週末は行きつけの飲み屋へたむろした。野中を誘った。
「オバちゃん、こんにちは。お客さんをもう1人連れてきたよ!」
「ああ、ユウキ先生!元気かい?野中先生も!」
 僕と野中はスキスキのカウンターに腰掛けた。
「僕は・・ジントニック。野中は・・」
「モスコミュール」
 店の中が少し寂しい。そういえば、いつもオバちゃんの横にいた女の子もいない。
「最近は景気が悪くてねえ・・・あんたらはいいよ、その点」
 僕はかなり気をつかった。
「こっちは大変だよ。バイトはほとんど禁止だし。部屋代と光熱費を出したらほとんど残らない」
「バカいうな。俺のほうはもっと悲惨だぞ」
 野中が言い返した。
「ユウキはいいさ、しばらく大学に戻らないんだろ?これから給料は上がっていくさ」
「しばらく、って・・戻らんよ。永久に」
「そうはいかないって」
「大学だって時間外のバイトでかなり儲かってるだろ?」
「上の院生はね。月80万って先生もいる。休み全くなしでね」
「よその病院で臨床の修行してるのかい?」
「まさか。寝当直だよ。俺たちに廻ってくるのは山奥の健診や献血車ばっかだよ」
「・・・臨床はやってるか?」
「院生になって、ほとんどやらなくなったな。カンファレンスには出てるけど。たぶんお前のほうが出来るだろな」
「いや、そんなはずはない。野中や川口らのほうがよほど・・・」
「グッチか。彼女はもうティーテル取れそうだな」
「学位を?」
「ああ。バックアップもいいしな。手取り足取りだしなあ・・」
「手取り足取り・・・?」
「松田っちを大学から追い出して、そのデータをすべて彼女に提供したんだぜ」
「だ、誰なんだよ、それ」
「そいつ多分、グッチに気があるな・・・」
「あそう、まあいいじゃないか」
「お前のために言ってやってんだぜ」
「こ、困るな・・」
「そうだ。困っただろ。さあ、どうする?彼女をそのままそいつに取られるか・・・」
「誰だよそれ。その提供した先生は」
 オバちゃんがなんか嫌そうな顔をした。野中が横目で察したようだ。
「ま、俺が言いたいのは・・・女は待たせたら、冷めるってことだよ」
「・・・・・・」
「どうでもいいなら、早く昔の女とヨリを戻せ。今のオーベンの女に見とれてる場合じゃねえぞ」
「野中、それ、どこから・・・」
「ああもう、話変えよう」
 オバちゃんの動きが止まっている・・。大学の情報ってのは意外と飲み屋とかに眠ってるからな。
特に人間関係。みんな様々な憶測や嫉妬、悪口をここでばら撒く。
 オバちゃんが近寄ってきた。
「ねえあんたら。マジで・・お客引っ張ってくれないかい?」
「え?客引きを?」
「そうじゃないよ。あんたらの知り合いとかこの店に連れてきてほしいんだよ」
「お客・・・少ないの?」
「ダメなんだ。最近は2次会とかがメッキリ減って。カラオケボックスとかに客取られてるんだよ」
 オバちゃんは必死だ。
「大学はねえ、最近いろいろ不祥事があったりでね。医局がらみで来る事がなくなったんだよ」
「不祥事。ああ、接待とか厳しくなってきたもんね・・・」
「あたしも借金抱えてるしさあ」
 あまり関わりたくないな・・・。
「アンタら、ちょっと前借りできないかな?」
「オバちゃん。野中も僕も今は慢性金欠病だよ」
「ちょっとでも貸してもらえないかい?」
 どうしたんだ?オバちゃん・・・。いつもと違う。
 野中は立ち上がった。
「オバさん。それはルール違反だろう?」
「あんたらの力が借りたくてね・・」
「昔からの知り合いがいるだろ?僕ら貧乏人にお願いするのは間違ってる。まだ5年は早い」
「じゃあせめて、誰かまとめて連れてきておくれよ・・」
「それがルール違反なんだ。ユウキ、お前・・店、選べよな」
 僕は戸惑った。
「オバちゃん、分かった。周りの人間誘ってみるよ。明日からあたってみる」
「ユウキ先生、頼むわ。マジで。期待してるよ」
 
 妙なことを引き受けてしまった。しかしあの温厚なオバちゃんが・・・。ショックだ。
とりあえず僕らは店を出た。凍えるように体を萎縮させて歩いていく。
「ユウキ、お前。あまりあんな奴と関わるな」
「大学の人間か?」
「違うだろそれ。それにしてもお前は大学に対して、偏見を持ちすぎてる」
「・・・・・」
「松田っちが大学辞めて、どこ行ったと思う?自分で雑誌の広告見て民間の病院に面接に行ったらしい」
「広告か。年収2000万とか、ああいう?」
「ああ。手取りはその3/4だがな」
「それで?」
「老人病院だ。大学のしばりはないが、あくまでも経営者主体の病院だ」
「経営者が・・問題でも?」
「まともな臨床はさせてくれず、経営第一主義。寝たきり老人に、心カテ、ペースメーカー・・・」
「それで儲けてるのか?」
「そういう病院は多い。それを良しとしている医者もいる」
「抜けられないのか?」
「経営者の方針に従わなければクビだよ」
「そんなの評判悪いだろう?」
「分かってないな。だから広告で釣るんだよ」
「・・・・・」
「お前を見てたら、なんか心配でな」
「すまんが野中。もう帰る」
「怒ったのか?相変わらず気が短・・」
「じゃあな」

 僕はタクシーを拾った。
「商店街を抜けてください」

 タクシーのソファにぐったりもたれ、ため息をついた。
「お客さん、かなりお疲れですね」
「え?ええ・・・」
 かなり疲れた。ユリちゃんの助言に従ったつもりだが。

 語り合える医者は、もう・・・いないな。

心のオーベンにつぶやいた。

「アイツが最後の希望でした」

『いいや、まだ他におる!』



<つづく>

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