「印象?君の数少ない経験からか?」
「はい・・・」
「いいかレジデントの諸君」

助教授の独壇場が、また始まった。

「カンだとか、経験に頼るのはまだまだ早い。かといって膨大な知識をつけていてもダメだ。体で覚える!怒られて覚える!身をもって!今は君らは素人と同じだ。まずは上の先生の見よう見まねでやれ!そして盗め!そして越えるんだ!」

みんなうつむいて、もうやめてくれと言わんばかりの顔をしている。このあとの病棟で使いたいパワーを吸い取られているようだ。

いつの間にか戻っていた教授がニヤついた。
「そして、が2回出ましたよ」
「あ、ああ・・・まことに申し訳ございません!はああ!」

「この患者さんは当科にて治験薬の対象として選ばれたお方なんですよ」
教授が説明を始めた。
「その前に各種検査を行って、評価を行いますので。ほれ、治験担当は窪田君が」

ちっとも知らなかった。大学病院でただの高血圧が入院するはずがない。

助教授は安定を取り戻した。
「レジデントは終わりか。次、サッサといけ!」

軽快にスキップしてきたのは助手の宮川先生だ。まだ5年目だ。それでもう助手とは。院を卒業したてらしい。

「34歳女性、近医からの紹介。主訴は脱力。既往歴なし。1ヶ月前から脱力あり、近医外来で低カリと診断。ナトリウムは正常」
「そこではレニンの測定は?」
「してまっせん。ホルモン系はなかなか難しいですから」
「理解がか?」
「採血ですよ。安静臥位30分はなかなか無理ですよ」
「いやまあ、そうだがなあ・・・」

 助教授はデータをとにかく欲しがる。

 宮川先生はいっさいカルテを見ることなく話し続けた。

「血圧は140/72mmHg」
「シェロングは?」
「陰性」
「左右差もなしか」
「ええ」
「一番考えられるのは?」
「利尿剤や痩せ薬は飲んでないらしいけど、とりあえずバーター疑っとこうと」
「バーターねえ。痩せてるか?」
「Length 158cmにbody weight 47kg」
「やっぱ痩せてるな」
「心電図では・・」
「STが若干低下、でも1mm以下。U波はないっす!以上です!次、野中!いくか?」

マイペースだがすごくテキパキした人だ。

オーベンは立ち上がった。

「はい!野中、始めます。SSS疑い。81歳男性。主訴は全身の脱力感」
「スリーエスか」
「既往にafあり。1年前からだそうですが、入院時の左心房径は68mm」
「誰の計測だ?」
「エコー担当の久本先生です」
「よし、あいつなら間違いない。血栓はなかったか?」
「食道エコーを昨年してますが、左心耳にも見当たらず・・!」

血栓の好発部位だ。

「afはけっこう以前からあるものと思います。次、現病歴」

オーベンもカルテを全く見ていない。僕にもあんな芸当・・・出来るんだろうか?

「当院でaf加療中でした。HRは70-90台。ホルターで夜間pauseなし」
「ホルターを見せろ」
「これです」

証拠A。まるでアメリカの法廷ドラマみたい。

「ですが今回prolongしてきた可能性は十分考えられます」
「他の原因も調べとけ。貧血は?」
「入院時ヘモグロビン 13.4g/dl」
「脳神経症状」
「腱反射正常」
「頭部CTは?」
「これがそうですが年相応のatrophyのみ」
「MRIは?」
「予約で3週間待ち」
「電解質も?」
「ナトカリクロール正常。CaとPも正常。Mgは結果待ち」

野中先生さすがだ。レスポンスも早い。

どうやったらこんなに素早く答えられるんだろう・・・?

「好きになることさ」
「えっ?」

職員食堂で僕らは向かい合わせに座っていた。オーベンは食後のコーヒーを飲んでいる。
「早く食うんだぞ」
「は、はい」
「冗談だ。メシくらいゆっくり食え。でもいつ呼ばれるか分からないぞ」
「そうですね・・でも先生、医療を好きでやることと、頭の回転良くなることとは別のような・・」
「頭?医療にアタマはいらんだろ?」
「え?でも・・・」
「学生のとき遊び呆けてた奴のほうが、いざ仕事するとバリバリやってたりするものさ」
「じゃあ、学生のとき地味だった僕は・・」
「お前、学年でトップだったらしいな。だが今度はそのプレッシャーに負けるなよ」
「え、ええ」

だがオーベンも、もと主席と聞いている。

「自信を持てよ!何もまだできなくても!何の自信でもいい!持つんだよ!」
「自信ですか・・」
「例えばそうだな。俺は何時間起きてても平気、だとか。不整脈のブロックなら誰よりも詳しいとか」
「今から深く勉強するのも手遅れのような」
「今もってる症例に全力注げばいい。例えばお前に当たった高血圧。これでもうお前は高血圧の権威なんだよ」
「そ、そう言われるとそんな気が・・」

なんとなくワクワクしてきた。

「それが本物の専門医というやつだ。行くぞ!」

僕らは病棟へ戻っていった。

オーベンのさきほどの患者を2人で回診。
「トシキはいいのか。自分の患者」
「え?まだ3人しかいませんし」
「引継ぎのターミナル、カテ待ちのビップ、プレゼンしてた高血圧な」
「先生、記憶力凄いですね」
「各患者のID・生年月日は暗記しとけ。出来る限り」
「え?」
「伝票を病棟以外で書くときに役に立つ」
「なるほど」
「好きな女の子の電話番号だと思えばいいんだよ。入ります!」

大部屋にafの高齢の81歳患者。痩せ型。座ってテレビを見ている。
「おお、野中先生!」
「黒部さん。どうだい?調子は?」
「おかげさんで、だいぶよくなりましたわい」
「今は検査中だからね。もうちょっと辛抱してな。お孫さんは?」
「孫がさっきまで来とってもう・・・」

信頼関係が完全に成り立っているのを、その会話から僕は感じ取った。

「でね、ちょっと話は変わるんだけど」
「はいな?」
「この先生もこれから一緒に診させてもらうことにしたくてね」
「ええああ、そりゃもう!先生が2人もおったら心強いわい!」

僕は一歩歩み寄った。
「トシキといいます。よろしくお願いします」
「ああ、よろしくおねがいします・・はっは」
急に患者の表情が神妙になった。
「野中先生、ちょっと・・・」
「うん?」

黒部さんはヒソヒソ声で、野中先生を呼び寄せた。ナイショ話かもしれないので、僕は3歩下がった。横にあるカーテンで2人の顔は隠れた。

すると、何やらせわしい声が聞こえてきた。
「いや、それは!だめ!」
「いいんじゃ!こりゃ!」
「それはできないって!」
「いかん!いかんのじゃあ!」

「どうされ・・?」
僕が駆けつけたが、すぐに全てを悟った。騒動は終わったようで、野中先生はゆっくりと後ずさりした。野中先生の白衣の左ポケットが少し膨らんでいた。

「行こうか、トシキ先生!」
僕らは部屋を出た。
「トシキ。お前もこれから出くわすぞ。こんな場面」
「こんな場面?」
「スンシをもらうのは、別に悪いことじゃない」
「いえ、先生の場合は・・」
「もちろん最初は断るよ、俺だって。だが相手の善意が伝わってきたなら、むしろもらっといた方がいいときもある」
「・・・はい」

少しわくわくしているようなオーベンに、ちょっぴりショックを受けたようだった。

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