僕と水野と森さんは手分けして、3人の紹介患者を診に走っていった。

僕のほうは産婦人科外来だった。年配のドクターが待っていた。

「胸のレントゲン。心臓が大きいんだ、もともと」
「CTR 60%くらいありますね。これはいつの?」
「・・・半年前。妊娠前のだ」
「何かで受診を?」
「いや。これは健診の写真」
「どこかで精査を・・?」
「いや、してない」
「今の症状は・・?」
「紹介状に書いたはずだが」

字が汚くて読めなかった。

「ええ、見ましたが。もう少し詳しく」
「動くとサーチが落ちるんだ。SpO2 92%くらいまで。それで心不全と考えた。だがわしは専門じゃないから、分からん」
「・・・・・行って来ます」

処置室へ。30代前半。レスト(安静時)でSpO2 98%。
「えっと、今は何ヶ月で・・?」
「半年です」
「ちょっと検査を一通り・・」
「あの。被曝はしたくないので。レントゲンやCTは・・」
「え、ええ。しませんしません」
下肢に浮腫がある。血液検査は異常なし。

三品先生へ連絡。
「なんだ?」
「先生、今は?」
「超音波を1人お願いします」
「予約は2週間先まで一杯だ」
「先生、婦人科の方です」
「婦人科?」
「慢性心不全疑いです。ヘルツ(心臓)が大きめで」
「症状は増強してるのか?」
「浮腫が少しずつ増えてるようで・・」
「蛋白尿は?」
「なし。貧血もその他ラボデータ(採血検査結果)も異常なし」
「うーん、ま婦人科だからな。早めにするか」
「ありがとうございます!」
「2日後に特別に超音波検査を予約しとけ。今日から経口水分計測、体重測定を毎日、食事はナトリウム7グラムで」
「分かりました。症状増悪時は早めの紹介ということで」
「そ、そうだな」

『上司のシッポは押さえておけ』。オーベンの名言だ。

僕は紹介状返事を記入。
『担当は三品先生です。内線は・・・』
も付け加える。病棟管理係の権限を行使したつもりだ。

水野は脳外科。不整脈の指摘あり。
彼は詰所で心電図を読んでいる。
「トシキ、紹介状にはペースメーカーお願いしますって・・」

カルテをみると、高血圧性脳症でヘルベッサーを持続点滴。による房室ブロック。単純そうだ。
「水野、iatrogenic(医原性)だよ」
「あ、そうか・・・!」
「ぺルジピンに変更しよう。悪いがまた夕方に顔を出してくれるか」
「ああ」
「戻ってたら共診にしなくていいと思う」
「そうだな」

森さんと廊下でぶつかった。
「あたしはオッケー。痰に血が混じってるってことだったけど」
「ふん、それで?」
「胸部レントゲンは異常なし。胸部CTも」
「よく読めたな?上のドクターに2重にチェックしてもらったほうが・・」
「放射線科まで聞いてきたの。早いでしょ?やることが」
「さすが!」
「診察したら、咳はなくって、血が唾液に混じるっていうことみたい」
「それで・・?」
「消化器科と耳鼻科に御高診、お願いしたわ」
「うちの再診は?」
「痰培とマーカー採血出して、ツ反。2日後に助教授外来を受診としたわ」
「やるな。痰培の指示内容は・・」
「もちろんTbc(結核)、PCRも提出。cytology(細胞診)もね!」
「すごいな森さん!」

これでとりあえず、今日の仕事にあまり差し支えないようにすることが出来た。

3人で病棟へ戻ろうとしたところ、携帯が鳴った。

「トシキ、みんなもそこか?病棟医長だが、これから救急が来る。OBからの紹介なんだ」
「OB?」
「上田先生というクリニックのドクターだ。診療所に患者が来て、ナースである奥さんが診察した。もとナースだが」
「え?で・・その先生は?」
「東京だ。学会会場」
「そんな・・」
「で、連絡があった。うちで見て欲しいと」
「OB・・」
「ああ。医学界にかなり影響力を持ってる人だ」
「ではどちらへ?」
「病棟カンファ室でいい」
「行きます」


病棟医長が残存する循環器科ドクターとレジデントを病棟カンファ室へ緊急呼び出し。

病棟医長は医局員の前で話し始めた。

「呼吸困難で、SpO2 77%の患者。呼吸苦の訴えは1日前からあったが放置していたらしい。胸の痛みがあり、心筋梗塞による心不全の疑いで紹介されてきた。
救急車はこちらへ向っており、あと10分以内には到着する。この患者、既往歴に狭心症があるらしいが、カテは行っていない」

水野の顔に汗がへばりついている。

「救急室にはレジデント1年目3人と大蔵君のほか、三品先生が直行してくれ。病棟医長の私は病棟のほうをやる。窪田講師とレジデントの野中くんはカテーテル室で準備および待機を」

森さんはエリを直している。

「この患者はOBのドクターで、絶対に要請を断ってはいけない方だ。医師会に強大な影響力を持っている。人手不足だったり力不足であると悟られてしまえば、うちの医局の威信にかかわる」

僕は助言した。
「病棟医長。呼吸器科の先生方のサポートは?」
「あいつらに何ができる?」
「先生、自分達だけでは人手不足です」
水野も同意した。
「そうですよ、先生。ここは頭を下げて・・」
「お前らが下げてか?」
「僕らが下げても、彼らは動かないと思います。先生が・・」
「なにっ?俺に直接頭を下げろと言うのか?ふざけるな!」

水野はひるまなかった。
「先生、ダメですか・・」
「ダメだダメだ!さ、そろそろお前ら、行ってこい!」

僕は水野ら率いてエレベーターへ向った。
「水野。もしAMIなら・・」
「主治医は俺で頼むよ」
「いいのか?」
「実はAMI、持ったことないんだ」
「・・・わかった。決まりだ」

僕と水野と森さんはストレッチャーを運んで、エレベーターに入った。
エレベーターが閉まる直前、大蔵君が手を差し入れ、ドアは再び開いた。

「ごめん!超音波が要るんだろう?」
僕は場所を思い出した。
「故障機があると聞いたけど、たぶん大丈夫と思う。この階の奥にあるので、それを・・」
「わかった。あとで持っていくよ」
「うん。じゃあ頼む」

エレベーターは専用運転で動き始めた。
僕らは白衣の物品を確認し始めた。
ペンライトに自前のSpO2モニター(15万円)に・・。
病棟から借りた喉頭鏡など。

あちこちでカチカチ、カチッと音が響く。

森さんも今度はパニックになってない。
「今度は手帳、持ったわ」
彼女は水野のエリを直す。
「大丈夫?」
僕は白衣の両前腕部をめくってたたみ始めた。

「おまじない?」
「こうやると、うっとうしくない」
「ホント?あたしも・・」

エレベーターが到着した。ドアが開くなり、僕らは全速力でストレッチャーを運び出した。

「は!は!水野!は!三品先生!は!ちゃんと!は!来るのかな!は!」
「は!いつもの!ことだから!遅いだろ!は!」

森さんはいっそう体重が増えたせいか、もうバテ気味の息遣いだ。

向こうから救急車の音。

今度はオオカミ少年少女でありませんように。

<つづく>

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