「先生、わしはもう楽になったから、帰るからな」
 心不全の患者だ。
「どうしても、帰られるんですか・・・」
「わしが帰らんと、従業員が・・」
 またか。仕方ない。トラブルにならないよう、カルテにはきちんと記載しておこう。
夜11時。新年まで1時間。患者の勢いは止まらない。
「くーっ・・・ふああ」
あくびも出た。偶然か少し離れた佐々木先生もあくびしている。
「ふああ・・ユウキ先生よ、挿管チューブは入ってたか?」
「ええ、レントゲン確認しました。ありがとうございます」
「自殺企図は仕方なく、隣接の病院に送ったよ」
「そういえばいませんね」
「もう重症の入院は取れないな。脳外科とか他の病棟にお願いせんかぎり・・」
僕は診察室へ戻った。カルテはまだ30冊くらいある。佐々木先生もまだ20冊くらいあるようだ。
「次の人・・・」
紹介状つきだ。しかし日付は2週間前。
「先日、一過性の麻痺が出現・・・・TIAってことか?引き続きご加療をお願いします。脳外科あて?」
ナースが覗き込んだ。
「センセ、うちは脳外科はオペ適応のときのみコールですから」
「今回は症状が?」
「片側に力が入らないと」
「おい、それ!脳外科が診たほうが・・」
「まずは救急のドクターが診るという原則です」
「・・・・じゃ、入ってもらおうか・・・」
 60歳男性。車椅子。
「いはん。みひへにひからがはいはん」
 構語障害もあるようだ。症状の再発は3時間前らしい。
「まず、頭部のCTを・・・あ、待って!」
 脈をみる・・・afではないようだ。

「センセ、腹痛が増えてきましたね。これも。38歳男性」
「入って」
 不機嫌そうな肥満男性だ。
「みぞおちが・・イテテ」
「食事したあと?」
「ああ、特にね」
「みぞおち・・ここ?」
「イタッ!だからそこだって!」
「検査を・・・」
「オイ先生よ。この痛みをまずなんとかしてくれよ!」
「は、はい。では・・・看護婦さん、ペンタジンを!」
「はい」

「また腹痛。53歳男性。イレウスで入院歴あります。今回もイレウスだそうです」
「なんで分かるんだよ?」
「入ってもらいます」
 これまた苦い顔をした男性。
「また起こした。症状で分かる」
「吐き気は?」
「吐き気はないが、ムカムカする」
「・・・便は出てます?」
「昨日出た。ウサギの糞みたいなのがな」
 ウサギの糞・・・・。
「検査に行きましょう・・・次!」

「先生、いつになったらわしの・・ヒック」
「ああ、すみません。忘れてました」
「ヒック・・これでどうやらヒック、年越さないかヒック・・」
 ナースが入ってくる患者を押し戻した。
「勝手に!はいらないで!ください!」
 ・・今のでびっくりして止まってないかな・・・。

「一度来た患者です。21歳女性、下腹部痛」
「いっぺん帰ったのか?」
「検査に行ったんですが途中で帰ったんです。また痛くなったって」
「検査結果は・・」
「佐々木先生が骨盤腹膜炎を心配されてました」
「こ、骨盤腹膜炎・・・怖そうだな。でもよく分からん。とにかく婦人科の先生に相談だ」
「ですね。こちらから呼びましょうか」
「ああ、ただし佐々木先生がそう診断していた、と伝えてよ!」
「分かりま・・・きゃあ!」
 いきなり若い男が乱入してきた。
「おいコラ先生!あんだけ検査しといてどういうつもりや!こっちはマトモに年、越せんやないか!」
 ヤクザの兄ちゃん風の男は至近距離にまで接近してきた。
「い、今・・その、婦人科の先生を呼んでます」
「あにィ?」
「骨盤の病気を疑ってまして・・」
「どういうことや?オレが関係しとるってのか?おお?」
「はあ?」
「ど、どれくらいでようなるんや」
「それはその先生に・・・」
「アカンアカン!診断はどうでもええから、とりあえず痛みだけ止めたってえな!」
「まず診断を・・」
「本人が困っとんがな!ほんで骨盤なんちゃらのほうは飲み薬でも出してくれえな!」
「ダメです!」
「なんやとコラア!」
 兄ちゃんはイスごと僕の足を蹴り上げた。2、3発。
ナースが飛び上がった。
「け、警察、警察ぅ!」
 兄ちゃんは反射的に診察室を飛び出した。

 外を見ると・・女性も消えている。

 後ろから佐々木先生が呼び止めた。
「おいユウキ先生!勝手に持ち場を離れるな!」
「え、ええ」
「ペンタジンを注射した患者だがな」
「はい」
「診断も固まりかけてないのに、ああいう処置は困るんだよ」
「ええ、しかしかなり痛そうで・・」
「本人は症状マシだと言ってるが」
「そうですか、よかった」
「よくないぞ。確かに血液検査では炎症所見はないが。食後のため画像上、胆石が除外できてない」
「胆石の可能性が高いんですか」
「もし胆石なら、今の処置は単に痛みをごまかしただけだ」
「注射を間違えたんでしょうか・・」
「胆石の痛みと目星をつけたら、ブスコパンのほうを選ぶべきだ。君の好きな、アレを合併してなければな」
「イレウスですか」
「ああ。この患者、ペンタジンの効力が切れたらまた来るかもな。さ、戻ろう」

ナースが積みあがったカルテを上から押し押ししている。
「先生、15冊ほどありますので」
「わかってるよ」
「紹介が3人ほど」
「開業医って・・・!年末は手放しかよ!」
「さあ、私たちにはそれは・・」
「じゃ、次!」
「センセ、さきほどのしゃっくりの方が・・」
「入れるなよ!」

「開業医さんからの紹介。息切れです」
「SpO2 96か。タバコ吸ってます?」
 聞くまでもなかった。71歳やせぎみの男性のポケットにタバコの箱が。
 肋骨がハッキリするくらい痩せてるな。ひょっとして。
「咳・痰はけっこう以前からあったのでは?」
「ああ、まあ多少はな」
「タバコは何年?1日何本?」
「50年・・・1日40本かなあ」
 50 X 40 = 2000 か。 B.I. >400 で、肺癌の高リスクだ。
「先生、そのさっき指先で測ったやつ。開業医さんでもいつも95はあるんだ」
「それはあくまでも酸素なので・・・看護婦さん、血液ガスを」
 二酸化炭素が知りたい。たぶんCOPDのような気がする。

「53歳男性のイレウス再発疑い、その人の写真がこれです」
「小腸ガス、二ボー付き。典型的イレウスだ。入ってもらって」
「失礼します。あ、イレウスになっておる」
「よく分かりましたね?」
「そりゃアンタ分かりますわ。何回も入院してるのに。それに」
「それに?何です?」
「わしも医者やからのう」
「はあ?そ、そうだったんですか?」
 職業を医者と聞いて態度がコロッと変わることは珍しくない。
「絶飲食で、点滴は1日3リットル。軽症の部屋に入院です」
 その医者、いや患者は待ったをかけた。
「わし心不全になったことあるから2.5リットルでね。ガスターも入れてや。抗生剤はホスミシンでお願いな」
「え?ああ、はい・・・」
「胃チューブ、あれはわし必要ないから。正月三が日は経過をみることにする」
「え?しかし」
「内科の松本部長はわし知り合いやから、年明け朝1番に診てもらうな。アイタタ」
 とても同業者と思えないその医者はそうやって自分で指示を出し、診察室を出て行った。

佐々木先生がヅカヅカやってきた。
「おい先生、今年もよろしくな!」
「はあ?」
「今、新年になったところだ。おめでとう」
「はい!おめでとうございます!」
「お、おい。小さな声で!」

 大晦日の救急にはその言葉は「禁忌」だ。

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