< オーベン & コベンダーズ 1-16 SOS >
2004年7月24日 バイト先の病院は、結局ノー・コール。まさに寝当直だった。しかし緊張が持続し、
満足に寝れなかった。風呂も入れず、というか入らず。
夜中に救急車の音が聞こえるたび、『こっち来るんだろうか』とか考えたり、あせってマニュアルを読んだり。
病院を出て車に乗るまで緊張は持続した。
しかし・・・当直はロシアン・ルーレットだ。どんな患者がどんな医者に当たるか、分からない。
7月・・・。
中堅どころのひょろひょろナースが、カンファレンス室へやってきた。
「松田先生は?」
ソファーで僕と向かい合っていたオーベンは少し気が散った。実験関連の朗読をなさっている。
「いない」
「では、どなたか・・・」
「ポケベルで呼んだら?」
「5回ほど押しましたが、かかってきません」
「こっちはいろいろと打ち合わせ中なんだ」
「ですが・・・」
「医局は探したか?」
「医局は誰もいらっしゃいません」
「でもいたりするんだよ」
「水野先生から、松田オーベンを呼んで欲しいと・・・」
水野・・・今日はバイトのはずだな。
オーベンはため息をついた。
「ハイハイ。オレが代わろうか!」
「そちらへ電話、廻します・・・」
ナースは出て行った。オーベンは話を続けた。
「COPDの症例を多くもてば分かるようになる。たいていひょろっとしてて・・・痩せている」
「この人はまさしくそうですね」
「血ガスは?酸素分圧はいくら?」
「ええっと・・」
「カルテ見るな!覚えてなきゃあ」
「・・・・さっきは覚えてたんですが」
「言い訳だ。65.5mmHgだろ?」
「は、はい・・」
「CO2が76mmHg。?型の呼吸不全。酸素はどうする?」
「SpO2 93%ありましたんで、少量投与しようかと思います」
「目標は?」
「は?」
「SpO2の目標だよ」
「それは・・・なるべく多く。な、ナルコーシスを起こさない程度に」
「バカ。そんなの分かるか?いいか。こういう患者は小さい容積の肺で呼吸をしている・・・・電話、かかってこないな?」
「はい・・・」
「CO2が高いと延髄の呼吸中枢が鈍くなる。つまり自発的な呼吸が出にくい」
「はい」
「だからお前が言ったように、ナルコーシスにならない程度にならCO2が増えてもいい、というのは間違ってる」
「そうですね」
「なら、酸素は必要最小限でいい。それによって次の呼吸を促せる。これは経験的な数字なんだが・・SpO2は高くても95%どまりだ」
「下限はどのように・・」
「待て、まだ途中だ!途中で口を挟むな!・・・・そうだな、下限は92%くらいかな」
「・・・・・」
「待て。そのままメモするな!実際は患者によって違うんだ。鵜呑みにするな」
「はい」
「おい?今の言葉も書いたのか?」
電話がやっと鳴ってきた。
「はい。野中・・・水野先生。うん。うん・・・」
僕はオーベンの持つ受話器を凝視していた。
「そうか、松田先生なあ・・・。みたいだな。で?・・・・・うん。うん。そうか・・・」
オーベンは時計を見ている。今日は土曜日で、昼間にさしかかる。オーベン、たしか実験の判定時間が夕方とか言ってたな・・。莫大な費用をかけた実験の。この前の教授の言葉を思い出す。
「それは無理。そうだなあ。ソケイ部からやってみれば?・・・つぶした?」
どうやら・・IVHが入らないんだな。
「両方?それ、キツイな。経口摂取は・・・あ、そう。お前・・・いつまで?夜の・・・7時?」
オーベンはまた時計をみやった。
「困ったな。俺はこれから実験の判定があるんだよ。できれば他のドクターに・・なあに、松田先生がそのうちかけてくるだろ。留守電には入れたか?はいはい。はーい」
オーベンは電話を置いた。
「水野のヤツ、神戸の病院でバイトしてるのか?」
「僕と同じように、誰かから頼まれたようです」
「引き受けたヤツの責任だ。ったく・・・おいしいバイトだとすぐ飛びつきやがって・・・」
「・・・・・」
「お前ら、仲が少し険悪なんだろ?」
「険悪では・・・でも少しぎこちないです」
オーベンはタバコを吸いだした。
「ん?何見てる。禁煙・・・?知ってるよ」
「水野は・・いけますかね」
「IVHをナースから頼まれたってよ。ルートがないからって。これから救急も入るとか」
「忙しい病院なんですね」
「たぶん、うちの宮川先生が行ってる病院だ。関連病院で民間だが、かなりハードだ。民間の当直ほど大変だぜ」
「当直も、ですよね」
「しかしそれを承知であいつ、引き受けたのかな・・・」
水野はああ見えてもプライドは高い。宮川先生から頼まれて、多分ハリキッて引き受けたんだろう・・。
「じゃあオレは昼飯食って、実験室へ行く。判定には4時間ほど要するから」
「ええ。連絡はしません」
「だが病棟の緊急は別だ。今度は携帯持ってるから大丈夫」
「はい。ありがとうございました!」
「大事な判定だ。途中で入ってくるな。手伝いは要らん。それと!」
「?」
「実験の・・結果は聞くな!」
僕は入院したばかりのCOPDの患者のカルテのまとめにかかった。今回はHOT導入目的。とりあえずプレゼン・回診に間に合わせるための検査項目をリストアップ。まず大まかに。そして細かく。どんな困難でも分割すれば、シンプルだ。
そうか。確かに臨床には「アタマ」は要らないな。
また電話がかかってきた。僕の携帯のほうにだ。
「もしもし・・」
「トシキか」
水野。僕の携帯へとは珍しい。
「なんだい?」
「オレ実は今、神戸の病院でバイトしててな・・・今、大学だろ?」
「ああ」
「誰か先生、いないか?」
「先生・・・・・・いるよ。僕だけど」
「お前だけ?はっちゃー」
「とりあえず・・なんだ?」
「いや・・・なんでもない」
「血管が入りにくいとか?」
「?なんでそれを・・・」
「い、いや。僕もバイト先でよくあったんで」
「で?どうした、そのとき?」
「いっ?・・・・・ひ、引継ぎの先生に任せた」
「困ったな。あと7時間もある・・・」
「何の患者?」
「・・・・・」
「基礎疾患は?」
「あまり干渉しないでくれ・・うっとうしい」
「?」
「根掘り葉掘り聞くな。もういい。なんとかする。切る」
「あ、おーい!」
電話は切られた。とうとうあいつの本音が出たか・・・。
もう知らない。
<つづく>
満足に寝れなかった。風呂も入れず、というか入らず。
夜中に救急車の音が聞こえるたび、『こっち来るんだろうか』とか考えたり、あせってマニュアルを読んだり。
病院を出て車に乗るまで緊張は持続した。
しかし・・・当直はロシアン・ルーレットだ。どんな患者がどんな医者に当たるか、分からない。
7月・・・。
中堅どころのひょろひょろナースが、カンファレンス室へやってきた。
「松田先生は?」
ソファーで僕と向かい合っていたオーベンは少し気が散った。実験関連の朗読をなさっている。
「いない」
「では、どなたか・・・」
「ポケベルで呼んだら?」
「5回ほど押しましたが、かかってきません」
「こっちはいろいろと打ち合わせ中なんだ」
「ですが・・・」
「医局は探したか?」
「医局は誰もいらっしゃいません」
「でもいたりするんだよ」
「水野先生から、松田オーベンを呼んで欲しいと・・・」
水野・・・今日はバイトのはずだな。
オーベンはため息をついた。
「ハイハイ。オレが代わろうか!」
「そちらへ電話、廻します・・・」
ナースは出て行った。オーベンは話を続けた。
「COPDの症例を多くもてば分かるようになる。たいていひょろっとしてて・・・痩せている」
「この人はまさしくそうですね」
「血ガスは?酸素分圧はいくら?」
「ええっと・・」
「カルテ見るな!覚えてなきゃあ」
「・・・・さっきは覚えてたんですが」
「言い訳だ。65.5mmHgだろ?」
「は、はい・・」
「CO2が76mmHg。?型の呼吸不全。酸素はどうする?」
「SpO2 93%ありましたんで、少量投与しようかと思います」
「目標は?」
「は?」
「SpO2の目標だよ」
「それは・・・なるべく多く。な、ナルコーシスを起こさない程度に」
「バカ。そんなの分かるか?いいか。こういう患者は小さい容積の肺で呼吸をしている・・・・電話、かかってこないな?」
「はい・・・」
「CO2が高いと延髄の呼吸中枢が鈍くなる。つまり自発的な呼吸が出にくい」
「はい」
「だからお前が言ったように、ナルコーシスにならない程度にならCO2が増えてもいい、というのは間違ってる」
「そうですね」
「なら、酸素は必要最小限でいい。それによって次の呼吸を促せる。これは経験的な数字なんだが・・SpO2は高くても95%どまりだ」
「下限はどのように・・」
「待て、まだ途中だ!途中で口を挟むな!・・・・そうだな、下限は92%くらいかな」
「・・・・・」
「待て。そのままメモするな!実際は患者によって違うんだ。鵜呑みにするな」
「はい」
「おい?今の言葉も書いたのか?」
電話がやっと鳴ってきた。
「はい。野中・・・水野先生。うん。うん・・・」
僕はオーベンの持つ受話器を凝視していた。
「そうか、松田先生なあ・・・。みたいだな。で?・・・・・うん。うん。そうか・・・」
オーベンは時計を見ている。今日は土曜日で、昼間にさしかかる。オーベン、たしか実験の判定時間が夕方とか言ってたな・・。莫大な費用をかけた実験の。この前の教授の言葉を思い出す。
「それは無理。そうだなあ。ソケイ部からやってみれば?・・・つぶした?」
どうやら・・IVHが入らないんだな。
「両方?それ、キツイな。経口摂取は・・・あ、そう。お前・・・いつまで?夜の・・・7時?」
オーベンはまた時計をみやった。
「困ったな。俺はこれから実験の判定があるんだよ。できれば他のドクターに・・なあに、松田先生がそのうちかけてくるだろ。留守電には入れたか?はいはい。はーい」
オーベンは電話を置いた。
「水野のヤツ、神戸の病院でバイトしてるのか?」
「僕と同じように、誰かから頼まれたようです」
「引き受けたヤツの責任だ。ったく・・・おいしいバイトだとすぐ飛びつきやがって・・・」
「・・・・・」
「お前ら、仲が少し険悪なんだろ?」
「険悪では・・・でも少しぎこちないです」
オーベンはタバコを吸いだした。
「ん?何見てる。禁煙・・・?知ってるよ」
「水野は・・いけますかね」
「IVHをナースから頼まれたってよ。ルートがないからって。これから救急も入るとか」
「忙しい病院なんですね」
「たぶん、うちの宮川先生が行ってる病院だ。関連病院で民間だが、かなりハードだ。民間の当直ほど大変だぜ」
「当直も、ですよね」
「しかしそれを承知であいつ、引き受けたのかな・・・」
水野はああ見えてもプライドは高い。宮川先生から頼まれて、多分ハリキッて引き受けたんだろう・・。
「じゃあオレは昼飯食って、実験室へ行く。判定には4時間ほど要するから」
「ええ。連絡はしません」
「だが病棟の緊急は別だ。今度は携帯持ってるから大丈夫」
「はい。ありがとうございました!」
「大事な判定だ。途中で入ってくるな。手伝いは要らん。それと!」
「?」
「実験の・・結果は聞くな!」
僕は入院したばかりのCOPDの患者のカルテのまとめにかかった。今回はHOT導入目的。とりあえずプレゼン・回診に間に合わせるための検査項目をリストアップ。まず大まかに。そして細かく。どんな困難でも分割すれば、シンプルだ。
そうか。確かに臨床には「アタマ」は要らないな。
また電話がかかってきた。僕の携帯のほうにだ。
「もしもし・・」
「トシキか」
水野。僕の携帯へとは珍しい。
「なんだい?」
「オレ実は今、神戸の病院でバイトしててな・・・今、大学だろ?」
「ああ」
「誰か先生、いないか?」
「先生・・・・・・いるよ。僕だけど」
「お前だけ?はっちゃー」
「とりあえず・・なんだ?」
「いや・・・なんでもない」
「血管が入りにくいとか?」
「?なんでそれを・・・」
「い、いや。僕もバイト先でよくあったんで」
「で?どうした、そのとき?」
「いっ?・・・・・ひ、引継ぎの先生に任せた」
「困ったな。あと7時間もある・・・」
「何の患者?」
「・・・・・」
「基礎疾患は?」
「あまり干渉しないでくれ・・うっとうしい」
「?」
「根掘り葉掘り聞くな。もういい。なんとかする。切る」
「あ、おーい!」
電話は切られた。とうとうあいつの本音が出たか・・・。
もう知らない。
<つづく>
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