バイト先の病院は、結局ノー・コール。まさに寝当直だった。しかし緊張が持続し、
満足に寝れなかった。風呂も入れず、というか入らず。

 夜中に救急車の音が聞こえるたび、『こっち来るんだろうか』とか考えたり、あせってマニュアルを読んだり。

病院を出て車に乗るまで緊張は持続した。

しかし・・・当直はロシアン・ルーレットだ。どんな患者がどんな医者に当たるか、分からない。


7月・・・。


中堅どころのひょろひょろナースが、カンファレンス室へやってきた。

「松田先生は?」

ソファーで僕と向かい合っていたオーベンは少し気が散った。実験関連の朗読をなさっている。

「いない」
「では、どなたか・・・」
「ポケベルで呼んだら?」
「5回ほど押しましたが、かかってきません」
「こっちはいろいろと打ち合わせ中なんだ」
「ですが・・・」
「医局は探したか?」
「医局は誰もいらっしゃいません」
「でもいたりするんだよ」
「水野先生から、松田オーベンを呼んで欲しいと・・・」

水野・・・今日はバイトのはずだな。

オーベンはため息をついた。

「ハイハイ。オレが代わろうか!」
「そちらへ電話、廻します・・・」

ナースは出て行った。オーベンは話を続けた。

「COPDの症例を多くもてば分かるようになる。たいていひょろっとしてて・・・痩せている」
「この人はまさしくそうですね」
「血ガスは?酸素分圧はいくら?」
「ええっと・・」
「カルテ見るな!覚えてなきゃあ」
「・・・・さっきは覚えてたんですが」
「言い訳だ。65.5mmHgだろ?」
「は、はい・・」
「CO2が76mmHg。?型の呼吸不全。酸素はどうする?」
「SpO2 93%ありましたんで、少量投与しようかと思います」
「目標は?」
「は?」
「SpO2の目標だよ」
「それは・・・なるべく多く。な、ナルコーシスを起こさない程度に」
「バカ。そんなの分かるか?いいか。こういう患者は小さい容積の肺で呼吸をしている・・・・電話、かかってこないな?」
「はい・・・」
「CO2が高いと延髄の呼吸中枢が鈍くなる。つまり自発的な呼吸が出にくい」
「はい」
「だからお前が言ったように、ナルコーシスにならない程度にならCO2が増えてもいい、というのは間違ってる」
「そうですね」
「なら、酸素は必要最小限でいい。それによって次の呼吸を促せる。これは経験的な数字なんだが・・SpO2は高くても95%どまりだ」
「下限はどのように・・」
「待て、まだ途中だ!途中で口を挟むな!・・・・そうだな、下限は92%くらいかな」
「・・・・・」
「待て。そのままメモするな!実際は患者によって違うんだ。鵜呑みにするな」
「はい」
「おい?今の言葉も書いたのか?」

電話がやっと鳴ってきた。

「はい。野中・・・水野先生。うん。うん・・・」

僕はオーベンの持つ受話器を凝視していた。

「そうか、松田先生なあ・・・。みたいだな。で?・・・・・うん。うん。そうか・・・」

オーベンは時計を見ている。今日は土曜日で、昼間にさしかかる。オーベン、たしか実験の判定時間が夕方とか言ってたな・・。莫大な費用をかけた実験の。この前の教授の言葉を思い出す。

「それは無理。そうだなあ。ソケイ部からやってみれば?・・・つぶした?」

どうやら・・IVHが入らないんだな。

「両方?それ、キツイな。経口摂取は・・・あ、そう。お前・・・いつまで?夜の・・・7時?」

オーベンはまた時計をみやった。

「困ったな。俺はこれから実験の判定があるんだよ。できれば他のドクターに・・なあに、松田先生がそのうちかけてくるだろ。留守電には入れたか?はいはい。はーい」

オーベンは電話を置いた。
「水野のヤツ、神戸の病院でバイトしてるのか?」
「僕と同じように、誰かから頼まれたようです」
「引き受けたヤツの責任だ。ったく・・・おいしいバイトだとすぐ飛びつきやがって・・・」
「・・・・・」
「お前ら、仲が少し険悪なんだろ?」
「険悪では・・・でも少しぎこちないです」

オーベンはタバコを吸いだした。

「ん?何見てる。禁煙・・・?知ってるよ」
「水野は・・いけますかね」
「IVHをナースから頼まれたってよ。ルートがないからって。これから救急も入るとか」
「忙しい病院なんですね」
「たぶん、うちの宮川先生が行ってる病院だ。関連病院で民間だが、かなりハードだ。民間の当直ほど大変だぜ」
「当直も、ですよね」
「しかしそれを承知であいつ、引き受けたのかな・・・」

水野はああ見えてもプライドは高い。宮川先生から頼まれて、多分ハリキッて引き受けたんだろう・・。

「じゃあオレは昼飯食って、実験室へ行く。判定には4時間ほど要するから」
「ええ。連絡はしません」
「だが病棟の緊急は別だ。今度は携帯持ってるから大丈夫」
「はい。ありがとうございました!」
「大事な判定だ。途中で入ってくるな。手伝いは要らん。それと!」
「?」
「実験の・・結果は聞くな!」

僕は入院したばかりのCOPDの患者のカルテのまとめにかかった。今回はHOT導入目的。とりあえずプレゼン・回診に間に合わせるための検査項目をリストアップ。まず大まかに。そして細かく。どんな困難でも分割すれば、シンプルだ。

そうか。確かに臨床には「アタマ」は要らないな。

また電話がかかってきた。僕の携帯のほうにだ。

「もしもし・・」
「トシキか」

水野。僕の携帯へとは珍しい。

「なんだい?」
「オレ実は今、神戸の病院でバイトしててな・・・今、大学だろ?」
「ああ」
「誰か先生、いないか?」
「先生・・・・・・いるよ。僕だけど」
「お前だけ?はっちゃー」
「とりあえず・・なんだ?」
「いや・・・なんでもない」
「血管が入りにくいとか?」
「?なんでそれを・・・」
「い、いや。僕もバイト先でよくあったんで」
「で?どうした、そのとき?」
「いっ?・・・・・ひ、引継ぎの先生に任せた」
「困ったな。あと7時間もある・・・」
「何の患者?」
「・・・・・」
「基礎疾患は?」
「あまり干渉しないでくれ・・うっとうしい」
「?」
「根掘り葉掘り聞くな。もういい。なんとかする。切る」
「あ、おーい!」

電話は切られた。とうとうあいつの本音が出たか・・・。

もう知らない。

<つづく>

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