< フィフス・レジデント 12 ディバイダー >
2004年5月19日 連載 起座呼吸の高齢男性。水面からかろうじて息をしているといった様子だ。胸部レントゲンで心拡大と両側胸水貯留。
急性心不全だ。心電図はST低下広範で一部は陰性T。心筋逸脱酵素の上昇はない。AMIでなければひとまず安心、
というわけではない。冠動脈疾患の疑いは濃厚で、心不全を早めに落ち着かせて冠動脈造影にもっていかないといけない。
このような心不全の状態ではカテーテル検査はできないのだ。
「CCUには連絡したのか!」
「ちゃんとしました!」
キンキンが即座に答えた。やがて新人らしきナースが車椅子をゆっくり押してきた。
「遅いな。酸素はどうした?」
「いえ、聞いてなくて・・」
「ちゃんと伝えたぞ!点滴台もついてない?」
「はい・・・」
「じゃ、連れて行って!」
外来の外まで見送ると、長いすに腰掛けた大勢の患者がこちらを睨んでいる。
天井近くに備えたテレビでは・・日本人の平均寿命について放送している。
「寿命が延びるだと・・・?毎日カップラーメン、外食は肉食、野菜不足で?それとこのストレス・・・」
「先生、早く!」
キンキンが診察室へ引っ張った。
「先生、次の方!54歳女性の高血圧!」
「ああ、どうぞ」
「あはようございます。もうこんなに待たされて!こんなに待たされるんだったら・・・」
「どうもすみません」
「はい、血圧測るんでしょ?」
「ええ、そっちの腕でいいです」
「多分高いわ」
その通りだ。それだけ待たせたわけだから。人気があったり忙しい高度の病院ほど、血圧の評価はけっこういいかげんなのかも。
この頃は家庭血圧計もほとんど普及していなかった。
「184/98mmHg!」
「うわ?そんなに高い?ちょっと・・・もう1回測ってよ!」
「時間を少しおきましょう」
「そんな高いはずない。なあ看護婦さん」
キンキンは一瞬だけしかめっ面を解除した。
「え?ちょっと休んでいかれたらどうですか?」
「どこで?」
「さっきの待合で」
「あそこでまた座るの?どっかで寝かしてえな」
「あいにくねえ、もう寝るベッドも埋まってまして」
「そうやけど、今やってるテレビであんた、血圧高かったらクモ膜下なんちゃらになってることがあるって・・・」
キンキンはとうとう切れた。
「まちあいで!しばらく!おまちください!」
「はいはいはいはいはい」
何人かたてつづけに外来をこなし、CCUへ電話。
「どう?さっきの人?」
「おはようございます」
「え?ああ・・。本田さんか」
「入院の方ですね。指示通りラシックス1アンプルivして、30分後の尿量が400ml」
利尿剤投与30分後をきっちりマークしている。さすが彼女だ。
「SpO2 100%へ上昇、酸素は5リットルマスクからネーザル2リットルへ減量で99%。呼吸苦なし。血圧は140/78mmHgで変動なし」
「うん、うん」
「といったところね。脈も落ち着いてきたようなのでもう1度取りますか、心電図?」
「そ、そうだな。頼む」
「それを見てまた指示を?」
「そうする」
彼女が相手だと、仕事がやりやすい。導いてくれるような対応だ。
キンキンがカルテを用意しながら盗み聞きしようとしていた・・ような気がした。
「キンキン、あと3人診たらいったん空くから、その間にCCUへ行ってくる」
「なんか先生、病棟での働きと全然違うね。誰かお気に入りがいるんでしょ?」
「な、何をとぼけたことを!」
CCUに入院した患者はぐっすり安眠している様子。
鈴木さんというアウトロー的なナースと向かい合った状態でカルテに指示。
最年少に近いと思うがかなりしっかりしており、黙々としたところにも威厳がある。
ドクターたちはかなり近寄りがたい印象を持っている。
「・・で、よしと」
「独り言?」
「まあね。気になる?」
「多少」
「あ、そう・・・」
しばらく沈黙が続いた。
「カテはとりあえず、今日はなしだな」
「もう、何?」
彼女は顔を上げた。目線は合わせてない。この子、マツ毛が・・バチバチだ。
「ああ、ゴメン・・・」
また沈黙。しばらくして彼女が横を向いた。
「なんか・・・揺れてる」
ハッと気づいた。最近目立ち始めた、僕の貧乏ゆすりだ。
「すまない・・・震度、3くらいだった?」
一瞬だったが、彼女は吹き出した。声にはなってなかったが。その表情がすごく可愛らしかった。
本田さんが心電図をザッ・・と切り離し破いた。
「うーん。ちょっと下がってるのかしらね、ST」
「どれどれ」
「でもジギいってたもんね」
「待てよ・・・とはいっても1mmには満たないな」
ディバイダーで測定。
「あたしそれ、なくしたのよね」
「もう1本あるよ」
「え?いいの?」
「これ。防犯用にもどうぞ」
「これ、誰かの?」
「ああ、前にいた病院のドクターの」
「ええ?返さないといけないじゃない!」
「いいんだよ。そいつはもう・・」
「え?聞いちゃいけなかった?」
「じゃなくて。今はもう循環器を退いている」
「転向したの?」
「そう・・・消化器のほうへ」
「もったいな。時間の無駄だったのね」
「いや、それは違うんじゃないか」
本田さんは1歩退いた。
「あ、ご、ごめ・・・」
「しかし、自分だっていつそうなるか・・・」
「この名前、消すね。ITO・・・伊藤?」
「・・・・・」
<つづく>
急性心不全だ。心電図はST低下広範で一部は陰性T。心筋逸脱酵素の上昇はない。AMIでなければひとまず安心、
というわけではない。冠動脈疾患の疑いは濃厚で、心不全を早めに落ち着かせて冠動脈造影にもっていかないといけない。
このような心不全の状態ではカテーテル検査はできないのだ。
「CCUには連絡したのか!」
「ちゃんとしました!」
キンキンが即座に答えた。やがて新人らしきナースが車椅子をゆっくり押してきた。
「遅いな。酸素はどうした?」
「いえ、聞いてなくて・・」
「ちゃんと伝えたぞ!点滴台もついてない?」
「はい・・・」
「じゃ、連れて行って!」
外来の外まで見送ると、長いすに腰掛けた大勢の患者がこちらを睨んでいる。
天井近くに備えたテレビでは・・日本人の平均寿命について放送している。
「寿命が延びるだと・・・?毎日カップラーメン、外食は肉食、野菜不足で?それとこのストレス・・・」
「先生、早く!」
キンキンが診察室へ引っ張った。
「先生、次の方!54歳女性の高血圧!」
「ああ、どうぞ」
「あはようございます。もうこんなに待たされて!こんなに待たされるんだったら・・・」
「どうもすみません」
「はい、血圧測るんでしょ?」
「ええ、そっちの腕でいいです」
「多分高いわ」
その通りだ。それだけ待たせたわけだから。人気があったり忙しい高度の病院ほど、血圧の評価はけっこういいかげんなのかも。
この頃は家庭血圧計もほとんど普及していなかった。
「184/98mmHg!」
「うわ?そんなに高い?ちょっと・・・もう1回測ってよ!」
「時間を少しおきましょう」
「そんな高いはずない。なあ看護婦さん」
キンキンは一瞬だけしかめっ面を解除した。
「え?ちょっと休んでいかれたらどうですか?」
「どこで?」
「さっきの待合で」
「あそこでまた座るの?どっかで寝かしてえな」
「あいにくねえ、もう寝るベッドも埋まってまして」
「そうやけど、今やってるテレビであんた、血圧高かったらクモ膜下なんちゃらになってることがあるって・・・」
キンキンはとうとう切れた。
「まちあいで!しばらく!おまちください!」
「はいはいはいはいはい」
何人かたてつづけに外来をこなし、CCUへ電話。
「どう?さっきの人?」
「おはようございます」
「え?ああ・・。本田さんか」
「入院の方ですね。指示通りラシックス1アンプルivして、30分後の尿量が400ml」
利尿剤投与30分後をきっちりマークしている。さすが彼女だ。
「SpO2 100%へ上昇、酸素は5リットルマスクからネーザル2リットルへ減量で99%。呼吸苦なし。血圧は140/78mmHgで変動なし」
「うん、うん」
「といったところね。脈も落ち着いてきたようなのでもう1度取りますか、心電図?」
「そ、そうだな。頼む」
「それを見てまた指示を?」
「そうする」
彼女が相手だと、仕事がやりやすい。導いてくれるような対応だ。
キンキンがカルテを用意しながら盗み聞きしようとしていた・・ような気がした。
「キンキン、あと3人診たらいったん空くから、その間にCCUへ行ってくる」
「なんか先生、病棟での働きと全然違うね。誰かお気に入りがいるんでしょ?」
「な、何をとぼけたことを!」
CCUに入院した患者はぐっすり安眠している様子。
鈴木さんというアウトロー的なナースと向かい合った状態でカルテに指示。
最年少に近いと思うがかなりしっかりしており、黙々としたところにも威厳がある。
ドクターたちはかなり近寄りがたい印象を持っている。
「・・で、よしと」
「独り言?」
「まあね。気になる?」
「多少」
「あ、そう・・・」
しばらく沈黙が続いた。
「カテはとりあえず、今日はなしだな」
「もう、何?」
彼女は顔を上げた。目線は合わせてない。この子、マツ毛が・・バチバチだ。
「ああ、ゴメン・・・」
また沈黙。しばらくして彼女が横を向いた。
「なんか・・・揺れてる」
ハッと気づいた。最近目立ち始めた、僕の貧乏ゆすりだ。
「すまない・・・震度、3くらいだった?」
一瞬だったが、彼女は吹き出した。声にはなってなかったが。その表情がすごく可愛らしかった。
本田さんが心電図をザッ・・と切り離し破いた。
「うーん。ちょっと下がってるのかしらね、ST」
「どれどれ」
「でもジギいってたもんね」
「待てよ・・・とはいっても1mmには満たないな」
ディバイダーで測定。
「あたしそれ、なくしたのよね」
「もう1本あるよ」
「え?いいの?」
「これ。防犯用にもどうぞ」
「これ、誰かの?」
「ああ、前にいた病院のドクターの」
「ええ?返さないといけないじゃない!」
「いいんだよ。そいつはもう・・」
「え?聞いちゃいけなかった?」
「じゃなくて。今はもう循環器を退いている」
「転向したの?」
「そう・・・消化器のほうへ」
「もったいな。時間の無駄だったのね」
「いや、それは違うんじゃないか」
本田さんは1歩退いた。
「あ、ご、ごめ・・・」
「しかし、自分だっていつそうなるか・・・」
「この名前、消すね。ITO・・・伊藤?」
「・・・・・」
<つづく>
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