< レジデント・SICKS 10 アイム・プライド >
2004年6月7日 連載車は病院の駐車場に止められた。医師公舎まで細い路地を歩く。明かりは少なくゴーストタウンのようだ。
「怖いよ、私」
「大丈夫・・・どうか誰にも見つかりませんように」
「見つかってもいいじゃない」
「遊んでると思われるんだよ」
だが・・・・信じられないが・・・・ちょうど今の時間帯を忘れていた。深夜入りにあたる時間だ。
医師公舎の近くのマンションから、ナースたちがゾロゾロと出てくる。
「しまった・・・・」
暗い路地でも、相手の顔ぐらいは判別できた。病棟のナースがほとんどのようだ。どうか、どうか彼女には
会いませんように・・・。
医師公舎までもうあと1分くらいになった。あれは・・・間違いない。
彼女だ・・・。
すれ違う寸前、本田さんはハッとこちらに気づいた。
「?ああ、おこんばんは」
「あ、こんばんはー」
かっこ悪く会釈をして、僕は歯を喰いしばった。
次の日、午前中に顔出ししたが、なんとかいったん家に帰れた。夕方にはもう送っていかないといけない。
昼は出前を取った。
彼女は乱れた部屋の隙間を見つけてなんとか座っていた。
「よほど忙しいのね」
「え?ああ・・・これ、出前の」
「ありがとう。掃除しようかと思ったけど、勝手に触ったらいけないと思って」
「自分でやるから」
「あたし、仕事大変になってきて。人間関係とかね」
「ああ・・それは誰だってある」
「ユウキみたいに、いいよなー。グループで仕事してて、ICUには配属されて」
「グループ?」
「電話で言ってたじゃない。みんな仲がいいって」
余計なことを聞かれたくないので、電話ではうまくいってることにしてあった。
「でもあと2ヶ月で転勤なんだよ」
「え?また?」
「レジデントの宿命だ。仕方ないよ」
「ついこの前から働き始めたとこなのに?」
「しょうがない」
「こんなに転々として、大丈夫なの?」
「人事は医局が決めてる!仕方ないだろ!」
「またそうやって怒る・・・。最近、怒りっぽいよ」
ダメだ。こんな調子じゃ、相談相手とはいえない。
ピーピーとポケベルが鳴り出した。
「きたな」
「え?またなの?」
「もしもし・・・はいはい・・・・」
電話を切った。
「気胸が来る。今すぐ」
「重症の?」
「知らないよ、行ってみないと」
「当直医にさせれば?」
「じゃあ君からそう言ってくれよ!」
「あたしはどうしたらいいの?」
「あたしは、あたしは・・・って!僕だって自分のことで精一杯なんだよ!」
「怒ってばっかり・・・」
僕は駆け足で病院へ飛び込んだ。
救急外来では当直医がカルテを書いている。
「ああ、来た来た」
なんだ、澤田じゃないか。
「レントゲンこれね。間違いなく気胸でしょう!」
自慢げに彼はシャーカステンの写真を指差した。
左の肺がレントゲンで一様に4センチほど縮んでいる。
全体の肺の印象からすると・・・。
「COPDでのブラ破裂ですかね」
多分分かるはずもない澤田先生に横目で話しかけた。
「うん・・・・うん・・・・ま、君の出番だと思ってね」
「CTはどこです?」
「CT?気胸だよ。もう診断ついたんだから、上に上げて処・・・」
「初回の気胸ですか?」
「僕に聞くなよ。さ、あとはよろしく」
「CTで部分的な癒着がないかとか、他に大きいブラがないか確認しておく
必要があるんです」
「ま、僕の分野じゃないから・・・」
「先生。申し訳ないのですが、自分はICU/CCU搬入後の処置の担当でして」
「?」
「こういった救急外来ですべき処置は、その担当の先生にさせるよう言われてまして」
「僕に、しろと?」
「しろというわけではなくて・・」
担当のナースもそれを理解していた。彼女も黙っていなかった。
「澤田先生。そういうことなんです。ですから私がさきほどお願いしましたように・・・!」
「うるさい!お前になんで言われなくちゃいけないんだ!」
僕自身、ドレーンは数回入れたこともあるし、決して避けようとしていたわけではない。
しかし院長からの直々の命令なのだ。僕に勝手なことをさせないための厳戒令なわけだが。
「ドレーンぐらい、俺が入れれないとでも?おいナース、ドレーンのサイズは・・・!」
「ここにあります。どれでもどうぞ」
すでに何本ものドレーンが処置台に並べてある。
「そ、その18Fr!」
僕はICU/CCUへ連絡した。本田さんがリーダーだ。
「もうすぐ入ると思う。ドレーン入れてもらって、そのあと。うん。じゃあ」
ナースが介助、50台の患者の胸に布が被せられた。消毒。局所麻酔。
「CT?そんなもんばっかりに頼ってちゃあ・・・」
澤田先生は怒りがまだ収まっていないようだった。
「俺らの時代は、そんなものなんか、なかったぞ・・・・これ、痛いですかー?」
軽度の呼吸困難のある患者はO2 3LでSpO2 99%。
「いえ・・・特には」
「はい、じゃあ、看護婦。ドレーン。ゆっくり渡せよ・・・・ゆっくり!あ、バカ!不潔不潔!」
ナースの手がわずかに手袋に触れたようだ。
「・・・ったく・・・看護婦は、こいつしかいないのか!」
患者は少し不安になったようで、辺りを見回し始めた。
「動いたらいけないよ!違うとこ刺しちゃうでしょ!」
「は、はい!」
「そのまま!動かない!」
レントゲンを撮影した小杉が入り口で立っていた。僕を見ていたようだが、僕の視線を
感じるやいなや澤田先生の方を向いた。こいつも気を利かせてCT撮りゃよかったのに・・。
肋間をモスキートでこじ開け、入り口を確保。エアが出るかの確認もしないつもりか?
それとも少し出て、僕が聞き逃しただけか?
「それ!」
ドレーンが一瞬、数センチ、ズブッと入った。だが抵抗があるようだ?
「あたたっ!」
患者が少しのけぞった。澤田先生は体を押さえた。
「まだまだ!じっとして!」
抵抗に打ち勝つため、澤田先生は両手で先に押し進めようとした。
「固いな、この肺・・・!」
その瞬間、あえぐ患者の口からズバーーーッと、血煙が吹き上げられた。
「どうしてだ、おい!」
澤田先生は慌てて周囲の人間に視線を投げかけた。
「きゃあ!」
ナースはあわてて後ずさりした。僕はあわてて患者の横へついた。
「分かりますか?種田さん?分かりますか?」
患者は両目を見開いたまま、呼吸も停止した状態だ。脈も・・・ない!
「看護婦さん!挿管挿管!」
ナースはパニクッていた。
「はい?はい?」
オーベンから教わった対処法を思い出した。
「狭山さん!これだけお願い!」
大声で狭山さんを釘付けにした。個人名の呼びかけが優先。名詞・目的物はあとだ。
「は、はい!」
「落ち着いて持ってきて!救急カートから、挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡の3つ!」
「は・・・はいはい、ええと、チューブ・・」
「挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡!」
澤田先生はチューブをあわてて抜こうとかかった。僕は慌てた。言葉を選ぶ余裕はない。
「それは抜くな!」
澤田先生はビビッて後ずさりした。
挿管チューブを入れようにも・・・口腔内が出血だらけだ。
「吸引してくれよ!」
ナースがおそるおそるチューブを入れてくる。
「何やってんだ?ちゃんと取ってくれ!」
「先生、この人・・・HCV陽性・・・」
「だったら何なんだよ!」
内心、焦った。だが声門が見えない。2重に焦った。
<つ…
「怖いよ、私」
「大丈夫・・・どうか誰にも見つかりませんように」
「見つかってもいいじゃない」
「遊んでると思われるんだよ」
だが・・・・信じられないが・・・・ちょうど今の時間帯を忘れていた。深夜入りにあたる時間だ。
医師公舎の近くのマンションから、ナースたちがゾロゾロと出てくる。
「しまった・・・・」
暗い路地でも、相手の顔ぐらいは判別できた。病棟のナースがほとんどのようだ。どうか、どうか彼女には
会いませんように・・・。
医師公舎までもうあと1分くらいになった。あれは・・・間違いない。
彼女だ・・・。
すれ違う寸前、本田さんはハッとこちらに気づいた。
「?ああ、おこんばんは」
「あ、こんばんはー」
かっこ悪く会釈をして、僕は歯を喰いしばった。
次の日、午前中に顔出ししたが、なんとかいったん家に帰れた。夕方にはもう送っていかないといけない。
昼は出前を取った。
彼女は乱れた部屋の隙間を見つけてなんとか座っていた。
「よほど忙しいのね」
「え?ああ・・・これ、出前の」
「ありがとう。掃除しようかと思ったけど、勝手に触ったらいけないと思って」
「自分でやるから」
「あたし、仕事大変になってきて。人間関係とかね」
「ああ・・それは誰だってある」
「ユウキみたいに、いいよなー。グループで仕事してて、ICUには配属されて」
「グループ?」
「電話で言ってたじゃない。みんな仲がいいって」
余計なことを聞かれたくないので、電話ではうまくいってることにしてあった。
「でもあと2ヶ月で転勤なんだよ」
「え?また?」
「レジデントの宿命だ。仕方ないよ」
「ついこの前から働き始めたとこなのに?」
「しょうがない」
「こんなに転々として、大丈夫なの?」
「人事は医局が決めてる!仕方ないだろ!」
「またそうやって怒る・・・。最近、怒りっぽいよ」
ダメだ。こんな調子じゃ、相談相手とはいえない。
ピーピーとポケベルが鳴り出した。
「きたな」
「え?またなの?」
「もしもし・・・はいはい・・・・」
電話を切った。
「気胸が来る。今すぐ」
「重症の?」
「知らないよ、行ってみないと」
「当直医にさせれば?」
「じゃあ君からそう言ってくれよ!」
「あたしはどうしたらいいの?」
「あたしは、あたしは・・・って!僕だって自分のことで精一杯なんだよ!」
「怒ってばっかり・・・」
僕は駆け足で病院へ飛び込んだ。
救急外来では当直医がカルテを書いている。
「ああ、来た来た」
なんだ、澤田じゃないか。
「レントゲンこれね。間違いなく気胸でしょう!」
自慢げに彼はシャーカステンの写真を指差した。
左の肺がレントゲンで一様に4センチほど縮んでいる。
全体の肺の印象からすると・・・。
「COPDでのブラ破裂ですかね」
多分分かるはずもない澤田先生に横目で話しかけた。
「うん・・・・うん・・・・ま、君の出番だと思ってね」
「CTはどこです?」
「CT?気胸だよ。もう診断ついたんだから、上に上げて処・・・」
「初回の気胸ですか?」
「僕に聞くなよ。さ、あとはよろしく」
「CTで部分的な癒着がないかとか、他に大きいブラがないか確認しておく
必要があるんです」
「ま、僕の分野じゃないから・・・」
「先生。申し訳ないのですが、自分はICU/CCU搬入後の処置の担当でして」
「?」
「こういった救急外来ですべき処置は、その担当の先生にさせるよう言われてまして」
「僕に、しろと?」
「しろというわけではなくて・・」
担当のナースもそれを理解していた。彼女も黙っていなかった。
「澤田先生。そういうことなんです。ですから私がさきほどお願いしましたように・・・!」
「うるさい!お前になんで言われなくちゃいけないんだ!」
僕自身、ドレーンは数回入れたこともあるし、決して避けようとしていたわけではない。
しかし院長からの直々の命令なのだ。僕に勝手なことをさせないための厳戒令なわけだが。
「ドレーンぐらい、俺が入れれないとでも?おいナース、ドレーンのサイズは・・・!」
「ここにあります。どれでもどうぞ」
すでに何本ものドレーンが処置台に並べてある。
「そ、その18Fr!」
僕はICU/CCUへ連絡した。本田さんがリーダーだ。
「もうすぐ入ると思う。ドレーン入れてもらって、そのあと。うん。じゃあ」
ナースが介助、50台の患者の胸に布が被せられた。消毒。局所麻酔。
「CT?そんなもんばっかりに頼ってちゃあ・・・」
澤田先生は怒りがまだ収まっていないようだった。
「俺らの時代は、そんなものなんか、なかったぞ・・・・これ、痛いですかー?」
軽度の呼吸困難のある患者はO2 3LでSpO2 99%。
「いえ・・・特には」
「はい、じゃあ、看護婦。ドレーン。ゆっくり渡せよ・・・・ゆっくり!あ、バカ!不潔不潔!」
ナースの手がわずかに手袋に触れたようだ。
「・・・ったく・・・看護婦は、こいつしかいないのか!」
患者は少し不安になったようで、辺りを見回し始めた。
「動いたらいけないよ!違うとこ刺しちゃうでしょ!」
「は、はい!」
「そのまま!動かない!」
レントゲンを撮影した小杉が入り口で立っていた。僕を見ていたようだが、僕の視線を
感じるやいなや澤田先生の方を向いた。こいつも気を利かせてCT撮りゃよかったのに・・。
肋間をモスキートでこじ開け、入り口を確保。エアが出るかの確認もしないつもりか?
それとも少し出て、僕が聞き逃しただけか?
「それ!」
ドレーンが一瞬、数センチ、ズブッと入った。だが抵抗があるようだ?
「あたたっ!」
患者が少しのけぞった。澤田先生は体を押さえた。
「まだまだ!じっとして!」
抵抗に打ち勝つため、澤田先生は両手で先に押し進めようとした。
「固いな、この肺・・・!」
その瞬間、あえぐ患者の口からズバーーーッと、血煙が吹き上げられた。
「どうしてだ、おい!」
澤田先生は慌てて周囲の人間に視線を投げかけた。
「きゃあ!」
ナースはあわてて後ずさりした。僕はあわてて患者の横へついた。
「分かりますか?種田さん?分かりますか?」
患者は両目を見開いたまま、呼吸も停止した状態だ。脈も・・・ない!
「看護婦さん!挿管挿管!」
ナースはパニクッていた。
「はい?はい?」
オーベンから教わった対処法を思い出した。
「狭山さん!これだけお願い!」
大声で狭山さんを釘付けにした。個人名の呼びかけが優先。名詞・目的物はあとだ。
「は、はい!」
「落ち着いて持ってきて!救急カートから、挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡の3つ!」
「は・・・はいはい、ええと、チューブ・・」
「挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡!」
澤田先生はチューブをあわてて抜こうとかかった。僕は慌てた。言葉を選ぶ余裕はない。
「それは抜くな!」
澤田先生はビビッて後ずさりした。
挿管チューブを入れようにも・・・口腔内が出血だらけだ。
「吸引してくれよ!」
ナースがおそるおそるチューブを入れてくる。
「何やってんだ?ちゃんと取ってくれ!」
「先生、この人・・・HCV陽性・・・」
「だったら何なんだよ!」
内心、焦った。だが声門が見えない。2重に焦った。
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