まだ真夏日は続いていた。早朝からミ−ン、ミ−ン、とセミの鳴く声。

クーラーのリモコンへ手が届かず、うつ伏せのまま寝ていた。そのとき・・・

ジャージャン!

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「ハーッ!」

 寝ぼすけ対策として、オーディオの目覚し機能を活用することにしていた。で、曲がこれ。B’zのこの曲だ。
ただ当時としてもかなり古い曲ではある。

 
心筋炎の経験から、1ヶ月が経とうとしていた。

いつものように上着をベランダからパンツ一丁で取り出す。

「Like This!」

あまりにも忙しい日々が続き、僕は発想の転換を図ることにした。これからは追われるのではなく、追う人間になろう、と。
その日に疑問に思ったことはその日に解決、食事は家に持ち帰らず部屋を汚さない、トイレは職場でして帰る、など。
このときも給与は月18万くらい。うち5万が家賃。光熱費を引いて10万。給料日1週間前はチキンラーメンで過ごすとして、
3週間の食費で3万。ガソリン代2万。そうして5万くらいが残り、散髪代、CD代などにあてられる。

この日は月に1回だけ許されたアルバイトの日だ。献血車のお手伝い。1日2万。宝くじ号というバスが勤務先の病院へ
迎えにきてくれる。そこから半日かけて、大阪市郊外の田舎を4箇所ほど廻る。

寝る時間などないが、自分にとっては少しの息抜きのようなものだ。

<< いっろんな物を 無くしちゃったかもしれないけどI’m alright >>

 ウォークマン片手に1人で口パクパクしながら、そのバスはどこかの田舎町のアーケードの入り口に着いた。
ナース3人と事務の?方は、特殊部隊さながらにセッティングをこなしていく。僕はバスで待ち続けていた。

 外では事務のにいちゃんが勧誘を始めた。近所の工場から作業服を着た人も何人かやってくる。そのうち2人ほどがにいちゃんに捕まり、
問診書いた後バスの中にやってきた。
「あの、じゃあ血圧測りますので」
僕の仕事はこれだけだった。大学の人間は割に合わないとこのバイトを断る人間が多かったが、僕はむしろ気楽だった。

「160ですね、上が。ここまで高いと、献血は」
おにいちゃんがやってくる。
「うーん、先生、どうでしょうねえ。時間かけてゆっくりやるってことで、どうでしょうか」
「え、いいんでしょうか」
「まあ今はね、血液特に不足してるし」
「・・わかりました、しましょう」
「ありがとうございます、はい次!」

まあいいか。

ナース達の仕事は速い。職業といううよりも、その技の速さは仙人に近かった。採血が難しそうでも、数秒以内にはケリをつける。僕の出番はなかった。
というより、圧倒されっぱなしだった。

瞬く間に制限時間が来た。おにいちゃんがまた後片付けにかかった。ナースたちもそれに続く。バスは急発進した。1サイクル2時間くらいで、あと3サイクル繰り返す
といった具合だ。

「すみません。携帯電話かけてもいいですか?」
おにいちゃんに聞いた。
「へえ、凄いですね。携帯電話。どうぞどうぞ」
 病棟に連絡することになっていたのだ。
「もしもし、変わりはないですか・・・ええ、僕の患者さんたち」
「ワーファリン内服中の方、トロンボテストが14%でした」
「じゃあワーファリンを3錠から1錠へ」
「ペースメーカー植え込みの方ですが、出血が少し」
「伊藤君に頼んでください。それかオーベンを」
「待ってください・・・別の看護婦と代わります・・もしもし。須藤です。今日、点滴を間違えてしまいまして」
「え?何の?」
「抗生剤です。隣の方のセファメジンと、先生の患者さんのチエナムと」
「え、それはいかんだろう」
「先生の患者さんにセファメジンをいってしまいましたが・・。チエナムは今日、どうしておきましょうか」
「他人事みたいに言うなよ。チエナムはもう夕方の分だけにしといてよ!」
「はい・・・」

ちっとは謝れ!

バスは工場の敷地内に到着した。同様ににいちゃんが駆け足で事務所へ走っていく。事務所のおじさんは若い衆を数人ずつ引っ張ってきた。

若い衆は1人ずつ入ってくる。みんなすがすがしい笑顔だ。汗さえも健康的だ。浮き出る血管もだ。仕事している最中のせいか、みな血圧が高い。

「動いたせいですね・・まあいいでしょう」

にいちゃんも僕を横目で見ながら上機嫌だった。若い衆は次々とまた仕事場へ戻っていった。

また病棟へ電話。
「主任さんですか。一般採血の結果を」
「言いますね、ヘモグロビンが・・・」
「血糖値は?」
「320です」
「そりゃ高すぎる。ヒューマリンR 6単位を皮下注で」
「それ以後は?」
「8時間ごとに測定。スケール表に従って」
「ところで先生、さきほどはうちの須藤が申し訳ありませんでした」
「え?いや」
「彼女には報告書を詳しく書かせて、今後の処分も含めて検討していきますので」
「処分?こんなことでもう処分するの?」
「いえ、ほかにもいろいろ目だったところがあったので」
「まあ新人だからね。仕方ないかも」
「わたくしたちはそうはいきませんので」
「はい・・じゃあ」

献血車は昼ごはん後も走りつづけた。

夕方になり、客の数も減ってきたようだ。にいちゃんが目頭を押さえる。
「くーっ、足りないなあ」
僕が話しかけた。
「何が足りないんです?」
「ええ、献血者の数ですよ。まだまだノルマに達してない」
「これだけ来たのに?」
「あらかじめ訪問先には連絡しておいておおよその数を見積もっていたんですが・・今日は極端に少ないんです」
「こうなったら1人でも・・というところですか」
「・・ですねー」
「じゃあ、僕、します」
「え?」
「自分の血圧測る仕事が終わったら、します。もちろん400ccで」
「ホンマですか先生!ありがとうございます!」

夕暮れ時、工場の社員が次々帰っていく中、僕は横になり献血を開始した。何度も手をグーで握り、天井を見つめた。

献血車は長い旅路を終えて、病院の玄関口へたどり着いた。

「先生、予定の時間越えまして、すんません。献血までしてもろうて」
「いえ、こちらこそ。毎日、お疲れ様です」
「では!」

 車は去った。もう晩の8時だ。とりあえず病院へ電話した。

「もしもし。先生どちらですか?」
「ま、まだ献血車のところ。変わりは?」
「ありませんね。先生の患者さんは。こちらへは戻られます?」
「いや、それがね・・献血したんだよ」
「ええっ?」
「400ccもね。無理な運動はやめるよう指導されたし。だから今日はまっすぐ家に帰ろうと思う」
「そうですか・・どうしてまた。健康診断がてらですか」
「健康診断ね。この前うちの病院でそれあるから受けにいったら、日々雇の医者は健診の対象外って言われた」
「ひびこ?」
「そうだよ。常勤扱いでない職員は、無償での健診が受けられないって言われたんだよ」
「ひどいですね」


 ウォークマンを再スタンバイ、自転車に乗った僕は、大通り交差点の赤信号の前で止まった。

 しかし、大学も大学だったが、ここもなあ。

<< もしもあなたの心が 身軽なものなら そこに長居は無用さbaby,here we go! >>

「ヒビコー!」

 自転車は猛発進、赤信号を無視。
 商店街へと入っていき、自宅へと向かっていった。

JUST A ランナウェーーー!ウェー・・・ウェー・・・・ゥェー・・・・・・・  (エコー)


<つづく>

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