夜11時。一時的に救急は途絶えた。

「じゃあ、あたしは一休みするから。手に負えないときは、コールちょうだい」
「え?また?」
「またって、何よ。あなたと組むのは初めてでしょう?」
「あ、そうでした」
「じゃ、お願いね」
「はい・・・」

とりあえずベッドで寝かされている患者の回診をした。

全身倦怠感で点滴中の中年男性の採血結果が返って来たもよう。
「肝機能が・・・」
T-Bil 3.5mg/dl , GOT 224IU/L , GPT 338IU/L・・・・・

「あの、肝臓のほうが・・」
「ああ、わしでっか。悪いやろ。アルコール何合も飲んでるしな」
「けっこう数字が高いので、とりあえず入院・・・」
「やれやれ、またそれかいな。入院入院言うてもやな、明日は作業現場で指揮を取らないかんねや」
「いや、それどころでは・・」
「わしが行かんかったら、現場の数十名の家族を、路頭に迷わすことになる」
「しかし・・・」
「しかしもカカシもない。この点滴が終わったら、帰る」
「そんなムチャな」
「わかった、先生。酒のせいなんやったら、わし酒やめる。これでええやろ」
「そりゃ辞めるのは当たりま・・」
「でもな、わしから酒取ったら何が残んねん?なあ?わしから酒取り上げたら、生きる目的は何なんねん?」
「え?それは・・」
「だったら先生、もう飲むな、なんて言うちゃダメやがな」

 点滴後、その患者は帰った。こういったタイプの場合は、その状況をこまめにカルテに記載しておく。
「酒は辞めるが、入院は・・拒否・・と。これでよし」

 今日は比較的少ない。この前のときが異常すぎたんだ。

朝4時。事務が振り向いた。
「病院から電話!」
「え?・・はいはい」
「もしもし。民間の病院、内科の杉田といいます」

 こんな時間に・・何だ?

「うちに入院となっている患者さんですが、家族の希望でそちらに転院したいと」
「はあ?」
「ご家族の希望なもので」
「?何で入院されていると?」
「70歳男性、肺水腫による呼吸困難です。2日前に入院、現在酸素吸入中です」
「今の時間に?」
「家族の希望でして」
「今じゃないといけないんですか?」
「ええ。原因が分からないので」

 たまにこういうわけの分からない、他院からの紹介がある。
看護婦が横から「ベッド満床」のサインをしている。

「・・・今は満床でして」
「いや、もうそちらへ向かうことにしてるんです。今日はそちらが緊急の当番でしょう?」
「ええ、ですが・・」

 看護婦が大幅に首を横に振り続けている。

「家族がどうしてもそちらでお願いしたいと」
「満床なんですよ」
「とりあえず診てください」
「しかし、入院が必要な人なら・・」
「とにかく今から出ますので」

 電話が切れた。

「あ、切れた」
 看護婦はガクッとうなだれた。
「先生、どこの病院です?」
「近くの脳外科の病院です。肺水腫だと」
「あー、時々ああいう紹介あるわね。手に負えなくなったらそうやって紹介してくるところ!」
「悪くなって、こんな夜中に?」
「多分かなりやばくなって、家族ともめそうになったりとかね」
「それで、逃げの手を使うわけですか」
「どうします?」
「満床なんでしょ?」
「いや、ホントは違いますけどね。でも先生、今はどこの詰所も手一杯で」
「でも、空いてるんすか、重症ベッドは?」
「空いているといっても・・そこは呼吸器科で、入院予約が入ってますので」

 重症部屋なのに、入院予約・・・?わけがわからん。

 詰所によっては巧妙にベッドを「満床」に操作してしまうところもある。

「いつの入院で?患者はもう来るよ」
「す、すぐに入院になるでしょうねえ、そりゃ明日にでも」
「でもとりあえず、部屋が空いてるのなら、割り込みの入院もやむを得ないでしょう?」
「ダメです。呼吸器科は今は当直の安部先生だけなんですよ。当直明けの主治医はキツいでしょう?」
「何言ってんだ?仕方ないでしょう、そんなの。僕らは毎度だよ」
「でも上の先生だし」
「関係ないだろうが?」
「循環器科で取ってください」
「うちはホントに満床なんだよ」
「じゃあ先生が直接、安部先生にお願いしてください!」
もう1人のナースが吼える。
「先生、どこかに紹介したほうが!詰所はかなり参ってるんです!」
「こっちが参ってるってのに!」

救急車が近づいてくる。

「酸素マスク、血液ガスの準備を。ルートは5%TZで準備」
ナース連中は嫌々ながら準備を始めた。
「・・・なんか救急隊員のあの動き。心マッサージしてるような・・・」

 その通りだった。救急車から出てきた患者はアンビューマスクを手動で押され、心マッサージもされていた。

「くそ・・・挿管もしてくれてない?」

 救急隊とストレッチャーは救急室へ入ってきた。紹介状を受け取る。

「あの・・主治医は?」
「患者は・・ハイ?」
「紹介先の主治医ですよ」
「ああ、脳外科病院の・・・!酸素マスクで、看護婦同乗でいいと」
「あそこにいるオバサン?」
「ええ、あの方が看護婦です。ちょっと耳が遠いようですね。で、患者ですが・・挿管が必要と思われます。アンビュー・酸素全開でSpO2 80しかありません」

 モニターがつけられた。脈は幅広いQRSで、HR 40台しかない。

「終わりじゃないか」
「では先生、宜しくお願いします」

 看護婦から挿管チューブが手渡された。
「7.5Frでいいですね?サイズは!」
「・・・・」
「先生、挿管は?」
「ああ、するする・・・これだけ?」
 看護婦はしかめっ面で喉頭鏡を渡した。
 
 患者を頭を後屈位にし、ブレードで下の歯・舌をグイッと持ち上げ、ノドの中を覗く。

「・・・唾液と痰で、ナンも見えない・・」
 看護婦は横でボケーとしている。
「痰、吸ってくれよ!痰!吸引!」
 ハッと気づいた看護婦は素手でチューブを取り出し、恐る恐る吸引を始めた。

 オーベンの教訓を思い出した。
『挿管・挿管とあせるな。気道の確保よりも視野の確保だ。吸引で視野を良好にしてからだ。挿管チューブで痰を気道へ押し込んではならない・・・』

「何だよコレ、喉頭鏡、電気が切れてる!」
看護婦は別の喉頭鏡をサッと差し出した。
「これも点かない!どうなってんの!」

患者は首が太く短い。喉頭鏡が点灯したとしても、直接声門が覗けるかどうか・・・。

「看護婦さん、心マッサージ!続けてよ!何で途中でやめてんの?」
「は、はい」

僕を含めてだが・・こいつら、完全にパニクってる。

「ダメだ、見えない。声門が・・・ここか?」
盲目的に、スッと挿管チューブが挿入された。
「入ったのか?」
と同時に、グウーとお腹の鳴るような音がチューブ内から返ってきた。
「カフの空気入れて。聴診器貸して!」
アンビューで管内に空気を送ったが・・・
「胃だ。気管に入ってない。やり直しだ。看護婦さん、マッサージは続けてって!」
「先生、レートがもう20くらいしかないですよ」
「何、諦めてんだよ!・・・・やっぱダメだ。安部先生を呼んでください」
「今ポケベル鳴らしましたが・・応答の電話がないです」
「何?当直室は?」
「そこもいません。ひょっとしたらどこかの病棟に」
「館内放送で呼び出してよ!」
「先生真夜中ですよ。患者さんたちが起きてしまいます」
「いいから!・・・・くそっ、やっぱり胃だ!やり直し!あ、それからボスミンの注射を!」

 助けは来ないのか・・?

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