「じゃ、2回目行くよ」

塩見先生は気管支鏡を両手で持ち、僕は呼吸器を外した。
「どうぞ!」

今度はさっきの3倍の速さでカメラが進んでいった。
反射もなく、キシロカインもよく効いているようだ。

「これだ。これがB6」
たしかに下に90度、覗き込んだところに・・・・痰がまたあった。
「多分ふさがってる。強力に吸引する」

田島先生が僕の見ているカメラを持った。
「見せて」
「はい」
「塩見。出血はオッケー?」
「多少はね」

塩見先生は歯を喰いしばり、険しい表情で吸引を続けた。
時々、田島先生がカメラの動きを補正した。
小刻みな動きだが、病変付近では大胆な動きだ。

「SpO2、93パー!」
「うるせえ!」
田島先生の怒鳴り声に、石丸君は腰をぬかした。

また患者さんの上体が反射で浮き上がった。みな押さえにかかった。

噴出された痰、出血を2人はまともにあびた。

「う!」

塩見先生は両目を押さえ、後ろの壁に叩きつけられた。
長谷川さんはカルテを確認した。
「BもCも、ワ氏も陰性」

田島先生が方目を閉じたまま、落ちそうになるカメラを持った。
「ホントにアンタは、ダメな男だねえ」
「す、すまん」
塩見先生はすぐに横の洗面台で顔を洗い始めた。

僕は再び側視鏡を持った。しかしよく分からない。前面、真っ白か赤か・・。

とにかく孔は見えない。

「クソ!クソ!」
田島先生は生理食塩水入りの20ml注射器を気管支鏡にセット、注入した。
「拡がれ!」

すさまじい勢いで吸引が始まった。かなり大量の液が逆流してくる。

田島先生は吸引チューブの中間に、スピッツ容器を接続した。容器の中に、灰色の痰がドロドロ入っていく。

「SpO2 80パー!も、もうこれ以上・・・」
「何?もっと早く報告しろ!」
「だ、だって・・・」
石丸君はヘナヘナだった。

気管支鏡は引き上げられた。
「トシキ、しばらく酸素は100%濃度で。長谷川はBALの検体を検査室へ・・」
「はい!」
痰でずぶ濡れた気管支鏡を僕に手渡し、田島・塩見先生はゆっくり出て行った。

僕はベッド柵に両腕でもたれた。

僕はこの前、みんなが偽善者だと。なんであんなこと、言ったのか・・。

検査や治療をしているみんなの姿、それはあくまでも純粋だ。その姿は何者にも代え難いものだ。

それに比べて僕はどうか。必死でいろいろやってるフリをしているが、横目で人のことばっかり気にしたり、干渉したり・・・。

変わらないといけないのは僕のほうじゃないのか。

でもそれなら簡単かもしれない。

この前デートしたあの新人ナースの子が廊下で立っている。
僕が気づいた途端、彼女はサッと身をひいた。

ひとまず落ち着いた。

マーブル先生が、カンファ室にやってきた。
「あーあ、くたびれたくたびれた!」
大汗だ。石丸君が、すかさず団扇で扇ぐ。

「石丸。コーラ買って来い!」
「はい!」
「ふつうのヤツな!ダイエットなんか買うなよオイ!」

後者の方がいいと思うが・・。

「トシキ、何やってる?」
マーブル先生は汗だくの手で、僕の印刷したてのサマリーを取り出した。
「退院サマリーか?」
「そうです」
「なになに。DMコントロール良好で患者は退院・・」

サマリーは汗で濡れてしまい、文字が滲んでいた。
「先生、それ・・」
「待て待て。Masterダブルの運動負荷で、STが1mm低下。おい、この患者、カテは?」
「RIで陽性所見が出なかったので、経過観察としました」
「RIが陰性でも、狭窄は否定できんだろうが!安静時心電図で左軸偏位が著明だ。きっと何かある!」
「外来フォローで・・」
「クソ、これでまた1例逃した!」
「カンファレンスでも出しましたし」
「カンファ、カンファか。大学病院はこれだからな。好かん。なあ緒方!」

角刈り先生は斜め後ろで頷いている。
「よかなか!よかなか!退院して悪うなったら、どうするとよ?」
マーブル先生は歩み寄った。
「カテに持ち込めたら、主治医が術者になれるかもしれんというのに・・・」
僕はうつむいていた。
「ですが、医局の方針として決まりましたし・・」
「♪臆病者の、いいわけだからあ〜」

ヘタな歌を口ずさみながら、マーブル先生と緒方先生は消えた。

島先生が横でマスクを外した。
「あとちょっとで、オレ、切れそうになったよ」
「僕もだ・・」
「ちょっと先輩ずら、しすぎだろう?」
「そうだね・・」

またマーブル先生が戻ってきた。
「おい!いったい石丸はいずこに?」
「知りません」
島先生はムッとした顔つきで答えた。

「なに?島。先輩に対して、口には気ィつけたほうがいいぞ」
「・・・・・・」

石丸君が戻ってきた。
「ハアハア!すみません!あっちこっち探しまして・・」
「コーラはどこでも売ってるだろうが!」
「売り切れなんです!どこも!」
「で?なんだそれ?」
「ペプシがありましたんで」
「バーカ!オレはペプシが嫌いなんだ!甘いから!」
「ええっ?では・・」
「もーええ、もーええ。我慢する」

マーブル先生は皆が座っている長いすに正面から腰掛けた。

「なんかみんな、おとなしいね。ね!君達!」
みんな無視してパソコンを打ったり、書き物をしている。
「たまには息抜きしないと、自分が患者になっちゃうぞ!わっはは!」

野中先生から内線電話。僕が取った。
「・・・・・はい。そうですか・・・・わかりました」

マーブル先生は少し気にしていた。
「なんだなんだ?ええ?」
「槙原先生。1人入ります、入院」
「オレが主治医?おいおい、今日は金曜日で・・」
「病棟医長の指示です」
「わかってる。で、病名は?」
「重症肺炎」
「はいえん?オレ、循環器グループだぞ」
「ですが、先生の持ち患者数からすると・・」
「そういう契約じゃない」
「契約?」
「草波さんからはそういう話は・・」
「先生。すみませんが」

僕は自信を持って、前に出た。

「僕らの間のルールです」

「なんだ、偉そうに。クソ」
マーブル先生はゆっくり立ち上がった。
「重症の肺炎がなんだ。酸素吸わせて、抗生剤で終わりだろうが!」

彼は出て行った。

部屋の一同が拍手した。島先生は顔が真っ赤だった。
「いいぞいいぞ、トシキ!やんややんや!」

僕はサマリーを片付けた。
「これで・・終わり、と!次は、抄読会の準備・・!」
島先生が覗き込む。
「調子が戻ったんじゃないのか?」
「とりあえず、自信を持つことにした」
「自信?」
「暗示のようなものだ。でも過信に気をつけること」
「マーブルは過信だね」
「ああいう人を見ると、以前の自分を思い出すよ」
「君はあそこまで横暴じゃなかったろう?」
「いや。自分しか見えてなかった。つまり過信していた」
「凄いぞトシキ。頑張ってセンターへ行け!」

ふたたびセンターを目指す気になりそうだ。

<つづく>

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索