<R2 オーベン&コベンダーズ 1-1 ダブル・レジデント>
2004年7月17日 連載ユウキ先生は、カンファレンスルームの掃除をしていた。
「やあ、先生!」
「野中か。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「オレは院に行く。医局で研究のみに打ち込もうと思う。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
ユウキ先生は本箱を運んで行った。
野中先生は医局員が見守る中、思いっきりバケツを蹴った。
「あいつ・・・!」
ユウキ先生は医局で、オーベンに別れを告げる。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。
入局がすでに決定している僕も見送りに出かけた。
窪田先生が振り向く。
「じゃあ、レジデントの諸君。地震がまた起きぬことを祈って!」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去ってく。
医局員も散り散りになりはじめた。女の先生が後ろから呼び止めている。
医局員が多数、正面玄関から注目している。
一体何を話しているのか・・・?
やがて女医さんは歩いてきた。
なにか・・・すごく冷たい表情をしている。
みな、医局へ戻り始めた。
医局長が呼び止める。
「じゃあ、今度あと2人来るから。出勤日はわかるね?トシキ君」
「はい!」
平成7年。春。
大きな会議室で医局会。新医局長の安井先生が教壇に立った。
「今年の入局者は男子2名、女子1名。最前列に座って頂いております、今後の医局のホープです。最近はマイナー志向が目立ってきており、我々もヒヤヒヤしておりましたが・・・こうして頼りがいのある若手に来ていただいて、誠に嬉しい限りです」
自己紹介させられるのか?僕は童顔の水野と顔を合わせた。
「水野、自己紹介、考えてきた?」
「え?やだよ」
とたん、医局長と両目が合った。
「では自己紹介をどうぞ!」
え?僕からか?仕方なく立ち上がった。後ろを振り返ると、みな無機質に僕を見つめている。
「えーこれからこの医局でお世話になります、トシキといいます。いろいろとご迷惑おかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」
しばらくの沈黙のあと、パラパラと拍手が鳴り続けた。
女医の新人が立ち上がる。少しふっくらしているが、デブじゃない。ほっぺが赤く、いかにも田舎の子だ。
「森といいます!出身は大阪府吹田市です。循環器のほうに進みたくてこの医局に入りました!頑張りますので宜しくお願いします!」
最初から、圧倒的だな。
「水野です。兵庫の大学出身です。頭はバカですが、体力には自信がありますので、なんなりとお申し付けください。よろしくお願いします」
拍手は止み、次の議題だ。
「では研修医諸君はこれより病棟のオリエンテーションですね。それからオーベンとの打ち合わせを。窪田くん、震災のレポートを」
窪田先生が後ろからゆっくり歩いてきた。長身で色白だ。学生の頃はオカマっぽいとの噂が立っていた。
「私が担当したのは被災地の中心というわけではなく、西宮の駅周辺が主でした。しかしそれでも被害はかなり甚大でした」
窪田先生は話を続けた。
「とにかく患者は選べませんでした。震災からしばらく経っていたせいか外傷は少なく、風邪や肺炎の方がほとんどだったと記憶しています。睡眠は宿舎で6時間は取れるという話でしたが、実際はワゴン車で泊まりました。食事は1日1回。睡眠は実質3時間。寝てても起こされ続けました。わたしのプアな体力では、1週間が限度でした」
医局長が僕らに向って微笑んでいた。
「窪田君からはその1週間、連絡がないままでね。私らも気が気じゃなかった」
窪田先生は続けていた。
「精神的なショックを抱えた症状もよく診ました。これに起因するいろんな不定愁訴の場合、除外診断するのが一苦労・・・」
教授・助教授らメインキャストはゆっくり立ち上がり、扉へと歩いていった。なんか、無神経だな。
「用意してもらうはずの医療器具は不足。当然、診断の精度も落ちます。ですがいろいろ学びました。今は専門化・細分化が唱えられていますが、
それだけの人間になってはいけない。食わず嫌いの医者はね」
メインキャストが帰ったせいか、口調が柔らかくなった。視線は僕らへ注がれた。
「レジデントの諸君も、自分が見たもの、聞くものを全て吸収していって欲しいです。困難であることも苦い体験も、必ずあとで役に立つものです」
いつの間にか数名だけとなり、医局会は終了した。
おとなしい感じの森さんは、早歩きで窪田先生のところへ進んでいった。何やら質問をしているようだ。水野は僕についてきた。
「水野・・・オーベン、誰になるのかなあ」
「ぼ、僕はよその大学から来たから・・どの先生がどうかは知らないよ」
「怖い先生とかいるらしいよ」
「それだけは勘弁だなあ」
「窪田先生だったらいいな」
「さっきの話・・・なんか胸が痛いよ」
「どうして?」
「僕の出身の大学は、地元の震災であるにもかかわらず何もできなかった」
「それはもう聞いたよ。だからそこの医局は辞めたんでしょ?」
「ああ。恥ずかしいよ」
病棟のカンファレンスルームで待つ。
「水野、この表、見ろよ」
黒板脇に当番表が貼ってある。水野は食い入るように見ていた。
「1週間の日程表だ。僕とトシキの名前もある・・・午前はほとんど外来だね」
「点滴などの処置係と問診係かあ・・学生のときに見学した」
「いいよね、レジデントの多いところは」
「午後は病棟。でもほぼ毎日夕方、カンファレンスがある」
医局長が入ってきた。僕らは反射的に立ち上がった。
「あ、いいよ。座って座って」
僕らは大きな丸机を囲んだ。森さんも入ってきた。
「あこがれのクボっちゃんと話できたわ。ラッキー」
続いて、3人ドクターが入ってきた。みんな、うち1人は若い。
医局長は簡単に紹介した。
「院生・助手の畑くんと松田くん、それからレジデント2年目の野中くん」
噂の畑先生だ。万年助手→院生でなかなか卒業できてなかったが、最近なぜか論文が通ったらしい。
松田先生も院生で、実験・論文も大詰めと聞く。あと1年で卒業のはずだ。しかし噂では鬱状態とか。
院生1年目の野中先生。昨年のレジデントで一番優秀だったらしいが性格キツイって・・・それにしても、もう2年目でオーベンを?
臨床実習の裏ノートからの情報だ。
医局長は割り振りを始めた。
「院生やレジデントが担当になってすまないね。なんせ人がいなくて。ですがいずれも信頼できるベテランのスタッフです。心配ないです。では、森さんは畑くん。水野先生は松田くん。トシキくんは野中君」
ええっ?すると僕はレジデント同士ってこと?
森さんはおもむろに残念そうだ。畑先生はニヤニヤしている。
「へへへ、よろしくな!クボちゃんでなくてメンゴメンゴ!」
松田先生は水野を無言で引き連れて行った。
色黒で目の鋭い先生がヌッと手を差し伸べた。
「野中だ。しかしなんで俺がオーベンを。トシキ、か。俺の雑用も一緒にやってくれよ」
なんだか嫌な予感。
「やあ、先生!」
「野中か。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「オレは院に行く。医局で研究のみに打ち込もうと思う。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
ユウキ先生は本箱を運んで行った。
野中先生は医局員が見守る中、思いっきりバケツを蹴った。
「あいつ・・・!」
ユウキ先生は医局で、オーベンに別れを告げる。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。
入局がすでに決定している僕も見送りに出かけた。
窪田先生が振り向く。
「じゃあ、レジデントの諸君。地震がまた起きぬことを祈って!」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去ってく。
医局員も散り散りになりはじめた。女の先生が後ろから呼び止めている。
医局員が多数、正面玄関から注目している。
一体何を話しているのか・・・?
やがて女医さんは歩いてきた。
なにか・・・すごく冷たい表情をしている。
みな、医局へ戻り始めた。
医局長が呼び止める。
「じゃあ、今度あと2人来るから。出勤日はわかるね?トシキ君」
「はい!」
平成7年。春。
大きな会議室で医局会。新医局長の安井先生が教壇に立った。
「今年の入局者は男子2名、女子1名。最前列に座って頂いております、今後の医局のホープです。最近はマイナー志向が目立ってきており、我々もヒヤヒヤしておりましたが・・・こうして頼りがいのある若手に来ていただいて、誠に嬉しい限りです」
自己紹介させられるのか?僕は童顔の水野と顔を合わせた。
「水野、自己紹介、考えてきた?」
「え?やだよ」
とたん、医局長と両目が合った。
「では自己紹介をどうぞ!」
え?僕からか?仕方なく立ち上がった。後ろを振り返ると、みな無機質に僕を見つめている。
「えーこれからこの医局でお世話になります、トシキといいます。いろいろとご迷惑おかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」
しばらくの沈黙のあと、パラパラと拍手が鳴り続けた。
女医の新人が立ち上がる。少しふっくらしているが、デブじゃない。ほっぺが赤く、いかにも田舎の子だ。
「森といいます!出身は大阪府吹田市です。循環器のほうに進みたくてこの医局に入りました!頑張りますので宜しくお願いします!」
最初から、圧倒的だな。
「水野です。兵庫の大学出身です。頭はバカですが、体力には自信がありますので、なんなりとお申し付けください。よろしくお願いします」
拍手は止み、次の議題だ。
「では研修医諸君はこれより病棟のオリエンテーションですね。それからオーベンとの打ち合わせを。窪田くん、震災のレポートを」
窪田先生が後ろからゆっくり歩いてきた。長身で色白だ。学生の頃はオカマっぽいとの噂が立っていた。
「私が担当したのは被災地の中心というわけではなく、西宮の駅周辺が主でした。しかしそれでも被害はかなり甚大でした」
窪田先生は話を続けた。
「とにかく患者は選べませんでした。震災からしばらく経っていたせいか外傷は少なく、風邪や肺炎の方がほとんどだったと記憶しています。睡眠は宿舎で6時間は取れるという話でしたが、実際はワゴン車で泊まりました。食事は1日1回。睡眠は実質3時間。寝てても起こされ続けました。わたしのプアな体力では、1週間が限度でした」
医局長が僕らに向って微笑んでいた。
「窪田君からはその1週間、連絡がないままでね。私らも気が気じゃなかった」
窪田先生は続けていた。
「精神的なショックを抱えた症状もよく診ました。これに起因するいろんな不定愁訴の場合、除外診断するのが一苦労・・・」
教授・助教授らメインキャストはゆっくり立ち上がり、扉へと歩いていった。なんか、無神経だな。
「用意してもらうはずの医療器具は不足。当然、診断の精度も落ちます。ですがいろいろ学びました。今は専門化・細分化が唱えられていますが、
それだけの人間になってはいけない。食わず嫌いの医者はね」
メインキャストが帰ったせいか、口調が柔らかくなった。視線は僕らへ注がれた。
「レジデントの諸君も、自分が見たもの、聞くものを全て吸収していって欲しいです。困難であることも苦い体験も、必ずあとで役に立つものです」
いつの間にか数名だけとなり、医局会は終了した。
おとなしい感じの森さんは、早歩きで窪田先生のところへ進んでいった。何やら質問をしているようだ。水野は僕についてきた。
「水野・・・オーベン、誰になるのかなあ」
「ぼ、僕はよその大学から来たから・・どの先生がどうかは知らないよ」
「怖い先生とかいるらしいよ」
「それだけは勘弁だなあ」
「窪田先生だったらいいな」
「さっきの話・・・なんか胸が痛いよ」
「どうして?」
「僕の出身の大学は、地元の震災であるにもかかわらず何もできなかった」
「それはもう聞いたよ。だからそこの医局は辞めたんでしょ?」
「ああ。恥ずかしいよ」
病棟のカンファレンスルームで待つ。
「水野、この表、見ろよ」
黒板脇に当番表が貼ってある。水野は食い入るように見ていた。
「1週間の日程表だ。僕とトシキの名前もある・・・午前はほとんど外来だね」
「点滴などの処置係と問診係かあ・・学生のときに見学した」
「いいよね、レジデントの多いところは」
「午後は病棟。でもほぼ毎日夕方、カンファレンスがある」
医局長が入ってきた。僕らは反射的に立ち上がった。
「あ、いいよ。座って座って」
僕らは大きな丸机を囲んだ。森さんも入ってきた。
「あこがれのクボっちゃんと話できたわ。ラッキー」
続いて、3人ドクターが入ってきた。みんな、うち1人は若い。
医局長は簡単に紹介した。
「院生・助手の畑くんと松田くん、それからレジデント2年目の野中くん」
噂の畑先生だ。万年助手→院生でなかなか卒業できてなかったが、最近なぜか論文が通ったらしい。
松田先生も院生で、実験・論文も大詰めと聞く。あと1年で卒業のはずだ。しかし噂では鬱状態とか。
院生1年目の野中先生。昨年のレジデントで一番優秀だったらしいが性格キツイって・・・それにしても、もう2年目でオーベンを?
臨床実習の裏ノートからの情報だ。
医局長は割り振りを始めた。
「院生やレジデントが担当になってすまないね。なんせ人がいなくて。ですがいずれも信頼できるベテランのスタッフです。心配ないです。では、森さんは畑くん。水野先生は松田くん。トシキくんは野中君」
ええっ?すると僕はレジデント同士ってこと?
森さんはおもむろに残念そうだ。畑先生はニヤニヤしている。
「へへへ、よろしくな!クボちゃんでなくてメンゴメンゴ!」
松田先生は水野を無言で引き連れて行った。
色黒で目の鋭い先生がヌッと手を差し伸べた。
「野中だ。しかしなんで俺がオーベンを。トシキ、か。俺の雑用も一緒にやってくれよ」
なんだか嫌な予感。
コメント