救急車の音が明け方の空にどことなく鳴り響く。何台もいるかのように聞こえていた音は、やがて1つになりだした。

 救急の玄関前に僕と中年ナースが佇んでいた。

「先生、この患者を受けたら、今日はもう終わりですか?」
「なわけないでしょうが。今日は平日。そのまま外来業務ですって」
「はあ、私は夜勤の者ですから、もう帰りますがね」
「前みたいに、処置の途中で帰らないでよ!」
「はあ・・どうも」
「しかし・・病棟は一杯なんでしょ?」
「はあ、そう聞いてますが」
「救急隊の電話では、どうみても入院の適応だ」
「でもねー、ここは基本的に救急は断るなと」
「それは院長・・・県の職員の勝手な独断だろう?」
「それはちょっと!私では・・・」

 分かりかねます、だろ?・・・こんな職員、どこ行ってもいるな。

「来たな、やっぱうちだ」

 サイレンはやがて大きくなって近づいていた。

「あれだ!今日の救急車は・・・キレイなほうだ」

 どうでもいいことを呟きながら、僕らは1歩歩み出た。ピッ!とサイレンを止めた救急車は正面に横付けされた。
覗いた範囲では・・・心肺蘇生はしていない。

 救急の入り口からストレッチャーが入る。僕らも運びながら情報を聞き出した。
「隊員さん、で、腹痛・・だけ?」
「2時間前から痛くなったらしいです。1人暮らしの48歳女性!」
 48歳?かなり老けて見えるな・・。それにしてもかなり苦悶様だ。
「嘔吐はなし!バイタルは安定。メモの通りです」
「家族は?」
「1人暮らし。本人の電話で駆けつけたんですが・・家は酒の匂いだらけといった感じで。かなり飲んでます」
「アル中ってこと?」
「さあ、それは私には・・・」
「まあいい。さ、移しますよ!それ!」

 放射線技師の小杉が入ってきた。ガムをかんで余裕の様子。
「こっちはスタンバイオッケーだよ、先生」
「腹痛だよ」
「あっちゃー。これまた凄い痛がってるね!」
「先に撮ってもらおうか?」
「へい。じゃ、胸写、腹単は座位と仰臥位との両方ね?」
「ああ。でも座位は・・・取れそうにない。ベッド30度挙上で」
「あいよ!」

「かん・・・・すんません!お名前はー?」
 苦悶様の表情からは何も戻ってこない。
「サカイさんです」
 ナースが勝手に答えた。僕は苛立った。
「あんたに聞いてないって!」

採血提出、結果まで30分。ルートはとりあえずのポタ。
ナースが干渉してくる。
「先生、かなり痛がってますけど」
「わ、わかってるよ」
「何か射ちますか?」
「まだ何も検査戻ってないのに?」
「ブスコパンとか・・」
「今はダメ!」

 小杉がちょうどいいタイミングで入ってきた。
「お待ちぃ!先生のだーい好きな、イ・レ・ウ・ス!」
「あのなあ・・・」
「オペの既往があるんっすか?」
「オペのスカーは見当たらないな」
「スカーってなんスカー?」
「跡だよ。痕跡」
「音はグルグルですか?」
「グル音?いや、どうとも・・むしろ弱いような」
「補液して、外科に廻して病棟ッスね!」
「病棟が空いてないんだよ」
「もうすぐみんな出勤してきますから、何とかなるっしょ!」

 採血はWBCやや増加・・程度。
「・・・白血球だけか。これだけじゃな・・看護婦さん!家族は?」
「持ち物からすると・・・ここですかね、住所は?」
「電話して来てもらって!」
「は、はあ・・・・・・あ、もしもし!はい。県立病院です。ちょっと先生に代わります!」
「え?おい!」
「ハイハイ、受話器」
「なんだよ!・・・・あ、もしもし。医師の者です。すぐこちらに来ていただけますか」

 痛み止めとしてペンタジンを指示。ブスコパンはイレウスの増悪を懸念し取りやめた。
しかし患者の症状は全く治まっていない。ナースがまた干渉してきた。
「外科の澤田先生をお呼びになったら?」
「澤田先生・・・来るのか?いつも電話対応で!」
「医師公舎は近いのにねえ。ホント」
「この前もポケベル鳴らしてかかってこなかったし」
「あれとちゃいますのん?先生、日雇いだし、まだここに来て2ヶ月しかたってないから・・」
「そう、なめられてんだよ。でもま、呼んでみてくださいよ」
「はいはい」

 朝の8時過ぎになり、職員がゾロゾロと正面玄関に集まってきた。ほとんどが若い女性だ。
病院への出勤というより・・・デパートかどっかへ買い物にでもいくのか?っていう派手な格好が多い。

 モニターをずっと監視。SpO2は酸素なしで100%。呼吸回数は少し速い。アルコール臭がする。
酒飲んでてイレウス・・?酒の常用者がビタミン不足で腸管運動低下・・・ないこともない。
体はげっそり痩せてるし。あるいは悪性腫瘍か?大腸癌で腸管狭窄で、イレウス。

 待てよ。でもイレウスは1つの所見で、実は腹痛は他が原因だったりする。他の原因で腹痛が起きて、
麻痺性のイレウスが起きたってことも・・・。じゃあやっぱり腹痛をきたす疾患すべてのルールアウトが必要だ。

「じゃ、今のうちに腹部のCTを・・」
ナースが思いっきり顔をしかめた。
「先生、もう外科の外来にそのまま廻したら?澤田先生も来ないみたいだし」
「ポケベル鳴らして・・つながらなかった?」
「だから家まで電話かけた。奥さん出たけど。ムチャクチャ気ぃ使うわ!」
「で、来るの?」
「起こしますって。あの奥さんさあ、あたしキライ。ここの看護婦だったのよね。それで・・」

 長身の澤田先生が頭を掻きむしりながらやってきた。メガネの奥の目は死んでいる。
「ああ。何だ?今度は?」
 僕は反射的に駆け寄った。
「これが写真で・・・」
「患者は!年は!」
 朝から機嫌が悪い。
「48歳女性です。あちらのほうに。採血は白血球のみ・・」
「CT撮らんのか」
「こ、これから・・」
「撮らんのにもう外科か」
「いえ。撮っておくべきでした」
「ったく!ボケ!」

 早く患者を診察してくれよ・・。

 澤田先生は写真・カルテとずっとにらめっこだ。
外の廊下は足早な音で騒がしくなってきた。いよいよ外来の開始時間だ。

「うーん・・・・・・。んー・・・・」
 何やら写真を下から覗いたり、横から横目で見ている。それで何を見てるのか?
気管分岐部を見るために僕らが胸部写真を下から覗くのとおんなじか?
「で、何を注射したんや?何を?」
「ペンタジンです」
「なんで?」
「?・・・痛みを除こうと」
「アホ!何を疑ってたんや。それを聞いとんねや!」
「イレウスなどを・・」
「ケッ。イレウスは分かっとるわ。何によるイレウスや?」
「それが分からなくて・・・」
「超音波は?」
「すみません、自分はまだ・・・」
「ああ?もうレジデントの年は卒業したやろ?正職員だろが」
「いえ・・・日雇いです」
「何・・・?気の毒な奴。ま、時間外手当で稼いだらええやんか。毎日ここの当直してな」

 早く患者を診ろ・・・!

澤田先生はやっと患者の横に立った。
「・・・ここは痛いですか?」
「イタイイタイ!」
「・・・ここも?」
「アー、イタイイタイ!」
やはり痛みは治まってないようだ・・。
澤田先生がまた殻に閉じこもった。
「ふーん・・・・・」


ピピピ・・・
「鳴ったか!院内ポケベルだ・・・・外来だ!もしもし!ええ。外来始まってるのは分かってますが・・・」
「キーッ!どうなってんの先生!」
自分の外来担当のキンキン声だ。
「ダメだ、今は救急が・・・」

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