< レジデンツ・フォース 22 日本内科学会 エピソード 2.5 >
2004年4月26日 連載「へえっくしょい!」
で、僕の学会2日目が始まった。昨日はホテルの冷蔵庫の酒を何本も飲んでしまっていた。
晩ご飯は行く場所もほとんど分からず、結局吉野家。
風呂も十分あったまらず、ほとんど裸で寝てしまったのだ。学会でこうして体調をくずすことはよくある。
ホテルの朝のモーニングをゆっくり終えて、少し早めにホテルを出た。
今日の講演は「脳卒中」。afも関連しており、聞いておく必要がある。
あ、そうか・・。昨日はたしか、グッチが山城先生たちを上手いこと誘導して・・。僕は見つからずに済んだ。
で、彼女は「友達」と帝国ホテルに宿泊して、今日帰る・・・。
「今日?」
僕は立ち止まった。彼女といったい何を話したんだろう?ぎこちない会話をしただけで・・・。
彼女と普通の会話がしたかったのだ。しかし学会会場という閉鎖された雰囲気では無理だったのだ。
彼女はとにかく今日、帰ってしまう。するともう次、いつ会えるか?学会が終わったら僕は職場から半径30分より
先は出てはいけないことになっている。
ならば・・・。
『こちらから行くまでだ・・・』
大学病院の医局秘書さんから、帰りの新幹線の時刻を聞きだした。
午前中の講演はとりあえず聴ける。
学会会場に到着。後ろの目立たない席に腰掛けた。講演は始まったばかりだ。
「心原性脳塞栓症の再発予防ですが、ワーファリンが第一選択である。この薬の副作用を恐れてアスピリンで済ましてしまう先生方も
多いのではと思われます。しかしアスピリンでは300mg/dayをもってしても再発効果は15%くらいしかない。データ上は非有意です。ですから
禁忌でないならワーファリンを積極的に使うべきでしょう。
特にaf、弁膜症なしの場合・・ですが、この場合はプロとロンビン時間を指標として、国際単位で2.0-3.0が推奨されます。これはけっこう
副作用の出やすい数値と指摘されたりもしますが、実際2.0以下のコントロールだと、再発は3.9%みられるそうです。2.0-3.0なら再発がない
といわれています」
確かに僕の周囲でも副作用を恐れてワーファリンを控えるような風潮がある。これも日本人だからか・・・。
最近では何かあったら副作用、訴訟だ。いったんレッテル貼られた薬は使いにくくなる。マスコミはそれでも容赦なく叩く。
こういったことがますます医師たちの視野を狭窄させていく。
「脳出血の急性期の血圧管理。収縮期180以上、あるいは拡張期105以上が20分続けば降圧療法を開始します。
ただしオペ待機の場合は積極的に降圧を始めます。ヘルベッサー、ぺルジピンの点滴が頻度的によく使用されますね」
ヘルベッサーは房室ブロックをよく起こしたりして循環器コールがあったりしたのを覚えている。そうなるとぺルジピンのほうが
無難と思える。
講演が終わり、昼になった。そろそろと荷物を片付け、タクシーで会場をあとにした。
「この駅まで・・・。急ぎます」
「ちょっと費用はかかりますが」
「仕方ないです。お願いします」
「乗られるので?」
「見送りです」
「じゃ、帰りも?」
「帰りは・・ゆっくり電車で帰ります」
タクシーは猛スピードで渋滞の国道にたどり着き、堂々と割り込みに入った。
「お客さん、よそから来たんだね」
「分かりますか・・」
「楽しんだかい?」
「下調べしてなくて。新宿のしゃぶしゃぶ店に誘われはしましたが」
「ああ、あれ!最近テレビで芸能人来てたっていう?」
「やっぱそこですか」
「うらやましいなあ。私も金があったら1度は行ってみたいですね」
「何かされるんでしょうか?」
「いや・・・ただその、肉を注文して、持ってきた女の子の・・・を見るだけ」
「え?それだけ?」
「そうだよ。それも一瞬」
「その一瞬のために?」
「そこがいいんだよ、分かってないなあ」
車は駅に到着した。なんという駅だったかは覚えていない。
「ありがとう。おかげでまだ1時間ある」
30分ほど昼ごはんに費やしたあと、エスカレーターを上ってホームに出た。
もうすでに多数の客がいる。スーツ姿の人間も多い。学会に来ていた人間もけっこういるのだろう。
端から端まで歩いてみることにした。
僕は明日までここにいる予定だが、別に今日関西に戻ってもいいなあ。なんせ明後日からは新天地の
勤務だし。1日、中休みが必要だ。
小雨が降り出した。
アナウンスが何度か放送され、いよいよ客が列になって並び始めた。
「いったい、どこに・・・?」
キョロキョロあたりを見回す僕に、駅員が疑いのような視線を投げかけている。
「あ、そうか・・!あの、駅員さん!グリーン席は・・そうですか、どうも」
まだ見回ってないグリーン席のほうへ駆けていった。
新幹線がプアアンとゆっくり入ってくる。
「う・・!」
僕が目にした光景は・・・。
紛れもなく、元オーベンと彼女が並んで立っている姿だった。窪田先生とグッチだ。間違いない。
僕は反射的に身をかわし、斜め後方のベンチに後ろ向きに座った。少し振り向きざまに見ていた。
手をつないでいるその雰囲気は、もはや恋人同士のそれ以外疑う余地がない。
新幹線のドアが開き、人が出てくる。しかし僕の視線は彼らに釘付けだ。
やがて客は少しずつ吸い込まれるように車両の中に入っていった。
彼女らの姿が全くなくなり、僕はあわてて立ち上がった。
「あ?あああ・・」
少し離れているせいもあるのか、中はほとんど見えない。雨も大降りになってきたようで、斜めにうちつけてきた。
こうなってる気はしていた。出発前にオバちゃんがそう言ってたから間違いなかったのだ。
ならなぜ、それを見届けに来たのか・・・。
謎のままのほうがよかった・・・。
そうだ。違う。中が見えにくいのは、僕が泣いてるからだ。
新幹線はゆっくりと動き出した。
僕はそのままベンチに手をかけたまま。膝も地面についてしまってる。
まるであの時のようだ。肩こそ痛くはないが。しかし心の痛みは非ではない。
「大丈夫ですか?」
さきほどの駅員が心配してくれた。
「大丈夫と、ちがう・・・」
オバちゃんの言葉を思い出した。
『オーベンはあんたを心配してた、一番』
「そういう心配だったのかよ・・・!」
もしかして元オーベン、あなたが彼女にあのことを喋ったのでは・・・。震災援助に出かけた日。
しかしもういい。疲れた。僕はやはり医者しかない。
しかしこの元オーベンは、許すわけにはいかない・・・。
これで僕の学会2日目が終わった。
・・・あとで知ったことだが、帝国ホテルはMRの方の名前で取られていたそうだ。
<つづく>
次回、第4部完結。
で、僕の学会2日目が始まった。昨日はホテルの冷蔵庫の酒を何本も飲んでしまっていた。
晩ご飯は行く場所もほとんど分からず、結局吉野家。
風呂も十分あったまらず、ほとんど裸で寝てしまったのだ。学会でこうして体調をくずすことはよくある。
ホテルの朝のモーニングをゆっくり終えて、少し早めにホテルを出た。
今日の講演は「脳卒中」。afも関連しており、聞いておく必要がある。
あ、そうか・・。昨日はたしか、グッチが山城先生たちを上手いこと誘導して・・。僕は見つからずに済んだ。
で、彼女は「友達」と帝国ホテルに宿泊して、今日帰る・・・。
「今日?」
僕は立ち止まった。彼女といったい何を話したんだろう?ぎこちない会話をしただけで・・・。
彼女と普通の会話がしたかったのだ。しかし学会会場という閉鎖された雰囲気では無理だったのだ。
彼女はとにかく今日、帰ってしまう。するともう次、いつ会えるか?学会が終わったら僕は職場から半径30分より
先は出てはいけないことになっている。
ならば・・・。
『こちらから行くまでだ・・・』
大学病院の医局秘書さんから、帰りの新幹線の時刻を聞きだした。
午前中の講演はとりあえず聴ける。
学会会場に到着。後ろの目立たない席に腰掛けた。講演は始まったばかりだ。
「心原性脳塞栓症の再発予防ですが、ワーファリンが第一選択である。この薬の副作用を恐れてアスピリンで済ましてしまう先生方も
多いのではと思われます。しかしアスピリンでは300mg/dayをもってしても再発効果は15%くらいしかない。データ上は非有意です。ですから
禁忌でないならワーファリンを積極的に使うべきでしょう。
特にaf、弁膜症なしの場合・・ですが、この場合はプロとロンビン時間を指標として、国際単位で2.0-3.0が推奨されます。これはけっこう
副作用の出やすい数値と指摘されたりもしますが、実際2.0以下のコントロールだと、再発は3.9%みられるそうです。2.0-3.0なら再発がない
といわれています」
確かに僕の周囲でも副作用を恐れてワーファリンを控えるような風潮がある。これも日本人だからか・・・。
最近では何かあったら副作用、訴訟だ。いったんレッテル貼られた薬は使いにくくなる。マスコミはそれでも容赦なく叩く。
こういったことがますます医師たちの視野を狭窄させていく。
「脳出血の急性期の血圧管理。収縮期180以上、あるいは拡張期105以上が20分続けば降圧療法を開始します。
ただしオペ待機の場合は積極的に降圧を始めます。ヘルベッサー、ぺルジピンの点滴が頻度的によく使用されますね」
ヘルベッサーは房室ブロックをよく起こしたりして循環器コールがあったりしたのを覚えている。そうなるとぺルジピンのほうが
無難と思える。
講演が終わり、昼になった。そろそろと荷物を片付け、タクシーで会場をあとにした。
「この駅まで・・・。急ぎます」
「ちょっと費用はかかりますが」
「仕方ないです。お願いします」
「乗られるので?」
「見送りです」
「じゃ、帰りも?」
「帰りは・・ゆっくり電車で帰ります」
タクシーは猛スピードで渋滞の国道にたどり着き、堂々と割り込みに入った。
「お客さん、よそから来たんだね」
「分かりますか・・」
「楽しんだかい?」
「下調べしてなくて。新宿のしゃぶしゃぶ店に誘われはしましたが」
「ああ、あれ!最近テレビで芸能人来てたっていう?」
「やっぱそこですか」
「うらやましいなあ。私も金があったら1度は行ってみたいですね」
「何かされるんでしょうか?」
「いや・・・ただその、肉を注文して、持ってきた女の子の・・・を見るだけ」
「え?それだけ?」
「そうだよ。それも一瞬」
「その一瞬のために?」
「そこがいいんだよ、分かってないなあ」
車は駅に到着した。なんという駅だったかは覚えていない。
「ありがとう。おかげでまだ1時間ある」
30分ほど昼ごはんに費やしたあと、エスカレーターを上ってホームに出た。
もうすでに多数の客がいる。スーツ姿の人間も多い。学会に来ていた人間もけっこういるのだろう。
端から端まで歩いてみることにした。
僕は明日までここにいる予定だが、別に今日関西に戻ってもいいなあ。なんせ明後日からは新天地の
勤務だし。1日、中休みが必要だ。
小雨が降り出した。
アナウンスが何度か放送され、いよいよ客が列になって並び始めた。
「いったい、どこに・・・?」
キョロキョロあたりを見回す僕に、駅員が疑いのような視線を投げかけている。
「あ、そうか・・!あの、駅員さん!グリーン席は・・そうですか、どうも」
まだ見回ってないグリーン席のほうへ駆けていった。
新幹線がプアアンとゆっくり入ってくる。
「う・・!」
僕が目にした光景は・・・。
紛れもなく、元オーベンと彼女が並んで立っている姿だった。窪田先生とグッチだ。間違いない。
僕は反射的に身をかわし、斜め後方のベンチに後ろ向きに座った。少し振り向きざまに見ていた。
手をつないでいるその雰囲気は、もはや恋人同士のそれ以外疑う余地がない。
新幹線のドアが開き、人が出てくる。しかし僕の視線は彼らに釘付けだ。
やがて客は少しずつ吸い込まれるように車両の中に入っていった。
彼女らの姿が全くなくなり、僕はあわてて立ち上がった。
「あ?あああ・・」
少し離れているせいもあるのか、中はほとんど見えない。雨も大降りになってきたようで、斜めにうちつけてきた。
こうなってる気はしていた。出発前にオバちゃんがそう言ってたから間違いなかったのだ。
ならなぜ、それを見届けに来たのか・・・。
謎のままのほうがよかった・・・。
そうだ。違う。中が見えにくいのは、僕が泣いてるからだ。
新幹線はゆっくりと動き出した。
僕はそのままベンチに手をかけたまま。膝も地面についてしまってる。
まるであの時のようだ。肩こそ痛くはないが。しかし心の痛みは非ではない。
「大丈夫ですか?」
さきほどの駅員が心配してくれた。
「大丈夫と、ちがう・・・」
オバちゃんの言葉を思い出した。
『オーベンはあんたを心配してた、一番』
「そういう心配だったのかよ・・・!」
もしかして元オーベン、あなたが彼女にあのことを喋ったのでは・・・。震災援助に出かけた日。
しかしもういい。疲れた。僕はやはり医者しかない。
しかしこの元オーベンは、許すわけにはいかない・・・。
これで僕の学会2日目が終わった。
・・・あとで知ったことだが、帝国ホテルはMRの方の名前で取られていたそうだ。
<つづく>
次回、第4部完結。
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