『アレを注射したらどうだ・・・』

「・・よし、プリンペランで!用意を!」
 プリンペランを静注。しかし・・・同じだ。

『アレを入れるのは・・・』
「胃管チューブを」
チューブは喉にようやく入った。モゾモゾと動かしたが・・・
「へえっくしょい!ヒック」
くしゃみをまともに浴びただけだった。

「オイ先生!そんな軽症にかまうな!まだ30冊はある!」
 佐々木先生の怒りをよそに、事務はカルテ10冊分の束をドカッと積み上げた。
「何だよオイ!」
「い、いえ。私らは・・」
 確かに関係ないよな。佐々木先生はかなりハイパーテンスだ。

「ヒック・・次はひっく・・どうしまんおヒック」
 とりあえず下がってもらうことにした。
「つ、次の方を!」
「44歳女性。里帰り中に嘔気」
「妊娠じゃないだろうな」
「外来の外で4回吐いたそうです。これが・・」
「うわっ!そんなの、近づけるな!」
 ナースはホイホイとこれ見よがしに吐物入りの袋の口を開けていた。
 思わず鼻をつまんだ。
「血は混じってないですねー」
「入っへもはっへよ!」
「・・・気分が悪くて。船酔いで」
「いちおう検査を・・・結果出るまで点滴して待ちましょうか」
「おぷっ」
「あーあー!」
 白衣をつかまれ、その中に吐かれた。

12/31の夕方。患者数は衰えるところを知らない。
佐々木先生30冊、僕は25冊、といったところだろうか。
「ユウキ先生、とりあえず問診表を見て、重症をまず診察・検査!カゼとかは待たせてまとめて、速攻で診ろ!」
「は、はい」
「自殺企図の薬物中毒が来るらしい!オレが診る!」
「救急車ですね。いったい何を?」
「農薬という話だ。看護婦さん、経鼻チューブ!胃洗浄の用意を!逃げずにちゃんと手伝ってくれよ!」
「農薬・・・こんな年末に」

「59歳男性!息切れです」
「SpO2 90%か・・・喘鳴が聞こえるな。気管支喘息か、心臓喘息か。検査して鑑別を・・」
『既往歴は聞いたか?』
「問診表には書いてないが・・・あのう、今まで何か病気は?」
『誘導尋問だ』
「あ、そうか。あの、今まで気管支喘息とか、心不全とか・・」
「いや、そんなんはない」

『尋問が足りない・・』

「そうかな・・あのう、スプレーもらったりとかしました?あと、体に貼るような・・、舌の下に含むような薬とか」
「ニトロやったらあるな」
「よし!」
「?」
「狭心症と言われたんですか?」
「ああ。言われてた」
「カテーテル検査を?」
「いや、近くの開業医ですぐに診断された。検査はなんもせんのにな。胸がドキドキした、というだけでね」
「なるほど・・」
 開業医で診断された「狭心症」ほど曖昧ミーなものはない。
「あのう、それはいつの話で?」
「2週間前。ドキドキは今もあるけどな」
 脈は・・・今は飛んでない。
「飲み薬は・・」
「持ってきとらん」

『情報は、可能な限り当たれ・・』

「もしもし、クリニックですか?年末もされてるんですね。助かります。処方のファックスを」

5分後ファックスが来た。
「βブロッカー・・・これか!」
投与量が通常の2倍を越えていた。そういや徐脈ぎみだ。レントゲンでは心拡大。胸水もある。
患者は少し息が荒そうだ。
「急性の心不全です。入院を」
「それは無理や。今日の晩の便で東京へ行かなきゃならん」
「しかし、それは・・!」
「年末でも、会議なんや。わしが倒れたら、従業員の連中を路頭に迷わすことに」
「それは・・できません!」
「わしの命や!わしの!さあ、点滴でもしてはよ治してえな!」
「点滴したら、よけいに・・!」
「そこの開業医はいつでもしてくれたぞ!今日もな!デカイ奴を!そしたら大きな病院行ったらもうちょっとマシになると」

 なんて医者だ!

「仕方ない。今から点滴します。注射もね」
「そ、そうか」
「看護婦さん。5%TZの点滴をかなりゆっくりで。側管からラシックス1アンプルを注射」
 ナースは驚いた。
「ここで?先生、病棟でしないと」
「だって入院無理だって言うし!」
「家族を説得してよ」
「家族への連絡先は教えてくれないんだよ!」
「帰らせましょうよ」
「そんなことしたら、従業員が・・」
「あたしらも従業員ですけど」
退職金目当ての、だろ。

 院内ポケベルがいきなり鳴り出した。

「どうしてポケベルが鳴るんだ?もしもし・・・病棟?わかった」
 佐々木先生が自殺企図患者の胃洗浄をしている。チューブからの排液はかなり白い。
「どうしたんだ?」
「急変です。さっきの・・」
「モチ詰まらせた肺炎か?」
 急いで病棟へ。12階のエレベーターはタッチの差で閉まった・・ちょうど上に上がったところだ。

階段で登った。しかし、思うように駆け上がれない。足が重い。足の裏が痛い。途中で立ち止まった。
喉も渇いた。トイレも行ってない。腹も減った。今は夜の・・・8時だ。よく死なないな。

 やっと呼吸器病棟へ。とたん、ポケベルがまた鳴り出すが、無視。

 重症部屋に入ったところ、看護婦が何やら押し込んでいる。
「何を押してるの?」
「ああ先生、やっと来た」
 その看護婦が押し込んでいるのは挿管チューブだった。
「何で押し込むの?」
「いったん抜けそうになったんですよ、だから」
 聴診したが・・・どうも肺に空気が入ってない。ゴロゴロという音はする。信じたくはないが。
「呼吸器からの空気は・・・口から出てるよ!」
「どうしてですか?口からチューブ、入れてるのに」
「気管から抜けたんじゃないのか?そ、それ以上入れるな!」
「15cmも入ってません。でもこれ以上入りません」
「食道に入ってるんじゃないのか?それでSpO2が下がって・・」
 僕が呼ばれたんだ。
「どいてくれ!ったく!ここの看護婦は・・!ホントに呼吸器病棟かよ?」
「重症は久しぶりなもので」
「うるさいな!」

 また挿管しなきゃいけない。チューブは痰や唾液でビチビチだ。
「チューブを新しいのに!」
「はあ・・・」
「早く貸せ!」
「先生、家族への説明は?」
「今できるか、そんなの?」

 吸引してもらい口腔内を覗くが・・・。

「ダメだ、声門が見えない。この喉頭鏡なんだ?点いてないぞ!」
「電池、電池・・・」
「モニターはどこだよ?」
「今、つけます」
「脈がふれてないぞ」
「電池、取ってきます」
「待てよ!どうしてくれんだ!」
「挿管チューブ、入りましたか?」
「入らないんだよ!」
「安部先生は気管支鏡使われてますが」
「オレはまだできないんだよ!・・・ダメだ。佐々木先生に連絡を!」

 ダメだ。胃に入ってしまう。アンビューで聴診してもグル音だ。手が震えてきた。
オーベンのフォースも聞こえてこない。
 看護婦が入ってきた。

「先生、佐々木先生は救急で手一杯だと。そちらには行けないそうです。救急室をドクターなしにはできないと」
「くく・・ならば・・・」
『先生、発想を変えろ・・・』
「・・・こちらから行くまでだ」
「ええっ?ストレッチャーで救急室へ戻るの?」
「さあ、行こう。移すぞ、1,2・・・!」
 ボスミン追加の上、僕はストレッチャーの上に乗ってアンビューを押し続けた。

救急室へ到着。佐々木先生は驚いた。
「なっ?」
「すみません、先生。挿管、お願いします」
近くで横になっている自殺企図の患者・・・あいた口が塞がらない、といった表情に見えた。

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