<レジデント・サード  10  RUN AWAY>


「じゃ、失礼します・・」

帰りに弁当を買い、アパートに戻った。

「あー、疲れた・・」
「落ち着いている?」
「なわけないだろ!ホントは目が離せないんだよ。まあ今のところ大きなアタックは起こってないようだけど」
「少し休んだら?」
「・・そうだな。3時間くらい寝ようかな。目覚ましかけるけど」
「また行くの?」
「詰所に電話して、様子を聞こうと思う」
「当直にさせたらいいじゃない」
「当直は・・まあいいや」

風呂に入った後、寝てしまった。目覚ましにも気づかず。









ガバッ、と目を覚ました。



明るい・・・?

キョロキョロ周りを見まわした。時計、時計・・・。

AM 10:40。しまった・・・!

 10時間くらい寝たらしい。彼女もまだ眠っている。だるい手を思いっきり伸ばし、電話。

「もしもし・・すみません。詰所ですか。ええ、寝てしまいまして・・そうなんです、自宅も寄ってしまって」
「そうですか。先生、ちょっとお待ちください」

しばらく沈黙があった。それをぶち破るかのように衝撃音が襲った。

「何やっとんだコラア!患者をほったらかして!まだ寝てるのか!」

オーベンの声だ。

「気管内チューブや、カテーテルの刺入部からも出血があったんだぞ!君は知ってるのか!」
「すみません。今、行きま・・」
「なぜ持ち場を離れたんだ!看護婦さんももう君を信用できないと言ってるぞ!」
「今すぐ・・」
「家族もみんなやってきて、どういうことか説明してくれと言ってる!」

主治医はオーベン・僕の組み合わせでもあるため、オーベンの怒りはハンパじゃない。

電話は切られた。

「すまないが、行かないと」
「・・なんか大変そうね」
「そうなんだよ!やっぱり帰っちゃいけなかったんだ!どうしてくれる!」
「わかったわよ!もう帰る!」
「そうしてくれ!」

日曜日。雨が降っていた。自転車でのこの出勤は、傘をさす価値もない。

病室ではオーベンが待ち構えていた。さっきのキレた声からは想像もできない落ち着いた表情だった。
「おう。君が忙しいのは分かる。僕も君への指導が足りなかった」
「そんな・・」

「君への監視が足りなかったことも悔やまれる・・・」

 8階の大雨の大空、閃光が響いた。

「君を見て心配に思うのは、その気のゆるみとやらだ」
「・・・・・」
「いつかその油断が、取り返しのつかないことになるよ」

 この時は、あまりピンと来ないセリフだった。

「まあいいよ。家族へは僕が説明した。ムンテラの内容はカルテに書いたとおり。気管内チューブからの出血は肺水腫・抗凝固剤のヘパリンの関連によるもの。カテーテル刺入部の出血も抗凝固剤。ACTを測定したら400以上廻った。ここまでの異常な数値は、君が日頃きちんと測定してなかったせいもある。夜中だから測定してなかった、とは言わせない」
「・・・そうです。数時間毎の測定を、怠ってました」
「これからは僕も夕方には帰らず、ちょくちょく来る。だが水曜日は学会へ向かう。そのときは西岡先生に頼め。彼は君が陰で呼んでいる、ヤクザ医師、とは違うよ」
「・・・・・」
「今日の検査も一折見たよ。CPKは相変わらず3000台。CRPも20台。他の感染もあるかもな」
「・・・・・」
「だがCPK-MBは700台だったのが500台。CPK自体が高いのは末梢アシドーシスの影響もあるし、CRPは他の感染もかぶってるかもしれない。エコーを見たが・・相変わらずだ。心臓はほとんど動いてない。LVEFで7%」
「な、7%・・・」
「ウイルス性なので過ぎ去るのを待ちたいところだが・・これは・・持ちそうにないかも」
「・・・・」
「なんて考えるのは良くないぞ。主治医が諦めたら、患者は終わりだ」
「ええ」
「隣に入ったASの患者だが。不穏があるようだぞ」
「不穏?」
「暴れているということだ。点滴の自己抜去も何度かしたらしい。僕が指示を出しておいたから。セルシンは呼吸抑制が怖いので、セレネースにした」
「ありがとうございます・・」
「午後は、僕が診ておくよ。大事な用事でもあるんだろ?夜になったらまた来てくれ」
「え?よろしいんですか?」
「僕も一応、主治医だからね」

 オーベンのお言葉に甘え、僕は病院を出た。

彼女は「ごめんね」と置手紙だけ残し、去っていた。
「タクシーで帰ったのか・・本当に」
時計をみると・・飛行機の離陸まであと2時間。空港まで1時間弱。異様に眠たい。が、しかし・・・・。

アパートから少し離れたところに自分の愛車はあった。
「どうして、僕は・・・」
マニュアルをローにガクンとシフトし、大雨の中シビックは急発進した。

「僕は・・情に弱い?ちょっとは人を思いやれる?」

「なら何故?患者を完璧に診れない?」

高速のインターへ潜り込んだ。しかし料金所はかなり混雑している。

「彼女を追いかけているのではなく・・もしかして、患者から逃げているの?あなたは・・・・」

速過ぎるワイパーの音なのか・・誰かが、そう叫んだ。


 結局渋滞に巻き込まれ、空港には間に合わなかった。彼女からの電話もない。と思ったら、電源がとっくに切れていた。
僕は諦め、インターを降りて、引き返した。



 水曜日。循環器医局員の大半が学会・講演会に向けて出発していた。オーベンもこれから去る。
「いいか、ユウキ先生。独断でしようなんて思うなよ。西岡先生が全て答えてくれるから」
「ええ。西岡先生はどこに・・?」
「学会に行って、途中で帰ってくるんだよ。それが確か、今日だ」
「そうですか」
「みんな北海道でゴルフして帰ってくるから、全員がまとめて戻るのは金曜日かな」
「ゴルフ・・先生もされるんですか」
「接待が当たり前にあった時代はよく行ったけどね。今は自腹になりつつあるから、行かない。おみやげ、楽しみにな」
「ええ、待ってます」
「じゃ、急変時は西岡先生にな!」

 循環器の外来を午前中で片付け、オーベンは空港へ去った。みんな空港へ行ってしまったなあ・・。

検査伝票のチェックを1つ1つ入れていた横からナースが脅かすように呼ぶ。
「先生、脳外科の先生が」
「ああ、診てもらってるんでしょ。心筋炎の人」
「それが、先生・・」

「こんなのでどうやって評価しろというんです?先生!」
 脳外科のドクターは今にもストロークしそうな勢いだった。
「人工呼吸器がついていて、鎮静剤が入ってる・・これじゃ瞳孔がピンポイントでも評価はできませんよ」
 こっちがピンポイントになりますわ、って言わんばかりだ。
「呼吸器ついているから、CTも撮れない。脳波だってまともにとれませんよ」
「できる範囲で・・」
「うーん、厳しいです。先生。血圧が低くて脳への影響を心配されているのは分かりますが」

 やっぱ相談も独断ですべきじゃないな・・。

「先生、血液ガスのデータが」

 ああ・・pH 7.13か。そのアシドーシスのせいか、四肢も冷たい。オーベンは亜硝酸剤で末梢を広げろというが・・血圧が低いので使えない。ドブトレックスも最大量、IABPもフル稼働してはいるが。出血は続いており輸血、それにFFPの投与も。DIC scoreはまだ満たしてはいない段階ではあるが。

 しかし病態的にはpre-DICだ。


<つづく>

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