<オーベン&コベンダーズ 5-6 ブロンコ・ビリー >
2004年9月16日休み明けの平日。
医局へ朝7時に到着。だがすでに野中先生が出勤していた。
「おう、早いな」
「おはようございます。先生こそ」
「どうだ?スランプからは這い上がったか?」
「いえ・・まだ自信が」
「ARDSの患者の肺炎は?」
「肺炎は右のS6中心にあります。MRSAにシュードモナス・・」
「多剤耐性の?」
「いえ。耐性菌ではないようです。薬はいってるんですが・・」
「だが効いてないってことだな」
「量を増やしましょうか・・」
「さあな」
野中先生はロッカーから白衣を出して着替え始めた。
「お前、主治医なんだからさ。本気でやれよな」
「・・・・・」
「とにかくあの患者は治せ。臨床医としての義務だ」
臨床医・・・。
僕は廊下で塩見先生をつかまえた。
「先生。すみません」
「あ?」
「気管支鏡を・・」
「しつこいな・・君。これでもう何回目?」
「田島先生にお願いはしましたが」
「バスケスね。彼女の気管支鏡はお願いせんほうがいいよ」
「・・・・・」
「あんな乱暴な手技、見たことないしね。この前とうとう気胸、作ってしまって」
「それで、先生・・・」
「怖くてできないよ。悪いけど。1度、血気胸を起こしているし。また穴が開いたら・・」
「鎮静はかなり強力にかかってると思います」
「どうだか」
野中先生とすれ違った。
「相変わらず、揉めてるな」
「あ、おはようございます。先生」
「塩見にブロンコねだってるのか?」
「は、はい」
お見通しだな。
「塩見。やってやれよ。ワケないだろ?」
「え?ヤだよ」
塩見先生はメガネをかけなおして後ずさりしはじめた。
野中先生が1歩1歩追い詰めるように近づく。
「ブロンコの天才だろう?自称。え?」
「天才とは言ってない」
「この前ディナーのときに言ってたじゃないか」
「バスケスよりは上手いって言っただけだ」
「オレもバスケスにはしてほしくない。あれはバスケス
というよりも、ボカスカだもんな」
「ヒヒヒ・・・」
塩見先生はかなり嬉しそうだった。
「話戻すけどな、塩見。な、やってやれよ」
「うー・・」
「センターの人事がもう2週間後には決まるんだろ?」
「だな・・」
「お前、けっこうイイ線いってるらしいぜ」
「・・・誰がそれを?」
野中先生は根拠もなく褒め始めた。
「それは病棟医長の守秘義務でな」
「そんなのありかよ、ノナキー」
「医局長といろいろ話してるんだよ。オレの評価も、一部は
関係あるんだ」
「そうなのか・・マジで?」
「ここでお前がブロンコかまして、治療に役立ったら。いや、
ブロンコするだけでももう、お前の評価は違うと思うぞ」
「だが、失敗したら・・」
「ヤバイと思ったら、引き上げたらいいだろ!お前はブロンコ
に専念して、中止する判断はトシキにさせりゃあいい!」
「うーん・・・」
「な?鶏口になるも、牛後になるなかれ!だろ?」
「うー・・・」
「ビリはいやだろ?ブロンコ・ビリー!」
「・・・・・・・・・・・わかった」
野中先生、やはりあなたには頭が上がりません。
「じゃ、いくよ・・・」
塩見先生は患者さんの頭側で、気管支鏡を持って待機している。
「FiO2 100%でいってる?」
「はい、もうめいっぱい流してます」
5分くらいが経過した。塩見先生の横で僕は側視鏡をのぞかせてもらっている。いっしょに所見を見せていただく。
ベッドサイドには1年目の石丸・長谷川さんらがついている。
「じゃ、レディ・・・・」
僕は呼吸器を外しにかかる準備にかかった。
「ファースト!」
石丸君が噴き出したのも気にせず、塩見先生はサッと気管支鏡を気管内チューブに挿入した。
引き寄せられるように前かがみになる。僕もつい同じような動作になる。
「ファイティングしだしたり、出血が多いようなら中止だからね」
塩見先生は鋭く方目をつむっていた。
「気管分岐部・・・」
左右に分かれる孔がある。左へ行けば左肺。右へ行けば右の肺。
今回の目的は右の下肺。主にはB6だ。
塩見先生はカメラを少し右にひねった。視野は右の孔の奥へと入った。
「痰が多いね。少し吸う。石丸、SpO2はOKかな?」
「はい。まだ100パーです!」
気がつくと、僕の真横に田島先生が立っている。ガムを噛みながら、どこか不服そうだ。
視野は吸い込まれる痰で分かりにくい。塩見先生は入れたり引いたりで痰をこまめに吸引していった。
石丸君はモニターを凝視、屈んだ。
「少し下がってます。94パー」
塩見先生の額は汗でいっぱいだ。長谷川さんが拭きにかかる。
「さわらないでくれる?」
田島先生は片足をトントン突きはじめた。
「やめとけって・・・」
「90パー!どんどん下がってます!」
「どんどん、だけ余計だよ」
塩見先生はさらに奥へと進めた。
3つの孔が現れた。
「上葉。今はここに用はない。次、その下」
塩見先生はさらに進めた。また視界が痰で遮られた。
「こんなにあるって、聞いてないよ・・」
ゴホ!ゴホ!と患者さんの上体が数回浮かんだ。
「おい!やっぱり鎮静がきちんと・・」
塩見先生は少しのけぞった。
「MRSA、浴びたよ。もう」
それでも手元は戻さなかった。
田島先生は針なし注射器を差し出した。
「ほらよ」
「キシロカインか。どうも、バスケス!」
塩見先生は即座に受け取り、注入した。
「87パーです!」
「いったん、引き上げだ」
塩見先生はササッとカメラを引き上げた。
僕は即座に人工呼吸器を取り付けた。
「ふう・・・トシキ先生。今の見えた?」
「え?いえ・・・僕には痰しか」
「S6から出てる。痰でつまってる」
「では、そこも吸引を・・」
「そうだけど、この人のB6はかなり回り込んだとこにある」
理解できてない石丸くんに、田島先生が説明した。
「S6、分かる?カメラで視るときは、こう・・・ケツを拭く感じね。こう」
田島先生が石丸君の股間に手を伸ばそうとした。
「ひっ!」
「何?たいしたモン、持ってないくせに。で、塩見。できる?」
「無理だったら、頼む」
「任せとけって」
2人はグーで軽く拳を合わせた。
モニターのSpO2は徐々にまた復帰してきた。
「じゃ、2回目いくか!」
<つづく>
医局へ朝7時に到着。だがすでに野中先生が出勤していた。
「おう、早いな」
「おはようございます。先生こそ」
「どうだ?スランプからは這い上がったか?」
「いえ・・まだ自信が」
「ARDSの患者の肺炎は?」
「肺炎は右のS6中心にあります。MRSAにシュードモナス・・」
「多剤耐性の?」
「いえ。耐性菌ではないようです。薬はいってるんですが・・」
「だが効いてないってことだな」
「量を増やしましょうか・・」
「さあな」
野中先生はロッカーから白衣を出して着替え始めた。
「お前、主治医なんだからさ。本気でやれよな」
「・・・・・」
「とにかくあの患者は治せ。臨床医としての義務だ」
臨床医・・・。
僕は廊下で塩見先生をつかまえた。
「先生。すみません」
「あ?」
「気管支鏡を・・」
「しつこいな・・君。これでもう何回目?」
「田島先生にお願いはしましたが」
「バスケスね。彼女の気管支鏡はお願いせんほうがいいよ」
「・・・・・」
「あんな乱暴な手技、見たことないしね。この前とうとう気胸、作ってしまって」
「それで、先生・・・」
「怖くてできないよ。悪いけど。1度、血気胸を起こしているし。また穴が開いたら・・」
「鎮静はかなり強力にかかってると思います」
「どうだか」
野中先生とすれ違った。
「相変わらず、揉めてるな」
「あ、おはようございます。先生」
「塩見にブロンコねだってるのか?」
「は、はい」
お見通しだな。
「塩見。やってやれよ。ワケないだろ?」
「え?ヤだよ」
塩見先生はメガネをかけなおして後ずさりしはじめた。
野中先生が1歩1歩追い詰めるように近づく。
「ブロンコの天才だろう?自称。え?」
「天才とは言ってない」
「この前ディナーのときに言ってたじゃないか」
「バスケスよりは上手いって言っただけだ」
「オレもバスケスにはしてほしくない。あれはバスケス
というよりも、ボカスカだもんな」
「ヒヒヒ・・・」
塩見先生はかなり嬉しそうだった。
「話戻すけどな、塩見。な、やってやれよ」
「うー・・」
「センターの人事がもう2週間後には決まるんだろ?」
「だな・・」
「お前、けっこうイイ線いってるらしいぜ」
「・・・誰がそれを?」
野中先生は根拠もなく褒め始めた。
「それは病棟医長の守秘義務でな」
「そんなのありかよ、ノナキー」
「医局長といろいろ話してるんだよ。オレの評価も、一部は
関係あるんだ」
「そうなのか・・マジで?」
「ここでお前がブロンコかまして、治療に役立ったら。いや、
ブロンコするだけでももう、お前の評価は違うと思うぞ」
「だが、失敗したら・・」
「ヤバイと思ったら、引き上げたらいいだろ!お前はブロンコ
に専念して、中止する判断はトシキにさせりゃあいい!」
「うーん・・・」
「な?鶏口になるも、牛後になるなかれ!だろ?」
「うー・・・」
「ビリはいやだろ?ブロンコ・ビリー!」
「・・・・・・・・・・・わかった」
野中先生、やはりあなたには頭が上がりません。
「じゃ、いくよ・・・」
塩見先生は患者さんの頭側で、気管支鏡を持って待機している。
「FiO2 100%でいってる?」
「はい、もうめいっぱい流してます」
5分くらいが経過した。塩見先生の横で僕は側視鏡をのぞかせてもらっている。いっしょに所見を見せていただく。
ベッドサイドには1年目の石丸・長谷川さんらがついている。
「じゃ、レディ・・・・」
僕は呼吸器を外しにかかる準備にかかった。
「ファースト!」
石丸君が噴き出したのも気にせず、塩見先生はサッと気管支鏡を気管内チューブに挿入した。
引き寄せられるように前かがみになる。僕もつい同じような動作になる。
「ファイティングしだしたり、出血が多いようなら中止だからね」
塩見先生は鋭く方目をつむっていた。
「気管分岐部・・・」
左右に分かれる孔がある。左へ行けば左肺。右へ行けば右の肺。
今回の目的は右の下肺。主にはB6だ。
塩見先生はカメラを少し右にひねった。視野は右の孔の奥へと入った。
「痰が多いね。少し吸う。石丸、SpO2はOKかな?」
「はい。まだ100パーです!」
気がつくと、僕の真横に田島先生が立っている。ガムを噛みながら、どこか不服そうだ。
視野は吸い込まれる痰で分かりにくい。塩見先生は入れたり引いたりで痰をこまめに吸引していった。
石丸君はモニターを凝視、屈んだ。
「少し下がってます。94パー」
塩見先生の額は汗でいっぱいだ。長谷川さんが拭きにかかる。
「さわらないでくれる?」
田島先生は片足をトントン突きはじめた。
「やめとけって・・・」
「90パー!どんどん下がってます!」
「どんどん、だけ余計だよ」
塩見先生はさらに奥へと進めた。
3つの孔が現れた。
「上葉。今はここに用はない。次、その下」
塩見先生はさらに進めた。また視界が痰で遮られた。
「こんなにあるって、聞いてないよ・・」
ゴホ!ゴホ!と患者さんの上体が数回浮かんだ。
「おい!やっぱり鎮静がきちんと・・」
塩見先生は少しのけぞった。
「MRSA、浴びたよ。もう」
それでも手元は戻さなかった。
田島先生は針なし注射器を差し出した。
「ほらよ」
「キシロカインか。どうも、バスケス!」
塩見先生は即座に受け取り、注入した。
「87パーです!」
「いったん、引き上げだ」
塩見先生はササッとカメラを引き上げた。
僕は即座に人工呼吸器を取り付けた。
「ふう・・・トシキ先生。今の見えた?」
「え?いえ・・・僕には痰しか」
「S6から出てる。痰でつまってる」
「では、そこも吸引を・・」
「そうだけど、この人のB6はかなり回り込んだとこにある」
理解できてない石丸くんに、田島先生が説明した。
「S6、分かる?カメラで視るときは、こう・・・ケツを拭く感じね。こう」
田島先生が石丸君の股間に手を伸ばそうとした。
「ひっ!」
「何?たいしたモン、持ってないくせに。で、塩見。できる?」
「無理だったら、頼む」
「任せとけって」
2人はグーで軽く拳を合わせた。
モニターのSpO2は徐々にまた復帰してきた。
「じゃ、2回目いくか!」
<つづく>
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