< レジデント・サード 12  絶体絶命  >

金曜日。

 睡眠不足がかなりつらい。今の患者がいつ急変するかわからないという不安と、他の病棟やドクターからいつコールあるか分からないというプレッシャー。
 
 軽症の患者の回診を始める。

53歳男性、高血圧。ACEIとCa-antagonistを内服。咳さえなければACEIはファーストチョイス、というのが当時の考えだった。

「どうです?」
「看護婦さんに測ってもらったら、160/98もあったよ。で、どないでした。原因は?」
「腹部エコー・CT・血液検査では異常なしでした。2次性のものは否定的です」
「なんや。結局入院しても原因が分からんのやな」
「9割は原因が分からないもので」
「あっそ・・で、この薬は一生飲まないといかんの?」
「そうです」
「なんや、高血圧って治る病気や違いまんのか?」
「治すのではなく、うまくつきあうのです」

 これもオーベンから教わった言葉。

47歳女性。伊藤から回診を頼まれていた、pericarditisの患者。重症部屋から出れた。
「こんにちは」
「先生・・結局原因は何でしたの?」
「ウイルス感染だろう、という結論です」
「・・・あのテレビで今騒いでる、エボラなんとかっていう、出血するやつ?」
「違いますよ」
「どういうことに気をつけたらいいんですか?」
「そうでうね。さあ・・」

 循環器科では、軽症と重症の差が激しい。しかし重症に相当時間が費やされるので、軽症患者の回診を怠りがちだ。しかしどの科でも同様のことは言える。

ナースがいきなり部屋へ乱入してきた。
「先生、西岡先生の患者さんですが」
「今、回診中」
「血圧が240mmHgもあるんです」
「とりあえず、アダラートカプセルの舌下を」

 当時、平成8年度はまだ降圧剤の舌下投与が頻繁にされていた。H16現在では安易にはしてはいけない処置だ。

「その指示は出ていたので、舌下させましたが・・動悸がひどくなりまして」

 おそらく反射性の頻脈だ。顔面紅潮とともに、Ca拮抗剤そのものの副作用でもあるが。

「安静にさせてよ。症状は?」
「動悸と頭痛です」
「心電図と頭部CTを。西岡先生はまだ帰って来ないの?」
「そうなんですよ、先生。連絡もないんです」
「他の先生方から連絡は?」
「こちら側も患者さんの報告とかするため待ってるんですが・・・全然電話かかってきません」

 この頃はまだ携帯電話の保有率は低かった。

「ゴルフ行ってんのか・・・!」

「先生、吉本先生の患者さんが早く退院させろと」
「オレ主治医じゃないのに、そんなん知るかよっ!」
「今すぐ結果のほうを知りたいと」
「待たせたらいいよ。主治医が来るまで」

次から次へと報告がくる。

「先生、先生のオーベンの患者さん。42歳男性。熱発です。39度」
「須藤さん・・何の病名?なんだこのカルテ?字が読めない!象形文字か、これ?」
「不明熱とか・・」
「この記載そのものが不明、だよ!」
「とにかくしんどそうなんです」
「しんどい?どういう意味?他のバイタルは?」
「血圧ですか?」
「血圧!脈!SpO2!」

 僕はかなりイライラしていた。

「血圧は122/68mmHg、脈は100 , regularです」
「ふんふん、そんで?」
「SpO2 は、手の指で82です」
「ふんふん・・・え?」
「足の指でも82でした」
「部屋どこ?」

その患者はIVHが入っている。
「食べれないの?この人?」
「昨日までは全量摂取です。IVHは1週間前からです」
「内容は・・・ポタコール500が1日3本。3本も?」
「はい、指示ではそうなってますが」
「こんな字をどうやって解読したんだ?」
「・・・この字、2本にも見えますね、ウフ」
「何がウフだ。2と3では偉い違いだぞ。これじゃあナトリウム・・塩分を負荷しすぎだ」
「心不全になってるんですか?」
「容量負荷かもしれない。iatrogenicだよ。ところで、心雑音は・・・なんだ、この音は?」

 ザラザラ・・ザラザラ・・・砂が中で舞っているようなこの感じは。

 須藤さんが看護記録を頼りにカルテを見つめている。彼女も携帯を持っており、ブーッブーッと響いている。
「すみません。飲み友達で」
「ああ、いいんだよ」

「カルテの記録見ると・・血液培養をしてます・静脈と動脈・・動脈で取ることもあるんですねー」
「・・・あ、そうか。IEなのか?」
「アイイー?」
「感染性心内膜炎」
「ちょっと待って下さい、かんせんせい・・どんな字ですか?」
「カルテをよく見ると・・・・ああ、確かに書いてある。この字は一見、イヒ、と書いてるように思ったが・・IEだ」
「・・・」
「培養結果待ちか・・・。とすると、抗生剤は見切り発進したくないな」
「様子見ですか」
「解熱剤を」
「じゃああとは、先生のオーベンが戻ってからで。今日の深夜のときにでも指示聞いておきます」
「へ?深夜の時間にコールして指示をもらうっての?ダメだよ!」
「あっ・・・」

ヘンな子だな。

「レントゲンを。エコーの準備。心不全かもしれない」
「先生、SpO2 74・・・かなり下がってきてます」
「さ、酸素を・・マスクで」

患者は起座呼吸になってきた。

「ナトリウムの負荷で、くそ!」
「先生、ほかに指示を!」
「ラ・・ラシックスを側注」
「いきます」
「点滴本体を5%TZへ変更・・・うう」
「先生、大丈夫ですか」
「バ、バルーン入れなきゃ・・」
「先生、それは私たちで」
「じゃ、たのむ・・・あ、それと水分制限を。それと」
「?」
「そこにあるポカリスエットの山・・いや、アクエリアスか。いったい何本、ううう・・」
「先生!こっちへ!主任さん!先生が、先生が!」

 どうやら熱中症のようになっていたらしい。

 病棟の端っこの当直室で横になった。

「あ、ありがとう。須藤さん。君こそ今日も深夜入りなんだろ?」
「先生、ここでしばらく休んでください。これ以上無理すると・・心配です、先生が」

その、潤んだ瞳。
僕は一瞬ドキッとした。

このまま近づけば・・いかんいかん。

「でも他の先生は、まだ捕まらないんだろ」
「・・・」

 院内ポケベルがまた鳴り出す。

「もしもし」
「一般内科外来の婦長です」
「はい?」
「今、一般内科の松本先生が、AMIの患者を診ておりまして」
「一般内科のほうにAMIが入ったんですか?」

 彼女は思いつめたように、詰所へ走っていった。僕は続けた。

「ああそうか、今日は循環器外来、お休みしてますからね・・」
「もしもし?もしもし!」
「はいはい」
「循環器科のほうへ入院としますので、今すぐ下で申し送りを受けてください」
「今すぐ?」
「午後は一般内科の先生方は大腸ファイバーがありまして」
「・・・うちはまだみんな揃ってなくて・・」
「もしもし?今すぐ来てください!時間がないもので」

 足元あぼつかないまま、1階の外来へ。
一般内科のドクターは既に消えていた。

60代のおじいさんが横になっていて、モニターがついている。

「先生、もうちょっと早く来てくれないと。松本部長はファイバーに行かれましたよ」
「は、はい。検査データは」
「これです!」
「・・・酵素の上昇、ST上昇・・・II , III , aVF・・・V3-6の低下はreciprocal changeか」
「さあ、外来はいったん閉めますので、急いで上へ上げてください」

高齢のナース3人に囲まれた。

研修2年目始まって以来の、絶体絶命の危機。

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