<レジデント・セカンド 18 アクセス>
2004年3月6日 連載<レジデント・セカンド 18 アクセス>
「胸腔穿刺して、ドレーンに戻ってきた液、真っ白。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?つまり膿胸?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、抗生剤で毎日洗浄するの。菌を完全に死滅させるためにね」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
「グッチさんとやら、やめときなさい。そんなとこにいきなり薬入れるのは!」
「でも先生、高熱がかなり出てるし、胸腔はばい菌の巣ですよ。早いところここにも抗生剤入れて、死滅させようと思います」
「いや、基本は生理食塩水での洗浄だよ。直接そんなところに薬入れたらあなた、菌に耐性ができてしまいますよ。誰からそれを教わったのですの?」
「薬のメーカーの人は推奨されてましたよ」
「MRの方々は、そりゃ商売ですもん。モノが売れるためならそういう資料、夜中でも持ってきますよ、彼らは」
「はい、でも主治医としては」
「この時期に自分で難しい判断はすべきでないですよ。あなたのような医者は危ない」
「は・・・はい」
僕のオーベンは、アイスピックのようにいきなり言葉を刺す。
「もうちょっと謙虚な姿勢を身につけなさいな。さて、私のコベンちゃん?」
僕はたじろいだ。
「は、はい」
「抗生剤は静脈投与でいいと思いますが・・何を使ったらいい?」
「ぺ、ペニシリン系・・・」
「だけ?」
「・・・うう・・」
「ペニシリン系としたのは、なぜなの?」
「・・・うう・・」
「何でもいいと思ったわけ?」
川口がかばう。
「ペニシリン系でグラム陽性球菌をカバーして、アミノグリコシドで陰性桿菌をカバーします。一通り広い範囲で効かせるためです」
「・・・あなた、膿胸は嫌気性菌が多いでしょ」
「は、はい、そうでした」
「クリンダマイシンが要るでしょ」
「はい」
「それと?・・・ダメねえ、あなたたちは。コベンちゃんは川口さんの尻にでも一生敷かれていなさい。うらやましいけど」
川口は驚いた。
「しり?」
オーベンは話を変えた。
「この方、免疫力は低下している方?」
「はい、背景にDMが」
「なら、合併しやすいのはグラム・・・?」
「陰性桿菌のほうです」
「じゃあ、どれよ」
「セフェムの3世代か・・カルバペネムです」
「そ・・でもわたしは強いほう、カルバペネムを選ぶね」
「はい・・・」
オーベンは去った。
「グッチ、ありがとう」
「あたし?何もしてないわよ」
「でもグッチ、よくあんなにスラスラ答えられるな」
「あたしは毎日勉強してるもん。でも、ショックだなあ、あんな言い方する人、嫌い」
「そうかな・・・?ああいう言われ方だと、次から気をつけようと思うよ」
「クリンダマイシンと、カルバペネムかー」
「これが効かなかったら?」
「培養の結果に準じて治療を変えるわ・・・あたしを試してるの?」
「い、いや、オーベンって一度してみたいなあと思って」
川口は声を少しひそめた。
「じゃあ、電話して。明日でも・・」
またしてもジャマが入った。病棟医長だ。
「そこでヒマそうにしている研修医しょくん!今、日本で大変なことが起こってるぞ!」
医局員全員が詰所のテレビにかじりついた。
「うわあ・・・」
「こ、こんな・・・」
倒壊し、焼け野原になり噴煙を上げるビル群。呆然と路地で佇む人たち。
その地震はその後、阪神大震災と名づけられた。
「この部屋で間違いないはずだ・・」
2階、202号室。メモの住所どおりだ。表札がない。もし人違い、いや部屋違いだったら・・・。
勇気を出して、チャイムを押した。
「はいって」
「は、はあ・・」
部屋は割りと地味なものだった。僕らの部屋と基本的な構造は変わりない。必要最小限なものしか置いていないという意味だ。
「どうぞ、そこにお座りになって」
「は、はい・・」
「お茶。これ」
「は、ど、どうも・・」
「どう、患者さんたち、落ち着いてる?」
なんでそんな会話で始まるんだよ・・?
「CCUの患者?OMIがもともとあって、今回心不全が悪化したみたいだな。で、タンポナーデにもなって、オーベンに心嚢穿刺してもらった。今はIABPも入ってる」
「あなた、自分でしなかったの?手取り足取りででも」
「ええっ?怖いよ、そんなの。まだ1人でやっちゃいかんだろ」
「だから!これでいいですかって言いながら横でサポートしてもらったらよかったのに」
「それは・・やっぱ怖いな」
「怖いのは患者さんでしょう?」
「・・・こっちも怖いよ。オーベンって、どのオーベンもそうだけど、時々よそ向いてたり、いなくなることあるじゃないか」
「それは仕方ないわ。ある程度は先生にも責任があるし」
「・・・で、グッチは自分でやったの?胸腔穿刺」
「したわよ!オーベンがマジックで印つけてくれて、さあ、ここめがけてやれ、って」
「刺したんだね?」
「そうよ。まず肋骨へ当てて、上にずらしたら、肋間に入ったわ。ズボッっていう感じ」
「そう。膿胸については、復習した?」
「あたし、家には本は1冊もないの。だって家に帰ることって、ほとんどないし。おかげで電気代とかほとんど要らない」
「家で、何してるの?」
「そうね、昔のアルバム取り出して写真見たり、英会話聞いたり、かな」
「つまんないな。どっか行ったりしないの?」
「あー、行きたい行きたい。ああそういえばさー、前にカラオケに行きそびれたよね、あたしたち」
あ、あたしたち・・・。いい言葉だ。
「今度行こうよ。患者さんたちがみんな落ち着いたら」
「いつの話だよ、それ?」
「そうね、先生の患者さんがIABP抜けたら、という時期でどう?ああ、もちろん自己抜去はダメよ」
「いつになるやら・・」
「先生はそれまで、病院に泊まり込むのよ。あ、この写真、見て。これが以前付き合ってた人」
な、なんだ、こいつ、いきなり・・・。う・・美形だ。僕なんか話にならない。野中でさえも足元に及ばんだろう・・。
こういう男がこういう子らを独り占めしてるんだよなあ・・・!
「怒ってるの?」
「ええ?いや、CCUの患者さんが、ちょっと、その、気になって」
「ふーん・・じゃあ、ちょっと病院まで行ってくる?」
「え?いやいや、今日はもういいよ」
「・・・でね、その彼がねー、ちょうど・・・」
楽しそうな顔だ。仕事のときのキツい表情など微塵もない。こんな医者の仕事なんか、ムキニになってしなくてもいいのに。
僕はヒヤリ・ハッとなった。川口の横顔が、もうすぐそこにある。
このまま、近づけば・・・。
「・・・なのね。ちょっと、聞いてる?」
「え?ああ」
「・・・だいぶ疲れてるのね。よし!今日はここまで!」
「なっ?」
「あたしも夜、友達に電話するって言ってたし。さ、あなたはこれから病棟行ってきなさい!」
「・・・もう少しいても」
「さあさあ帰った帰った!」
「・・・じゃあ、これ」
「何?これ?」
「た、誕生日の」
「プレゼント?あたし、誕生日はずっと前よ」
「ああ、知ってる」
買ったのはかなり以前のことだ。
「でも、うれしい。頑張ってね!」
中から勢いよくドアを閉められた。
何やってんだ、オレは・・・・。
アブセス、いや、アクセス失敗。パス!
<つづく>
「胸腔穿刺して、ドレーンに戻ってきた液、真っ白。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?つまり膿胸?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、抗生剤で毎日洗浄するの。菌を完全に死滅させるためにね」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
「グッチさんとやら、やめときなさい。そんなとこにいきなり薬入れるのは!」
「でも先生、高熱がかなり出てるし、胸腔はばい菌の巣ですよ。早いところここにも抗生剤入れて、死滅させようと思います」
「いや、基本は生理食塩水での洗浄だよ。直接そんなところに薬入れたらあなた、菌に耐性ができてしまいますよ。誰からそれを教わったのですの?」
「薬のメーカーの人は推奨されてましたよ」
「MRの方々は、そりゃ商売ですもん。モノが売れるためならそういう資料、夜中でも持ってきますよ、彼らは」
「はい、でも主治医としては」
「この時期に自分で難しい判断はすべきでないですよ。あなたのような医者は危ない」
「は・・・はい」
僕のオーベンは、アイスピックのようにいきなり言葉を刺す。
「もうちょっと謙虚な姿勢を身につけなさいな。さて、私のコベンちゃん?」
僕はたじろいだ。
「は、はい」
「抗生剤は静脈投与でいいと思いますが・・何を使ったらいい?」
「ぺ、ペニシリン系・・・」
「だけ?」
「・・・うう・・」
「ペニシリン系としたのは、なぜなの?」
「・・・うう・・」
「何でもいいと思ったわけ?」
川口がかばう。
「ペニシリン系でグラム陽性球菌をカバーして、アミノグリコシドで陰性桿菌をカバーします。一通り広い範囲で効かせるためです」
「・・・あなた、膿胸は嫌気性菌が多いでしょ」
「は、はい、そうでした」
「クリンダマイシンが要るでしょ」
「はい」
「それと?・・・ダメねえ、あなたたちは。コベンちゃんは川口さんの尻にでも一生敷かれていなさい。うらやましいけど」
川口は驚いた。
「しり?」
オーベンは話を変えた。
「この方、免疫力は低下している方?」
「はい、背景にDMが」
「なら、合併しやすいのはグラム・・・?」
「陰性桿菌のほうです」
「じゃあ、どれよ」
「セフェムの3世代か・・カルバペネムです」
「そ・・でもわたしは強いほう、カルバペネムを選ぶね」
「はい・・・」
オーベンは去った。
「グッチ、ありがとう」
「あたし?何もしてないわよ」
「でもグッチ、よくあんなにスラスラ答えられるな」
「あたしは毎日勉強してるもん。でも、ショックだなあ、あんな言い方する人、嫌い」
「そうかな・・・?ああいう言われ方だと、次から気をつけようと思うよ」
「クリンダマイシンと、カルバペネムかー」
「これが効かなかったら?」
「培養の結果に準じて治療を変えるわ・・・あたしを試してるの?」
「い、いや、オーベンって一度してみたいなあと思って」
川口は声を少しひそめた。
「じゃあ、電話して。明日でも・・」
またしてもジャマが入った。病棟医長だ。
「そこでヒマそうにしている研修医しょくん!今、日本で大変なことが起こってるぞ!」
医局員全員が詰所のテレビにかじりついた。
「うわあ・・・」
「こ、こんな・・・」
倒壊し、焼け野原になり噴煙を上げるビル群。呆然と路地で佇む人たち。
その地震はその後、阪神大震災と名づけられた。
「この部屋で間違いないはずだ・・」
2階、202号室。メモの住所どおりだ。表札がない。もし人違い、いや部屋違いだったら・・・。
勇気を出して、チャイムを押した。
「はいって」
「は、はあ・・」
部屋は割りと地味なものだった。僕らの部屋と基本的な構造は変わりない。必要最小限なものしか置いていないという意味だ。
「どうぞ、そこにお座りになって」
「は、はい・・」
「お茶。これ」
「は、ど、どうも・・」
「どう、患者さんたち、落ち着いてる?」
なんでそんな会話で始まるんだよ・・?
「CCUの患者?OMIがもともとあって、今回心不全が悪化したみたいだな。で、タンポナーデにもなって、オーベンに心嚢穿刺してもらった。今はIABPも入ってる」
「あなた、自分でしなかったの?手取り足取りででも」
「ええっ?怖いよ、そんなの。まだ1人でやっちゃいかんだろ」
「だから!これでいいですかって言いながら横でサポートしてもらったらよかったのに」
「それは・・やっぱ怖いな」
「怖いのは患者さんでしょう?」
「・・・こっちも怖いよ。オーベンって、どのオーベンもそうだけど、時々よそ向いてたり、いなくなることあるじゃないか」
「それは仕方ないわ。ある程度は先生にも責任があるし」
「・・・で、グッチは自分でやったの?胸腔穿刺」
「したわよ!オーベンがマジックで印つけてくれて、さあ、ここめがけてやれ、って」
「刺したんだね?」
「そうよ。まず肋骨へ当てて、上にずらしたら、肋間に入ったわ。ズボッっていう感じ」
「そう。膿胸については、復習した?」
「あたし、家には本は1冊もないの。だって家に帰ることって、ほとんどないし。おかげで電気代とかほとんど要らない」
「家で、何してるの?」
「そうね、昔のアルバム取り出して写真見たり、英会話聞いたり、かな」
「つまんないな。どっか行ったりしないの?」
「あー、行きたい行きたい。ああそういえばさー、前にカラオケに行きそびれたよね、あたしたち」
あ、あたしたち・・・。いい言葉だ。
「今度行こうよ。患者さんたちがみんな落ち着いたら」
「いつの話だよ、それ?」
「そうね、先生の患者さんがIABP抜けたら、という時期でどう?ああ、もちろん自己抜去はダメよ」
「いつになるやら・・」
「先生はそれまで、病院に泊まり込むのよ。あ、この写真、見て。これが以前付き合ってた人」
な、なんだ、こいつ、いきなり・・・。う・・美形だ。僕なんか話にならない。野中でさえも足元に及ばんだろう・・。
こういう男がこういう子らを独り占めしてるんだよなあ・・・!
「怒ってるの?」
「ええ?いや、CCUの患者さんが、ちょっと、その、気になって」
「ふーん・・じゃあ、ちょっと病院まで行ってくる?」
「え?いやいや、今日はもういいよ」
「・・・でね、その彼がねー、ちょうど・・・」
楽しそうな顔だ。仕事のときのキツい表情など微塵もない。こんな医者の仕事なんか、ムキニになってしなくてもいいのに。
僕はヒヤリ・ハッとなった。川口の横顔が、もうすぐそこにある。
このまま、近づけば・・・。
「・・・なのね。ちょっと、聞いてる?」
「え?ああ」
「・・・だいぶ疲れてるのね。よし!今日はここまで!」
「なっ?」
「あたしも夜、友達に電話するって言ってたし。さ、あなたはこれから病棟行ってきなさい!」
「・・・もう少しいても」
「さあさあ帰った帰った!」
「・・・じゃあ、これ」
「何?これ?」
「た、誕生日の」
「プレゼント?あたし、誕生日はずっと前よ」
「ああ、知ってる」
買ったのはかなり以前のことだ。
「でも、うれしい。頑張ってね!」
中から勢いよくドアを閉められた。
何やってんだ、オレは・・・・。
アブセス、いや、アクセス失敗。パス!
<つづく>
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