救急日当番、今日は安部という呼吸器科の女の先生だ。40台で独身、色気はない。今回の当番は平日で、夕方6時から早朝まで。
この間のと比べたら大したことない。

「間違いない。心不全だ」
62歳男性。起座呼吸。胸部レントゲンで心拡大と両側胸水貯留。
安部先生がポンと背中を叩いた。
「あなたの領域ね」
「ええ」
血液ガス採取、酸素吸入、ルート確保し、病棟へ。
「ユウキ先生とやら、原因はナンなの?」
「これだけじゃあ、分かりません。慢性疾患の急性増悪なら感染がキッカケのことが多いですが」
「それはうちの分野でも同じね」

事務が会話を断ち切る。
「吐血!55歳男性、5分で搬送!」
「アル中かしらね」
「バリックスですか」
「胃潰瘍かも」
「内視鏡を準備してもらいましょう。看護婦さん!」

カルテが山積みになってきた。

「これはあたしが診る。58歳男性。先月、胸膜炎で入院、精査してるわ。結果は異常なしみたいにサマリー書いてるけど」
「胸膜炎で異常がない?そんなハズは・・」
「でもこれ、ADAが提出されてない。リンパ球優位なのに」
「培養で結核菌は出なかったのでは?」
「甘いわね。結核性の胸膜炎でも、胸水から結核菌が培養で検出されるのは・・・たったの3割よ」
「え?そうだったんですか」
「あなたホントに国試、通ったの?」
「ADAを忘れないことですね」
「あくまでも確定は胸膜生検よ」
「そのときはお願いし・・」

 吐血の患者が運ばれてきた。
「55歳男性!吐血して意識はJCS-100!血圧は84/44mmHg。脈は120/min。SpO2 93%」
 患者の口の周囲は凝血塊で黒くなってる。安部先生は内視鏡を片手に取った。
「今はフレッシュな吐血はなさそうね。これでハッキリさせましょう」
「先生、酸素いきます。点滴も。止血剤も入れます」
「任せる。トロンビン末の準備を」
「トロンビン・・・?」
「止血剤の!」
「あ、はい・・」
胃カメラはもう挿入されていた。
「・・・胃の中がコアグラ・・・凝血塊でいっぱいね。けっこう時間経ってるかもね」

 外のモニター画面に映し出された、胃の中の画像。水面の中から潜水艦が覗いているような感じだ。水面とはもちろんコアグラを指す。
 ズボズボ、ズボズボ、とコアグラが吸引されていく。安部先生は生食水を注入、吸引、注入、を繰り返していく。

 次第に視界が良好となっていった。胃の中は茶色の凝血塊のカスのようなものが多数、へばりついている。

「ここが胃の上部、シワが見えるわね。ここだ大彎」
「台湾?」
「その向こう、カクッと曲がってるけど、その先、その角を曲がったら・・この空間が、前庭部」
「胃の下半分ですね。癌の好発領域」
「この前庭部で、胃カメラの先っぽを反転させると、今通った角っこの部分を直接確認できる」
「これが胃角部ですか」
「ここが潰瘍の好発部位・・・ここは特に何もなさそうね。胃の上部も」
「はい・・・」
「じゃ、反転をもとに戻して、胃の出口へ」
「どこまで行くんですか?」
「面白いこと言うのね。十二指腸の中間までよ」
「胃の出口、あの穴ですか・・でも塞がってるようですね」
「閉まってるだけよ。カメラから空気を送ったら開いてくるわ。さ、突っ込むわよ」

 なんか、言い方がな・・・。

「球部。ここの壁は見落としがちなので、じっくり見ることね」
「はい・・・」
「この先は折れ曲がってるので、先へ押し込みながら、体を右に、サッとひねる」

 すると、リング状のトンネルが現れた。

「これが十二指腸の、下行脚。胃カメラはここまでしか届かないわ」
「あ!ポリープです!あれ!」
「あれはあなた、乳頭よ」
「乳頭?」
「ファーター乳頭よ。知らないわけないでしょう」
「・・・・」
「じゃ、終わりましょう」
「先生、食道は・・」
「もう見たわよ」
「あの・・診断は」
「AGMLかもね。胃の表面自体はびらんが多かったでしょう?」
「ああ・・見てませんでした」
「AGMLの原因は?」
「アルコールと、コーヒーと・・」
「薬剤ね。NSAIDの内服歴とか調べといて」
「入院ですね」

 今ならピロリの関連も調べるだろう。

「カゼが来た、診て」
「しょ、小児ですか」
「小児は受け付けない予定だったんだけど、来ちゃったのよ。しょうがない」
「先生、6歳の小児でしょう、僕は・・」
「自分で患者を選んじゃダメよ」
 
選んだのは先生でしょうが・・?

「来たわよ・・・・お母さん!こっちです。あたしは腹水の患者を診る」

若い母親が、6歳の女の子の手を引っ張って入ってくる。女の子は泣き叫んでいる。
「やーやー、絶対いややーーー!」
「あんた、こら!ここで診てもらわんと、死んでしまうよ!」
「いややー!それならしぬぅー、しぬぅー!」

問診表には「カゼ」と書いてあるだけ。
しかし、相手は小児だ。それに、以前のオーベンいわく・・「患者・家族の言う病名ほど怪しいものはない」。
オーベンから教わった、誘導尋問で聞き出そう。

「鼻が出てるんですか」
「ええ、この子・・・1週間くらい鼻水が止まらないんですよ」
「ほかにあるでしょう。下痢をしてるとか」

こうやって、あてずっぽでも聞き出していく。

「今日はお腹を痛がってて。熱は37.7℃」
「お腹を触りますね」

子供は母親にすがりっぱなしだ。
「いややコワイコワイ、うぅー、うぅー!」
「お母さん、抑えて!」
「この子は・・・!」
母親は抑える素振りだけで、ただ手で触っているような感じだ。

お腹を触診するが、別に膨満もしてないし、圧痛もなさそうだ・・・。

ナースが後ろから見かねた。
「先生、小児科の先生に連絡されたら?」
「待機の、ですか?」
「この先生に・・・携帯は、これ」
「ええ・・・・あ、もしもし」
「何でしょうか?」

しょっぱなから嫌そうな返事だ。

「小児が今、来てまして。腹痛と微熱です。嘔吐はしてません。腹部も膨隆してないです。下痢もなし」
「機嫌は?」
「は?」
「機嫌はどうです?機嫌がよければとりあえずの処方で、明日受診させてください」
「機嫌、ですか?」
「先生、機嫌がいいかどうかが小児を診る上での基本ですよ」
「機嫌・・・・・」

 ちらっと小児のほうを見やった。まだ母親にすがって泣きつづけている・・・。

「機嫌は・・・かなり悪いです」
「え?」
「苦悶様、というか」
「そんなに?」
「は・・・母親も困っているようです」
「母親が?」
「ええ、それがけっこうヒステリックな方でして。しょ、小児科の先生は、先生はと」
「・・・・・困ったなあ・・・私は救急は昼間しか診てませんが。先生、今日のペアの先生は?」
「安部先生ですか、彼女は・・・」

 安部先生は注射器で腹水穿刺をしているようだ。患者はいたって楽そうだ。

「腹部の処置をされてます」
「腹部の処置・・・!動脈瘤か何か?じゃあ、手が放せませんね」
「ええ・・手は・・塞がってますね」
「そうですか・・分かりました!行きましょう」
「ありがとうございます」

 解決。

<つづく>

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