「やっと落ち着いたなー」
 深夜帯、比較的ICU/CCUは静かだった。人工呼吸器の音、
モニター音は相変わらずひっきりなしだが、耳が慣れてしまうので怖い。

 深夜の2人は申し送りが終わって一通り回り始めた。
COPDでアルカローシスの患者はファイティングなく強制換気が順調に入ってる。
気道内圧も幸い20mmHg台を越えず、アラームも鳴ってない。
「さて、満床になったことだし。そろそろ帰るか・・」
 ?モニター表示を今見て信じられなかったが・・・。
「血圧が60mmHg?」
 血圧カフは自動的にまた測定が始まっている。
「今日のひるは120mmHgはあったのに・・・」
 石丸ナースがやってきた。
「あ、先生ちょうどいいところにいましたね」
「先に気づけよ。これ・・・なぜかな」
「鎮静剤が効きすぎているとか」
「鎮静剤は入ってないよ」
「なにか急なことが起こったとか」
「急なって・・・」
「AMIとか」
「おいおい、やめてくれよ」
「アポったりとか、肺塞栓とか、動脈瘤の破裂・・」
「やめろっての!」
「何かしますか?」
「夜中だぞ・・・」
「ほっといていいんですか?」
「そうじゃないが。血圧だけが下がってて・・・自発呼吸が恐ろしいくらい出てない」
「脳でしょうか」
「・・・とりあえず、血ガスを」
「はあ」

 Aラインから真っ赤な動脈血が採取された。しかしこの赤、うすい赤というか・・・。
「夕方入ったAMIは、家族の希望でカテしないらしいですね」
「87歳だからなあ・・・」
「CPKが3500まで上がったみたいですよ」
「早期の再灌流かもね」
「でもヘパリンだけですよ・・・はい、出ました。pH 7.678?」
「ひどくアルカローシスじゃないか」
「カリウムが1.7ですね」
「そうか、これは・・・極度のアルカローシスのためなんだ。血圧低下も、乏尿も、自発呼吸の回数減少も・・・」
「アシドーシスよりはマシなんちゃいますか?」
「いや、以前呼吸器科のオーベンから聞いた話では逆だ。人間は酸、つまりアシドーシスには過換気でしぶとく代償するが、
アルカローシスには弱い」
「・・・・・」
「つまり代償機能が働きにくいんだ」
「はあ・・」
「こういうのが週末に起こると医者は自宅へなかなか帰れないんだ・・」
「そりゃそうですよ」
「分時換気量を減らすよ。設定しなおす。血圧低下・乏尿はボリューム追加で。戻るまで結構時間かかると思うが」

石丸ナースと設定・指示のやりとりを行い、一段落ついた。
「先生、もう帰らないんですか?」
「そうだな、そろそろ・・」
「上の先生方も勝手ですね」
「だろ・・・」
「先生をこれから半年間もここに閉じ込めるなんてね・・」
「本田さんは凄いよなあ。でも君の同級だよね」
「先生、あまり深入りはしないほうが」
「?何だよそれ?」
「してなかったらいいけど」
「・・・・・?」


自宅のふとんに思いっきり寝転んだ。
留守電が点滅している。だがもう察しはついている。
遠距離電話はもう儀式的なものになっていた。
彼女の勤務も、僕の仕事もかなり過酷なものになってきている。
まして僕の今の立場など、人に話して何が解決する、というものでもない。

「もしもし?」
 彼女が最近購入したという携帯電話のほうへ連絡した。
「あ、ユウキ・・・ごめん、寝てた」
「はー・・疲れたな」
「今日はこんな事があってね・・・時間いい?」
「ああ・・・」
僕は時計を見ながらいちおう話を聞くことにした。
しかし意識は少し混濁しており、相槌をうつ程度で実際は聞き流してるのと同じだ。

内容も把握せぬまま1時間、2時間が経過していく。
「・・・ね!今、寝てなかった?」
「え?ああ、すまない・・」
「もう切るわ。少し、気、済んだし。ああ、やだなー」
「ああ、じゃあ」
「ね、今度はいつ予定、空くの?」
「週末しかないだろ?でもダメだ。今のところ余裕がない」

 しかしカレンダーには何も予定はない。かといって空く保証などない。
「そっか。じゃあ今月はムリね」
「そうだな・・・ま、日が空くようならまた電話する」
「わかった。じゃあね」

 やっと電話が終わった。こんな関係、続けていいのか。いつまで。

 さっき持って上がった郵便受けの封筒。かなりの量だ。
「また請求書か・・・」
 しかし1通、分厚い封筒が入っている。
「松田先生・・・懐かしいなあ」
 大学をドロップアウトして民間の病院に勤めている先生だ。大学とは縁を切ったと
聞いていたが。そんなに親しいともいえない僕に、なぜ?

 内容はこうだった。
『こんにちは、ユウキ先生。かなり御健闘のことと思います。私は関西の民間個人病院で頑張っています』

「自筆だな・・・」
『私の病院は大学や官公立のようなしばりがないオープンな病院で、仕事がしやすいです。年収は1400万以上
大学のような余計な雑用もなく、純粋な医療ができます。スタッフも優しい人ばかりです。君にふさわしい職場
とも思い、今回お手紙しました』

 なんだこりゃ。人材募集かよ?
『もし君が今の現状に満足してなくて、私の勤務する病院に少しでも興味があれば、お気軽に以下の連絡先へ
。うちの真田事務長も、君をかなり気に入っておられます』

 現状に満足してない・・・前者は当たってるが、後者は・・・ちょっと興味あるかも。
そりゃストレスなしで年収まで上がるならなー。しかし、あんなに落ち込んでた先生が安心して働ける職場って・・。
でもこの『真田事務長』って誰だ?なんで僕のことを気に入るんだ?
 まあ、悪い気はしないな。

 でも今は目先だ。今受け持ちの患者のストレスで一杯だ。来年の3月までやり通す。それだけだ。

 しかし、僕が完全にハマっている本田さんは・・・。今度も僕の一方的な片思いで終わってしまうのだろうか。

 レジデント勤務終了まで、あと4ヶ月。

 

<つづく>

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