冬も近づき、病棟にも電気ストーブが入るようになった。

詰所でみな厚着になったまま、カルテの確認。僕は肺線維症の患者のお見送りに出かけ、戻ってきた。

病棟医長の説得もむなしく、ゼク(病理解剖)の同意は得られなかった。

これは異例のことだが、カンファでもないのに助教授が病棟カンファ室に現れた。

「野中君はいるか?」
「いません」
僕と水野が答えた。
「川口君は?」
「バイトです」
「ううむ・・」
「あの、なにか・・?」
水野が内線をかけている。

「先生・・野中先生いました」
「ふむ!」
「動物実験棟です」
「よし、貸せ!」

助教授は受話器を握り締めた。
「おい!ああ、聞いたか?そうか。ああ。アイツな。行方不明だって?まったく・・あそうそう。いやなんだな。君、同期だろ?」

なんだ?誰が行方不明に・・?マイオーベンの同期といえば、間宮先生。いや・・・。助教授は焦りまくっている。

「思い当たるふしはないか?何か?わし?知らん!ただ先日、医局長が進路の面接で話はしたらしい。ああ。それかな。それかもしれんな」

医局長、その先生になんかひどいことでも言ったんだろうか?

「お前ら、大事な話だから・・。出てけ!」
僕と水野は一方的に追い出された。

行き場がないので、僕は詰所へ立ち寄った。
そこではナースがずらりと並んでいた。何人かは腕を組んでいる。
婦長が先陣を切る。
「先生。ちょっとあんまりじゃありません?」
「ハア?」
「ハアじゃないわよ。それはこっちのセリフ」
「何です?」
「満床が続いて、重症が多すぎます。治療をうまくやって治すか、転院かICU/CCUへ送ってちょうだい!」
「ムチャですよ」
「急性心不全が3人。肺疾患の重症が4人。そもそもこの病棟は、そんな重症患者のための病棟ではありません!」
「どうして?」
「大学病院ですよ。先生、ここは」
「大学病院だから重症見れないってのはおかしいよ」
「研究機関なんだから、単なる心不全とか肺炎とか増やさないでちょうだい!」
「単なる?待ってよ、婦長さん」
「?」
「背景にはみな、特定疾患とか稀な病気を持ってる人がほとんどですよ」
「ふーん」
「そこも考慮して、僕らはベッドの割り振りをやってます」
「ふん」
「言いましょうか?心不全の3人はそれぞれ、拘束型心筋症、アミロイドーシス、心サルコイド」
「・・・」
「肺疾患は、肺胞蛋白症にALS、ミエローマ・・」
「はいはい、もうやかましいわよっ!」

こういういがみ合いは日常茶飯事だ。


呼吸器早朝カンファレンス。
安井医局長・オーベンが司会。

「じゃ、どうぞ!レジデントから!」
 僕はフィルムを出し、プリントを配った。
「長期となります。COPDで3回肺炎を繰り返してます、例の方です。肺炎は軽快したのですが、食欲不振がありまして」
 オーベンは目頭を押さえていた。
「で、原因は?」
「低ナトリウムによるものと思われます」
「すると?」
「吸収障害か、経口摂取不十分か」
「?オレ、そんな指導したか?」
「いえ・・」
「調べておけと言ったぜ、たしか」
「はい・・」

安井先生が少ししびれを切らしている。
「オーベン、君もちゃんと指導しないと」
「してますよ」
「じゃあ、オーベンが考える原因は?」
「オレが?そうですね・・・トシキ、この人ステロイド以前飲んでたよな?」
「はい」
「副腎に問題があるんじゃ?」
「ACTHとコルチゾールは・・」
「尿中17-OHCSは?副腎のCTは撮ったのか?造影で!」
「い、いえ」
「それやっとけよ」

安井先生はやれやれと少し首を振った。
「野中君。まあそう怒るなよ。みんな疲れてる」
「はあ・・」
「これはSIADHじゃないのかい?」
「あー、うん。そうかな・・」
「オーベン、その診断に必要な指示を出してあげろよ」
「終わったら向こう行くぞ、トシキ!」
「はい!」
「落ち込んで逃げ出すなよ。では次!」

オーベンは強烈な皮肉を居局長に投げつけた。

僕とオーベンは廊下を歩いていた。
オーベンは安井先生にかなり腹を立てているようだった。歩き方でわかる。
僕らはいつもの部屋に入った。

「SIADHを今さら診断しろって言われてもなあ!」
「そうですよね、先生。ナトリウムもう入ってますし・・あ!」
 
そこに私服の人が1人。足が泥だらけで汚い格好だ。
しかしオーベンは・・どうやら知人のようだ。

「ああ?おお!」
「野中か」
「何でお前、ここに?」
「助けてくれ、診断書を」
「診断書?死亡診断書か?」

 あうんで呼吸するかのジョークに、僕は思わず噴き出した。しかしオーベンはそれを見逃さなかった。

「おい、オレの同僚なんだぞ」
「は?ああ!これは誠に・・すみません!申し訳ないです!」

マイオーベンの同僚の先生は慌てていた。顔色も悪い。 
「でな野中、今ちょっと調子悪くて」
「ハハーン、とうとう登院拒否したわけだな、なるほど。それで診断書を書いてくれということだな?いいのか?俺の名前でも?」
「いいよ。大学病院の書類でね。ハンコ、頼むぞ」
「ハンコ、ないな。医局で借りたら怪しまれるし。俺の拇印では?」
「野中、ほか誰か先生が?」
「外来をやってる先生がいいだろ。例えば・・医局長は?」
「この前会ったが、ヤな感じだったなあ」
「聞いたけどお前、山城先生のとこに決まったんだってな?」
「決まった?」
「噂では、もう引っ越したと」
「なわけない。でもその、山城先生ってのは」
「怖いよ、そりゃもう。救急も循環器もできる。関西でも指折りだ」
「そうなのか?」
「と、自分で言ってるらしい。でもウソでもなさそうだ」
「大学帰ろうかなあ」
「そら無理だ。マミーが大学へ戻ることが決まった。ユウキは自動的に山城先生のとこだ」

オーベン、人事のことも全部把握している。助教授たちとツーツーなんだな。

ユウキ先生は急いで外来へ向った。

と、オーベンが内線発信した。
「安井先生。ユウキが行きます。ええ。来たんですよ、汚い格好で。どっか行ってたみたいです。ええ。それで診断書をくれと。行かせましたが・・・仕方ないですね。じゃあ、お願いします」
オーベンは笑いながら電話を置いた。

「呆れたヤツ。それにしてもこれから大変だぜ、あいつは」
「?」
「医者の世界で、一度こんなことやったら大変だぜ」
「・・・・・」
「お前も、逃げ出したいときは俺に相談しなよ」
「・・・・・」
「オレから逃げるのはいいが。だが患者から逃げることにもなる」
「・・そうですよね」
「お前は医師として正しいことをやってればいい。私情には流されるな」
「はい」
「評判や名誉は後からついてくる。最後は正しいものが勝つんだよ」

マイオーベン。僕にはどちらとも言えないです・・。

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