「やれる・・・!僕は・・・」

 その前にガソリンと食事だ。早朝に金をおろして、休養の上で。

 そうだ、その前に。左手で助手席の携帯電話をまさぐった。

「もしもし。病院ですか。ユウキです・・須藤さんですか」
「先生・・今、どこにいるの?」
「今はまだ・・ゴホゴホ、病状が軽快してないので」
「皆さん心配されてますよ。ひょっとして先生が・・」
「何?もう辞めたとか?」
「死んだんじゃないかって・・もちろん冗談で言ってるんでしょうけど」
「いや、もうすぐ良くなる」
「新患は全部、伊藤先生が見てくれてます。あ、あと一般内科から新しいレジデントが来ました」
「またローテーションか何か?」
「3ヶ月限定だそうで。すごくやる気のある先生です」
「・・参ったな。またハリキリ野郎か」
「もしもし?もしもし?」
「あれ・・・もしもし?」
「もしもし?・・・・・・せ・・・・・・・が・・・・・をも・・・・」

 電波の調子で電話は切れた。改めて公衆電話から電話だ。

「もしもし・・・そ、その声は?」
「伊藤だよ。何やってんの、君は?」
「まだ療養中でね。大丈夫、もうすぐ行ける」
「こっちは大変だよ。ちょうど先生の患者にちょっとトラブルがあってね」
「え?」
「MCTDの若い子だよ。僕が代わりに回診してたんだが」
「それで・・?」
「どうやら内服を全部飲んでなかったらしいんだよ」
「全部?」
「あれはどう見ても全部だな。あの子、いつも枕元に箱置いてただろ?」
「箱?ああ、あれゴミ箱じゃ・・」
「そんなとこにゴミ箱置くかよ。で、見せてもらったんだ、勝ってに。そしたらすごく慌てて」
「いいのか、おい」
「いいのかって、薬飲まずに隠すってのがいかんだろ!」
「じゃあ、ステロイドも・・今回のPG製剤も?」
「ぜーんぶ飲んでなかったのさ!なんのためのカテーテルだ?」
「その子、悲しんでなかったか?」
「え?何で?」
「落ち込んだり・・」
「なんかヘンだな、遠いところにいるのか?さっきからチリンチリンって。硬貨が落ちる音か?」
「いや、10円玉でね・・・」
サービスエリアの公衆電話の横を大型トラックが通り過ぎた。
「なんか凄くうるさいぞ、どうしたんだ?」
「早朝だから。病院に通院するんだよ、これから」
「そうか。じゃ、気をつけてね」

 ふう。

早朝のサービスエリア。平日で人は少ない。

しかしまた携帯へ電話がかかってきた。

「もしもし、須藤です」
「はいはい。日勤なの?」
「いいえ。誠に申し訳ないのですが」

 今度は何だ?

「先生の脳梗塞後リハビリ中の患者さんが転倒してしまいまして」
「検査に行く途中で?ふん、それで?」
「頭から出血してます」
「おい!それはいかんだろ!」
「すみません。私が車椅子で連れて行ったのが」
「車椅子からどうやって落ちたんだよ?ま、ともかく」
「どうしましょうか」
「どうしましょうかって?今はそっちは行けないって!」
「あ、そうか。先生、療養中でしたね」
「そうだよ、ゴホゴホ!だから伊藤か誰かに」
「じゃあお願いすることに。あ、先生!待ってください!」
「何よ?」
「さきほど部長が横におられまして・・・今日受診する病院から診断書をもらってきなさいと」
「い?」
「診断書が要るそうです」
「仮病じゃないのに」
「以前仮病を使ってばれたレジデントの先生がいたんですよ」
「はあ?」
「とにかく先生、お願いします」

 診断書。

 車は関西へ帰ってきた。車は病院の前に止まった。病院の玄関先になんとか乗りつけ、エレベーターへと駆け込んだ。
詰所へと向かい、その手前のスタッフルームへ早足で駆けていった。

 部屋を空けたところ、見知らぬ医師が1人。本と向かい合っていたその医師はこちらを一瞥、無視。よく考えると僕は私服だ。
ためらわず話しかけた。

「あの、みんなは?」
「みんな?医局員ですか?病棟を回診されてます」
「君は?」
「オーベン待ちです」

 しばらく待ってると、医師が2人入ってきた。オーベンとコベン。
「SIADHを今さら診断しろって言われてもなあ!」
「そうですよね、先生。ナトリウムもう入ってますし・・あ!」
 コベンが気づいたのに遅れ、オーベンがこちらを見つけた。
「ああ?おお!」
「野中か」
「何でお前、ここに?」
「助けてくれ、診断書を」
「診断書?死亡診断書か?」
 クッククク・・とコベンがこちらを見て薄笑いしている。野中はキッとなった。
「おい、オレの同僚なんだぞ」
「は?ああ!これは誠に・・すみません!申し訳ないですー!」
 コベンはかなり困った表情で謝ってきた。
「でな野中、今ちょっと調子悪くて」
「ハハーン、とうとう登院拒否したわけだな、なるほど。それで診断書を書いてくれということだな?いいのか?俺の名前でも?」
「いいよ。大学病院の書類でね。ハンコ、頼むぞ」
「ハンコ、ないな。医局で借りたら怪しまれるし。拇印では?」
 またコベンが笑いそうになっていた。
「野中、ほか誰か先生が?」
「外来をやってる先生がいいだろ。例えば・・医局長は?」
「この前会ったが、ヤな感じだったなあ」
「聞いたけどお前、山城先生のとこに決まったんだってな?」
「決まった?」
「噂では、もう引っ越したと」
「なわけない。でもその、山城先生ってのは」
「怖いよ、そりゃもう。救急も循環器もできる。関西でも指折りだ」
「そうなのか?」
「と、自分で言ってるらしい。でもウソでもなさそうだ」
「大学帰ろうかなあ」
「そら無理だ。マミーが大学へ戻ることが決まった。ユウキは自動的に山城先生のとこだ」

 勇気を出して外来のカーテンをくぐった。
「ちょっといいですか?」
 安井先生が気づいた。
「あ?おう、この前は失礼したな。ここへ戻って来たいのか?それは分かるが」
「いえ、違うんです。あの」
「どうした?その足なんだ?ドロドロだぞ」
「事故が・・いいや、調子が悪いんです。それで診断書をと」
「診断書?君の病院で診断してもらえよ。風邪か?」
「ええ、だいぶよくなりました」
「カゼの9割はウイルスだ。治りかけなら薬は要らんだろう」
「はい、薬はいいです。でもその、診断書を」
「ははあ、分かった。裸にされたりするのがイヤなんだな?」
「ええまあ、そんなところです・・」
「じゃ、畑君よ!診断書書いてくれ」

畑先生が嫌々書類を取り出した。
「コストはかかるからな、おい」
「も、もちろんです」
「えーと、診断名は、急性気管支炎にでもするか?急性咽頭炎?どっちでもいいぞ」
「では咽頭炎で・コホッ」
「なーにお前、今さら咳なんかしてんだよ」
 
本物の咳だった。

「で、頭書の者、上記と診断した。終わり!大蔵くん、これ受付へ走って!」
「はい」

 レジデントは急いで駆けていってくれた。
安井先生はカルテを書きながら呟いた。
「ま、こちらにも借りがあるしな。山城先生のとこへ行って下さるという、ね」
「ええ。それは・・で、先生、具体的な転勤は・・・?」
「春かな?今のレジデントはまだ体力あるみたいだし。だが1月あたりには音を上げるだろうな」
「じゃ、冬かも・・」
「ま、頑張れ!あ、それと心カテ、早く合格しろよ!」
「先生、それ誰から・・・」
「はい、次の人!」

 診断書をもらって、僕は病院を出た。

 数日休んだが・・勉強になったこともある。年末当直にも向けて、頑張れそうだ。

 車に乗り込み、…

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