水野の低アルブミン血症の患者は相変わらず胸水が増えつつあった。
水野は頭を抱えながら悩んでいた。

「どうしてだ・・どうしてだ?」
オーベンが上から覗き込んでいる。
「原因は未だに不明か?」
「分かりません」
「文献は?」
「あたってますが・・」
「見せてみろ」
「低アルブミンの関連ですが」
「?こりゃお前、毎月出ているただの医学書籍だろ?」
「はい・・」
「これはただの医学雑誌だよ!オレが言うのは英語のれっきとした論文だ!」
「し、しかし・・こういった本のほうが」

やめろ水野。逆らうな。

「お前が調べたい内容のキーワードから探さないといかんだろうが?」
「キーワードと言いましても・・」
「こんな『低アルブミン血症とは』みたいなとこ,
漫然と読んでどうする?」
「・・・・・」
「図書館行って、検索してこい!」
「・・・はい」
「取り寄せする前に、候補のアブストラクト(概要文)を見せろ」
「・・・はい」

水野はしぶしぶ出て行った。
僕は必死に今日入院になった肺炎患者のデータをカルテに写していた。

「トシキ。ただの肺炎だろ?あまり時間かけるな」
「は、はい」
「左下肺の肺炎と一部胸膜炎。CRP 6.5mg/dl。楽勝だな」
「だといいのですが・・」
「グラム染色はしたか?」
「いえ・・」
「今日中に絶対しろ」
「先生。痰の喀出がいまひとつで・・dry cough(乾性咳)なもので」
「ダメだ。ネブライザーでひねり出してでも取れ」
「・・・・はい。生食3とビソルボン1でやります」
「メプチンも0.3ml入れろ。清潔操作でな」
「白血球が増えてないので、異型肺炎の疑い・・と考えてます」
「抗体3種類。寒冷凝集素もな。全部出せ」
「はい」
「でもグラム染色はやれよ。必ず!」
「はい」
「出来たら俺にも必ず見せろ。心不全の患者はどうなった?」
「オーベンのおっしゃるとおりで、貧血によるもののようです」
「輸血してヘモグロビンは?」
「6から9へ」
「内視鏡の予約は?」
「1週間後です」
「遅い。直接消化器科へコンサルトして共診にしろ。ならすぐ診てくれる」

こんなとき、宮川先生がいてくれたら・・。

「トシキ。あと報告は?」
「カテが2名。1名は昨日CAG(冠動脈造影)でRCA(右冠動脈)に75%の狭窄」
「シンチでRDが?おい!何も見ずに言えよ!」
「はい。再分布はなしですが有意狭窄のため来週拡張術」
「シンチはBMIPPのもしておけ。循環器グループに要る」
「残り1名はMS(僧房弁狭窄症)。バルーン形成予定」
「カテ以外の患者は?」
「DKA(糖尿病性ケトアシドーシス)+ICM(虚血性心筋症)に特発性の心房拡張症、ハイポ(甲状腺機能低下)」
「DKAは未だに絶食か?」
「今日から始めました」
「あとの2人も落ち着いたな」
「はい。あと肺癌とじん肺がいたな。肺癌はオペ紹介?」
「はい。SCCでstage Iでしたので」
「右のS2と書いてるが・・・S3だろ?」
「あ、すみません」
「間違えるなよ。肺の前と後ろを」
「2と3の覚え間違いで・・」
「ユウキが言ってたが、手をクルクルこうやって、『ダイザー、ゴー!の順番だ』とか言ってた。バカだぜ、あいつ」
「台座・・?」
「あ、お前知らないか?もういい。それで・・術前検査は?」
「異常なし」
「じん肺は・・・呼吸器カンファで収穫は?」
「対症療法でと」
「結局それか。だから呼吸器はつまんねえんだよな。あ、失礼!」

近くに呼吸器科の助手が数名座って内職している。

それにしても、これだけの患者を把握するのに僕らはヒーヒー言ってるのに、オーベンはきちんとすべて把握している。

メモも持ってないのに。やはり尊敬に値する人だ。

「トシキ、今の要領で学生へ指導しろ」
「はい」
男子学生さんが横に座る。あいさつもなし。
「えーと、この塵肺の患者さんのは読んだ?」
「カルテですか?」
「そうだよ」
「途中までは読みました」
「途中って・・」
「昨日からなんで・・」
「でも予定では、今日中に全経過をまとめるんだよ」
「はい。でも昨日は・・」
「昨日の朝、君『今日中にカルテ見ておきます』って言ったと思うけど」
「言いましたけどー。けっこう経過が長い方だったんでー」
「途中ってどこまで?」
「半分くらい・・」
「まとめたのはどこに?」
「まとめ、しないといけないんですか?」

生意気な態度に、僕は少し呆れた。

「いや、そうはなってないけど。手ぶらで来るのはどうかと思うよ」
「は・・・どうも」
「この塵肺の方は咳・痰・喘鳴・呼吸困難の訴えがあるよね。感染のサインも」
「だんだん悪くなってますよねー。治療も全然効いてないみたいだしぃ。それは分かったんだけどお」
「悪い・・・?まあ、そうだよね」

言葉にも配慮がない・・。

「なんかどの治療も効いてないですよねー」
「そうかな・・・」
「結局、効く治療ってないんですかね?」

「おい、生意気ボウズ」
オーベンが我慢できず割り込んできた。
「この患者、助けたいと思わんのか?」
「え?・・・そりゃあ・・・よくなって欲しいですけどぉ」
「よくなって欲しい?ウソつけ!お前、他人事だろ!」
「た、他人事・・・?」

学生は納得いかない表情だ。

「お前の表情から、それが読み取れるんだよ!」
「・・・・・」
「いったいどんな医者になることやら・・・志望はどこだ?」
「形成です」
「形成外科?」
「はい。もう決めてます」
「よかったなあトシキ!うちには来ないって!」

僕も少し嬉しかった気がした。

「じゃあトシキ、もうそんなヤツ・・・適当でいけ!」
「はい!」

医局会が行われた。教授はおらず、助教授の独壇場だ。

「さあ、いよいよ内科学会だな。川口君は体調、壊さんようにな」
会議室がかすかな笑いで包まれた。
「2月の報告をお願いしようか、野中くん!」
「はい!」

オーベンが前に出た。

<つづく>

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