<レジデント・セカンド 20 失恋 >
2004年3月8日 連載ターミナルの患者さんの病室。娘さんが付き添ってくれている。
「おはようございます・・・」
「昨日と変わりはないようですね」
「先生、モルヒネがよく効いているみたいなので・・減らさずこのままにして頂いてもいいですか」
「はい・・・あの、実は」
「はい?」
「あと2週間で転勤することになりまして」
「そうだったんですの。残念です。母は先生をすごく頼っていたもので」
「自分もです・・」
「どちらのほうへ?」
「ここから車で1時間のところです。公立病院です」
「そうですか・・でも母もあまり苦痛もなく、ほんと心の中では感謝していると思います」
「・・・・・」
転勤に向けて、掃除をし始めた。カンファレンスルームの中の、自分の本箱だ。よく考えると2割くらいしか読んでない。それでも引越しのときには重宝してしまう。
野中がやってきた。
「やあ、先生!」
「野中。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「僕は来年から院に行くよ」
「院に行くっていうけど・・・院っていう建物はないだろ」
「まあいいじゃないか。医局で研究のみに打ち込もうと思うから」
「無理無理。松田先生らみたろ、あれが現状だって。論文に、雑用に、臨床に・・どれもうまくいってないってボヤいてる」
「僕の場合は、なるべく早くペーパーを完成させたいがね」
「・・で、何を目指すの?教授?」
「きょ、教授・・?博士が取れたらいいね、とりあえず」
「博士号か。なんのメリットがあるのか、よく分からないな」
「メリット?そりゃ医師としての・・」
「何だ?論文が認められるのと、臨床ができるのとは全く別だと思うけど」
「いや、そんなことはないよ。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
初めて、この男を黙らせた。
医局では書類が準備されていた。医局秘書さんが封筒に1つずつ入れてくれている。
次の医局あての内申書みたいなのがあって、医師の評価が書かれている。もちろんそれを見ることはできない。封筒を開けない限りは。
「これが、保険医の登録書・・・履歴書は自分で用意してね・・・なんか、あなたがいなくなると寂しいね」
「上手だなあ、相変わらず・・」
「でもたぶんね、あと2.3年でもしたら、戻ってくるわよ」
「やっぱそうなんですか」
「ほとんど例外はないわ。大学は慢性的に人手不足なのよ」
「雑用の、でしょ?」
「まあね。グッチさんとは・・今後どうするの?」
「いやいや、何もないですよ、彼女とは」
「あと2週間の間に、モノにしちゃいなさいよ」
「・・・・・」
「彼女、でも最近暗いわね。ひょっとして、待ってるのかも」
「・・いや、それはない、ない」
退職が近々ということで、入院患者も激減してきた。おかげで早く帰れるようになった。
そうだ、オーベンのところへ。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く。2週間、神戸で寝泊りなのよね」
「睡眠時間とかあるんですかね」
「それは期待できないよ。ボランティアじゃないからねー」
「見送りに行きます」
「いや、もういいよ。チミは早く帰って、デートでもしなさい」
「たぶん会えないと思いますが・・」
「ああ、だろうね。帰ってきたらたぶんクタクタだし」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台並んだ。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。オーベンも、振り返りながら入っていく。
「じゃあ、レジデントのしょくん・・地震がまた起きぬことを祈って。私らは戦場へ行く。さらば、地球よ・・・」
僕らは口々に見送った。
「お気をつけて・・・」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去っていった。
医局員も散り散りになりはじめた。川口が後ろから話しかける。
「ねえ、先生・・」
「先生って、もう、やめて欲しいな」
川口は立ち止まった。
「どしたの?ああそうだ、今度行きたいところが・・」
「・・・なぜ、話さなかったの?」
「何を?」
「あたしと仮に付き合ったとして・・あたしとどうするつもりだったの?」
「・・・?」
「その・・前から付き合ってる彼女は・・どうするつもりだったの?」
なぜ、それを?
「ああ・・聞いたのか・・・。働く前は付き合っていたんだけど、今は・・・・今は・・・たまたま来たんだ。たまたま会っただけ」
「ウソ。あなたが分からない・・何を考えているのか。お互い、本音とかすべて話してきたと思ったのに」
「過去なんか、話さなくてもいいだろ」
「でもあたしは話した」
「なっ・・・?」
「もうどういう人かも分かったわ。あなたも今後、こんなことで自分を孤独にしないようにね。何もかも失ってしまうわよ」
「もう遊びにいけたりとか、約束とか、できない?」
「ちょっと待って・・・?あたし、あなたの彼女になんか、なった覚えないし・・!勘違いしないでね」
川口は病棟へ去った。
夢から覚めた。しかし歩行はパーキンソン様だ。
でも、誰がこのことを・・・?
次の職場へのわけの分からない期待、それとこの大学病院を出られるという不思議な満足感の中にあった。
でも、いとも簡単に君を失ってしまった。
何も実感がない。DMや高齢者のように、AMI起こしても感じない。心不全にならないと、分からないのだろうか?
白衣もボロボロになってしまった。ポケットの小冊子も買い換えないといけない。アパートの掃除もある。
次の職場の勤務まで、もう2日を切っていた・・・。
<完>
「おはようございます・・・」
「昨日と変わりはないようですね」
「先生、モルヒネがよく効いているみたいなので・・減らさずこのままにして頂いてもいいですか」
「はい・・・あの、実は」
「はい?」
「あと2週間で転勤することになりまして」
「そうだったんですの。残念です。母は先生をすごく頼っていたもので」
「自分もです・・」
「どちらのほうへ?」
「ここから車で1時間のところです。公立病院です」
「そうですか・・でも母もあまり苦痛もなく、ほんと心の中では感謝していると思います」
「・・・・・」
転勤に向けて、掃除をし始めた。カンファレンスルームの中の、自分の本箱だ。よく考えると2割くらいしか読んでない。それでも引越しのときには重宝してしまう。
野中がやってきた。
「やあ、先生!」
「野中。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「僕は来年から院に行くよ」
「院に行くっていうけど・・・院っていう建物はないだろ」
「まあいいじゃないか。医局で研究のみに打ち込もうと思うから」
「無理無理。松田先生らみたろ、あれが現状だって。論文に、雑用に、臨床に・・どれもうまくいってないってボヤいてる」
「僕の場合は、なるべく早くペーパーを完成させたいがね」
「・・で、何を目指すの?教授?」
「きょ、教授・・?博士が取れたらいいね、とりあえず」
「博士号か。なんのメリットがあるのか、よく分からないな」
「メリット?そりゃ医師としての・・」
「何だ?論文が認められるのと、臨床ができるのとは全く別だと思うけど」
「いや、そんなことはないよ。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
初めて、この男を黙らせた。
医局では書類が準備されていた。医局秘書さんが封筒に1つずつ入れてくれている。
次の医局あての内申書みたいなのがあって、医師の評価が書かれている。もちろんそれを見ることはできない。封筒を開けない限りは。
「これが、保険医の登録書・・・履歴書は自分で用意してね・・・なんか、あなたがいなくなると寂しいね」
「上手だなあ、相変わらず・・」
「でもたぶんね、あと2.3年でもしたら、戻ってくるわよ」
「やっぱそうなんですか」
「ほとんど例外はないわ。大学は慢性的に人手不足なのよ」
「雑用の、でしょ?」
「まあね。グッチさんとは・・今後どうするの?」
「いやいや、何もないですよ、彼女とは」
「あと2週間の間に、モノにしちゃいなさいよ」
「・・・・・」
「彼女、でも最近暗いわね。ひょっとして、待ってるのかも」
「・・いや、それはない、ない」
退職が近々ということで、入院患者も激減してきた。おかげで早く帰れるようになった。
そうだ、オーベンのところへ。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く。2週間、神戸で寝泊りなのよね」
「睡眠時間とかあるんですかね」
「それは期待できないよ。ボランティアじゃないからねー」
「見送りに行きます」
「いや、もういいよ。チミは早く帰って、デートでもしなさい」
「たぶん会えないと思いますが・・」
「ああ、だろうね。帰ってきたらたぶんクタクタだし」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台並んだ。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。オーベンも、振り返りながら入っていく。
「じゃあ、レジデントのしょくん・・地震がまた起きぬことを祈って。私らは戦場へ行く。さらば、地球よ・・・」
僕らは口々に見送った。
「お気をつけて・・・」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去っていった。
医局員も散り散りになりはじめた。川口が後ろから話しかける。
「ねえ、先生・・」
「先生って、もう、やめて欲しいな」
川口は立ち止まった。
「どしたの?ああそうだ、今度行きたいところが・・」
「・・・なぜ、話さなかったの?」
「何を?」
「あたしと仮に付き合ったとして・・あたしとどうするつもりだったの?」
「・・・?」
「その・・前から付き合ってる彼女は・・どうするつもりだったの?」
なぜ、それを?
「ああ・・聞いたのか・・・。働く前は付き合っていたんだけど、今は・・・・今は・・・たまたま来たんだ。たまたま会っただけ」
「ウソ。あなたが分からない・・何を考えているのか。お互い、本音とかすべて話してきたと思ったのに」
「過去なんか、話さなくてもいいだろ」
「でもあたしは話した」
「なっ・・・?」
「もうどういう人かも分かったわ。あなたも今後、こんなことで自分を孤独にしないようにね。何もかも失ってしまうわよ」
「もう遊びにいけたりとか、約束とか、できない?」
「ちょっと待って・・・?あたし、あなたの彼女になんか、なった覚えないし・・!勘違いしないでね」
川口は病棟へ去った。
夢から覚めた。しかし歩行はパーキンソン様だ。
でも、誰がこのことを・・・?
次の職場へのわけの分からない期待、それとこの大学病院を出られるという不思議な満足感の中にあった。
でも、いとも簡単に君を失ってしまった。
何も実感がない。DMや高齢者のように、AMI起こしても感じない。心不全にならないと、分からないのだろうか?
白衣もボロボロになってしまった。ポケットの小冊子も買い換えないといけない。アパートの掃除もある。
次の職場の勤務まで、もう2日を切っていた・・・。
<完>
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