バーのカウンターには6人ほど並んでいた。みんなキャーキャー言ってて、よく聞き取れない。
本田さんがどうやら彼女のリーダー格のようだ。
「あたしはどこに座れば?」
チビの子がサッと席を譲った。
「先輩、どうぞ!」
「うん」
「先生はその左・・こちらです!」
笑顔で元気な子だな。しかし、この子らが・・県でも屈指の病院の、しかも集中治療の第1線で働いている・・・。
チビちゃんは僕に何か話しかけそうだった。
「ど、どしたの?」
「この前は、夜中たたき起こして、ごめんなさい!」
「え?ああ、あのとき!」
 あのときの子だったんだ。
「実はあたしも、眠かったんだー」
 本田さんはタバコを取り出した。[下級生]がすかさず火をつけた。
「そうそう。あんたらせっかく優しい先生が来たんだから、粗末にしないように!」
「本田さん、いいんだよ」
「ダメダメ!新人らは特にね、こうやって厳しくしておかないとね!いざという時になったら困るでしょ!」
「そうだな・・」
「アンタ、どっちよ!」
 どうやら少し酔ってきたようだ。

「あたしらはね、もうウンザリしてるの」
「何に?」
「態度の横柄な医者!あんたんとこの循環器!ゴマスリのイエスマン、ねずみ男!なかなかオペしない、外科!」
「イエスマン、なるほど」
「あんなの見てると、あたらしらもうやってけないよ」
「辞めようと思ったとか?」
「でね、もう辞めようって言ってたのよ、あたしら。みんなで一斉にね。そしたら先生が来たでしょ。あいつ等とは違うよね
。だからもう少しやってみようかなあって」
「へ、へええ」
「この病院の場合、先生がレジデントなのね。もう3年目なのにね。でもレジデントが実際のところ、この病院の番人なのよ」
「番人?僕が?」
「・・っていうくらい、よく呼ばれるってこと!」
「イヤだなあ」
「だから、あなたが中心になるの!」
「・・・・今までのレジデントは?」

 本田さんだけでなく、一同がみな凍りついた。

「今までのレジデントは?みな半年で辞めたようだが」
「皆、それぞれ個性はあったんだけど。あのグループの中では耐えられなかったようね」
「・・・・・確かにしごきはキツい。人間的にもどうかと思う。しかしくやしいけど、診断・治療は見習うべきとこはある」
「そうよね。それは先生が吸収していけばいいのよ」
「?」
「で、先生があたしたちに教えてくれたらいいの。そうすれば高度な集中治療もしやすくなる」
「なるほど・・・ま、とりあえず皆と仲良くすればいいんだろ?」
「何よその言い方?まあ許すわ、今回のところは」

 僕らは互いに握手を交わした。




夜中、無意識に手が伸びている。届いた。目覚まし時計。しかし、押しても押しても・・・不快なままだ。
なぜ不快なのか。うるさいからだ。さっきから聞こえているピーピー音が。
 電気をつけて、番号を確認。
「・・・呼吸器病棟だ」
 呼吸器病棟へ電話。周囲は暗い。真夜中のはずだ。しかし時刻は知りたくない。
「もしもし?」
「呼吸器病棟です。畑先生の患者さんで、72歳のおばあちゃんです。不穏が強くて」
「暴れてる?」
「抑制しようとしてもダメです。大きな声で叫んだりして」
「ちょっと待ってよ。僕の患者じゃない」
「えっ?でも・・・『主治医、出張中の呼び出しに関してはユウキ先生』、とカルテにはありますが」
「何だって?」
「とにかく来て下さい。ルートも入らないので」
「そんなの、聞いてないぞ・・・」
「畑先生は呼吸器の学会で4日ほど不在なもので」
「知らん知らん」

 電話で粘ってもダメのようだ。
「分かった・・行きます」
「お願いします」

 ふーっ、とため息を1回ついて・・・。
「行くか、しゃあないな!」
 時計は、夜中の2時。

「わああああ!」
 老女は頭をガンガンベッドの頭にぶつけながら暴れまくっていた。抑制はできているが上半身は自由
なので、何度も身を乗り出してくる。周囲の患者5名はみな怪訝悪そうに上半身を起こしている。
「看護婦さん、セレネースを」
「セルシンじゃないんですか?」
「慢性呼吸不全なんだろ、基礎疾患は?」
「さあ、それは私たちでは・・」
「もういい!さあ!」
「さあって・・?」
「筋注だよ!さあ早く!」
「せ、先生がしてくれないんですか?」
「君らがいっつもやってるだろ?」
「先生、こんなに暴れてるのに」
「僕がやるより・・!」
「男の方がされたほうが」
 うまいこといいやがって・・。
「しょうがないなあ・・・」
 ゆっくりと僕は近寄った。両手・注射器は背中に隠したままだ。

 患者は一瞬、おとなしくなった。

 みんなが注目している。それはどうだっていい。

 ゆっくりと左肩に照準を合わせる。このまま服をサッとめくり、射ち込むだけだ。

 左手で、袖をつまんで・・・。よし、射した!

「ぎゃああ!」
「な?」
 患者は両腕をブルンブルン振り回した。注射器は刺さったままだ。
「あ、危ない!」
 僕は回転翼の下にもぐりこんだ。刺さっていた注射器は天井に叩きつけられた。
「も、もう1本、こっちへ!」
 ナースはもう1本のセレネース入り注射器を低空飛行で投げた。
「よし、つかんだ!」
 しかし患者は上半身、暴れまくっている。エクソシストも真っ青だ。
「ならば・・・こうする!」
 僕は床に寝転んだ状態から、斜め上の患者の尻めがけ、注射器を突っ込んだ。
「うわあ!」
「よし、退散退散!」
 ナースのところへ戻った。
「先生、ちゃんと揉みましたか」
「そんなヒマあるか!」
「では先生、詰所へ」
「ああ」
「まだ山ほど指示いただきたいものがありますので」
「何だって?当直医は?」
「今日は放射線科の先生でして」
「ほ、ほうしゃせんかあ・・・」
「50半ばの先生です。何でしたら、その先生に」
「ま、待ってよ!」
「ではこれ。SpO2 88%の人」
「基礎疾患は?」
「・・・・・カルテの表紙にありませんでしたか?」
「そこの病名は必ずしも診断名ではないよ!」
「急性呼吸不全・・・」
「それは診断名じゃないだろ!」
「先生、そこまでは私達、分かりません!」
「・・・・・カルテはほとんど記入ないな。治療内容は?」
「点滴が1日3本」
「抗生剤は?」
「いってません」
「酸素が入っててSpO2 88%?」
「はい」
「何リットル?」
「経鼻で2です」
「これが胸部CTか。肺炎じゃないか」
「あ、内服があります。セフゾンだけです」
「さすが大学から来たばかりの先生だな」
「マスクに変えましょうか?」
「頼みます。抗生剤は点滴に変更・・・ロセフィンで。今のうちに喀痰培養を。細胞診も」
「それは日勤への指示でお願いします」
「なっ・・?」
「それと先生。38歳、気管支喘息」
「で?」
「息苦しくて眠れないと」
「内服は?」
「他院の分でして」
「だから内容は?」
「・・・持ってきます」
「入院したときに確かめないか?ふつう?」
「とにかく持ってきます」
「・・・・何なんだ、こいつら・・」
「先生。袋だけです。中身はもう数日前になくなったと」
「・・・今は何やってんの?」
「は?安静と・・精査と聞いてますが」
「あー・・頭イタイ。じゃ、音聞いてくるから。そのあと点滴の指示を出す」
「お願いしまーす」


 瞬く間に夜が明けた・・・。


<つづく>

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