人だかりは徐々に散らばり始めた。ポスターセッションはこのブロックに関しては終了のようだ。
司会が汗を抑えながら礼をしている。

「えー今日はみなさん大変お忙しいところをどうも、ありがとうございました!」

一同は解散した。

僕はグッチの後ろから歩み寄った。
「やあ、お疲れさん」

グッチはゆっくり振り向いた。
「・・・来てたね」
目まいがしそうだった。

自ずと僕らは渡り廊下を歩き始めた。

「昨日は来れなかったのね。新大阪駅」
なんか知らない間に、女らしい雰囲気になっている?
「でも連絡は欲しかったな」
「で・・・これからどうするの?」
「約束してる友達がいてね。いっしょに泊まることになってるし」
「友達・・」
「あ、よその大学の子でね、そ、それで」
「そっか・・で、2泊するの?」
「あ、明日帰る」
「大学の用事?」
「院生でもいろいろやることがあってね。雑用雑用!」
 彼女は目をそらし始めた。

 僕には全てが、なんとなく分かっていた。
しかし、すぐに他の考えが頭をよぎった。

「まてよ!」
 ダン!と踏みとどまる。
「どうしたの?」
「学会、もう終わるね?」
「え、ええ。一折終わる時間ね」
「まずい・・」
「え?私?何かした?」
「ロビー入り口・・・奴らが」
「奴ら?」
「奴らが待ってる」

 学会会場で充電した携帯はまだ鳴ってはいない。しかし鳴っても出るつもりはない。
長い廊下の向こうからロビー入り口を見たが、人があふれかえっている。
 これじゃ出た間際に見つかる可能性がある。

僕は本の購買のところへ行って、いろいろ物色するフリをしていた。
「何、買うの?ああ、今日の循環器の治療指針・・あたしこれ、おすすめ!」
「・・・・・」
 僕は本は眼中になく、ひたすらロビーに行きかう客を眺めていた。
「あと腹部エコーのABC、もバイブルよね。腹部エコーはできる?」
「・・・・・いや。知らん」
「でも腹部エコーは見落とし怖いよねー。心エコーならそういう心配ないでしょ」
「・・・左房粘液腫と、心膜腫瘍・・・」
「そ、そうね。心臓でも腫瘍あるよね」
 僕らの会話はぎこちないままだった。

「あ!」
「何?」
「あれだ・・・シッ!」
 例の4人・・・とネズミがロビーのど真ん中にやってきた。笑顔で何やら下品にしゃべっている。
「あれ、畑先生じゃないの?大学を出て・・」
「今はどこに?」
「山城先生の病院よ」
「そうだったのか。しかしあれじゃ奴隷だよ」
「畑先生は論文が全くできなくてね。院生だったんだけどマシなデータがでなくて。それで助教授が他の
病院の先生に頼んだの」
「それが山城先生だったのか」
「あの先生は発表とかドンドンしてるしね。院生で泣きついてる人が多いの」
「汚いよ、それ。結局他の先生に論文書いてもらって、学位取るなんて」

 一瞬、彼女の顔が曇った。しまったと思ったが・・遅かった。

「・・・でも大学には貢献したでしょ。その見返りよ」
「そんなんで学位取れるんだったら、僕だって・・・」

「あたしが他の先生からデータもらったって知ってて、そんなこと言ってるの?」
「・・・え・・・」
「あたしは違うわ。ちゃんと松田先生の実験も手伝ってたし。だから引継ぎのような形で頂いたの」
「ああ。何もヘンな解釈など・・」
「自然な成り行きでしょ?私は汚い手なんか使ってない」
「そ、そりゃあ」
「でも皆ひどいわよ。陰でコソコソ。私だけぬけがけしたとか」
「それは・・ひどいな」
「結局理解してくれたのは・・・」

 その後の言葉はなかった。
「グッチ、悩んでたんだね・・・」
 グッチはうつむいて、あてもなく本を探すふりばかりだ。
「あたし、これ買う。異常値の出るメカニズム、病態で学ぶ呼吸・循環・消化器学。呼吸管理トレーニング・・・」
「そ、そんなに?」
「アイツは論文だけだって、言われたくないの」
「臨床の勉強を?」
「実験だけの院生終わって、民間病院でバカにされる医者は多いの。だから勉強しとく!」
「そ、そうか・・」

 それにしても僕の周囲の人はみんな頑固だ。しかも心に余裕がないというか・・。

「あれ、山城先生じゃない?先生はこれからお世話になるんでしょ」
「せ、先生って・・やめてくれよ、そんな言い方」
「挨拶してきたら?」
「それはもうした。今日はもう捕まりたくないんだよ」
「待ち伏せしてるわよ」
「だから、どうしようかと・・」
「もうお開きみたいだし」
 書籍コーナーもしまい始めた。
「くそっ、このまま新宿まで・・」
「行ったらいいじゃない。かわいいお姉さんたちがお相手してくれるんでしょ?」
「いやだ。君と行くなら別だが・・」とは言えなかった。
「・・・わかった。あたしがまいてあげる」
「まいて・・・って?」
「あたしが彼らのとこ行って、その間に先生は逃げればいいでしょ」
「え、ああ、うう・・・」
「それともあそこで捕まって、新宿まで行く?」

 どちらもイヤなんだ。君がいてこそ、なのに・・・。
しかし自分への防衛本能が上回った。
「・・・・じゃあ、その・・・お願いしようか」
「わかった。MCTDの子の借りがこれで返せるかな」
「?ああ、その件・・・」
「心配して病院に来てくれたのね、ありがとう・・・」
 
一瞬、唯一見せてくれた笑顔だった。

「じゃあね」

引き止める隙もなく、彼女はゆっくりと向こうへ歩み寄っていった・・・。
僕は書籍の横に隠れた。

彼らは一瞬盛り上がり、数分会話が続いていた。すると彼女は畑先生の
手を引っ張り、本会場へと進んでいった。こちらの目の前を通ったが・・・
なんとか見つからずにすんだようだ。

そして、どう見ても怪しい足取りで、僕は逃げるように出口を出た。

タクシーの中で、後ろを何度も何度も振り向いたが、何も見えるはずがない。

僕の学会1日目は「がっかり」で終わった・・・。

<つづく>

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