけ知ってたらいいのか?君・・細川くんよ!」
野中は学生のペンの名前を見逃さなかった。目ざといヤツだ。
僕は止めた。
「野中、本気で怒るなよ。学生さんだぞ」
「最近の学生は、配慮ってものがないんだよ!礼儀というものを知らない!患者さんにも失礼だ!」
細川は固まってしまった。
「ももも、申し訳ありませんです」
CCUを出た。
「あのう、先生・・」
「?野中のことか・・あいつはああ見えても実は・・・・嫌な奴だな」
「そ、そうなんですか」
「ちょっと、メモらんといてよ!俺のお姫様にも接近してるし」
「?先生の・・フィアンセですか。それはよくないですね」
「ちがうちがう。うちの医局のアイドルみたいなのがいてね。みんなが狙ってるんだ」
「わ、私はそういうことには一切興味は」
「じゃ」
「先生、待ってください!来週は英語の文献をいっしょに読むということになってるのですが・・どの文献を読めばいいですか」
「あ、医局長が勝手に考えたスケジュールね。でも俺に聞いても分からんよ。難しいのは持ってくるなよ。CirculationやCancer関係はパス。ランセット、呼吸と循環、とかにして」
「こ、呼吸と循環は日本語ですが・・」
帰る前に、もう1人回診だ。
気管支喘息の患者。72歳。困ったことに、もと町会議員。今はどこかのコンサルタント。態度が横柄で、回診の順番はいつも最後だ。
議員、学校の教師はできたら持ちたくない。
「失礼します」
「おう・・これな、オイ」
「?」
「こんな吸入器渡されても、無理や。息が苦しいときに使えって言うたよな、アンタ・・だいいち息苦しかったら、スプレーなんか吸えんぞ」
「口を開けて、吹きかけるということなんですが」
「これ、口に入れても、肺に入らんといかんのだろ?入らないと思うぞ。だから使わん。返す」
「しかし、持っておいたほうが」
「持っててコラ、使いもせんのに意味があるんか!金だけとりおって!」
β2吸入器の頓服、メプチンエアーだ。
「たくもう、これだけ薬飲まされても治まらんのはどういうわけや」
「これらは予防の薬です。喘息の薬は予防のものと発作時のものとに分かれていて・・予防のものを発作時に飲んでもすぐには効かないんです」
「あああ、面倒くさい説明しおって・・ちゃんと筋道立てて話せや、筋道を!オイ!お前の指導医、呼んで来い!」
<つづく>
「先生、聞いてよろしいでしょうか?」
「?」
「抗癌剤を実際使用していますが・・今回の分で終了なのですか?」
「そうカルテに書いてたつもりだけど」
「写真では腫瘍の影は小さくなっているように見えるのですが。先生のカルテにもPR・・半分以上の縮小だと」
「みかけの影だけ良くなってもいけない、そこが難しい」
「でも抗癌剤を使用した理由は、完全に・・」
「治すためじゃない」
「え?」
「・・・延命のためだ」
「延命?」
「残った時間をなるべく長くしてあげること」
「それは知ってますが・・完全に消すまで治療したら、ひょっとしたら再発しないこともあるのでは、ないのですか・・」
「それは無理。半年前の時点でStageIIIB。これ自体オペの適応ではない。それだけ進行してるから」
「でもせっかく腫瘍が小さくなってきてるのに・・」
「腫瘍だけ見て治療しようとしたら、消えないどころか副作用で参ってしまう!するとずっとこのまま病院に・・・・!」
僕は立ち止まった。
「なるべく早く、家に帰してあげたいんだよ」
学生は話を少しそらした。
「抗癌剤の副作用の骨髄抑制で下がったんですね、白血球は。これは戻るんですね、元に」
「ああ、でも下がったときに感染が起こりやすい。白血球だけでなく、貧血が進むこともありうる」
「ヘモグロビンですね」
「ああ、それと血小板。血小板が2万を切ると、出血傾向がひどくなる」
「ヘモグロビンはそれくらい下がったら輸血するので?」
「いろんな先生に聞いたら、6が多かったな。でも状況に応じてだろうな・・さて、僕はこれから心筋梗塞の患者さんを見に行くけど・・」
「ついていきます」
「担当じゃないだろ?」
「できればついていきたいと」
「どうぞ。ここ、CCU。ああこれこれ!靴、クツ!脱いで!」
モニターのピコピコ音、スパゲティ様にからんだルートやコード。60歳のその男性は眠っている。
「心筋梗塞で入院した、3日前。心電図、これどう思う」
「STがII/III/aVFで上がってます・・心筋梗塞ですね」
「でも冠攣縮性の狭心症かと思って亜硝酸剤を飲ませたが、やっぱり効かなかった」
「なるほど、それで心筋梗塞と」
「超音波を当ててもらったら、教科書通り下壁の動きが悪かった。これで診断は間違いなし。血液検査もひっかかった」
「血圧が低いですね、90くらいですね。状態、悪いんですか。」
「というか、単なる下壁の心筋梗塞じゃなかったんだよ。その後右心室まで巻き込んできた。いわゆる右室梗塞というヤツだ」
「とにかく嫌なヤツ、なんですね」
「ちょうど野中のオッサンみたいなね」
「おい、オッサンとは何だ、オッサンとは」
ベッドサイドで完全武装の野中が顔を上げた。
「俺がいると知ってて言ったんだろ」
実はそうだ。
野中は3ヶ月間の限定の研修でCCUに配属されていた。主治医にはならないが、CCUに入っている患者の観察をしなくてはならない。しかし朝ー夕方までの割り切った業務で帰れる。ただし朝・夕のカンファレンスには出席しなくてはいけない。
「野中・・ペースメーカーはまだ抜けないか?」
「なんだよ、まるで自分が入れたみたいに・・学生さんの前で」
「言い直すよ。野中先生、ペースメーカーはまだ必要でございますでしょうか」
「まだペースメーカー・・時々作動してるなあ・・3度の房室ブロックが、今は2度Mobitz・・・そろそろWenckebach型になるんちゃうんかなあ・・」
僕は学生に向かって語った。
「入院してカテーテル検査したら、右の冠動脈が閉塞していたんだ。根元から。そこめがけて、血栓溶解剤を流して頂いた。すると閉塞は解除された」
野中に反抗したり、学生にも気を使って大変だ。
「しかし後遺症のように心筋梗塞は残っており、右心室まで巻き込んだ状態のため、このような独特な状態となった」
「どのような・・」
「血圧低下と脈拍数減少」
「えーっと、け、つ、あ」
「早くメモしてくれよ。右心室が血液を左心室に十分血液を送り込めないから・・・」
おいしいところは野中がさらった。
「それで、輸液を十分に追加することによって、右心室に無理矢理容量負荷をかけ、その水分をそのまま左心室へ流す。右心室は動き悪いから、ただの管みたいなものだね。1時間で100cc入れたって構わない。そこまでしてでも左心室へ送り出す。しかし気をつけてチェックすべき項目は何だろう?」
「・・・」
「尿量と、肺うっ血の有無。肺の外に水が漏れないように。何でチェックすると思う?」
「・・・その、患者さんの股から心臓に入っている、カテーテルでしょうか」
「そうだ、スワンガンツ・カテーテルだね。よくできる学生さんだなあ。うちの科、入る?」
「じゃあその数字を見れば誰でもわかるんですね。なんだ、簡単だ」
「なに?誰でもって何だよ!」
野中がキレ始めた。
「いや、その、別に」
「誰でもって、じゃあこうならこうするっていう基準とかあるのか?正常値だけ知ってたらいいのか?君・・細川くんよ!」
野中は学生のペンの名前を見逃さなかった。目ざといヤツだ。
僕は止めた。
「野中、本気で怒るなよ。学生さんだぞ」
「最近の学生は、配慮ってものがないんだよ!礼儀というものを知らない!患者さんにも失礼だ!」
細川は固まってしまった。
「ももも、申し訳ありませんです」
CCUを出た。
「あのう、先生・・」
「?野中のことか・・あいつはああ見えても実は・・・・嫌な奴だな」
「そ、そうなんですか」
「ちょっと、メモらんといてよ!俺のお姫様にも接近してるし」
「?先生の・・フィアンセですか。それはよくないですね」
「ちがうちがう。うちの医局のアイドルみたいなのがいてね。みんなが狙ってるんだ」
「わ、私はそういうことには一切興味は」
「じゃ」
「先生、待ってください!来週は英語の文献をいっしょに読むということになってるのですが・・どの文献を読めばいいですか」
「あ、医局長が勝手に考えたスケジュールね。でも俺に聞いても分からんよ。難しいのは持ってくるなよ。CirculationやCancer関係はパス。ランセット、呼吸と循環、とかにして」
「こ、呼吸と循環は日本語ですが・・」
帰る前に、もう1人回診だ。
気管支喘息の患者。72歳。困ったことに、もと町会議員。今はどこかのコンサルタント。態度が横柄で、回診の順番はいつも最後だ。
議員、学校の教師はできたら持ちたくない。
「失礼します」
「おう・・これな、オイ」
「?」
「こんな吸入器渡されても、無理や。息が苦しいときに使えって言うたよな、アンタ・・だいいち息苦しかったら、スプレーなんか吸えんぞ」
「口を開けて、吹きかけるということなんですが」
「これ、口に入れても、肺に入らんといかんのだろ?入らないと思うぞ。だから使わん。返す」
「しかし、持っておいたほうが」
「持っててコラ、使いもせんのに意味があるんか!金だけとりおって!」
β2吸入器の頓服、メプチンエアーだ。
「たくもう、これだけ薬飲まされても治まらんのはどういうわけや」
「これらは予防の薬です。喘息の薬は予防のものと発作時のものとに分かれていて・・予防のものを発作時に飲んでもすぐには効かないんです」
「あああ、面倒くさい説明しおって・・ちゃんと筋道立てて話せや、筋道を!オイ!お前の指導医、呼んで来い!」
<つづく>
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