一般内科病棟を回診。以前に救急をいっしょに当たった佐々木先生に会った。
「おう、先生。病院には慣れたか!」
「はい。まだそこまでは」
「献血車には慣れたようだな」
「先生、もう代理のバイトには・・」
「はは、分かってるって。で、先生はもう半年になるよな。大学へ戻れっていう話は?」
「いえ・・何も聞いてません」
「君の出身の医局だったと思うが・・医局員が少ないらしくてね。次々と外病院から戻しているんだそうだ」
「ええ?」
「だからそろそろ、そういう話が来てないかって思ってね」
「いえ、聞いてません。でも正直、今の臨床のほうが・・」
「そうだな。大学でまた頭にクモの巣張るよりはな」
「先生、先の話ですが、年末か年度末あたり、また先生と救急ですね。宜しくお願いします」
「ああ見た見た。祭日に当たるようだな。大変だぞぉ」

 ・・と知らなかったフリを一応してみたものの・・・そういう噂は知っていた。大学の医局長がこの間、僕に面会を望んでやってきた。
ちょうど処置中で延期させてもらったが。そろそろそんな話があっても不思議じゃない。


MCTDの患者回診。部長へ報告。
「MCTDの方です。スワンガンツカテーテル留置。PG剤内服、今日で7日目」
「ステロイドも内服してるんだよね?」
「はい。今のところ40mg/dayで」
「PHの程度がPrognosisを左右するって言われてるからね。で、今は効果のほどは」
「PA圧はあまり変わってません」
「そうか・・まああと1週間、続けよう」
「はい」

隣の部屋。伊藤が説明する。
「この間のカテーテル検査の方です。VSAと診断しました」
「君がカテーテルしたんだな。西岡君、彼は・・・?そう、合格か」
西岡先生が満足げに頷いていた。
「伊藤には、さらにアセチルコリン負荷もさせました。有意狭窄がなかったので」
「ほう・・で、陽性だったわけか。なるほど」
部長はカルテをしげしげと見つめていた。
「じゃ、カルシウムブロッカーを処方して退院というわけだな」

別の部屋に移ろうとしたところ、僕は西岡先生に呼び止められた。

「順番は、あれでいい」
僕はピタリと足を止めた。
「だが、肝心なことを忘れてなかったか」
僕は本当に分からなかった。一体、何を・・・・?

「穿刺の位置だよ」
「穿刺の・・・?」
「そうだ。刺す場所。初歩の初歩だ。君はかなり上方を刺していたようだ」
「・・・」
「ソケイ部よりやや下を刺すはずが、君は麻酔のとき上を刺した。あのとき君は、ハッとして気づいたはずだ。あんな初期の段階なのに、いったん手が止まっていた」
「・・・」
「あのときやり直せばよかった。でも君はそのままその場所に穿刺し続けた。幸い血管には入ったが」
「・・・」
「もしあれで皮下出血したら、骨盤内出血して大変な事態になるところだった」
「・・・」
「まあいいだろうという心の油断、それが君には見え隠れしている。それも大事な時にだ」
「大事なとき・・・」
「あの心筋炎の患者も、全力で当たってたら本当は救えたのでは?君は途中から、すでに諦めていたのではないだろうか?」
「・・・」
「・・・僕はこの前のカテーテルで見たかったのは、技術うんぬんじゃなかったんだよ。どんな医者かを見るためだ。こいつはミス・トラブル、するしない、この段階で見極めて修正するのが僕らの役目だ」
「・・・」
「とにかく、落第だ。やり直し」
「・・・」

 西岡先生は知らない間に去っていた。気配で分かる。

伊藤が出てきた。
「おい、お前の患者の番!部長が待ってるぞ!」
「あ、ああ」
急いで病室へ走った。

12月。

追い討ちをかけるように、大学の医局長が病院の医局に姿を現した。医局長は安井先生に変わっていた。
「やあ、やっと会えたな」
「先生がなられたんですね。医局長」
「おいおい。医局長なんて、ただの雑用係だよ。好きでやってるんじゃない」
「ええ・・」
「忙しいのはわかるが、今日は5分ほど時間をもらっていいかな」

医局のスタッフは気を遣ってくれて、皆外へ出た。僕らはストーブを挟んだ。

「どうだ?居心地はいいか?」
「厳しいです」
「そりゃどこだって厳しいよ。そのほうが・・」
「いえ、僕がです。今後の事が大変で・・」
「・・・レジデント時代は、振り返ったらみないい思い出さ」
「そうでしょうか・・」
「でな、今日来たのは。大学のスタッフがかなり減っててね。来年の入局希望者もほとんどいないようなんだ」
「戻れということですか」
「いや、そこまでは言ってない。君の今の部長の許可もいるしな」
「他のみんなは・・」
「野中・川口は院生だ。間宮君は救急の勉強をしているが、場合によっては戻ってくると」
「場合による?」
「ああ。こちらにとっては、君か間宮君のどちらかが帰ってこないと困る」
「先生、もし帰らないとすれば?」
「・・となると、山城先生のいる公立病院へ行ってもらう」
「ええ?」
「そんな嫌な顔、すんな。ホントはいい先生だよ」
「噂は聞いてます。診療は優れていると聞きましたが」
「今まで何人もレジデントが辞めたという噂だろ・・それはもう昔の話だ。今は丸くなった」
「マミーは行くんでしょうか」
「いや・・・山城先生自体が女医反対派だからね。実現せんだろう。間宮もそれだけは勘弁と言ってる」
「・・じゃあ、僕が行かないといけないじゃないですか」
「ああ。教授もそうしてくれと」
「教授が?」
「君を遊ばせないつもりなんだろう」

 最初から・・・選択の余地なんかなかったんだ。

「おおおっ!」
 自転車はいつものように信号無視、商店街を突き抜けた。いつものようにスリップしながらアパートの自転車置き場に止める
つもりが・・・薄くつもった雪でスリップしてしまった。他の自転車・バイクも巻き込み、僕はその上に倒れてしまった。

「ツイてない・・・!」
 部屋はかなり荒れていた。いつの間にか忘れていた電話の請求書。点滅している留守電。電話はもう止められているはずだ。
睡眠不足と打撲で倒れそうだ。カレンダーでは年末の救急当番など、dutyが目白押しだ。

目まいがしてきた・・・・・・・。

次の日。

僕はセルラーで、病院へ電話した。
「医局の、はい、オーベンにつないでください・・・あ、先生、僕です」
「おはよう。まだ出勤してないな」
「40度熱がありまして」
「大変だな。ならこっち受診して点滴でも・・」
「行きません」
「・・休むってことか」
「治療に・・専念します」

 僕は車で出かけた。「治療」に専念するために。そして「医療」にも専念するために・・・。

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