< レジデンツ・フォース 13 いいわけ >
2004年4月17日 連載 昼の平日、伊藤と僕、坂本は昼食をいつもの食堂で終えて、長い廊下を歩いていた。
年月が経つにつれ、言葉遣いも馴れ合いになってきたのは良いことだ。診療がスムーズ
に運ぶ。
「ユウキ、山ザル先生の病院からのお呼びは?」
「山城先生の病院?気が滅入るなあ、その話題。そこのレジデントはノイローゼになってるらしいんだが。重症患者のことがあるので任期が延びてる」
「山城先生の独断でか。大学が任期を決めるんだろ、本来は?」
「君の大学病院はどうか知らんが、大学以外でも主導権を握っている病院ってのはあるんだよ」
「人事に口を挟めるってわけか」
「でもなあ、重症患者がまだ片付かないからって、まだ病院に引きとどめるって・・・よく問題にならないな」
「そのうち誰か死んだりして問題になったりしてな」
「誰かって・・僕のことかよ?」
「さ、さあ、私では分かりかねますが・・・」
「こいつ!その言葉、イヤだって言ってるだろっ!」
僕はふざけて彼の首を掴み、揺すった。坂本が呆れている。
「なーんか、もーいいかげん大人になってほしーなー・・・」
彼女の研修も2月末で終わる。あと数日を残すのみで、心はもうここにはない。
「さ、総回診だぞ」
吉本先生が全員を揃わせ、回診を始めた。部長は今日は出張でお休み。
「Unstable APで54歳。主治医は伊藤か」
「はい。ニコランジルの点滴で症状は改善しています」
「じゃ、カテーテル待ちか」
「はい。予想は?どこの病変を?」
「エコーでは後壁の動きが悪いような・・」
「悪いような・・・って表現はないぞ。なんとかなカンジ、とかそういう言い回しもな。最近の若い奴に多いな
あれたしか・・・パヒーかいうグループだったよな、そのような・・・」
みんなクスクス笑い始めた。緊張の合間に自ずとこういうリラックスムードが出てる職場は魅力だ。
「次は・・・ユウキ先生か」
「誤嚥性肺炎の患者。低ナトリウムあります」
「輸液・・ナトリウム多いな。それと利尿剤か。ひからびてないかい?」
「確かに浮腫はありませんが、これは・・」
吉本先生はカルテを覗いた。
「SIADH?確かか?」
「はい、血中浸透圧<尿中浸透圧ですし」
「しかしナトリウムは今でも124mEq/Lと低いままだぞ」
「デメクロサイクリンを追加しようかと」
「抗生剤がナトリウムを上げる?どういう機序で・・・?」
坂本が待ってましたとばかりに前進してきたが・・・
「ああ、もういいもういい、僕も調べとく。坂本くん、ようく分かったから」
「あたし、まだ何も喋ってませんが・・」
循環器の医者は、とかく長い話を嫌う。
「次もユウキ先生か。労作性狭心症」
吉本先生は高価な黄金聴診器を患者の胸に密着させた。
「・・・で、ユウキ先生。病変はどこが疑われる?」
「病変・・・責任病変ですね・・運動負荷心電図がこれです。II・III・aVFでST低下が2mm以上あります」
「エコーのほうは異常なしか・・・うん、で?」
「右冠動脈かと」
「そうなの?」
「後・下壁の虚血でないかと」
「どうして分かるの?」
「え?だって・・・II・III・aVFだから・・・」
「心筋梗塞のST上昇だったら分かるがな」
「え・・ええ」
「君はレジデント2年目か。まだ分かってないな。週間ジャンプばっかり読むからだ」
「は、はい」
「運動負荷試験というのはあくまでも定性試験なんだ。部位特定はできない」
「そ、そうだったんですか」
「おいおい。STが下がる誘導はR波が高い誘導なのだ。だからR波の高いII・III・aVFが下がったんだよ。しかし、こんなことも・・・」
「申し訳ありません・・・」
後で聞いたが、意外にもほとんどの医局員が知らなかった。
みんな詰所へ入った。オーベンが近づいてきた。
「そろそろ僕のほうも転勤の準備をしなきゃならん」
「先生、それに結婚式も。内科学会は?」
「行かない、というより行けないよ。新婚旅行もあるしね」
「大変ですね・・・転勤後は帝大へ?」
「ああ」
「須藤さん、いや、奥さんもそこへ?」
「知らないのか?彼女はもう辞めたよ」
「そ、そうなんですか」
「・・・なんか、伝えておこうか?」
「いえ・・美男・美女カップルで何よりです」
「しかしな、大変なんだよ、これからが」
「?」
「別れた妻・子供3人への養育費・・・これからもついて回る」
「3人?」
「大学勤務で養育費とは、痛すぎる・・・」
「しかし寂しいです。先生のカルテもお目にかかれなくなるとは・・」
「彼女から聞いたぞ、こいつ。俺の字が象形文字だと!くっくく・・」
彼女はアイドル系、オーベンはダンディ系・・・勝ち目はないや。
いい男には、かなわないなんて、言い訳だよね、あーーーーーあ・・・・・。
医局へ戻ると、手紙が置いてあった。大学・・・川口からの診療情報提供書だ。
中身はひょっとして・・・ありえない、ありえない。
「今回は紹介患者を精査・加療頂き、誠に有難うございました・・・」
何を改まってんだよ。
「ユリちゃんは治療に協力的で、症状にも改善を部分的ではありますが認めるようになりました」
なんだ、これだけか・・・。
すると、もう1枚・・メモが入っていた。
「なになに・・・先生、内科学会は来るの?会える日を楽しみにしています。私はD21会場のポスター会場で発表を・・・」
伊藤が医局に入ってきた。
「・・・何、読んでるんだ?心カテの手伝いに、そろそろ・・・」
「ちょっと待て!」
「宿泊は帝国ホテルの・・・・よし!」
「え?」
「行くぞ!内科学会!」
「え?学会?発表でも?見るだけだろ?」
「見るだけ・・・ンなわけない!」
僕の心は、もうこの病院にはなかった。
<つづく>
年月が経つにつれ、言葉遣いも馴れ合いになってきたのは良いことだ。診療がスムーズ
に運ぶ。
「ユウキ、山ザル先生の病院からのお呼びは?」
「山城先生の病院?気が滅入るなあ、その話題。そこのレジデントはノイローゼになってるらしいんだが。重症患者のことがあるので任期が延びてる」
「山城先生の独断でか。大学が任期を決めるんだろ、本来は?」
「君の大学病院はどうか知らんが、大学以外でも主導権を握っている病院ってのはあるんだよ」
「人事に口を挟めるってわけか」
「でもなあ、重症患者がまだ片付かないからって、まだ病院に引きとどめるって・・・よく問題にならないな」
「そのうち誰か死んだりして問題になったりしてな」
「誰かって・・僕のことかよ?」
「さ、さあ、私では分かりかねますが・・・」
「こいつ!その言葉、イヤだって言ってるだろっ!」
僕はふざけて彼の首を掴み、揺すった。坂本が呆れている。
「なーんか、もーいいかげん大人になってほしーなー・・・」
彼女の研修も2月末で終わる。あと数日を残すのみで、心はもうここにはない。
「さ、総回診だぞ」
吉本先生が全員を揃わせ、回診を始めた。部長は今日は出張でお休み。
「Unstable APで54歳。主治医は伊藤か」
「はい。ニコランジルの点滴で症状は改善しています」
「じゃ、カテーテル待ちか」
「はい。予想は?どこの病変を?」
「エコーでは後壁の動きが悪いような・・」
「悪いような・・・って表現はないぞ。なんとかなカンジ、とかそういう言い回しもな。最近の若い奴に多いな
あれたしか・・・パヒーかいうグループだったよな、そのような・・・」
みんなクスクス笑い始めた。緊張の合間に自ずとこういうリラックスムードが出てる職場は魅力だ。
「次は・・・ユウキ先生か」
「誤嚥性肺炎の患者。低ナトリウムあります」
「輸液・・ナトリウム多いな。それと利尿剤か。ひからびてないかい?」
「確かに浮腫はありませんが、これは・・」
吉本先生はカルテを覗いた。
「SIADH?確かか?」
「はい、血中浸透圧<尿中浸透圧ですし」
「しかしナトリウムは今でも124mEq/Lと低いままだぞ」
「デメクロサイクリンを追加しようかと」
「抗生剤がナトリウムを上げる?どういう機序で・・・?」
坂本が待ってましたとばかりに前進してきたが・・・
「ああ、もういいもういい、僕も調べとく。坂本くん、ようく分かったから」
「あたし、まだ何も喋ってませんが・・」
循環器の医者は、とかく長い話を嫌う。
「次もユウキ先生か。労作性狭心症」
吉本先生は高価な黄金聴診器を患者の胸に密着させた。
「・・・で、ユウキ先生。病変はどこが疑われる?」
「病変・・・責任病変ですね・・運動負荷心電図がこれです。II・III・aVFでST低下が2mm以上あります」
「エコーのほうは異常なしか・・・うん、で?」
「右冠動脈かと」
「そうなの?」
「後・下壁の虚血でないかと」
「どうして分かるの?」
「え?だって・・・II・III・aVFだから・・・」
「心筋梗塞のST上昇だったら分かるがな」
「え・・ええ」
「君はレジデント2年目か。まだ分かってないな。週間ジャンプばっかり読むからだ」
「は、はい」
「運動負荷試験というのはあくまでも定性試験なんだ。部位特定はできない」
「そ、そうだったんですか」
「おいおい。STが下がる誘導はR波が高い誘導なのだ。だからR波の高いII・III・aVFが下がったんだよ。しかし、こんなことも・・・」
「申し訳ありません・・・」
後で聞いたが、意外にもほとんどの医局員が知らなかった。
みんな詰所へ入った。オーベンが近づいてきた。
「そろそろ僕のほうも転勤の準備をしなきゃならん」
「先生、それに結婚式も。内科学会は?」
「行かない、というより行けないよ。新婚旅行もあるしね」
「大変ですね・・・転勤後は帝大へ?」
「ああ」
「須藤さん、いや、奥さんもそこへ?」
「知らないのか?彼女はもう辞めたよ」
「そ、そうなんですか」
「・・・なんか、伝えておこうか?」
「いえ・・美男・美女カップルで何よりです」
「しかしな、大変なんだよ、これからが」
「?」
「別れた妻・子供3人への養育費・・・これからもついて回る」
「3人?」
「大学勤務で養育費とは、痛すぎる・・・」
「しかし寂しいです。先生のカルテもお目にかかれなくなるとは・・」
「彼女から聞いたぞ、こいつ。俺の字が象形文字だと!くっくく・・」
彼女はアイドル系、オーベンはダンディ系・・・勝ち目はないや。
いい男には、かなわないなんて、言い訳だよね、あーーーーーあ・・・・・。
医局へ戻ると、手紙が置いてあった。大学・・・川口からの診療情報提供書だ。
中身はひょっとして・・・ありえない、ありえない。
「今回は紹介患者を精査・加療頂き、誠に有難うございました・・・」
何を改まってんだよ。
「ユリちゃんは治療に協力的で、症状にも改善を部分的ではありますが認めるようになりました」
なんだ、これだけか・・・。
すると、もう1枚・・メモが入っていた。
「なになに・・・先生、内科学会は来るの?会える日を楽しみにしています。私はD21会場のポスター会場で発表を・・・」
伊藤が医局に入ってきた。
「・・・何、読んでるんだ?心カテの手伝いに、そろそろ・・・」
「ちょっと待て!」
「宿泊は帝国ホテルの・・・・よし!」
「え?」
「行くぞ!内科学会!」
「え?学会?発表でも?見るだけだろ?」
「見るだけ・・・ンなわけない!」
僕の心は、もうこの病院にはなかった。
<つづく>
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