病棟医長が入ってきた。
「いやあ、日曜日も仕事かい?」
僕らレジデントは相変わらず書き物をしていた。週明けのプレゼンの準備もある。

「感心だなあ。実は来週の水曜日、ベッドが空くよ。トシキ、オーベンに伝えといてくれ」
「わかりました」
僕はメモを取り出した。病棟医長の仕事はすべて僕ら「病棟管理係」が行うことになっている。

「・・・退院はどなたで?」
「川口君のMCTDの子だ。退院ではなく、転院する」
「え?あの子が?まだ治療してないのに。いったい・・・どこへです?」
「近くの病院だがな。そこの循環器科へうつって、そこで治験することになる。うちでは受けたくないらしい」
「本人・家族の希望ですか」
「いや・・・川口くんの根回しだろう、たぶん」
「そうですか・・・」

グッチ先生、よっぽどここにおいておくのが嫌なんだ・・。

「治療がある程度終わったら、またここに戻ってくると思う」
「はい」
「では水曜日にまた入院が入る。まあこれで稼働率もまた上がってくな」
「そうですね」
「じゃ、これでいいか?」
「はい」
病棟医長、不服そうだな。自分の仕事取られた様なもんだもんな。

でもオーベン・・・怒らないかな。

日曜日のプレゼン・回診準備作業は夜中の2時に終了した。

だが仕事のほとんどが書類整理・カルテ書き。

これはいったい本当に患者のためなのか、教授のためなのか、
時々分からなくなる。

翌日、月曜日。

早朝、さっそく携帯が鳴る。まだ出勤していない。
病棟医長からだ。

「すまないがトシキ君。主治医を決めてくれ」
「はい」
「君のオーベンは実験で大変のようで、主治医決定は君に任せると」
「ぼ、僕が?」

いや、これは・・・意味するところが分かった。

「じゃあ、僕が持ちます」
「おいおい、どんな患者か言ってないぞ」
「重症ですよね」
「ああ。なぜ分かった?」

出勤時間前にわざわざこうして連絡があったってことは、急変か緊急入院のはずだから。

「70歳でもともと肺線維症がある患者。急性増悪だ」
「来てるんですか、外来に」
「今、俺が当直外来で診てるんだよ、救急室で」
「今から行きます」
「すぐ頼む。俺は循環器グループだし。呼吸器は分からん」
「はい」

そんな、毛嫌いしなくても・・。

いけない。なんか愚痴っぽくなったような気がする。

僕は急いで救急へ入った。

「すみません。白衣も着ずに」
「あとでちゃんと着ろよ!酸素はマスクつけてる」
「バイタルは・・」
「知らん」
「え?」
「脈は触れてるし」
「先生、血ガスは・・」
「してない。病棟上がってからやれ」
「しかし、今酸素を・・・3リットルですか」
「肺線維症なら、どうせ二酸化炭素は上がらんよ。むしろ下がる」
「しかし・・」
「何だ?」
「肺線維症と肺気腫の混在の症例もあると」
「うん!まあそうかもしれんが。俺は専門でないし。そこはカルテを見て臨機応変に!」

どうしたんだろう。病棟医長の医療行為は初めて見るけど、こんな・・。

「じゃあ今から病棟へ上げていいですか?」
「婦長はまだ来てない。とりあえず病棟へ上げて、婦長に許しを請え」
「先生、病棟への連絡は・・」
「連絡?それはお前がしろよ。いちおう病棟管理部、副長だろ?」
「副長とまでは・・」
「みんなはそう呼んでるが」

この先生、イヤミで言ってるんだろうか・・。

「病棟は空いてるんでしょうか」
「昨日の深夜の時点では1つ空いてるな・・」
病棟医長はメモを取り出した。

「あ、でもここは火曜日に入院が入るな」

患者は少し苦しそうだ。
僕はベッドサイドへかけつけた。
「息苦しいですか?」
「こ、腰が・・」
「あ、はいはい」
僕は座布団を腰にひいた。

病棟医長は引き上げにかかった。
「じゃ、俺はバイトがあるから」
「先生!病棟はどうしたら・・?」

病棟医長はそのまま出て行ってしまった。

「・・血ガスを」
動脈血の二酸化炭素がやはり気になる。動脈血を採取。
「ちょっと行って来ます」
患者さんに言い残し、検査室へ。中年の女性が付き添っている。

廊下から病棟へ連絡。
「婦長さんか。誰も来てない?」
「いいえ。注射当番の水野・森先生は大忙しで手が放せませんよ!」
「入院を1人お願いしたいんです」
「ダメですよ。空いてる部屋は入院が入るし」
「1人患者さんが救急にいまして」
「そんなの受けるからですよっ!」
「ここじゃ処置がしにくくて・・」

ポケベルが鳴り出した。

「外来か?婦長さん、ちょっと切ります」
外来へ電話。
「トシキ先生ですか?トレッドミルの患者さんがお待ちですよ」
時計を見ると9時半。30分、待たせてるわけか。
「今は救急室で1人診てまして」
「患者さん、今日は6人いますから。1人目の人はもうカンカンですよ」
「救急室で処置してるんです。どうしたら・・」
「知りませんよ、そんなの。とにかく早く!」

そうだ。オーベンに連絡を。
医局秘書さんに連絡。
「秘書さん。マイ・オーベンは?」
「朝方早くから来て実験してるみたいね。名札は・・動物実験棟のようよ」
「そうか・・」
「呼び出すわ」
「いえ!多分、重要な判定かもしれないし」
「誰か探しましょうか」
「はい。助かります」
「・・・今日は循環器グループはみんな外来。呼吸器はほとんど公休日。バイトの日ね。病棟医長もバイト」
「手の空いてる人は?」
「あたしぐらいかな」
「いえその、それじゃダメなんです」
「患者さん?」
「そうなんです。入院させるところがなくて・・」
「退院の予定の人は?」
「予定・・」
「そうよ。退院患者の調節も先生とオーベンがやってるんでしょ?」
「そうか・・」
「誰か退院させて、そこに入れちゃいなさいよ」
「なるほど・・」

僕はハガキ大のモバイルを取り出した。
「入院患者一覧」をクリック。

「個室がいいんだが。個室の喘息患者と、2人部屋の糖尿病患者が安定してそうだ・・・」
個室の喘息は議員でVIP待遇の患者だ。しかしほとんど外泊で部屋は開けっぱなし。連絡先も一定していない。
相談するなら、糖尿病のほうがしやすい。主治医は・・水野か。気まずいな。

僕は水野の携帯に連絡。
「水野?」
「なに」
「救急が入って・・」
「俺いやだよ、もう持てない。昨日1人入ったし・・」
「じゃなくて。1人退院させてほしい」
「俺の患者?」
「ああ。DMの人」
「あの人は血糖はよくなったけど、ターゲスの結果が・・」
「ターゲス?ああ、血糖の日内変動か」

僕は検査室のパソコン画面を確認した。

「もう出てる。全部200mg/dl以下だ。この結果は昨日出てるぞ」
「な?どうやって分かったんだよ。まったく・・」
「できれば説明して、帰らせてもらえるかな?」
「オーベンとの退院のムンテラもまだだ。無理だよ」
「君のオーベンは俺のオーベンと同じだろ?」
「オーベンに聞いてくれよ」
「オーベンは大事な実験中のようなんだ」
「とにかく俺の判断では・・すまん!」

電話が切られた。
こうなると、議員にお願いするしかないか。僕の患者だし。

だが手が放せない。

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