「あなたよ!あたしの大事な先生を!」
 僕は力づくで坂本の背中を追い出した。振り返ると、ユリちゃんは過換気発作のようにピクピクしはじめた。
「袋、袋・・・!」
 そこらにある袋で、彼女の口へ被せた。彼女は大汗でもがいていた。知らない間に、カルテを読んでいる坂本が立っている。
「・・・MCTDだけじゃなかったのね。精神科も受診してて・・」
 過換気はしだいにおさまりつつある。袋をまだ押し当てて、僕は彼女のほうを向いた。
「Psy科は、ステロイドや原疾患のせいだと取り合わなかった。こちらもステロイドは中止できなかったし」
「ステロイドは飲んでなかったんですよね?」
「いや、飲んだり辞めたりしていたようなんだ。伊藤が見つけてくれてその後調べたんだが。以前にもそういう既往があったらしい。過換気発作も」
「先生、知らなかったんですか?」
「大学病院ではそういう傾向があったんだ。なのに、川口・・・なぜ言わなかった・・・」
「さっきのユリちゃんの話の人・・・?ホントの話なんですか?」
「いや・・・・違う。とにかくこれまで、ステロイド離脱症状を繰り返していた可能性がある」
「その川口っていう先生・・手に負えないからこの病院に廻してきたんでしょうか」
「それもありうる・・しかし薬の徹底もしてなくて、何が治療目的だ!」
 呼吸はもとに戻ったようだ。しかし、今度はこちらにケアが必要だ。

「坂本さん、悪いが・・ああいう事態のときはのんびりせず、救急カートでも用意して、セルシン用意するぐらいのことはして欲しかったな」
「え?セルシン・・ジアゼパム?呼吸抑制は大丈夫なんですか?」
僕は機嫌が悪かった。
「ボケッとすんなってことだよ!」
さすがの生意気なレジデントも多少へこんだようだ。

 僕は病院の窓の外を見つめていた。

「川口・・なぜ、言わなかった・・・」

病棟ではオーベンが待っていた。須藤ナースが横にひっついている。
「ご苦労さん。大変だな、君も」
「先生も、大変ですよ」
「は?」
「い、いえ。過換気、最近多いですね」
「ああ。しかし参ったなあ。薬を飲んでくれない。治療に協力的でない患者は・・」
「退院すべきでしょうか」
「両親の同意がない。これでもし家に帰して・・」
「そうですね。こちらも不利になる」
「というか、彼女、心を開いて話せる相手が・・欲しいんじゃないかな」
「心を、ですか」
「うちの病院は見ての通りだ。ナースの勤務はかなり過酷なほうだし、話し相手になってるヒマはない。両親は仕事、仕事だし」
「・・・・・」
「須藤ちゃん、君でもダメか」

 ナースも困っていた。
「私には、そんな力は・・」
 オーベンはゆっくり何度も頷いた。
「ユウキ先生。実はユリちゃんは、君をかなり頼ってたんだ」
「主治医ですから・・」
「ではない。本当に君自身をだ。正直、君に惚れてるのかと思うぐらい」
「・・・?」
「でも君は、あの朝、突然病院に来なくなった」
「あれは・・」
「仮に病気としてもだ。君のカルテを見てると、ちょうど結果説明をすることになってた」
「ああ、採血の・・」
「たかが採血、されど採血だ。彼女はその報告を今か今かと待ってたらしい」
「CRP・・RNP抗体・・・」
「そうだ。でも君は来なかったんだよ。彼女は結果が心配になった。それで次の日、伊藤が欠勤の理由を説明しようと部屋に行ったら・・」
「見つかったんですね、飲んでなかった薬が・・」
「ああ。まあ判ってよかったことかもしれないが・・・でもあれ以来、彼女は変わってしまったな。発作も増えた」
「・・・」
「大学に問い合わせたら、そういうことは何度もあったと研修医がペラペラ喋ってくれたよ」
「・・・僕のせいなんでしょうか」

 須藤さんが固い表情でこちらを見つめた。
「当たり前じゃないの・・・!」
 オーベンは制した。
「誰のせいか、と話し合うことじゃない。それで何になる?今必要なのは、彼女を如何にして治療に専念するようにするかだ。両親を呼んで・・」
「結局それですか・・・」
「なんだと?」

 詰所の中が凍りついた。大学教授のあのときの回診と同じ空気が流れた。

「おい、ユウキ君。もう一度言ってみろ。君はそれでも医者なのか?」
 ドラマならここで僕もあれこれ能書きを述べる出番なんだろうが・・・。言葉にはならなかった。
「ユウキ君!」

 他の患者のコールなどあり詰所が忙しくなってきたため、この沈黙は破られた。オーベンも病室へ向わざるを得なくなった。

 このストレスを抱えながら年末当直へ突入したくない。

 年末体制で比較的ヒマな病棟をあとにして、僕は路駐していたシビックのエンジンをかけた。擦り切れたワイパーの音の向こうに、ネオン街が見える。
あそこを通り越して抜けていけば、大学病院だ。

「川口、なぜ言わなかった!」
 勢いよく急発進したマシンは、ジグザグ的な走行で車をかわし、一路、大学病院へと向っていった。どうもあの事故から車の調子が悪く、加速がイマイチ。
ギアの連携もぎこちない。しかし、修理に出している暇はなく、金もない。もし自分が病気なら・・むしろ知りたくないという心理に似ている。

 そういえばクリスマスだったんだ。ちっとも知らなかった。今ケーキ買えば、安いんじゃないか?そうか、つい最近伊藤に交代を頼まれてしてあげた当直・・あれ、
クリスマスイブだったんだ・・・。あいつも噂では病棟の看護婦と。ズルイ女・・いや、男。

『バイバイ、ありがとう、サーぁよおならぁー』

 車は大学病院のスキスキの駐車場に到着した。しかしめんどくさいので、やっぱり玄関前に止めた。

『あんたちょっとイイ女だあったよぉー、だけど・・』

 ズルイ女め・・。

 まず病棟へ上がった。夜の医局は院生が牛耳っているし、ヘンな雑用の手伝いをさせられる可能性が高い。プライマリケアが肝心だ。
病棟は真っ暗。詰所は明るいが誰も居ない。准夜勤が部屋周りしているのか。カンファレンスルームも誰も居ない。
 しかしプルルルル、という患者からの呼び出しは鳴り続けている。
「もーしもーし!」
 まだプルプルは鳴っている。レジデント1年目ではよく取った受話器だ。仕方なく受け取った。
「はいよ!」
「点滴、終わったよー!」
中年男性だ。
「はい。看護婦さんに伝えておきますー」
「トイレ行きたいんや、トイレ。はよう抜いてえな」
「いや、でも」
 返答はない。どうやら・・
「探すか!」
 看護婦を探しつづけた。どの部屋も・・静かで真っ暗だ。休憩室も・・・いない。仕方なく、中年男性の部屋へ。
「すみません、人がいないようなので・・」
「ああすんまへんなあ、大学の先生でしょ」
「先生ってわかりました?」
「私服やったらもうあんた、大学の先生ですがな。それと疲れきった顔!」
「疲れてますか・・」
「ありがとうー」

 帰り際、看護婦がトイレから出てきた。彼女は眼を丸くした。この看護婦は新入りのようだ。
「ま、待ってください!誰ですか!」
「あ、これ・・?点滴、抜いてくれって・・」
彼女は僕の腕をつかんだ。
「しゅ、主任さあん!知らない人が・・!」
「ちょっと待ってくれよ・・・!」

<つづく>

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