久しぶりに、僕は家に帰った。

引越しの準備もしなくてはならないのに、部屋は相変わらず散らかっている。

風呂場やトイレは、例の彼女がキレイに片付けてくれていた。

明日はいよいよ24時間の年度末当直だ。おそらく今までで最もハードなものになるだろう。

それが終わったら大学へ向けて引越し。不動産とのやり取りは電話で済ませた。またボロアパート
に住む。今日のうちにでもダンボール箱に全て入れたりする作業をやらないと。

この1年で貯金が200万は貯まった。それだけは有り難い。しかし車は廃車寸前。
不規則な生活でコレステロール値が上昇。患者に食事指導する資格はない。

結局1年間読んでなかった本を見廻し、ため息をついた。
「・・・・・何、こんなの大事そうに持ってるんだろう・・・オレ」

1冊ずつ、ダンボール箱へ。1冊ずつ、1冊ずつ・・・。いきなり僕の手は止まった。
「くそっ!」
それらの本はダンボール箱ごと、ひっくり返された。
「学会がなんだ!書籍が・・なんだ!」
一番重い『新臨床内科学』がズドンと床に落ちた。

僕は無言でそれらをゴミ袋に入れだした。本が重く・硬いので、ゴミ袋はすぐ破れる。
だから袋を2重にした。

「今は・・・要らない。こんなの、いらない!」
月日が経てば、次の版が出るので買いなおせばいい。そんな安易な考えもあった。
そのとき持っていた『今日の治療薬』は1990年度版で、もはや『今日』ではない。
『最新処方』も『旧式処方』となっていた。内科学会雑誌の場合は、来るべき
認定医試験に備えてのトレーニング問題・・のところだけ破って、あとは捨てた。

国家試験の際に使った参考書も・・・小児科・産婦人科のも大事に置いていたが・・
これらも古くなってしまった。捨てる。

またたく間に、ゴミ袋が20ほど出来上がった。ダンボールには服や必需品が入っている。

机の引き出しをあけると、小さな箱が出てきた。片手で持ったら簡単に床に落ち、中の写真が
バラバラ出てきた。
「この写真は・・・・・」
 例の遠距離の彼女との写真だ。旅行先で撮った写真、働いて間もないときの写真。
それらを時系列に並べてみた。
 最初の写真というのはお互い遠慮があって、表情も作ったりしているものが多い。だけど・・・
時が経つにつれて、そんな説明は要らないものになっていく。あくまでも自然そのもの。
関係が自然になると、写真はもう写真でなく、その目撃者でしかない。

 僕らは自然だったはずなのに、何がそれを壊したのか。

 待てよ。果たして僕は、自然だったか?昔のように、ありのままだったのか?

 弱さを見せないことで、自分の自尊心を守ってきただけなのだろうか。そしてこれからも・・・。


 携帯が鳴った。これは・・・
「もしもし」
「あ、あたしあたし」
「本田さん?」
「今も体調が悪くて」
「ここ最近、ほとんど休んでない?」
「ううん、でも元気。もう転勤でしょう、先生。最後の挨拶をと思って」
「最後?何だよそれ?今度近いうち、どっかで話でもできたら・・・」
「まあ、書いた通りなのよ」
「?」
「あまり深く考えないで」
「なに?書いたって・・・?何に?」
「え?もらってない?」
「だから、何をだよ?」
「角ちゃんに渡したのに」
 僕は思い出した。そういや先日・・・。

「もらったもらった。白衣の中だ」
「うっそー。最低」
「今から医局へ戻って・・・」
「今日は寝ないとダメよ!」
「気になるだろ!」
「頑張って!」
「待てよ!そうだ!君の番号を・・・」
「そんなの、教えても・・」
「そうかい。わかったよ。もう心配するか!」
 僕はペンを放り投げた。
「先生はもうかけてこないよ」
「冷たい女!もう切る!」
 僕は電話を切った。シーンとあたりは静まり返り・・・またかかってくることもなかった。

 確かに僕は怒りっぽくなっただけでなく・・・人間的に非道になってきた。

「どうせ手紙には、『ゴメンなさい』、だけだろ!」
 そう言って、電気に手も伸ばさず僕はフテ寝した。



 結局いろいろ考えながらで夜は寝れず、そのまま朝を迎えてしまった。

救急の時間帯は食事がろくに取れないため、コンビニで朝食を購入、飲み物もまとめて買った。
朝の6時、まだ外は暗い。数日後に手放す愛車に乗って、近所のコンビニへ。

車は走るたびガクガクと妙な音をたて、ブレーキの利きも悪く、修理代を考慮して廃車の扱い
となっている。大学へ戻ったら近所に住む予定なので、車もしばらくなくていい。バイトは電車での
乗り継ぎ出来るところを考慮してもらおう。

弁当を食べ終わる頃、ふと医局の手紙が気になった。

車を玄関前に止め、そのまま医局へ。机にはもう荷物はない。ダンボールがあるだけ。
僕の白衣に・・・たしかに1通、入っている。
中身は薄い。取り出すと1枚、数行の手紙。あまり期待しないようにした。

『体調が悪いのでしばらくの間、休みます』

それで・・?

『先生の気持ちはうれしいです。あたしも同じかもしれません』

うそ・・・だったら・・・。

『でも先生は彼女を大切にして欲しいし。先生を想い続けた人だし。私も・・・』

なんだ?なんなんだ?

『私も考え直すことがあって、私を想い続けてくれた彼のもとへ戻るつもりです』

・・・・・・・

『先生のおかげです。ありがとう。本田 路』

・・・・・・・

医局の窓、外に見える海がだんだん明るくなっている。波は穏やかだ。
今日が救急日だとは思えないような静けさ。なんとか僕は平静を取り戻そうと
した。しかし・・・・しかし・・・・。

「ふざけやがって!」
僕は手紙を丸め、また開き、粉々に破り捨てた。
「最後にこれはないだろ!」
そこらにあるゴミ箱を蹴りまくった。

「もういやだ!もう!出て行きたい!辞める!」
脳裏に松田先生の病院のことが浮かんだ。
だがそれで何が生まれ変わるというのか。

トイレで何度も吐き気をもよおし、脱力と倦怠感に襲われた。
だが現実は容赦なく迫ってくる・・・。


救急診療開始まで、あと1時間を切った。


これが終われば、僕のレジデント生活は終止符を打つ。


<つづく>

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