< レジデンツ・フォース 15 DISSECTION >
2004年4月19日 連載「・・・・・抜去します!」
カテーテル検査が終了。まだ冬なのに汗だくだ。帽子、マスクを勢いよく外した。
後ろで西岡先生が手を叩いている。
「そうだ。わかってきたな!」
それは、やっと・・・合格のサインだった。3月、転勤前のまさにギリギリのことだった。
後ろから伊藤が肩を組んできた。
「やったな!」
西岡先生はすぐに真顔に戻った。
「さ、次は前下行枝のPTCAだ!伊藤!早く着替えんか!」
「は、はい!」
「セカンドだからって、なめるなよ!」
術者は吉本先生。伊藤が右について補助。僕はカテ患者の止血をしながら、ガラス張りの向こうを眺めていた。
58歳男性患者が語りかけてきた。
「・・・・もうあんな血管見てしもうたら、無理やな」
「無理って・・・何が?」
「もうタバコは辞めなあかん。あれを見て悟った。あれがわしの血管なんや」
「そうですか。そう決心されたなら・・・」
「動脈硬化はこれで押さえされまっか?」
「動脈硬化を進めるもの・・・このうちどうしても防げないものがありますがね」
「タバコ辞めて、糖尿も血圧も問題なくてもでっか?」
「ええ、それは・・・加齢です」
「カレー?」
「年齢です」
「ああ、まあ年が年やからな・・・」
ガイディングカテーテルという太いカテーテルが挿入された。入れているのは・・・伊藤だ。上目遣いで必死だ。
この太いカテーテルを冠動脈入口部へ持って行く。そこを通して風船セットが入るわけだ。だからこの管は・・
太い。
「なあ先生、先生よ」
「あ、はい?」
「先生もやっぱどこか行ってしまうのかいな」
「ええ。今月末で退職です」
「なんや、もうお別れかいな」
「仕方ないです。大学の・・」
「ああ、教授の命令やな。絶対に逆らえん、逆らったらあかん。嫌われたら終わりや」
「ある意味当たってますね」
「教授さんはあんた、雲の上の人やで。あんな人に見てもらうなんて、ほんと一握りの人間なんやろな」
「え?それは・・・」
「先生もはよう博士になって完璧な医者になって下さいな」
「博士っていうのは・・」
「博士は博士やんか。100人に1人しかなれんだろ?」
こういう化石の記憶を持った人、いるよなあ・・・・。
いつの間にか、吉本先生が造影をしている。何やら、終了のようだ。バルーン拡張は終わったのか・・・?
職員が中に一斉に入り、片づけが始まった。こちらも止血が完了した。
しかし・・・中の様子が変だ。伊藤がかなりうなだれている。吉本先生も思いつめたような表情だ。
林部長が外の廊下から入ってくる。西岡先生と一緒だ。フィルムを再生している。
「西岡君、やっぱいかんだろう、早すぎだよ」
「ガイドカテならいいかと・・・」
「でも君、どう本人に説明する・・・?」
「そこは私が、なんとか説明を」
「フー・・・君のそういうところ・・・危なくて付き合ってられんな」
部長は捨て台詞を残し、廊下へ出て行った。西岡先生が悔しそうに画面を見ている。
僕は技師さんに問いかけた。
「何度も映ってる血管・・・これ、左冠動脈の・・主幹部ですよね」
「ああそうだ。造影したら、それ以降の2本に有意な狭窄」
「拡げなかったのは・・・」
「主幹部、見てみろ。造影の画像がこれだ」
「・・・よく分かりません」
「動脈の壁が剥がれてる。これがダイセク、ディセックション・・解離だよ。狭窄を作っちまった」
「作った?」
「あの太いガイドカテを、押し込みすぎたんだ。運悪く、血管にとって太い径のカテだったんだ」
「・・・じゃあ今後は・・・」
「バイパス術だろ。心臓外科の奴ら、怒るだろうなあ」
本人が一番ショックだろう。伊藤は弱気な顔のままだ。職員は次々と引き上げた。
吉本先生も手袋を外し、立ち去った。僕は伊藤の斜め後方に立っていたが・・・。
何も言葉をかけれない、この無力さ。それだけを感じるだけだった。
伊藤はそこで、静かに泣き崩れてしまった。
しかしその男泣きは、明日のための泣きだった。
僕の勤務もあと2日。入院患者はほとんど他のドクターへ申し送った。
医局に戻り、そそくさと帰ろうとした。オーベンが入ってきた。
「おう!さてさて!」
「?」
「結婚式では何を歌ってくれるのかなー?」
オーベンが後ろから肩を揉み始めた。
「いいっ?やっぱ歌わないと・・」
「歌う歌、早く教えてくれい!」
「そ、そうですね・・・じゃ、ウルフルズの・・・ガッツだぜ!はどうでしょうか」
「ガッツ・・・ほお、なかなかいいタイトルだな。看護婦さんらは、冬のファンターとか、アイムプライドらしいな。最近の歌は分からん」
「じゃ、練習しに帰ります」
「ああ、それと。2次会はどうする?」
「結婚式が夕方ですよね。内科学会への列車のチケット時刻が・・・これです。披露宴終わって3時間後に駅を出発」
「夜行か?で、次の日が学会か。申し訳ないな」
「とんでもない。先生今日で終了ですね。オーベン、ありがとうございました」
「ま・・問題はいろいろ残るが。頑張れよ」
僕は自転車で急いで帰った。引越しの準備があるからだ。
約束の時間、宅急便の人は待っていてくれた。
「こんばんは!」
「ああどうぞ、この部屋です」
「・・・じゃ、予定通り、明日搬出ということで。大阪府外ですね?」
「はい。新しい勤務地は隣県なので」
「地図はここですね。ここから2時間。夕方5時に合流して荷物の運び出しね」
「はい」
次の日の昼、病院からいったんアパートへ戻って、運び出し。不動産へ行って鍵の返却。で、また昼から勤務。夕方早めに早退して、
隣県へ車で。そして荷物を入れる。今度住むのは強制的に医師官舎となっている。で、次の日が結婚式。また大阪へ戻る。
披露宴が終わったら1時間かけて駅へ。寝台に乗れたら一段落だ。
「明日は忙しくなるぞ・・・」
ダンボール箱の海の中で大きく伸びをした。
と、セルラーの呼び出し音が鳴った。
「もしもし」
「わしや。山城や」
どうしてこの番号を?
「こんばんは」
「今、どこや?」
「ここですか、ここは・・・まだ仕事中です」
「いつ終わる?」
「申し送りがいろいろとありまして」
「だから、いつなんや?」
「夜中だと思います」
「あさって、一緒に行くぞ」
「え?」
「明日引っ越してくるんだろ。わしらのもとへ」
「は、はい」
「そこから車で行くことにしてるんや」
「車で?」
「ああ。わしのセルシオでな。運転も途中で代わって欲しいしな」
「先生、自分はもう寝台特急を・・」
「それキャンセルな。学会終わったら翌週からわしらの仲間や。一緒に行こ」
「出発日には結婚式もありまして」
「ああ、加藤な。あんなアホの結婚式なんか行くな」
なんて失礼な奴だ・・・。
「アイツは講演会で質問攻めでボコボコにしたったからな、わしが」
「・・・・・とにかく先生、自分は自分で行きます」
「ちょっと待て、みんなに聞いてみる・・・・・・・・・わかった。向こうで捕まえることにする」
「捕まえる・・・」
「東京に着いたらケータイに電話する。じゃな」
なんて感じの悪い・・・!
<つづく>
カテーテル検査が終了。まだ冬なのに汗だくだ。帽子、マスクを勢いよく外した。
後ろで西岡先生が手を叩いている。
「そうだ。わかってきたな!」
それは、やっと・・・合格のサインだった。3月、転勤前のまさにギリギリのことだった。
後ろから伊藤が肩を組んできた。
「やったな!」
西岡先生はすぐに真顔に戻った。
「さ、次は前下行枝のPTCAだ!伊藤!早く着替えんか!」
「は、はい!」
「セカンドだからって、なめるなよ!」
術者は吉本先生。伊藤が右について補助。僕はカテ患者の止血をしながら、ガラス張りの向こうを眺めていた。
58歳男性患者が語りかけてきた。
「・・・・もうあんな血管見てしもうたら、無理やな」
「無理って・・・何が?」
「もうタバコは辞めなあかん。あれを見て悟った。あれがわしの血管なんや」
「そうですか。そう決心されたなら・・・」
「動脈硬化はこれで押さえされまっか?」
「動脈硬化を進めるもの・・・このうちどうしても防げないものがありますがね」
「タバコ辞めて、糖尿も血圧も問題なくてもでっか?」
「ええ、それは・・・加齢です」
「カレー?」
「年齢です」
「ああ、まあ年が年やからな・・・」
ガイディングカテーテルという太いカテーテルが挿入された。入れているのは・・・伊藤だ。上目遣いで必死だ。
この太いカテーテルを冠動脈入口部へ持って行く。そこを通して風船セットが入るわけだ。だからこの管は・・
太い。
「なあ先生、先生よ」
「あ、はい?」
「先生もやっぱどこか行ってしまうのかいな」
「ええ。今月末で退職です」
「なんや、もうお別れかいな」
「仕方ないです。大学の・・」
「ああ、教授の命令やな。絶対に逆らえん、逆らったらあかん。嫌われたら終わりや」
「ある意味当たってますね」
「教授さんはあんた、雲の上の人やで。あんな人に見てもらうなんて、ほんと一握りの人間なんやろな」
「え?それは・・・」
「先生もはよう博士になって完璧な医者になって下さいな」
「博士っていうのは・・」
「博士は博士やんか。100人に1人しかなれんだろ?」
こういう化石の記憶を持った人、いるよなあ・・・・。
いつの間にか、吉本先生が造影をしている。何やら、終了のようだ。バルーン拡張は終わったのか・・・?
職員が中に一斉に入り、片づけが始まった。こちらも止血が完了した。
しかし・・・中の様子が変だ。伊藤がかなりうなだれている。吉本先生も思いつめたような表情だ。
林部長が外の廊下から入ってくる。西岡先生と一緒だ。フィルムを再生している。
「西岡君、やっぱいかんだろう、早すぎだよ」
「ガイドカテならいいかと・・・」
「でも君、どう本人に説明する・・・?」
「そこは私が、なんとか説明を」
「フー・・・君のそういうところ・・・危なくて付き合ってられんな」
部長は捨て台詞を残し、廊下へ出て行った。西岡先生が悔しそうに画面を見ている。
僕は技師さんに問いかけた。
「何度も映ってる血管・・・これ、左冠動脈の・・主幹部ですよね」
「ああそうだ。造影したら、それ以降の2本に有意な狭窄」
「拡げなかったのは・・・」
「主幹部、見てみろ。造影の画像がこれだ」
「・・・よく分かりません」
「動脈の壁が剥がれてる。これがダイセク、ディセックション・・解離だよ。狭窄を作っちまった」
「作った?」
「あの太いガイドカテを、押し込みすぎたんだ。運悪く、血管にとって太い径のカテだったんだ」
「・・・じゃあ今後は・・・」
「バイパス術だろ。心臓外科の奴ら、怒るだろうなあ」
本人が一番ショックだろう。伊藤は弱気な顔のままだ。職員は次々と引き上げた。
吉本先生も手袋を外し、立ち去った。僕は伊藤の斜め後方に立っていたが・・・。
何も言葉をかけれない、この無力さ。それだけを感じるだけだった。
伊藤はそこで、静かに泣き崩れてしまった。
しかしその男泣きは、明日のための泣きだった。
僕の勤務もあと2日。入院患者はほとんど他のドクターへ申し送った。
医局に戻り、そそくさと帰ろうとした。オーベンが入ってきた。
「おう!さてさて!」
「?」
「結婚式では何を歌ってくれるのかなー?」
オーベンが後ろから肩を揉み始めた。
「いいっ?やっぱ歌わないと・・」
「歌う歌、早く教えてくれい!」
「そ、そうですね・・・じゃ、ウルフルズの・・・ガッツだぜ!はどうでしょうか」
「ガッツ・・・ほお、なかなかいいタイトルだな。看護婦さんらは、冬のファンターとか、アイムプライドらしいな。最近の歌は分からん」
「じゃ、練習しに帰ります」
「ああ、それと。2次会はどうする?」
「結婚式が夕方ですよね。内科学会への列車のチケット時刻が・・・これです。披露宴終わって3時間後に駅を出発」
「夜行か?で、次の日が学会か。申し訳ないな」
「とんでもない。先生今日で終了ですね。オーベン、ありがとうございました」
「ま・・問題はいろいろ残るが。頑張れよ」
僕は自転車で急いで帰った。引越しの準備があるからだ。
約束の時間、宅急便の人は待っていてくれた。
「こんばんは!」
「ああどうぞ、この部屋です」
「・・・じゃ、予定通り、明日搬出ということで。大阪府外ですね?」
「はい。新しい勤務地は隣県なので」
「地図はここですね。ここから2時間。夕方5時に合流して荷物の運び出しね」
「はい」
次の日の昼、病院からいったんアパートへ戻って、運び出し。不動産へ行って鍵の返却。で、また昼から勤務。夕方早めに早退して、
隣県へ車で。そして荷物を入れる。今度住むのは強制的に医師官舎となっている。で、次の日が結婚式。また大阪へ戻る。
披露宴が終わったら1時間かけて駅へ。寝台に乗れたら一段落だ。
「明日は忙しくなるぞ・・・」
ダンボール箱の海の中で大きく伸びをした。
と、セルラーの呼び出し音が鳴った。
「もしもし」
「わしや。山城や」
どうしてこの番号を?
「こんばんは」
「今、どこや?」
「ここですか、ここは・・・まだ仕事中です」
「いつ終わる?」
「申し送りがいろいろとありまして」
「だから、いつなんや?」
「夜中だと思います」
「あさって、一緒に行くぞ」
「え?」
「明日引っ越してくるんだろ。わしらのもとへ」
「は、はい」
「そこから車で行くことにしてるんや」
「車で?」
「ああ。わしのセルシオでな。運転も途中で代わって欲しいしな」
「先生、自分はもう寝台特急を・・」
「それキャンセルな。学会終わったら翌週からわしらの仲間や。一緒に行こ」
「出発日には結婚式もありまして」
「ああ、加藤な。あんなアホの結婚式なんか行くな」
なんて失礼な奴だ・・・。
「アイツは講演会で質問攻めでボコボコにしたったからな、わしが」
「・・・・・とにかく先生、自分は自分で行きます」
「ちょっと待て、みんなに聞いてみる・・・・・・・・・わかった。向こうで捕まえることにする」
「捕まえる・・・」
「東京に着いたらケータイに電話する。じゃな」
なんて感じの悪い・・・!
<つづく>
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