僕は医局へ向った。

「ハアハア・・秘書さん?宮川先生は?」
「実験してるみたい」

宮川先生は箱に入った氷をちょうど洗面台へ流しているところだった。顔には疲労が見えていた。洗面台で一服、外の景色を眺めている。

「あの、宮川先生」
「・・・・・」
「宮川先生」
「るさいな。何だ」
「内視鏡をお願いしたい方が」
「どこの病変だ?」
「病変はまだ分かりません」
「CTで、どこの?」
「CT?」
「Sの何番だ?」
「あ、先生。違います。気管支鏡ではないです。胃カメラです」
「胃カメラ?なんでオレに?」

彼は驚いてタバコを口から外し、こちらへ振り向いた。

「いえその。先生は胃カメラできるとお聞きしまして」
「アホ。胃カメラはどの先生でもできるんだよ。オマエが出来ないだけ」
「しょ、消化器の吉本先生から」
「なんだと?」
「吉本先生から聞きまして。宮川先生の腕がいいと」
「他に・・何か言ってなかったか?」
「あ、ありました。伝言。でもこれ、先生あてでは」
「そうか。言ってみろ」
「い、いえ・・・」
「なに?なぜ言わない?貴様」
「そ、その。出血した患者を遅くなって紹介してくるな、って」

小柄だが線の細い宮川先生は資料に目を通していた。

「今回のことか?」
「いえ。以前のことのようです」
「ああ、あれか。あれはオイ、助教授の外来の患者だぜ」
「?」
「助教授がRAの患者のNSAIDを中止しなかったんだ。オレは秘書係だからな。口出しはできない」

宮川先生はタバコを吸い始めた。表情はあくまでクールで、いかにも研究生っぽい顔立ちだ。

「あいつら、そんなこといつまでも引き合いに出して、俺らの医局を嫌う・・・ま、オレもキライだけどね」

「先生、胃カメラですが、今日は・・」
「今日?もう夕方だろ。そこの時計、5時過ぎだぜ。こういった病院では、5時以降は処置しないほうがいい。時間外で、もしものことがあってそこを突っ込まれたら・・いけないだろ?」

僕は腕時計を見た。

「先生、そこの時計。進んでます」
「あん?」
「これ。4時50分です」
「しかし・・・準備したらそれこそ」
「準備はできてます」
「胃カメラを?借りたのか?」
「消化器の先生にお願いして借りました」
「そ、そうか」

宮川先生はタバコをもみ消した。

「わかった。迷えるコベンのために、一肌脱いでやろう!」
「ありがとうございます!」
内視鏡室へ連絡し、前投薬の指示。

僕らは廊下を歩き、病棟へ向った。

「時間が時間だから、あんたは見てるだけでいい」
「はい」
「今日は観察だけになるかもな」
「ええ、それだけでも」
「その時計・・ホントに合ってるか?」
「間違いないです!」
「昨年、お前の1つ上の奴がな。オレに時間外で気管支鏡を依頼してきた。今日みたいに」
「ええ」
「なんでこんな時間にやるんだよってオレが言ったらさ、そいつ・・」
「『今日のカンファレンスで決まりました。教授も同意見です』、って!」
「それ、変ですね」
「あとで考えるとな。しかし断れん。レジデントの頼みは」

内視鏡室ではあと2人のコベンも待っていた。患者はベッドに寝かされている。
「じゃ、5分で終わらせるぞ」
宮川先生は胃カメラをヘビ使いのようにくねらせ、先っぽをつかんだ。

「じゃ、入れるよ」
僕らは画面のほうに見入った。口のマウスピースが拡大されて・・舌が見えた。

と思ったら・・・。

「これが食道だ」
水野が驚いた。
「え?もう?」
「何を驚いてる?消化器の吉本だったらこの時点で乳頭まで達してる。ERCPでだぞ」
「へえー・・・」

画面はどうやら食道下部。

「sliding herniaと、逆流性食道炎。しかし軽度だ。出血はしてない」

目の前に胃の内腔が拡がった。送気でだんだん膨らんでゆく。

「あれだ」
宮川先生が早くも病変を見つけた。水野はまた乗り出した。
「なに?どれ?」
「前庭部のtumorだ。Borrmann II といったところか。生検する」
「先生、出血は?」
「フレッシュなものはない。もちろん十二指腸も見る」

僕らは手伝わず画面ばっかり見ていた。だが宮川先生は余裕で生検を始めた。

「取れた・・野中!」
オーベンが組織を受け取った。みなハッと驚き、手伝いにかかろうとした。
しかし、どう手伝っていいか分からない。

オーベンも画面に食い入った。
「宮川先生。出血源はこれですか」
「このフレッシュな出血は違うぞ!生検したところ!」
「そうですね。失礼しました。Borrmann IIですか」
「メタの検索を予定して、消化器外科へ紹介だ。貧血は、明日もフォローして」

オーベンはこちらを伺った。

「おいトシキ先生!君がきちんと聞かないと!主治医だろ?」
「は、はい!」

宮川先生は写真を撮りだした。

「トロンビンを噴霧しておく」
「ありがとうございます。先生」

オーベンが横から囁いた。
「あの宮川先生がやってくれるとはな・・・いったいどんな頼み方を?」
「いえ、僕はふつうに頼んだだけです」
「ふうん・・・」

あと2人のコベンも写真を見てはうなずくだけだった。

「ふうん・・!」

僕らは慣例どおり、ペテンに集まった。

「水野も森さんも、どこまでできるようになった?」
水野はいつものように既に酔っていた。
「そうだだあ・・・・。IVHはまだそけいからひか、でけへん」
「森さんは?」
「あたし1人もやってない。ドレナージはやったけど」
「そっちのほうが凄いじゃないか!」
「でもオーベンが後ろから支えて、よ。なんか気持ち悪かったけど」
「というと?」
「なんか後ろからフガフガ・・・息が当たるのね」
「じゃ、復習しようよ。水野はオウム病が入ったんだろ?」
「ほうむひょう?ほうたいははひた」
「抗体は出した・・・提出したってこと?」
「ほう。へっはまひ」
「結果待ちか。外注検査だから1週間くらいかかるね。抗生剤は何を?」
「おほべんにきひたら、めもまいひん」
「なに?」
「みもまいひん」
「ミノマイシンか・・・ところでオウム病を疑った根拠は?」
「ほひをはっていは」
「ほひ?」
「ほり」
「とり?ああ、鳥か・・・」
森さんはつまらなさそうだ。

「じゃあ森さんの新患は?」
「あたし?不明熱が入った」
「熱、高いの?」
「9度あるわ」
「血液培養は?」
「したわよ。でも静脈だけ」
「動脈もしないと・・」
「うん、知ってるわよ・・知ってるんだけど・・・忙しいでしょ?」
「それは理由にならないぜ」
「あ、今の!オーベンの喋り方にそっくり!」
「あ・・・そうだな?でもいい徴候だよ」
「トシキ君のオーベンね・・・一生懸命なのはありがたいんだけど。なんかこう、鼻につくとこあるのよね」
「なんだって?」
「飲んでるんだから言わせてよ。なんかこう、正義感ぶりっこというか。ええかっこしいなの。たまにゃ息抜きさせろよオイって・・思わない?」
「経験の浅い僕らに、そんなこと言える権利はないよ」
「性格のことを言ってるのよ」
「森さん。オーベンは僕らのことを思って言ってくれてる。反省しなきゃ。この会もそういう目的で設けたんだから」

水野がくわっと表情を変えた。
「おい!トヒキ!」
「うわ、なんだ?」
「おまへ、おれらのかいだとかなんかいひやがっへ!ほんほはおまえのためのあつまひだろほが!」
「僕のための?」
「あんまりほくらをしばっへほしくはいの!」

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