< オーベン&コベンダーズ 1-8 パニック救急 >
2004年7月21日 連載オーベンに怒られたあと、外来業務のため廊下へ。
グッチ先生がついてきた。
「おはようございます。川口先生」
「おはよう。さっきは凄かったわね」
「僕が悪いので・・」
「平気平気。あの人はああ見えても、先生のことをすごく好いてる。あたしは見てたら分かる」
「ええ。ありがたいです」
「彼に近づきたい?」
「ええ、そりゃもう」
「なら、いい方法があるわ。彼になるのよ」
「は?オーベンになる?」
「オーベンをコピーするのよ。生活習慣、カルテの書き方、患者の回診・・・」
「すべてを?」
「手技は別よ。能力の差もあるし。でも手技もその姿勢でやるときっと身につけやすいわ」
「助教授のおっしゃっていた・・盗み取る、というヤツですね?」
「そう。あたしもそうやってやってきたわ」
「すごいですね・・僕には出来るかどうか」
「先生ならできるって!あ、でも・・」
「?」
「いいところだけマネするようにね!」
なんて無責任なお言葉・・・。
もう夜の11時、僕は繁華街の真っ只中を抜けて走っていた。地下鉄の駅から目的地まで、案外遠い。ポン引きが声をかけてくる。
「どうですか?2時間で1万ですよ、たったの?」
「いいです」
「今日はもうお決まりで?」
「いいですって」
「どちらの店に?」
店にやっと着いた。
「あれ?2人は?」
オバちゃんがカウンターの近くで仁王立ちしている。
「いや?今日はまだだねえ」
「最近、集まりが悪いんですよね」
「カンファレンスの番外編ね」
「裏カンファレンスともいうけどね」
「今は週に・・」
「もう1回にしたよ。集まり悪いから」
「飲むかい?」
「ええ。オーベンと同じの」
「モスコミュールね、はいはい」
「オーベンは来てない?」
「ここに?今のところはね。どっかで若いナースと遊んでんだろ」
オーベンの女性関係はいろいろ聞くが。みんな人のこと言えてない。
「噂は聞きますが・・・女性に人気が出て当然の方ですし」
「遊びがもっと地味ならねー。はいよ」
「ありがとう。遊びたくても、僕はお金が持たないです」
「今どれくらいもらってんだい?」
「今ですか・・・?じゃ、ナイショですよ。大学からは月12万。でも来月から献血車のバイトが始まるんです。1回2万はくれると」
「そのうちイヤというほど貯まりだすさ」
「だといいですが。でもお金はあまり興味は・・」
「じゃあオバちゃんが困ったら助けておくれよ。家は開業医だよね?」
オバちゃんの目が一瞬光った。
「ええ。もちろん。オバちゃん、ここで自習しても?」
「ああどうぞ」
僕は汚れた分厚い手帳と薄い手帳を取り出した。これもオーベンのすすめだ。
病院では分厚いのを持ち歩きなんでもメモ、そしてこの薄い手帳に写していく。
薄い手帳がいっぱいになったら本当に必要なものだけワープロに殿堂入り。
それをさらに印刷して・・・僕なりのデータベースができあがっていく。
オーベンの目的は・・こうやってデータを移動したり要約したりすることで絶えず大脳皮質を刺激するんだとか。
ものごとを単調にしないという意味らしい。やたらと新しいものばかりに飛びつかず、基本を大事にしろと。
予備校での夏期講習で、名講師が言ってた「テキストを繰り返せ」を思い出す。
とうとう誰も来ずで、その日は空しく帰った。
「新患だ!トシキ!起きろ!」
「はい?」
いつの間にか医局のソファーで眠っていた。出勤するのが早すぎて眠ってしまったんだ。
「研修医が医局でごろごろするんじゃないぞ!」
「す、すみません」
「新患が入るぞ!」
「え?ど、どこです?」
「ここじゃない。救急外来だ」
「あ・・・」
「お前、先に行け」
「え?」
「先に行って、診察しとけ。オレはマウスの実験がある」
「・・・重症なんでしょうか」
「知らん。体がしんどい、という55歳の男性としか聞いてない」
「僕が受け持ちを?」
「先着だ。今、他の2人が出て行った。急げ!あとで電話しろ」
「はい!」
大学病院にめったに入ることのない救急!なんとしてでも主治医になりたい!
他の2人に先を越されるのだけはゴメンだ!
僕は階段を2段飛ばしで駆け下りた。
救急外来へ辿り着くと・・・しまった。遅かった。
2人はストレッチャーを囲んでいた。
「どうしたの?」
森さんが困惑していた。
「あたしたち、今着いたんだけどね。患者さんって、この人?」
「は?」
中年男性が苦しそうに横になっている。
「うぐぐ・・・」
水野は聴診器を当てている。
「あのー・・・どこがしんどいですか?」
「は・・・はよう入院させてくださいや!」
「まだですよー。まだ検査もしてないしー」
「さっき、入院になるって言うただろうがあ、コラア!」
水野は聴診器を外した。
「うーん、うーん・・・トシキ、なんて聞いてる?」
「いや、55歳で、しんどいって・・・それだけ」
「だよなあ。カルテは?ないな」
「君らのオーベンは?」
2人は声をそろえた。
「実験」
「じゃあ呼ぼうよ」
僕はポケベル呼び出しをしはじめた。
「おい!何を?」
いきなり若いドクターが5人ほど現れた。
「君達、だれ?」
森さんが対応した。
「循環・呼吸器内科の者です」
「研修医か?」
「そうです」
5人のうちの先頭の男性は30越えてそうな熟練医っぽい。他はおそらくレジデントだ。白衣で区別できる。
先頭は自信満々といった感じだ。「吉本」と名札にある。
「消化器科に入院する人だよ。その人は。さわるな」
森さんはカチンときたようだ。
「だって、まさかほったらかしになんて」
「何?何て言いましたあ?」
先頭のドクターはズカズカ彼女に歩み寄った。彼女は言葉を失くした。
「森・・・?森っていうんだな。宮川に注意しとくからな!」
感じの悪い先生だ。
レジデントは僕らに体当たりしても構わないくらい、勢い良く入ってきた。
やがて4人は車の車輪のごとく、ストレッチャーを勢いよく運び始めた。
先頭の消化器のドクターは天井を向いていた。
「あれだろ!君達のお客さんはあ!先輩たちに言っとけ!胃カメラ頼むんなら、それこそ出血をほったらかしにすんなってな!」
僕も天井を見上げた。
「あれか・・・?」
3人とも天井を見上げる。どうやら微かに・・・救急車のサイレンが聞こえている。
森さんがキョロキョロしている。
「しまった。当直医マニュアル、忘れた」
水野は持っていた。
「読んどこう・・・」
「あたしにも見せて!」
「ちょっとジャマ!」
ダメだ。電話がかかってこない。オーベンたちは実験中で、すぐにかけてこれないんだろう。
水野は必死にマニュアルを見ている。でもどこのページ見てるんだろ?
「トシキ!オーベンは?」
「それが・・・!」
救急車はどんどん近づいているようだ。守衛さんが自動ドアを開けて入ってきた。
「はい。じゃあこのドア、開放しますね」
僕は思わず問い合わせた。
「あの・・55歳の男性ですか?」
「え?私ですか?」
「違いますって!今から救急車で来る人!」
「ああ・・・いえ、知りません。わたしは救急車から連絡があって、受け入れお願いしますと言われて。ただそれだけで」
「そんなあ・・!」
「仕事ですから」
守衛のオジサンは消えた。
とうとうサイレンはやってきた。
これも試練だ。
<つづく>
グッチ先生がついてきた。
「おはようございます。川口先生」
「おはよう。さっきは凄かったわね」
「僕が悪いので・・」
「平気平気。あの人はああ見えても、先生のことをすごく好いてる。あたしは見てたら分かる」
「ええ。ありがたいです」
「彼に近づきたい?」
「ええ、そりゃもう」
「なら、いい方法があるわ。彼になるのよ」
「は?オーベンになる?」
「オーベンをコピーするのよ。生活習慣、カルテの書き方、患者の回診・・・」
「すべてを?」
「手技は別よ。能力の差もあるし。でも手技もその姿勢でやるときっと身につけやすいわ」
「助教授のおっしゃっていた・・盗み取る、というヤツですね?」
「そう。あたしもそうやってやってきたわ」
「すごいですね・・僕には出来るかどうか」
「先生ならできるって!あ、でも・・」
「?」
「いいところだけマネするようにね!」
なんて無責任なお言葉・・・。
もう夜の11時、僕は繁華街の真っ只中を抜けて走っていた。地下鉄の駅から目的地まで、案外遠い。ポン引きが声をかけてくる。
「どうですか?2時間で1万ですよ、たったの?」
「いいです」
「今日はもうお決まりで?」
「いいですって」
「どちらの店に?」
店にやっと着いた。
「あれ?2人は?」
オバちゃんがカウンターの近くで仁王立ちしている。
「いや?今日はまだだねえ」
「最近、集まりが悪いんですよね」
「カンファレンスの番外編ね」
「裏カンファレンスともいうけどね」
「今は週に・・」
「もう1回にしたよ。集まり悪いから」
「飲むかい?」
「ええ。オーベンと同じの」
「モスコミュールね、はいはい」
「オーベンは来てない?」
「ここに?今のところはね。どっかで若いナースと遊んでんだろ」
オーベンの女性関係はいろいろ聞くが。みんな人のこと言えてない。
「噂は聞きますが・・・女性に人気が出て当然の方ですし」
「遊びがもっと地味ならねー。はいよ」
「ありがとう。遊びたくても、僕はお金が持たないです」
「今どれくらいもらってんだい?」
「今ですか・・・?じゃ、ナイショですよ。大学からは月12万。でも来月から献血車のバイトが始まるんです。1回2万はくれると」
「そのうちイヤというほど貯まりだすさ」
「だといいですが。でもお金はあまり興味は・・」
「じゃあオバちゃんが困ったら助けておくれよ。家は開業医だよね?」
オバちゃんの目が一瞬光った。
「ええ。もちろん。オバちゃん、ここで自習しても?」
「ああどうぞ」
僕は汚れた分厚い手帳と薄い手帳を取り出した。これもオーベンのすすめだ。
病院では分厚いのを持ち歩きなんでもメモ、そしてこの薄い手帳に写していく。
薄い手帳がいっぱいになったら本当に必要なものだけワープロに殿堂入り。
それをさらに印刷して・・・僕なりのデータベースができあがっていく。
オーベンの目的は・・こうやってデータを移動したり要約したりすることで絶えず大脳皮質を刺激するんだとか。
ものごとを単調にしないという意味らしい。やたらと新しいものばかりに飛びつかず、基本を大事にしろと。
予備校での夏期講習で、名講師が言ってた「テキストを繰り返せ」を思い出す。
とうとう誰も来ずで、その日は空しく帰った。
「新患だ!トシキ!起きろ!」
「はい?」
いつの間にか医局のソファーで眠っていた。出勤するのが早すぎて眠ってしまったんだ。
「研修医が医局でごろごろするんじゃないぞ!」
「す、すみません」
「新患が入るぞ!」
「え?ど、どこです?」
「ここじゃない。救急外来だ」
「あ・・・」
「お前、先に行け」
「え?」
「先に行って、診察しとけ。オレはマウスの実験がある」
「・・・重症なんでしょうか」
「知らん。体がしんどい、という55歳の男性としか聞いてない」
「僕が受け持ちを?」
「先着だ。今、他の2人が出て行った。急げ!あとで電話しろ」
「はい!」
大学病院にめったに入ることのない救急!なんとしてでも主治医になりたい!
他の2人に先を越されるのだけはゴメンだ!
僕は階段を2段飛ばしで駆け下りた。
救急外来へ辿り着くと・・・しまった。遅かった。
2人はストレッチャーを囲んでいた。
「どうしたの?」
森さんが困惑していた。
「あたしたち、今着いたんだけどね。患者さんって、この人?」
「は?」
中年男性が苦しそうに横になっている。
「うぐぐ・・・」
水野は聴診器を当てている。
「あのー・・・どこがしんどいですか?」
「は・・・はよう入院させてくださいや!」
「まだですよー。まだ検査もしてないしー」
「さっき、入院になるって言うただろうがあ、コラア!」
水野は聴診器を外した。
「うーん、うーん・・・トシキ、なんて聞いてる?」
「いや、55歳で、しんどいって・・・それだけ」
「だよなあ。カルテは?ないな」
「君らのオーベンは?」
2人は声をそろえた。
「実験」
「じゃあ呼ぼうよ」
僕はポケベル呼び出しをしはじめた。
「おい!何を?」
いきなり若いドクターが5人ほど現れた。
「君達、だれ?」
森さんが対応した。
「循環・呼吸器内科の者です」
「研修医か?」
「そうです」
5人のうちの先頭の男性は30越えてそうな熟練医っぽい。他はおそらくレジデントだ。白衣で区別できる。
先頭は自信満々といった感じだ。「吉本」と名札にある。
「消化器科に入院する人だよ。その人は。さわるな」
森さんはカチンときたようだ。
「だって、まさかほったらかしになんて」
「何?何て言いましたあ?」
先頭のドクターはズカズカ彼女に歩み寄った。彼女は言葉を失くした。
「森・・・?森っていうんだな。宮川に注意しとくからな!」
感じの悪い先生だ。
レジデントは僕らに体当たりしても構わないくらい、勢い良く入ってきた。
やがて4人は車の車輪のごとく、ストレッチャーを勢いよく運び始めた。
先頭の消化器のドクターは天井を向いていた。
「あれだろ!君達のお客さんはあ!先輩たちに言っとけ!胃カメラ頼むんなら、それこそ出血をほったらかしにすんなってな!」
僕も天井を見上げた。
「あれか・・・?」
3人とも天井を見上げる。どうやら微かに・・・救急車のサイレンが聞こえている。
森さんがキョロキョロしている。
「しまった。当直医マニュアル、忘れた」
水野は持っていた。
「読んどこう・・・」
「あたしにも見せて!」
「ちょっとジャマ!」
ダメだ。電話がかかってこない。オーベンたちは実験中で、すぐにかけてこれないんだろう。
水野は必死にマニュアルを見ている。でもどこのページ見てるんだろ?
「トシキ!オーベンは?」
「それが・・・!」
救急車はどんどん近づいているようだ。守衛さんが自動ドアを開けて入ってきた。
「はい。じゃあこのドア、開放しますね」
僕は思わず問い合わせた。
「あの・・55歳の男性ですか?」
「え?私ですか?」
「違いますって!今から救急車で来る人!」
「ああ・・・いえ、知りません。わたしは救急車から連絡があって、受け入れお願いしますと言われて。ただそれだけで」
「そんなあ・・!」
「仕事ですから」
守衛のオジサンは消えた。
とうとうサイレンはやってきた。
これも試練だ。
<つづく>
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