< オーベン&コベンダーズ 1-4 レジデント対助教授 >
2004年7月20日 お仕事夕方、いつものように各患者の『本日の経過』をオーベンに報告。
「失礼します」
実験中のオーベンは、顕微鏡から目が離せない。何やらカチカチ計算している。
「今、よろしいでしょうか?」
「ダメだ!あーっ!どこまでか忘れた!なんてウソだ」
「・・・」
オーベンでも冗談、言うんだ・・・。
「ああ、どうぞ」
「ターミナルの方は相変わらず徐脈です。今日のカリウムは6.6」
「相変わらず、とは何だ。言葉に気をつけろ」
「家族の方がムンテラを希望されてました」
「先週したよ」
「東北の親戚の方が来られて、明日の朝には帰ると」
「初めて見る家族だ」
「で、じゃあ今日説明できるようお願いしてきますと言っておきました」
「わかった・・・なんだと?」
カチカチが止んだ。
「アホかお前?なんでお前の判断で俺が動かなきゃならんのだ?」
「す、すみません。明日の朝には帰られると・・」
「もう5時過ぎてる!平日の昼間に来てもらえ!」
「そ、そのように・・・?」
「とにかく今はダメなんだよ!早く行って来い!」
実験がうまくいってないのか・・すごく機嫌悪い。
というか単に僕が怒らせた?
「はい、行ってきます・・」
また戻らないといけない医局をあとにし、トボトボと歩き始めた。
久しぶりに根回しよく物事を運べると思ったが。
すると、後ろから肩を叩かれた。
「?あ、オーベン!」
「いいデータが出そうだぜ!」
僕らは早足で病棟へ向った。
オーベン、感謝してます・・。
そして。
教授回診前の新患プレゼン。2時間前から僕らは準備に取り掛かっていた。
大きな机の上に散乱する心電図、レントゲン、コピー用紙、グラフ用紙。
僕は先日入院があった高血圧の患者の準備。
カルテを開く。
主訴は・・・主訴?
この人は健康診断で高血圧を指摘されて、外来へ書類を持ってきて、血圧がかなり高かったから入院になったんだよな。
本人の話ではそうだった。
それにしても外来カルテは字が煩雑で読みにくい。検査データばかりで記載がほとんどない。まあ全部、頭に叩き込んでいるんだろうけど?
血圧は180/110mmHg、pulse rate 88/min整、心音はno murmur・・・。心電図はサイナスリズム。
「いいなあトシキは」
水野はうらやましそうに覗き込んでいる。
「どうして?」
「高血圧だろ。ゆっくりいけそうじゃない?僕はほら!今までの経過がすっごく長い・・・縦隔腫瘍の患者だ」
「今まで何クール、ケモ(化学療法)やってんだ?」
「8クールぐらいやってる」
「今回は再発?」
「そうみたい。縮小したら退院かな」
「そうか。森さんは?」
「今は話しかけないで!」
「なんだよ・・・拡張型心筋症?おい水野、このレントゲン見てみろよ、CTR 80%はあるぜ!」
彼女は走ってきてシャーカステンのフィルムを取り去った。
「いちいち、もう!」
彼女は焦ると完全にパニックになる性質だ。
どんどん時間が過ぎ、次から次へと先生方が入ってきた。あちこちのイス・ソファーで2、3人同士が固まり、ある者はタバコにまみれ、ある者はヒソヒソ話。講師クラスの先生はまだ来てない。
僕は時計を見た。
「おい、もう8時だよ」
水野は机にうつむいてひたすら筆記中だった。
「自分のが準備できたからって、ジャマに入らないでよ」
「そ、そうじゃないって!」
やがて窪田先生が入ってきた。うっすら余裕の笑顔を浮かべて。女学生からの人気ナンバー1もうなずける。
「や、おはようさん!コベンちゃらん」
「おはようございます!」
僕らは一斉に挨拶した。
「もう後ろから教授、来てまっせ。覚悟おし」
ところてんの如く講師クラスが続けてやってきた。みんな正規の位置に着席していく。やがて私語も少なくなっていった。
水野は書きかけていたが中断した。
「ええい!もうあとは野となれ!」
白髪の教授が助教授と入ってきた。みんな無言で待ち構えていた。
「うん。じゃあ、始めようか」
教授と最前列に座った助教授が、進行係。
「レジデントから!さ、我さきという者から!」
「では、わたしが!」
森さんが自分を奮い立たせるように声を荒げた。彼女は教壇に立った。
「40歳の男性。主訴は呼吸困難です。既往歴は10年前よりDCM。H2年とH5年に入院歴があります」
助教授がところどころツッコミを入れる。
「君、言葉の最後はきちんと!DCM。で終わらすんじゃなくて、DCMの既往があります!とか、わかりやすく!」
「はい!」
「それと入院歴があったなら、いつだけじゃなくて、何で入院してたかを明白にね!」
「はい!この方は・・・」
彼女はさっそくオーベンを目で探し始めたようだ。助教授は察知した。
「ん?オーベンか?オーベンは誰だ?」
「畑先生です」
医局長がとっさに答えた。
助教授は呆れた顔をした。
「畑。おーい、ハタケ?いないな。あいつがオーベンか・・。で、畑君は?医局長!」
「まだバイトから帰ってきてません」
医局長が答える。
「なに?バイトは早朝で切り上げだろう?」
「ですが・・・まだこちらには着いてないようで」
「バイトが終わるのは通常、何時だ?」
「名目上は、その病院の日勤の先生が到着する時間・・・9時前くらいでしょうね」
「なに?今日は大事なプレゼンだぞ。早く戻ってきてもらわんと困る!」
「ですから、早めに切り上げて戻ってくるよう伝えているのですが・・・」
このため早朝の時間帯にドクター不在とならざるを得ないケースが多い。
教授がボソッと呟く。みんなが一斉に耳ダンボとなる。
「はやく切り上げるって、あなた、それ・・・常勤の先生来るまでは、その病院・・・医者不在ってこと?」
助教授が少し取り乱していた。
「い、いやあ、それはないはずです、それは。じゃあ医局長!月曜日はプレゼンの時間帯のこともあるから!向こうの病院の常勤の先生にもうちょっと早めに来てもらうとか!君がいろいろ話し合って決めておくように!」
「ですが先生、よその病院の常勤の先生にそこまでは・・・」
「うちの系列か?」
「は?」
「そこの病院は、うちの大学の系列か?」
「いえ」
「うーん・・・ま!そこは臨機応変に!
臨機応変に!助教授の口癖だ。
この人たち、政治家みたいだなあ・・・。
助教授は少し機嫌が悪くなったようだ。
「じゃ、次いこう!わっちゃ、10分のロスタイムだ!はいはい!間宮くん!次々!」
「森ですが・・・」
「ん?ああ、そうだったな!現病歴!」
「昭和60年頃より当院循環器外来で定期内服されておりましたが平成2年と平成5年に呼吸困難で急性心不全にて入院。その後は安定していましたが3日前に呼吸困難が出現し、2日前に外来受診しました。急性心不全と診断し、入院しました」
「おいおい待ってくれ。何を根拠に急性心不全と?」
「え?呼吸困難があって・・」
「それで?」
「それで?」
「真似するなよ。それでどういう所見があって、どういう検査をしてそうなったんだ?って聞いてるんだよ?僕の言うこと、おかしい?」
「いえ・・」
「松田くん、僕の言うこと、おかしいか?君、笑っているようだが」
1列うしろの松田先生はハッと口を閉じた。
「いえ・・・」
「さっさと実験のデータ出せよ、きみい」
「はい・・・」
せっかく鬱から立ち直りかけていた松田先生は、またブルーに突入した。
<つづく>
「失礼します」
実験中のオーベンは、顕微鏡から目が離せない。何やらカチカチ計算している。
「今、よろしいでしょうか?」
「ダメだ!あーっ!どこまでか忘れた!なんてウソだ」
「・・・」
オーベンでも冗談、言うんだ・・・。
「ああ、どうぞ」
「ターミナルの方は相変わらず徐脈です。今日のカリウムは6.6」
「相変わらず、とは何だ。言葉に気をつけろ」
「家族の方がムンテラを希望されてました」
「先週したよ」
「東北の親戚の方が来られて、明日の朝には帰ると」
「初めて見る家族だ」
「で、じゃあ今日説明できるようお願いしてきますと言っておきました」
「わかった・・・なんだと?」
カチカチが止んだ。
「アホかお前?なんでお前の判断で俺が動かなきゃならんのだ?」
「す、すみません。明日の朝には帰られると・・」
「もう5時過ぎてる!平日の昼間に来てもらえ!」
「そ、そのように・・・?」
「とにかく今はダメなんだよ!早く行って来い!」
実験がうまくいってないのか・・すごく機嫌悪い。
というか単に僕が怒らせた?
「はい、行ってきます・・」
また戻らないといけない医局をあとにし、トボトボと歩き始めた。
久しぶりに根回しよく物事を運べると思ったが。
すると、後ろから肩を叩かれた。
「?あ、オーベン!」
「いいデータが出そうだぜ!」
僕らは早足で病棟へ向った。
オーベン、感謝してます・・。
そして。
教授回診前の新患プレゼン。2時間前から僕らは準備に取り掛かっていた。
大きな机の上に散乱する心電図、レントゲン、コピー用紙、グラフ用紙。
僕は先日入院があった高血圧の患者の準備。
カルテを開く。
主訴は・・・主訴?
この人は健康診断で高血圧を指摘されて、外来へ書類を持ってきて、血圧がかなり高かったから入院になったんだよな。
本人の話ではそうだった。
それにしても外来カルテは字が煩雑で読みにくい。検査データばかりで記載がほとんどない。まあ全部、頭に叩き込んでいるんだろうけど?
血圧は180/110mmHg、pulse rate 88/min整、心音はno murmur・・・。心電図はサイナスリズム。
「いいなあトシキは」
水野はうらやましそうに覗き込んでいる。
「どうして?」
「高血圧だろ。ゆっくりいけそうじゃない?僕はほら!今までの経過がすっごく長い・・・縦隔腫瘍の患者だ」
「今まで何クール、ケモ(化学療法)やってんだ?」
「8クールぐらいやってる」
「今回は再発?」
「そうみたい。縮小したら退院かな」
「そうか。森さんは?」
「今は話しかけないで!」
「なんだよ・・・拡張型心筋症?おい水野、このレントゲン見てみろよ、CTR 80%はあるぜ!」
彼女は走ってきてシャーカステンのフィルムを取り去った。
「いちいち、もう!」
彼女は焦ると完全にパニックになる性質だ。
どんどん時間が過ぎ、次から次へと先生方が入ってきた。あちこちのイス・ソファーで2、3人同士が固まり、ある者はタバコにまみれ、ある者はヒソヒソ話。講師クラスの先生はまだ来てない。
僕は時計を見た。
「おい、もう8時だよ」
水野は机にうつむいてひたすら筆記中だった。
「自分のが準備できたからって、ジャマに入らないでよ」
「そ、そうじゃないって!」
やがて窪田先生が入ってきた。うっすら余裕の笑顔を浮かべて。女学生からの人気ナンバー1もうなずける。
「や、おはようさん!コベンちゃらん」
「おはようございます!」
僕らは一斉に挨拶した。
「もう後ろから教授、来てまっせ。覚悟おし」
ところてんの如く講師クラスが続けてやってきた。みんな正規の位置に着席していく。やがて私語も少なくなっていった。
水野は書きかけていたが中断した。
「ええい!もうあとは野となれ!」
白髪の教授が助教授と入ってきた。みんな無言で待ち構えていた。
「うん。じゃあ、始めようか」
教授と最前列に座った助教授が、進行係。
「レジデントから!さ、我さきという者から!」
「では、わたしが!」
森さんが自分を奮い立たせるように声を荒げた。彼女は教壇に立った。
「40歳の男性。主訴は呼吸困難です。既往歴は10年前よりDCM。H2年とH5年に入院歴があります」
助教授がところどころツッコミを入れる。
「君、言葉の最後はきちんと!DCM。で終わらすんじゃなくて、DCMの既往があります!とか、わかりやすく!」
「はい!」
「それと入院歴があったなら、いつだけじゃなくて、何で入院してたかを明白にね!」
「はい!この方は・・・」
彼女はさっそくオーベンを目で探し始めたようだ。助教授は察知した。
「ん?オーベンか?オーベンは誰だ?」
「畑先生です」
医局長がとっさに答えた。
助教授は呆れた顔をした。
「畑。おーい、ハタケ?いないな。あいつがオーベンか・・。で、畑君は?医局長!」
「まだバイトから帰ってきてません」
医局長が答える。
「なに?バイトは早朝で切り上げだろう?」
「ですが・・・まだこちらには着いてないようで」
「バイトが終わるのは通常、何時だ?」
「名目上は、その病院の日勤の先生が到着する時間・・・9時前くらいでしょうね」
「なに?今日は大事なプレゼンだぞ。早く戻ってきてもらわんと困る!」
「ですから、早めに切り上げて戻ってくるよう伝えているのですが・・・」
このため早朝の時間帯にドクター不在とならざるを得ないケースが多い。
教授がボソッと呟く。みんなが一斉に耳ダンボとなる。
「はやく切り上げるって、あなた、それ・・・常勤の先生来るまでは、その病院・・・医者不在ってこと?」
助教授が少し取り乱していた。
「い、いやあ、それはないはずです、それは。じゃあ医局長!月曜日はプレゼンの時間帯のこともあるから!向こうの病院の常勤の先生にもうちょっと早めに来てもらうとか!君がいろいろ話し合って決めておくように!」
「ですが先生、よその病院の常勤の先生にそこまでは・・・」
「うちの系列か?」
「は?」
「そこの病院は、うちの大学の系列か?」
「いえ」
「うーん・・・ま!そこは臨機応変に!
臨機応変に!助教授の口癖だ。
この人たち、政治家みたいだなあ・・・。
助教授は少し機嫌が悪くなったようだ。
「じゃ、次いこう!わっちゃ、10分のロスタイムだ!はいはい!間宮くん!次々!」
「森ですが・・・」
「ん?ああ、そうだったな!現病歴!」
「昭和60年頃より当院循環器外来で定期内服されておりましたが平成2年と平成5年に呼吸困難で急性心不全にて入院。その後は安定していましたが3日前に呼吸困難が出現し、2日前に外来受診しました。急性心不全と診断し、入院しました」
「おいおい待ってくれ。何を根拠に急性心不全と?」
「え?呼吸困難があって・・」
「それで?」
「それで?」
「真似するなよ。それでどういう所見があって、どういう検査をしてそうなったんだ?って聞いてるんだよ?僕の言うこと、おかしい?」
「いえ・・」
「松田くん、僕の言うこと、おかしいか?君、笑っているようだが」
1列うしろの松田先生はハッと口を閉じた。
「いえ・・・」
「さっさと実験のデータ出せよ、きみい」
「はい・・・」
せっかく鬱から立ち直りかけていた松田先生は、またブルーに突入した。
<つづく>
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