<レジデント・セカンド 14 水と、渇きと・・・>
2004年3月1日 連載<レジデント・セカンド 14 水と、渇きと・・・>
定期のカンファレンスの準備をして、病棟へ。おかしい。誰も居ない。
「そうか。正月休みか」
どこにも張り紙はなかったが、正月休みだ。発表の準備は来週に延期だ。
「そうだった・・。帰るとするか」
帰ろうとしたところ、野中がやってきた。
「やあ、あけましておめでとう。新年早々、張り切ってるな」
「・・・たまたまだ」
「先生はたぶん正月休みの明けまで来ないだろうと、医局では噂だったけどな」
「余計なお世話だ」
「重症がいるんだろ」
「拡張型心筋症。この前不整脈が出てな」
「聞いた聞いた。講師の呼吸器の先生、すごく怒ってたらしいね。君に泊り込めっていったとたん病院から居なくなったって。ははは」
「用事があったんだよ」
「あいつは呼吸器グループには要らんとか言ってたらしいよ。ははは」
「面白くねえ」
「いやいや、ごめんごめん」
川口がやってきた。あれ以来、僕に目を合わせてくれない。
「おめでとう。たまたま寄ったんだけど。2人とも仲良しね。さ・・・・回診しましょうっと」
川口は聴診器を首にかけ、さっそうと出て行った。野中もあとに続いた。
僕も回診を始めた。
拡張型心筋症の患者・・・。不整脈は・・・どうやらモニターでは落ち着いているようだ。重症版をみると・・尿の出が少ない。食欲がなく持続点滴をしているが、ただでさえ水分補給が心不全につながるため、点滴は好ましくない。
「先生、よろしいですか」
ムスッとした看護婦が後ろから近づいてきた。
「ええ、何です?」
「心筋症の方ですけど。昨日の勤務で、点滴を1本12時間で落とすはずが」
「どうなったの?」
「2時間で落としたようです。続けて2本くらい」
「なに・・・?それで?」
「患者さんと当直の先生には報告しました」
「じゃなくて!患者の容態に、影響は・・・」
「当直の先生は、ないだろうと」
「電話での受け答えだろう?」
「私はそのときの担当ではないので」
「で、SpO2、下がったりしてなかった?」
「・・・・・測定してきます」
「測定してなかったの?」
「はい。指示がなかったので」
「なくても、ふつう気にするだろ!」
「・・・手が冷たくて、測定できません。先生がしてください」
いちいちムカつく奴だな・・。本当だ。四肢が冷たい。血流が悪いため、測定できない。
「動脈血取って調べます」
動脈血の色は黒ずんでいる。
「静脈血か?これ・・・」
患者の呼吸は浅く、速い。
呼吸音は・・・coarse crackleだ。大量に水が溜まってるような。
「肺水腫になりかけているんじゃないか・・もうなってるかも。看護婦さん、利尿剤は現在・・」
「朝1回だけの注射ですが」
「足りない。増やそう」
「先生、でも血圧が上86しかないのですが」
「うう・・」
「それでもいいんですか」
「血圧も上げないと、利尿剤使いにくいな・・・」
オーベンに電話。
「安井先生。心不全が増悪してるようです。レントゲンも白っぽくなってます・・・利尿剤?ええ、増やす指示出しました。点滴が余分に入ってしまったのです。循環器のドクター?先生、正月休みで、レジデントしかいません。当直も外国の留学生がやってますね。日本語通じません」
安井先生は遠方へ出かけるところで、正月休み明けまで大学病院には戻れないということだった。あと3日ほど、孤立無縁なわけか。当直の予定表は大学院生ばかりだ。あまり見てくれる先生も入ってない。
僕は少しプライドを捨てることにした。
「野中。この指示でいいか」
「ほう、僕に相談してくるとはね・・・・・なになに、血圧上が100mmHg以下なら、イノバンを開始、増量・・・。イノバンは何ガンマまでいくの」
「さあ、15ガンマまで」
「そんなに増やしたら頻脈になるだけだろ。イノバンは脈増やして血圧上げるんだろ?あまり頻脈にしたら、この患者は危ないだろ。不整脈持ちなのに。イノバンは使っちゃダメだ」
「何を使うんだよ?」
「ドプトレックスだろ。心臓の収縮力を増強して、血圧を上げる。理想的じゃないか」
「はいよ・・・」
「おいおい、自分でちゃんと納得してから指示を出せ」
「ドプトレックス・・最大15ガンマまで、ね。これでもし上がってこなかったら?」
「他の強心剤があるだろ。以前、君がヘアトニックとか言ってた」
「でもあれは心臓の力は増やすが血圧は下がるみたいだぞ」
「じゃあもう、ノルアドレナリンしかないだろ」
「あれってもうダメでいよいよという時にしか使ってないよ」
「あとは先生、自分で勉強するんだよ」
「何を読んだらいいんだ」
「それは自分で探すんだよ」
尿道バルーン経由の管を手で持ち上げながら、尿が出るのを待つ。
「ちょっとしか、出ないなあ・・」
患者がチラッとこちらを見る。
「先生、のどがもうカラカラや。この前看護婦さんが、点滴多めに落としてくれたんやが」
「・・・・・」
「のどがますます渇いてしもた。もうちょっと多めに点滴してくれんかいな」
「多めにしてしまうと、余計しんどくなるんですよ」
「いいやでも、あのとき看護婦さんが、余分に点滴落ちたから、喉の渇きもマシでしょうとか、言ってましたぜ」
「そんなことを・・・」
「点滴がダメやったら、そこのポカリ、取ってえな」
「これは・・・」
ポカリスエットの。缶の山。
「いったい何本飲んだんです?」
「夜中から5本くらいかな」
「水分制限するよう決まってたはずですが」
「女房が持ってきてくれたんです。正月やから特別にゆるしてやるって」
「誰がそんな!」
「それと、これ、地元の梅干やが・・・」
「ダメです!塩分は!」
「なんや、水も、辛いもんも、ずべてアカンのかいな!」
「今やってる治療がムダになります。水分は心臓を中から圧迫し、肺の外に溜まります。塩分はそれを助長します」
「なんや、わけのわからんこと言よんな」
病識のない患者だ・・。家族の責任もある。
その家族もやってきた。
「あ、やっと来た。先生。病状はどうなってるんですか?」
「奥さんですか。年末はお見かけしませんでしたが。義理の方に話はしましたが」
「はあ、ちょっと田舎のほうに用があったので。連絡先は詰所にちゃんと伝えておりましたが。何か?」
「水分をかなり与えられているようですが」
「はあ、そちらこそ点滴を多めに落としてたのではないのですか?」
「看護婦から聞きました、それは」
「じゃあこちらから水分をあげてもいいんでしょう?」
「そういう意味じゃないです!いいですか、水分は制限するという約束だった・・・」
「でも本人が欲しがっているんですから」
「それがまた治療の足を引っ張ってしまう!」
「どうして治療の妨げになるんですか?本人は水分取ったら楽になると」
「・・・」
理解の悪い家族は困る。
水分制限を再徹底させたところ、利尿が徐々につきはじめた。
思わぬ因子が、治療の妨げになることがある。
<つづく>
定期のカンファレンスの準備をして、病棟へ。おかしい。誰も居ない。
「そうか。正月休みか」
どこにも張り紙はなかったが、正月休みだ。発表の準備は来週に延期だ。
「そうだった・・。帰るとするか」
帰ろうとしたところ、野中がやってきた。
「やあ、あけましておめでとう。新年早々、張り切ってるな」
「・・・たまたまだ」
「先生はたぶん正月休みの明けまで来ないだろうと、医局では噂だったけどな」
「余計なお世話だ」
「重症がいるんだろ」
「拡張型心筋症。この前不整脈が出てな」
「聞いた聞いた。講師の呼吸器の先生、すごく怒ってたらしいね。君に泊り込めっていったとたん病院から居なくなったって。ははは」
「用事があったんだよ」
「あいつは呼吸器グループには要らんとか言ってたらしいよ。ははは」
「面白くねえ」
「いやいや、ごめんごめん」
川口がやってきた。あれ以来、僕に目を合わせてくれない。
「おめでとう。たまたま寄ったんだけど。2人とも仲良しね。さ・・・・回診しましょうっと」
川口は聴診器を首にかけ、さっそうと出て行った。野中もあとに続いた。
僕も回診を始めた。
拡張型心筋症の患者・・・。不整脈は・・・どうやらモニターでは落ち着いているようだ。重症版をみると・・尿の出が少ない。食欲がなく持続点滴をしているが、ただでさえ水分補給が心不全につながるため、点滴は好ましくない。
「先生、よろしいですか」
ムスッとした看護婦が後ろから近づいてきた。
「ええ、何です?」
「心筋症の方ですけど。昨日の勤務で、点滴を1本12時間で落とすはずが」
「どうなったの?」
「2時間で落としたようです。続けて2本くらい」
「なに・・・?それで?」
「患者さんと当直の先生には報告しました」
「じゃなくて!患者の容態に、影響は・・・」
「当直の先生は、ないだろうと」
「電話での受け答えだろう?」
「私はそのときの担当ではないので」
「で、SpO2、下がったりしてなかった?」
「・・・・・測定してきます」
「測定してなかったの?」
「はい。指示がなかったので」
「なくても、ふつう気にするだろ!」
「・・・手が冷たくて、測定できません。先生がしてください」
いちいちムカつく奴だな・・。本当だ。四肢が冷たい。血流が悪いため、測定できない。
「動脈血取って調べます」
動脈血の色は黒ずんでいる。
「静脈血か?これ・・・」
患者の呼吸は浅く、速い。
呼吸音は・・・coarse crackleだ。大量に水が溜まってるような。
「肺水腫になりかけているんじゃないか・・もうなってるかも。看護婦さん、利尿剤は現在・・」
「朝1回だけの注射ですが」
「足りない。増やそう」
「先生、でも血圧が上86しかないのですが」
「うう・・」
「それでもいいんですか」
「血圧も上げないと、利尿剤使いにくいな・・・」
オーベンに電話。
「安井先生。心不全が増悪してるようです。レントゲンも白っぽくなってます・・・利尿剤?ええ、増やす指示出しました。点滴が余分に入ってしまったのです。循環器のドクター?先生、正月休みで、レジデントしかいません。当直も外国の留学生がやってますね。日本語通じません」
安井先生は遠方へ出かけるところで、正月休み明けまで大学病院には戻れないということだった。あと3日ほど、孤立無縁なわけか。当直の予定表は大学院生ばかりだ。あまり見てくれる先生も入ってない。
僕は少しプライドを捨てることにした。
「野中。この指示でいいか」
「ほう、僕に相談してくるとはね・・・・・なになに、血圧上が100mmHg以下なら、イノバンを開始、増量・・・。イノバンは何ガンマまでいくの」
「さあ、15ガンマまで」
「そんなに増やしたら頻脈になるだけだろ。イノバンは脈増やして血圧上げるんだろ?あまり頻脈にしたら、この患者は危ないだろ。不整脈持ちなのに。イノバンは使っちゃダメだ」
「何を使うんだよ?」
「ドプトレックスだろ。心臓の収縮力を増強して、血圧を上げる。理想的じゃないか」
「はいよ・・・」
「おいおい、自分でちゃんと納得してから指示を出せ」
「ドプトレックス・・最大15ガンマまで、ね。これでもし上がってこなかったら?」
「他の強心剤があるだろ。以前、君がヘアトニックとか言ってた」
「でもあれは心臓の力は増やすが血圧は下がるみたいだぞ」
「じゃあもう、ノルアドレナリンしかないだろ」
「あれってもうダメでいよいよという時にしか使ってないよ」
「あとは先生、自分で勉強するんだよ」
「何を読んだらいいんだ」
「それは自分で探すんだよ」
尿道バルーン経由の管を手で持ち上げながら、尿が出るのを待つ。
「ちょっとしか、出ないなあ・・」
患者がチラッとこちらを見る。
「先生、のどがもうカラカラや。この前看護婦さんが、点滴多めに落としてくれたんやが」
「・・・・・」
「のどがますます渇いてしもた。もうちょっと多めに点滴してくれんかいな」
「多めにしてしまうと、余計しんどくなるんですよ」
「いいやでも、あのとき看護婦さんが、余分に点滴落ちたから、喉の渇きもマシでしょうとか、言ってましたぜ」
「そんなことを・・・」
「点滴がダメやったら、そこのポカリ、取ってえな」
「これは・・・」
ポカリスエットの。缶の山。
「いったい何本飲んだんです?」
「夜中から5本くらいかな」
「水分制限するよう決まってたはずですが」
「女房が持ってきてくれたんです。正月やから特別にゆるしてやるって」
「誰がそんな!」
「それと、これ、地元の梅干やが・・・」
「ダメです!塩分は!」
「なんや、水も、辛いもんも、ずべてアカンのかいな!」
「今やってる治療がムダになります。水分は心臓を中から圧迫し、肺の外に溜まります。塩分はそれを助長します」
「なんや、わけのわからんこと言よんな」
病識のない患者だ・・。家族の責任もある。
その家族もやってきた。
「あ、やっと来た。先生。病状はどうなってるんですか?」
「奥さんですか。年末はお見かけしませんでしたが。義理の方に話はしましたが」
「はあ、ちょっと田舎のほうに用があったので。連絡先は詰所にちゃんと伝えておりましたが。何か?」
「水分をかなり与えられているようですが」
「はあ、そちらこそ点滴を多めに落としてたのではないのですか?」
「看護婦から聞きました、それは」
「じゃあこちらから水分をあげてもいいんでしょう?」
「そういう意味じゃないです!いいですか、水分は制限するという約束だった・・・」
「でも本人が欲しがっているんですから」
「それがまた治療の足を引っ張ってしまう!」
「どうして治療の妨げになるんですか?本人は水分取ったら楽になると」
「・・・」
理解の悪い家族は困る。
水分制限を再徹底させたところ、利尿が徐々につきはじめた。
思わぬ因子が、治療の妨げになることがある。
<つづく>
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