バイトが済んで朝の8時、駐車場で車に乗り込む。けだるい。

全速力で大学病院へ戻って、朝の通常業務だ。できれば少し早く着いて、病棟患者さんの回診もしないと。

大学病院の駐車場は相変わらずごった返していた。

待合室でガンを飛ばす人々の視線をかいくぐり、なんとか9時。間に合った。

「遅いよ、君」
診察室で助教授が待っている。

「す、すみません」
僕はこれでも手際よく、パソコン・プリンターのセットを1つずつこなしていった。

「またバイトか?」
「すみません。週1回の定期で」
「ああ、そうだったな。名誉教授の甥子さんのな」
「はい」
「偉いところを任せられたな。だが将来は有望だ」
「・・・・・」

夜間対応のぶっきらぼうなドクターはまた別の常勤医らしい。

「カルテは何冊?」
「5冊です」
「みな検査へ行ってるのか」
「はい。呼吸機能検査に、採血に・・」
「そうだ。ちょっとこれを見てくれ」

助教授はある患者のレントゲンを引っ張り出した。
「心臓、大きいだろう」
「はい。CTR 75%はあるかと」
「そうか。じゃあ病名は?」
「え?これだけでは・・」
「そうかそうか。いや、わしは呼吸器だからな。循環器はちょっと・・」
「もともとの疾患は・・」
「労作時の息切れ。リウマチもあるってことだからCTしたんだがね。スパイロも含めて異常なし」
「心電図は・・」
「これだ。さっぱり分からん」
「afとLVH」
「う、うん?まあ、それくらいは分かるがな」
「V1でR>S・・・右心負荷・・」
「う、うん、まあ。それもあるわな。で?」
「腰の曲がった、顔の赤いおばあちゃん・・ですか?」

助教授はビビった。

「おお!凄いなお前!この人、知ってるのか!」
「いえ」
「偶然にしては当たりすぎだな?あ、そうか。リウマチ持ってる人だもんな。そういう体型が多いな。だが偏見はイカンぞ、偏見は!」
「僧房弁膜症が浮かびまして・・その場合そういったタイプの方が多いと」
「そ、そうだったそうだった!はいはい」

助教授はさっさとフィルムを片付けた。

「では先生、呼びます」
「ああ、どうぞ」

背の高い壮年男性がやってきた。
「失礼します」
助教授は威厳をもって待ち構えた。
「どうだね。前よりマシか?」
「前より・・?」
「この間、わしが処方した内服薬だよ。テオフィリン系!」
「ああ。あれですね。はい先生、それはもう!」
「そうか。喘息発作は減ったか」
「はい。ただ・・」
「ただ?」
「咳の回数が多くなったような・・」

?それって発作が逆に増えてきたってこと?

「咳が増えた?発作は減った?ううむ・・」
助教授は深く腰掛けて考え込んだ。
「喘息日記はつけてる?」
「はい、これです。1日3回、きちんと・・」

ピークフローは200-300台が慢性的。とても満足すべき値ではない。

「うーむ・・・1ヶ月前よりは、10-20、増えたかな?」
「そう・・・ですね」
「だが咳は増えたのか。苦しい?」
「い、いいえ。苦しいとまでは」
「うーん。ま、効いてるはずだ、効いてるはず!」
「なんか、胸が強く打つような・・気のせいかな」
「んん?胸が痛い?」
「痛いんではなくて、その・・ドキドキするような」
「そうかもしれんが。発作が減ったなら少しは仕方ないな」

テオフィリン系、独特の副作用のような気も。

助教授は少し機嫌悪そうだ。これらの会話の流れから、
僕はパソコンに処方内容などを打ち込んでいく。

「次回は、呼吸機能検査。喀痰中好酸球!血液は・・・CBC分画、IgE!」

僕は言われた通りにパソコンに打ち込む。慣れたら意外と楽な仕事だ。

「トシキ先生。先日のCTのフィルムがまだここにないぞ?」
「はい!3階、行ってきます!」

そうでもない。



「トシキ、1人入るぞ」
野中先生から午後のカテ室へ連絡だ。
「はい・・」
「肺癌疑いだ。66歳男性。食欲不振も。脱水が激しくてアルブミンも低い」
「はい・・」
「主治医はオレが決めても?」
「え、ええ」
「おかしいな。いつものように『僕が見ます!』がないな」
「は、はい・・」

僕はARDSの重症1人、それ以外の6人はみな軽症か検査入院だ。

「トシキ、持ってくれるか?」
「うーん・・・先生。よろしければ、他のドクターに」
「今日はバイトで出てる人間が多いんだよ」
「石丸君は」
「バイト」
「長谷川さんは」
「バイト」
「医局には誰か・・」
「いない。俺だけだ。なんならオレが持とうか?」
「いえ、先生は病棟医長ですので・・」
「なら、しょうがない。自動的にお前だ」
「はい・・」

こうなるのは自分にも分かっていた。重症患者がいるという口実で、バイトを他の先生に譲っていたが。結局このような形で忙しくなるのだった。

僕は外来まで迎えに行った。

安井先生の呼吸器外来へ。

「やっと迎えが来たか。トシキ。主治医はお前・・」
「そうです」
「大丈夫か?顔色が・・」
「ええ」
「誰か他に・・」
「人がいないんです」
「今日はそういう曜日だったな。じゃあ、頼む。車椅子でな」

車椅子に座って眠りかけているおじいさんを、ゆっくりと病棟へ。

幸い、入院時検査はしてくれていた。

家族が小走りについてくる。
「先生!嫁ですが。私!」
「話は上がってからで」
「もう1週間くらい何も食べてないんです。とにかく点滴を!」
「お話を聞かせてもらってから・・」
「水分もほとんどとってなくて・・」
「そのままだったわけで?」
「あたしらが病院行けってあれほど言ったのに!頑固だから!」
「エレベーター、乗られます?」
「あ!」

家族もエレベーターに飛び乗った。
向こうからゆっくり歩いてくる人たちがいる。
こっちは待つ余裕がなかった。
「すみませんが、急ぎます」
僕は『閉』のボタンを押した。

病棟に到着してからも、その嫁は話し続けた。
「とにかく点滴してください。点滴を」
「指示は、主治医の私が出しますので・・」
「早くお願いします。なるべく早く・・」

うっとうしいな・・。

「指示しないでください。部屋には入らないで!」

怒鳴ってしまった。

僕はナースたちと患者さんをベッドに寝かせていった。
それにしても、ひどく衰弱している。餓死状態だったんだろう。
皮下に透けて見える血管もすべて糸のように細い。

「末梢は無理だな・・すみませんが、看護婦さん。IVHの介助を・・」

またIVHだ。イヤだなあ・・・。

<続く>

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