あれから数日後。

気を入れなおして、教授回診。

「どおですかいな?」
教授が一室一室廻っている。僕は廊下で直前の対策だ。
フィルムを一通り出して、と・・・。

重症の患者さんから。
例の肺水腫の患者さん。

「ドレーンはもう取れたのかね?」
「はい。レントゲンの水もかなり引きました」

人工呼吸器がついてPEEPがかかって、おかげでか肺水腫自体は軽快傾向。皮肉な話だ。

高齢者であり、抜管する見通しは全くついていない。

「だが一部に影がある。肺炎ですかな?」
「右のS6・・・疑いが強いです」
「培養では何か?」
「いえ、何も」
「それを治さんことには、呼吸器は外せませんね」
「はい・・」

医局長は無理無理、と言わんばかりにクビをひねっている。

「抗生剤は?」
「カルバペネムです」
「MRSAのもいっときなさい」
「培養では出てませんが・・」
「だからといって否定はできんし」
「はい」
「菌が分かればな・・はっは、まあ頑張りなさい。応援しとるよ」

みんな、うらめしそうに僕を見ている。

教授が部屋を出たあと、田島先生がやってきた。
「おう、レントゲン、黒っぽくなってきたじゃないか。泊まりで利尿を?」
「ええ。何度か」
「でもここ、白いじゃんか」
「右S6の肺炎です。喀痰培養は何も・・」
「いやあ、なんかはあるだろ」
「閉塞とか・・」
「痰で閉塞されてたら、その奥に菌がいるんだろね」
「先生、気管鏡で・・」
「呼吸器、ついてんだろう?」
「ええ。ですが・・・」
「FiO2 60%かよ?」
「はい」
「もうちょっと良くなってからで・・」
「先生。あまり自分は待ちたくは・・」
「待つのも必要!」
「しかし・・・」
「あんたね、焦る気持ちは分かるよ。でも時期を選ばないと!」
「・・・・・」
「あたしが気管支鏡してそれで悪化して、あたしのせいになったらイヤだよ」

みんな、自分のことだけか。

知らない間に、回診は進んでいる。僕は次の患者さんのところへ回りこんだ。

教授は近くで回診を続ける。
「まだまだ暑いですなあ!」
教授は聴診器を当てて、ニコニコ笑っている。
「フムフム。もうすぐ退院ですかいなあ?」
「そうでございますか!」
患者のおばあさんは大喜びだ。
「主治医、ほれ、間宮先生。退院はいつで・・」
マミー先生は冷酷にも答えた。

「昨日、胸部異常影で入院されて精査入院中です」
「なに?」

どうやら教授はどっかの患者と間違えたようだ。
「症状はなさそうやな?」
「食欲不振、嘔気、ふらつきがあります」
「ふん・・・評価はこれからかいな?」
「胸部CTです。右肺門にtumor、リンパ節は#3、#7に腫脹あり」
「じゃあステージは・・」
「まだ他の評価が終わってなくて。検査の予約は1週間後です」
「おいオーベン!だれかな?このコのオーベンは?」

医局長があわてた。
「あの、間宮先生は3年目でして。オーベンはいません」
「あんた、こんなのんびりした検査計画で、いいんか?」
間宮先生は答えた。
「は・・?検査予約は、これが精一杯でしたので」
「でもあんた、この患者の場合のんびりできんじゃろ?予約ができんのなら、他の病院ででも予約して・・」
いつものマミー先生なら譲らないはずだが、センターのことが頭にあるのか、すぐに引き下がった。
「うかつでした。やってみます」
「フム・・・ま、あんたなら信用してるけどね」

一歩も譲ったことのないマミー先生も、少しずつ大学のカラーに染まってきたんだろうか。

助教授があとに続く。
「オーベン諸君!ちゃんとコベンへの指導はできとるんだろうな?オイ!医局長!」
医局長は廊下で5年目の女医さんと立ち話している。楽しそうだ。
「なにをやっとるんだ?君は?」
「は、はい!」
「女を口説くんだったらなあ、クラブでやれ、クラブで!」
「え?け、決して口説くなど・・」
「女をくどく(口説く)とは、くどく(功徳)のないやつだ」
「は?」
「功徳のない、って言うだろう?くどく!」

みんな全く意味が分かってなかった。
教授は目配せをし、助教授をまた直後に従えた。

影の薄い、塩見先生が僕の耳元でささやいた。
「鶏口となるも、牛後となるなかれ」
「ああそれ、古文で習った覚えあります」
「経口となるも、誤嚥となるなかれ・・」
「いえ、それは習ってません」
「あのね、チミ・・・」

また僕の順番だ。喘息増悪の患者。酸素吸入しており、ラインが入っている。
喘鳴は外へは聞こえていない。

「この方は・・・主治医はまたアンタ?」
「はい。私です」
「病名は・・」
「infectionによるアズマの増悪です」
「ああ、そう・・」

循環器しか知らない教授でもなんとか把握したようだった。

「喘息は、血液検査では活動性は・・・?」
「か、活動性ですか?」
助教授が自分の専門分野と分かるといきなり乗り込んできた。
「アクティビティーだよ、先生」

活動性の指標・・・。
「酸素分圧?」
「そうか?」
「呼吸回数?」
「ホント?」
助教授は手のひらで遊ばせてるような素振りだ。

「あ、そうか・・・スパイロですね」
「そうだな!ピークフローだな!」
教授は表情を変えていない。
「あの、わしは血液検査での指標をと・・」
「はああ!そうでした!そうです!な!ユウキ先生、何を言ってるんだ、はは。わしまでつられた」
「もう先生が答えてあげなさい」
「わ、私がですか?わたしが。はは・・・そうですね・・」

助教授は困っている。というか緊張している。
「指標はね、ええ、ありますね・・・」
どうやら答えられないようだ。信じられない。

塩見先生が後ろで口パクをしている。声が少しずつ大きくなり、助教授に聞こえてきた。
「ん?ああ、なんだ、それのことか。言うなよ。言われなくても当然知ってる!好酸球ですね!」

教授は廊下へ引き上げようとしていた。助教授が追いかける。
「教授!好酸球!好酸球!」
「え?あ、そうなんですか。で、増えてますか?」
僕への質問だ。
「いえ。外来ですでにステロイドが入ってたので。最初から増えてません」
「せっかちな外来主治医ですなあ・・」

助教授は顔を赤らめていた。

「で、今も正常?」
「いえ。むしろ・・・」
今日のデータは出たばかりで、今から初めてみるとこだ。
「増えてます。43%」

助教授が驚いた。
「そんなに増えてるか?発作は?」
「発作はありません」
「こんなに増えることはないがな」

呼吸器の安井先生がデータを確認にかかった。
「僕は聞いてなかったよ、先生」
「今日のデータです」
「ああ。にしてもだ。まっさきに教えてくれないと」
「このまま喘息と肺炎の治療で・・」
「他の疾患は考えられないか?」
「あ・・・」
「アレじゃないんですかね、助教授?」

助教授がアッとひらめいた表情に変わった。
「ん?ああ、あれか!あれな・・・・うんうん」
引き続き、1人ずつ驚きの表情が感染していった。

「あれあれ・・・」「はいはい・・・」「あ、そっかそっか・・・」

この人たち、みんな分かってるんだろうか?
医局長は僕の肩を叩いた。
「最近国試受けたんでしょう?なら君らが一番詳しいはずです!」
「え?」
「そうか、あれか、あれあれ」
「先生、よろしければ何かを・・」
「ダメです。自分で調べるように」

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