< オーベン&コベンダーズ 1-7 これも試練。 >
2004年7月21日 連載 詰所に入ると、気になっていた美人の川口先生がいた。野中先生はカルテを1冊ずつ取り出しにかかっていた。
「川口先生、こんにちは」
「あら。あたし名札ないのに・・こんにちは」
「先生は院生なのですか?」
「そうよ。なのにね、なぜかこうやって病棟の仕事もしてるの。まあ持ち患者2人だけだけどね」
「先生は呼吸器を専攻で?」
「今はまだ決めてないわ。トシキ先生は?」
「いやあもう、いいオーベンに当たりまして。オーベンのような先生になれたらいいです、それで」
「ナカちゃんのような先生に?あはは・・・先生もそう思ったの?」
「彼は誰からも好かれると思いますし」
「そうかなー?」
「え?」
「あたし、これからビトロの実験があるの。3時間くらいね」
「大変ですねえ」
「どれもうまくいかなくて」
「そんなこと、ないでしょう」
「ううん・・・。何もかもね」
彼女に少し陰が射した。
野中先生が台を抱えながらやってきた。
「おいトシキ!いっしょにカルテ書くぞ!」
「はいっ!」
僕らはカルテを台に載せ、ゆっくりとカンファレンス室へ運んだ。
そこには残り2人のコベンがすでに作業していた。横や後ろにはそれぞれのオーベンがいる。
水野は松田先生とかなり打ち解けたみたいで、お互い笑顔でいい感じだ。
森さんと畑先生は神妙な面持ちでデータとにらめっこしてる。
このような感じで僕のアンテナが無意識に働く。
野中先生はカルテを書き始めた。
「トシキ、書いたら一応、俺に見せてくれ」
「はい!」
「SOAP形式でな。症状、所見、評価、方針の順番でな」
「はい!」
「今何時だ?」
「晩の8時です」
「まだまだ夜は長いからな。何か頼もう。松田先生、畑先生、来々軒に注文しようと思いますが・・」
「オレ中華定食」「焼肉定食」
すぐに返事が返ってきた。
「トシキも中華定食にするか?他のコベンの先生もいいな?」
先輩の配慮が申し訳なかった。
「先生、僕が注文を」
「オレがする。お前は入力画面のオーダーを」
「すみません・・」
オーベンはさっそく0番プッシュした。
「ここの電話番号も、オレは覚えているんだぜ!」
本音だが、すばらしいオーベンに当たった。
夜間は能率が上がるが、無駄話になるうちに漫然と時間が過ぎていく。
それでも朝は待たない。
「おはようございます」
カンファレンス室はもぬけの殻だ。しかしものすごい散らかりようだ。
だが誰も決して片付けない。暗黙の了解でレジデントが掃除する。
大まかに片付けて、詰所へ。
「おはようございます」
「おはよ!」
オーベンがもうすでに着いていたようだ。朝の7時。
「お早いですね、先生」
「さっき実験してて、今終わったとこだ」
「いいデータ、出そうですか?」
「ム?院生には禁忌のセリフだな。気をつけろ!」
「ははい、すみません・・」
「でもな、ここだけの話。有意差出たんだ」
「ってことは・・・」
「論文、早くも完成できるかも」
「凄いじゃないですか!先生、院生2年目で・・では先生、学位を?」
「早く取りたいな。お前は?」
「院ですか?」
「ああ。今から手伝っといて院に入ったら楽だぞ」
「僕も学位欲しいです」
「・・・お前はどう思う?」
「え?」
「学位をとることのメリット」
「メリットですか?メリット・・・それは・・・父さんが言うには」
「?」
「医師として箔をつけるためと」
「ハク?」
「それと、開業に便利だって聞きました。賞状を診察室に飾ったり」
「ま・・スポーツ医の賞状を飾るよりははマシだな・・」
「先生は、どうお考えを?」
「オレに質問するにはまだ10年早いよ・・」
オーベンに少し翳りが見えた。
「ああそうだ、そんな話してる場合じゃない!」
オーベンは机のカルテを3冊指差した。
「SOAP形式でカルテ書けって言ったろ!」
「はい。いちおう、そこに・・」
「見てみるか?一緒に。まずターミナルの患者。癌末期の」
「ええ」
「S) 睡眠中・・・確かにそうだが、これはモルヒネで眠ってるんだろ?」
「そうです」
「だったら、どう書けばいいのかは・・・じ、自分で考えろ。次、O)・・・体温37℃、呼吸音両側wheezing著明、四肢浮腫著明、腱反射低下・・・これは何が言いたいんだ?」
「え?客観的な評価を・・」
「これじゃあ漫然と診察しているだけだ。お前もつまらんだろ?」
「すみません」
「謝るのやめな!そーゆー癖のある医者は相手に悟られる!自分よりも弱いってな」
「き、気をつけます」
「オレは山岳部に所属したこともあるんだが。熊が来たらどうするか知ってるか?」
「クマ?・・・ですか?」
「ああ。クマ」
「逃げます」
「ダメだ。追っかけられる。どうしてか」
「?」
「自分より弱いと思われるからだ」
「・・・」
「だからクマに出会ったら、こう、睨む!威嚇するんだ。自分より弱いと思わせない!ウソだと思ったら山小屋の人間に聞いてみろ!」
「なるほど・・」
でも実際は逃げるだろうな。
「脱線した。いいか。この患者は家族の希望でこれ以上処置しないことになってる。お前に出来る事はなんだ?」
「僕にできること・・・まだ採血ぐらいしか」
「じゃねえよ!オレをなめてんのか!」
「い、いえ・・」
「病態の進行を把握しておくことだろうが。そのために採血したり写真撮ったりするんだよ!カンファレンスのためじゃない!」
「・・・・・」
「助教授が言ってただろ?何を指標に見ていくか、考えてるんだろうな?」
「指標・・・この人の場合は、腫瘍マーカー・・・画像所見・・・」
「癌だけ見るのか?」
「いえ・・その・・・」
「患者は?患者の一般状態!採血で言うと?」
「さ、採血・・・腫瘍マーカー」
「それはさっき出てきた!癌の指標だろ!オレが聞いてるのは患者の!」
知らない間に川口先生やほか数人のスタッフが現れた。
「・・・わかりません」
「ハア?どうしてだ?」
川口先生が向こうから口パクしているのは有り難いのだが・・・オーベンから目を離すわけにもいかず。
「栄養状態が悪化する。それに末期的な状態といえば?DICやMOFだ。DICを察知するにはどのデータを?」
「プロトロンビン時間、アンチ・・」
「そんな時間かかる検査じゃなくてもっと身近な!」
「・・・」
「血小板だ。この患者は既に下がりつつある。だからといってPA-IgGの検査なんか出すな!」
「は、はい」
「これって保険適応外だろ?家族を破産さす気かお前!」
「いいえ・・」
「あと2人の患者もこんな感じだ。ダメ!0点だ!やり直し!全部書いたらいいってもんじゃない。学校の試験答案とはわけがちがう」
「・・・わかりました」
これも試練だ。
<つづく>
「川口先生、こんにちは」
「あら。あたし名札ないのに・・こんにちは」
「先生は院生なのですか?」
「そうよ。なのにね、なぜかこうやって病棟の仕事もしてるの。まあ持ち患者2人だけだけどね」
「先生は呼吸器を専攻で?」
「今はまだ決めてないわ。トシキ先生は?」
「いやあもう、いいオーベンに当たりまして。オーベンのような先生になれたらいいです、それで」
「ナカちゃんのような先生に?あはは・・・先生もそう思ったの?」
「彼は誰からも好かれると思いますし」
「そうかなー?」
「え?」
「あたし、これからビトロの実験があるの。3時間くらいね」
「大変ですねえ」
「どれもうまくいかなくて」
「そんなこと、ないでしょう」
「ううん・・・。何もかもね」
彼女に少し陰が射した。
野中先生が台を抱えながらやってきた。
「おいトシキ!いっしょにカルテ書くぞ!」
「はいっ!」
僕らはカルテを台に載せ、ゆっくりとカンファレンス室へ運んだ。
そこには残り2人のコベンがすでに作業していた。横や後ろにはそれぞれのオーベンがいる。
水野は松田先生とかなり打ち解けたみたいで、お互い笑顔でいい感じだ。
森さんと畑先生は神妙な面持ちでデータとにらめっこしてる。
このような感じで僕のアンテナが無意識に働く。
野中先生はカルテを書き始めた。
「トシキ、書いたら一応、俺に見せてくれ」
「はい!」
「SOAP形式でな。症状、所見、評価、方針の順番でな」
「はい!」
「今何時だ?」
「晩の8時です」
「まだまだ夜は長いからな。何か頼もう。松田先生、畑先生、来々軒に注文しようと思いますが・・」
「オレ中華定食」「焼肉定食」
すぐに返事が返ってきた。
「トシキも中華定食にするか?他のコベンの先生もいいな?」
先輩の配慮が申し訳なかった。
「先生、僕が注文を」
「オレがする。お前は入力画面のオーダーを」
「すみません・・」
オーベンはさっそく0番プッシュした。
「ここの電話番号も、オレは覚えているんだぜ!」
本音だが、すばらしいオーベンに当たった。
夜間は能率が上がるが、無駄話になるうちに漫然と時間が過ぎていく。
それでも朝は待たない。
「おはようございます」
カンファレンス室はもぬけの殻だ。しかしものすごい散らかりようだ。
だが誰も決して片付けない。暗黙の了解でレジデントが掃除する。
大まかに片付けて、詰所へ。
「おはようございます」
「おはよ!」
オーベンがもうすでに着いていたようだ。朝の7時。
「お早いですね、先生」
「さっき実験してて、今終わったとこだ」
「いいデータ、出そうですか?」
「ム?院生には禁忌のセリフだな。気をつけろ!」
「ははい、すみません・・」
「でもな、ここだけの話。有意差出たんだ」
「ってことは・・・」
「論文、早くも完成できるかも」
「凄いじゃないですか!先生、院生2年目で・・では先生、学位を?」
「早く取りたいな。お前は?」
「院ですか?」
「ああ。今から手伝っといて院に入ったら楽だぞ」
「僕も学位欲しいです」
「・・・お前はどう思う?」
「え?」
「学位をとることのメリット」
「メリットですか?メリット・・・それは・・・父さんが言うには」
「?」
「医師として箔をつけるためと」
「ハク?」
「それと、開業に便利だって聞きました。賞状を診察室に飾ったり」
「ま・・スポーツ医の賞状を飾るよりははマシだな・・」
「先生は、どうお考えを?」
「オレに質問するにはまだ10年早いよ・・」
オーベンに少し翳りが見えた。
「ああそうだ、そんな話してる場合じゃない!」
オーベンは机のカルテを3冊指差した。
「SOAP形式でカルテ書けって言ったろ!」
「はい。いちおう、そこに・・」
「見てみるか?一緒に。まずターミナルの患者。癌末期の」
「ええ」
「S) 睡眠中・・・確かにそうだが、これはモルヒネで眠ってるんだろ?」
「そうです」
「だったら、どう書けばいいのかは・・・じ、自分で考えろ。次、O)・・・体温37℃、呼吸音両側wheezing著明、四肢浮腫著明、腱反射低下・・・これは何が言いたいんだ?」
「え?客観的な評価を・・」
「これじゃあ漫然と診察しているだけだ。お前もつまらんだろ?」
「すみません」
「謝るのやめな!そーゆー癖のある医者は相手に悟られる!自分よりも弱いってな」
「き、気をつけます」
「オレは山岳部に所属したこともあるんだが。熊が来たらどうするか知ってるか?」
「クマ?・・・ですか?」
「ああ。クマ」
「逃げます」
「ダメだ。追っかけられる。どうしてか」
「?」
「自分より弱いと思われるからだ」
「・・・」
「だからクマに出会ったら、こう、睨む!威嚇するんだ。自分より弱いと思わせない!ウソだと思ったら山小屋の人間に聞いてみろ!」
「なるほど・・」
でも実際は逃げるだろうな。
「脱線した。いいか。この患者は家族の希望でこれ以上処置しないことになってる。お前に出来る事はなんだ?」
「僕にできること・・・まだ採血ぐらいしか」
「じゃねえよ!オレをなめてんのか!」
「い、いえ・・」
「病態の進行を把握しておくことだろうが。そのために採血したり写真撮ったりするんだよ!カンファレンスのためじゃない!」
「・・・・・」
「助教授が言ってただろ?何を指標に見ていくか、考えてるんだろうな?」
「指標・・・この人の場合は、腫瘍マーカー・・・画像所見・・・」
「癌だけ見るのか?」
「いえ・・その・・・」
「患者は?患者の一般状態!採血で言うと?」
「さ、採血・・・腫瘍マーカー」
「それはさっき出てきた!癌の指標だろ!オレが聞いてるのは患者の!」
知らない間に川口先生やほか数人のスタッフが現れた。
「・・・わかりません」
「ハア?どうしてだ?」
川口先生が向こうから口パクしているのは有り難いのだが・・・オーベンから目を離すわけにもいかず。
「栄養状態が悪化する。それに末期的な状態といえば?DICやMOFだ。DICを察知するにはどのデータを?」
「プロトロンビン時間、アンチ・・」
「そんな時間かかる検査じゃなくてもっと身近な!」
「・・・」
「血小板だ。この患者は既に下がりつつある。だからといってPA-IgGの検査なんか出すな!」
「は、はい」
「これって保険適応外だろ?家族を破産さす気かお前!」
「いいえ・・」
「あと2人の患者もこんな感じだ。ダメ!0点だ!やり直し!全部書いたらいいってもんじゃない。学校の試験答案とはわけがちがう」
「・・・わかりました」
これも試練だ。
<つづく>
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