肺癌の高リスク患者の胸部CT・・・肺気腫だ。血ガスではpCO2 54mmHgでO2 67mmHg。
佐々木先生もデータを眺めた。
「ほう、pH 7.34か。アシドーシスでなくて良かったな」
「でもアルカローシスも怖いですよ」
「そ、そうなのか。ま、専門じゃないからな、俺は・・・」
 アルカローシスの怖さはまたいずれ触れることになる。
「内服処方の上、呼吸器外来受診。HOT適応について検討してもらいます」

佐々木先生はほとんどカルテを終えたようだ。
「さあて、初詣の客がこれから事故ったりするんだよなあ。まあ隣の外科救急が見るからいいが」
先生はカチャカチャと後片付けをし始めた。悪い予感。
「じゃ、一段落ついたことだし」
僕はカルテがまだ10冊はある。
「そろそろ・・・」

僕も今度ははいそうですか、と言うわけにはいかない。
「先生、申し訳ないのですが」
「ん?」
「こ、交代で休むというのは・・・?」
「休む?誰がそう言った?」
「いえその、今から先生・・」
「トイレへ行くんだよ」
「トイレ?」
「小のほうだよ。お前も行くか?」
「ええ。後で。せ、先生先にどうぞ」
「トイレ行ったら、ちょっとタバコでも吸ってくるかな・・」
「ええ、どうぞ」
「じゃ・・・」

 機嫌よく先生は廊下へと出て行った。

 残りのカルテをザッと見ると・・・いいぞ。軽症っぽい。

 事務の人間はウトウトしている。救急も途絶えたか。

 横にしゃっくりしてる人がいる・・そうだった。
「すみません、忘れてました」
「先生、さっヒック・・・の開業医の先生と話したんだが」
「イレウスの・・・ええ、それで?」
「カキのヘタというのをヒック、飲めって」
「カキ?」
「どうも漢方みたいヒック、やねん。この病院の薬局ヒック、からそれもらって、飲んでみるわ」
「そうですか。じゃ、今日はそれで・・」
「やかん貸して欲しいねん」
「やかん?」
「それとコンロはありまんのか」
「ええ。看護婦さん。病棟のコンロでも」
看護婦は細かかった。
「先生、こんな夜中に外来患者さんを上げるわけには」
「いいじゃないか?たかがやかんとコンロだぞ!」
「最近泥棒が入ったりで・・」
「何?ドロボウ?」

 あたりがシーンと静まり返った。
僕は我に返った。

「この救急室の近くにうちの医局があるので・・しょうがない、そこでお湯をわかしてきます」
 僕は医局のやかんに水を大量に入れ、その中に薬の入った袋を入れて火をつけた。
「これで、よし・・・」
 トイレも済ませ、救急室へ。

 事務員がすれ違いざま報告した。
「さきほど帰られた心不全の患者!」
「心不全・・ああ、利尿剤注射した人ね!従業員を心配してた!」
「それはわたくしたちでは理解できかねますが」
「な、なんだよ。で、それが何か?」
「夜8時頃、商店街で倒れました。しばらく店で休んでいたそうなんですが・・救急車でこちらへ向かうそうです」
 急いで空港へ行くって言ってたのに・・・なんで商店街にいるんだ?
「じゃ、事務員さん、ちょっと医局のコンロを・・・」
「来ました先生!」

 救急車が猛スピードでやってきた。現在深夜の3時。佐々木先生は・・予想通り行方不明だ。たぶん爆睡している。

救急隊が入ってきた。
「意識はあります。近所の店で休んでいて、そのまま崩れるように倒れたとのこと。血圧88/44mmHg。SpO2 84%。お願いできますか!」
「ええ、帰っていいですよ」
「あれ!上の先生は!」
「下の先生で悪かったね!」

 患者がベッドに移され酸素吸入。看護婦が血管を探す。
「さっきも分かりにくかったけど・・・ないわね」
 僕はエコーを準備した。
「ないって何が!」
「血管です。先生も探してください!」
「こっちはエコーだよ。こりゃ全体的にハイポだな。動きがかなり悪い。やはり利尿剤1本では・・・」
「先生やっぱりダメです!あきらめます!IVH入れてください!」
「そ、そけい部からだったら出来るけど・・・」

 そけい部を見ようとしたが・・・。
「白癬か、これ・・・?よくこんな、放っておいたな」

『ここからは刺すな。感染の危険が大きい』
「しかし、ここからのほうが・・肺を刺したくない」

『循環器なら鎖骨下からだ』
「あ、ああ。やってみよう。独断で成功したことはないが・・看護婦さん、IVH準備」

 消毒2回。手袋。穴あき布。
「注射器10ccの2本。それから・・・」
 言わなくても次々とピンク針、23Gブルー長針が渡された。
「1%キシロ、それから生食を」
 それぞれの注射器に麻酔、生食を吸う。
「・・・・・どっちが麻酔だったかな」

 辺りが凍りついた。
「ゴメン、注射器、最初から・・・・よし、こっちは麻酔!いきます!」
 看護婦は冷淡に覗き込んでいる。
「よし、返ってきた、血が!今のは・・静脈血だよね?」
 看護婦は無関心に覗き込んでいる。
「たぶん静脈血だ。じゃ、穿刺します」

『穿刺の方向は確認したか?』
「・・・・・もういっぺん、麻酔を、と・・・この方向だな」

向こうの看護婦が大声で叫んだ。
「センセ、しゃっくりの人がまだかって」
「しゃっく・・・そうだ、お湯!お湯!」
 付いていた看護婦が眉をしかめた。
「お湯!やかん!やかん!誰か・・・!」

周囲はしらけムードだ。

 手が震えた。方向を定めて穿刺したが・・・。
「よし、返ってきた。ちょっと赤いかな・・・じゃ、内筒を外すよ。用意はいい?」
「はあ・・・。ずっと待ってるんですけど」
 内筒を外すと即座に勢いのよい動脈血がピュ−ッと看護婦めがけて飛んできた。
「ぎゃああ!」
 僕は反射的に止血した。
「おおっと・・・!うーん、こっからは・・・どうも・・・・・うーん・・・・うーん」
 看護婦ら2人は僕を取り囲み、プレッシャーをさらにかけてきた。

『男なら、潔く・・手を変えろ』
「手を変える?」
『鎖骨下からの自信がないのなら・・・』
「そうだな。右内頸静脈へ変えます。手袋外してやり直し。いったん不潔にするよ!」
 奥から残り1人のナースが現れた。
「えっ、まだ入ってないの?」
「うるさいなあ!」

『ユウキ、意識は指先に。フォースを指先に集中しろ』
「そ、そうだ。自立訓練法だ。指先が温かくなる、温かくなる・・・」

 僕なりのフォースの高め方だ。

<つづく>

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