20代くらいの若い女性だ。細くて美人だが、少し陰がある。

「おはようございます」
 その子はこちらへ気づくと、一生懸命の笑顔を振りまいた。
「え?ああこちらこそ」
 僕は照れてしまい、手で頭をかいてしまった。
「車椅子・・ですね。これはうちの病院のかな?あ、大学のですか。じゃ、こちらへ移りましょう」
「はい・・できますよ、自分で」
「ええ、どうぞ・・・はい、あとは自分が動かします」

 すると後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「ユリちゃん!頑張るのよ!」
 あれは・・。ユリちゃんの声も弾んだ。
「川口先生!しばしのお別れです!頑張りますね!」
「ユリちゃん、大丈夫。その先生だったら!私の知り合いだし」
「え?じゃあこの先生が、例の?」

 例の、って何だよ?

 その子はますます輝きだした。
「じゃあ川口先生、またね!」
「うん!あ、ユウキ先生!これ、紹介状!検査データと」

 何だよ、これだけかよ。
僕は浮かない顔のままだった。
 ・・中に何か入ってないかなぁー・・・。

エレベーターまで歩いた。少し待たねばならない。前で立ち止まった。
振り返ると、川口が見送りにやって来た。

「先生、いろいろと聞くわよ」
「どうせ・・よくない話だろ」
「ううん。頑張ってるってね。アイツはいい医者になるいい医者になるって」
「?どっかで聞いた言葉だな」
「あたしはもう論文書けそうよ」
「え?まだ院の1年目じゃ・・」
「松田先生が大学辞めちゃって、そのまま引き継いだの。そしたらいいデータが出てね」
「ムチャクチャ運がいい奴」

下りのエレベーターはここ2階を素通りしていき、地下まで降りた。

「グッチ・・いや、川口先生」
「はい」
「僕はどうなるのかな」
「え?僕ら?」
「いや、そうじゃな・・」

エレベーターが開き、人がゾロゾロ出てきた。
車椅子はそのまま入り、僕は半分振り向いた。
間にどんどん人が入り、砕けた会話も交わせなくなった。
閉まりかけた扉をバンと叩き、扉は反射的にまた開いた。

「グッチ!また・・連絡するよ!」
「うん!あたしも!病状経・・・」

 扉は閉まった。
 背の低いオバちゃん達がニヤニヤ笑っている。
「ヒヒヒ・・・若いもんはええのう。あんたのカノジョ?」
「ち、違います」
「ヒヒヒ。ああやって離れてるときが、一番燃えるもんよ。わしらもよう燃えた燃えた、イヒヒ」
「いったい何の・・」
「いけいけ!ドーンといけ!いっちゃれ!」
 オバちゃんは僕の肩をドーンと叩いた。

 エレベーターは途中で止まり、オバちゃんたちは降りた。僕らだけになった。

「先生、あの先生とのことも、あたし全部知ってるんですよ」
「なに?どうして?」
「センセ、女同士って心許しあったら、もう凄いですよ」
 
 や、ヤバイ言い方するなよな・・。

「でも先生って、かわいそう」
「どうして?僕が?」

エレベーターが開き、看護婦が迎えに来た。

伊藤といつもの地下室へ。
「合格、するかな・・」
「さあ・・」
「さ、伊藤、始めよう」
「ああ。はい、カテちょうだい」
「はい!」
「・・・RA・・RV圧。ウエッジ圧・・PA圧・・カテーテル抜去」
「はい」
「左心カテを」
「はい」
「・・・左冠動脈へ。造影剤注入」
「はいよ」
「次、右冠動脈へ。造影剤注入」
「はいはい」
「・・・なんか気になるなあ」
「いいだろ?」
「左室造影!インジェクターを。セット。逆流確認」
「はい、造影した!」
「カテーテル、元へ。圧引き抜き・・終了」
「終了」
「ふう・・・ユウキ先生、合格点は90点だったっけ?」
「いや、80点らしいよ。カテ部長の西岡先生が、速さとか確実さとか、項目別に点数つけて、合計点で評価するんだって」
「落ちたら・・?」
「再試験らしい」
「落ちたくないな」
「何で?」
「これまで試験という試験を受けて、落ちたことないし」
「何だよそれ。たまには落ちろよ」
「ひょっとして・・おやじにもぶたれたことがない、とか」
「はあ?」
「何でもない・・」
「ユウキ先生は余裕だな」
「まさか・・ただ自分は一夜漬け主義なもんでね」
「本番はあさってだよ」
「だからあさっての朝、真剣にやる」
「今のうちに繰り返して覚えようよ」
「今日は、ちょっと」
「あ、また帰ろうとしてる。帰ったら何かあるの?でも先生、僕は知ってるよ」
「何を?」
「大学の人たちから聞いたよ。講演会のときに。遠距離、してるんだろ」
「誰だそれ、言ったのは」
「君のオーベンしたことある人だって」
「オカマみたいな人?」
「ああそうだな。でも先生のことは凄く褒めてたよ」
「どんなふうにだ?」
「何だったかな」
「おい!」
「とにかくそれが、先生のホントの長所で、なんかその、欠点でもあるらしい」
「余計気になるじゃないか!」
「ま、思い出したら言うよ」
「こいつ!」

 
 自宅へ戻った。NTTからの留守電が入っている。
「来週月曜日までに入金がない場合は、自動的に通話ができなくなります・・・・・ピーッ」
 あと3日はいけるな・・・!カテーテルの本番が夕方終わったら、外出してNTTへ直接行こう。
 まだ留守電は入ってる。
「・・・あたし」
 来た。
「元気・・?忙しい?空港のチケットまた取ろうと思うけど。また都合のいい日、教えて」
 都合のいい日って、お前の都合でいっつも決めてるじゃないか。

 給料日まで2週間もある。金はほとんど使い果たした。しかしNTTに支払いしなきゃいけない。総額1万5千。
近々携帯の支払いもある。かなり高い事が予測される。こうなったら・・・
「最後の手段だ」
 僕はプッシュを手早く押した。脳に刻まれているナンバーだ。

「もしもし。オレ。おふくろ?オヤジは元気?ああそう」
「2ヶ月も電話なしに、ええ?いったいどうなってんの?」
「忙しいんだよ、とにかく」
「ご飯は食べてるのか?外食?」
 僕は散らかった部屋の食卓にあるチキンラーメンの袋に目が行った。
「ああ、もちろん。3食ね」
「さあお前がこうして電話してきたってことは・・」
「そうなんだよ。ちょっと貸してもらおうかと」
「なんだお前、医者になって儲かるとか聞いてたら、ちっともじゃないか」
「いや、そのうち大丈夫だよ。10年目の先生は月100万以上らしいよ」
「それは偉くなってからの話だろう。博士号取ってからとか」
「違うって!博士号っていうのは・・」
「お前も博士号を取るまでは、一生懸命やらんといかん!」

 何も知らないな、ホント、素人は。

「で、いくらなんだい?」
「そうだな、5万あればいけるな」
「今いくら?」
「あ、あるよ。ちょっとは」
「・・・じゃあ、10万入れとくよ」
「いやあ、そんなには」
「とにかく無駄遣いしたらイカン!上司の先生の言うこともよく聞いて!わきめもふらず!」
「そこはなんとかやってるよ」
「上司に何か言われたか?」

 さあ、干渉してきたぞ。近藤真彦じゃないが、「これだよ」。

「何もないよ」
「結婚相手は見つかったか?」
「ないな、そんな話は」
「美人な女ほど気をつけないかんぞ。しまいにゃやられるぞ!」
「大丈夫だって」
 ホントか?
「業者からお金貰ったりしてないか?」
「してないって」
「ガーゼを体の中に置き忘れたり」
「してないって。第一オレ、外科じゃ・・」
「あんたはよく忘れ物しよったタチやからな」
「ああ、そう・・・」…

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