< オーベン&コベンダーズ 5-14 元・オーベン >
2004年9月27日「お父様、よろしいですね。では、これで」
名誉教授は茶の入った漆器を眺めていた。
「トシキ先生。これは備前焼といってな・・」
「はは、はい?」
「さっさと出て行け!」
院長の叫びに思わず僕も飛び上がった。
「いえ。トシキ先生は違いますよ。すみません」
また内線が鳴った。院長は暴力的に受話器を取った。
「なに?まだ待たせておけ!しつこいぞお前は!黙れ!」
常勤ドクターはそそくさと出て行った。
院長はため息をつき、イスにどかっと腰掛けた。
「ああいう医者が増えましたね。トシキ先生もそう思われますか?」
「え?僕は」
「ここ最近からですよ。最初はへコヘコしていても、だんだん甘えてくる。甘やかしすぎると
自分勝手に、しまいには横暴になる」
名誉教授は新聞を読んでいる。
「ドクターバンクってのはイマイチなのかなあ」
院長は頭で手を組んでいた。
「紹介してくる大半の医者はあんなんですよ、父さん。ま、しょうがないですかね。
しょせん一本釣りですから」
名誉教授は虫眼鏡を取り出し新聞の株の欄を見始めた。
「釣ったら、また逃がせばよいではないか」
院長は窓の外を見ている。
「こういったケースはもう終わりにしたいですね」
「金もかかるしのう・・」
「こんな事情がありましてね、トシキ先生」
困惑した表情で院長は語りかけてきた。
「ドクターバンクからの人材では、当たり外れがあったり、中には水面下で契約を
し直す医者も多いのです。そうなると・・・ドクターがコロコロ変わる事態になるわけでね」
「・・・・・」
「一番困るのは誰だと?」
「・・・・っと」
「患者さんですよ。患者さん!先生もわかるはずだ。患者はみな、同じ先生にずっと診てもらいたい!」
「え、ええ」
「これだけの医療機器があって、スタッフも充実していて・・しかしヘッドであるドクターがまともでなければ、
病院は死んでしまう」
「は、はい」
「ですが私自身、もう若くありません。DMもありましてね」
名誉教授の虫眼鏡が止まっている。
「今先生、月にいくら?」
「え?給料ですか?」
「ええ。ま、察しはつきますが」
名誉教授が新聞を広げなおした。
「そんなこと、聞いてはいかんだろう」
「ええ、父さん。分かってますが、それは・・・で、トシキ先生。どうです、これでは?」
院長が歩いて持ってきたメモに、『80X12』の文字が。これが年収ってことか。
「週1回当直。あと時間外は別に出します」
名誉教授が一瞬、メモに目をやった。また新聞に戻る。ものすごい威圧感だ。
「センターは残念でしたね。私は君が行くものと。内心・・」
名誉教授が新聞の上から上目遣いに呟いた。
「内心、ハラハラしとったんだろ?わっはは!」
院長も高笑いし始めた。
「そうですそうです!あっはははは!はは!あ!こりゃ失礼。ソーリーソーリー!
・・・でもね、先生。センター行くのも人生ですが・・・」
名誉教授が新聞をたたんだ。
「ここのほうがいい。センター出ても、上に立てるのは50過ぎてじゃ」
院長はおやっと表情を変えた。
「父さんは・・・40代だったでしょう?」
「うん?そうじゃが・・・・わしが出た『センター』は、あくまでも『ガンセンター』のほうだがな!
うわっはははは!」
また院長も笑い出した。
僕はこの場にいつのがつらかった。何が何でも僕を跡継ぎにさせようというのか。
だが、受け入れても悪くないのではないか・・。
「トシキ先生。返事を年末までに。決定すれば、数年ここで常勤の上、引継ぎを」
「は、はい・・」
「名誉教授も、君に期待して今回わざわざ出てきてくださいました」
「え、ええ。ありがとうございます。誠に光栄で」
名誉教授は無視するかのように立ち上がった。
事務長が上着を被せた。
「どうか頼むよ。トシキ先生。医者も、世代交代の時期にさしかかったのだ」
名誉教授はゆっくりと出口へ向った。
僕は立ち上がり、敬礼した。
「ああそうだ」
名誉教授は振り返った。
「草波くんは信用するな。彼は」
言いかけたまま、名誉教授は去っていった。
回診前のプレゼンテーション。
少し涼しくなり、過ごしやすくなってきた。
だが全体的に覇気が低下してきた雰囲気が読み取れる。
センター人事が決定してしまい、みな目標を失ったのだろうか。
自分も残念ではあるが、嘆いてもしょうがないことだ。
ナースのあの子が少し気になるが・・。だが正直、IVHの件で僕自身ショックを
受けている。それと島の言ってたことも気になる・・。
その島の順番だ。
「47歳のアデノです。右S2にcoin lesion。喀痰より肺腺癌と診断。胸水はなし。外科との
カンファにかけます」
「術前検査は?」
助教授が司会。
「してます」
「早いな」
「特にオペに関しては問題ないと思います」
「よし」
「次、63歳のアンステーブル。点滴はミリスロール。本日新たな発作がありST低下、シグマートを追加」
「カテを急がないとな」
「手配しました。割り込みで今日の午後」
「よし」
島、最近張り切ってるな。彼が頭角を現してきた様な気がする。
彼は僕の横の席に戻ってきた。
「午後は、カテのセカンドにつける。ラッキーだ」
「マーブル先生のセカンド?」
「マーブル?よせよ。窪田先生のさ」
「マーブル先生はあまり出てきてないようだな」
「いちおう病院には来てるみたいだが。ま、ショックだったんだろ?」
マーブル先生たちだけでなく傭兵4人とも、以前のような積極性はみられなくなった。
入院患者も進んで取ろうとはせず。
助教授は周囲を見回した。
「今回のプレゼンはこれだけか?なんか少ないなあ。野中くん!」
みなも辺りを見渡した。
「そうか、あの男。もう出発が近かったんだ・・」
センター人事後約2週間の出発ということで、彼はずっと休みをもらっていた。
つまりあの人事の決定の日から、彼は僕らには全く会っていない。
野中先生、土壇場になっていきなり希望するとは。衝動なのか、計算なのか。
僕の付き合ってた子にも手を出してるようだし。こうは思いたくないのだが・・。
非常に目障りだ。
ARDSで助かった患者さんを、車椅子でCT室へ運んだ。
長男も付き添った。
「ほんま、ようここまでしてもろて。先生」
「え?いえ」
「いや。先生が主治医やったから」
「・・・・・」
「ほんま、ありがとう。ありがとう」
涙目になっていた長男はふと顔を上げた。
「先生、まさか転勤とかないですか?」
「え?」
「大学病院の先生はよく転勤なさるから。ひょっとして先生のようないい先生のことですから、
どこかに引き抜かれ・・」
痛いところを突かれた。
「転勤ですか。あれは突然やってくるんです」
「ははあ、突然言われるわけですね。やっぱ教授の命令で?」
「教授・・・・とも限りません」
「ほおほお・・・」
業務を終え、いつものようにカンファ室へ。
また島が近づいてきた。
「もうカルテ書きか?」
「重症が減ったんでね」
「日曜日は見送りに?」
「見送り・・ああ、野中先生のか」
「そりゃ行くだろな。お前のもとオーベンだ」
見送りか。気が重い。
<つづく>
名誉教授は茶の入った漆器を眺めていた。
「トシキ先生。これは備前焼といってな・・」
「はは、はい?」
「さっさと出て行け!」
院長の叫びに思わず僕も飛び上がった。
「いえ。トシキ先生は違いますよ。すみません」
また内線が鳴った。院長は暴力的に受話器を取った。
「なに?まだ待たせておけ!しつこいぞお前は!黙れ!」
常勤ドクターはそそくさと出て行った。
院長はため息をつき、イスにどかっと腰掛けた。
「ああいう医者が増えましたね。トシキ先生もそう思われますか?」
「え?僕は」
「ここ最近からですよ。最初はへコヘコしていても、だんだん甘えてくる。甘やかしすぎると
自分勝手に、しまいには横暴になる」
名誉教授は新聞を読んでいる。
「ドクターバンクってのはイマイチなのかなあ」
院長は頭で手を組んでいた。
「紹介してくる大半の医者はあんなんですよ、父さん。ま、しょうがないですかね。
しょせん一本釣りですから」
名誉教授は虫眼鏡を取り出し新聞の株の欄を見始めた。
「釣ったら、また逃がせばよいではないか」
院長は窓の外を見ている。
「こういったケースはもう終わりにしたいですね」
「金もかかるしのう・・」
「こんな事情がありましてね、トシキ先生」
困惑した表情で院長は語りかけてきた。
「ドクターバンクからの人材では、当たり外れがあったり、中には水面下で契約を
し直す医者も多いのです。そうなると・・・ドクターがコロコロ変わる事態になるわけでね」
「・・・・・」
「一番困るのは誰だと?」
「・・・・っと」
「患者さんですよ。患者さん!先生もわかるはずだ。患者はみな、同じ先生にずっと診てもらいたい!」
「え、ええ」
「これだけの医療機器があって、スタッフも充実していて・・しかしヘッドであるドクターがまともでなければ、
病院は死んでしまう」
「は、はい」
「ですが私自身、もう若くありません。DMもありましてね」
名誉教授の虫眼鏡が止まっている。
「今先生、月にいくら?」
「え?給料ですか?」
「ええ。ま、察しはつきますが」
名誉教授が新聞を広げなおした。
「そんなこと、聞いてはいかんだろう」
「ええ、父さん。分かってますが、それは・・・で、トシキ先生。どうです、これでは?」
院長が歩いて持ってきたメモに、『80X12』の文字が。これが年収ってことか。
「週1回当直。あと時間外は別に出します」
名誉教授が一瞬、メモに目をやった。また新聞に戻る。ものすごい威圧感だ。
「センターは残念でしたね。私は君が行くものと。内心・・」
名誉教授が新聞の上から上目遣いに呟いた。
「内心、ハラハラしとったんだろ?わっはは!」
院長も高笑いし始めた。
「そうですそうです!あっはははは!はは!あ!こりゃ失礼。ソーリーソーリー!
・・・でもね、先生。センター行くのも人生ですが・・・」
名誉教授が新聞をたたんだ。
「ここのほうがいい。センター出ても、上に立てるのは50過ぎてじゃ」
院長はおやっと表情を変えた。
「父さんは・・・40代だったでしょう?」
「うん?そうじゃが・・・・わしが出た『センター』は、あくまでも『ガンセンター』のほうだがな!
うわっはははは!」
また院長も笑い出した。
僕はこの場にいつのがつらかった。何が何でも僕を跡継ぎにさせようというのか。
だが、受け入れても悪くないのではないか・・。
「トシキ先生。返事を年末までに。決定すれば、数年ここで常勤の上、引継ぎを」
「は、はい・・」
「名誉教授も、君に期待して今回わざわざ出てきてくださいました」
「え、ええ。ありがとうございます。誠に光栄で」
名誉教授は無視するかのように立ち上がった。
事務長が上着を被せた。
「どうか頼むよ。トシキ先生。医者も、世代交代の時期にさしかかったのだ」
名誉教授はゆっくりと出口へ向った。
僕は立ち上がり、敬礼した。
「ああそうだ」
名誉教授は振り返った。
「草波くんは信用するな。彼は」
言いかけたまま、名誉教授は去っていった。
回診前のプレゼンテーション。
少し涼しくなり、過ごしやすくなってきた。
だが全体的に覇気が低下してきた雰囲気が読み取れる。
センター人事が決定してしまい、みな目標を失ったのだろうか。
自分も残念ではあるが、嘆いてもしょうがないことだ。
ナースのあの子が少し気になるが・・。だが正直、IVHの件で僕自身ショックを
受けている。それと島の言ってたことも気になる・・。
その島の順番だ。
「47歳のアデノです。右S2にcoin lesion。喀痰より肺腺癌と診断。胸水はなし。外科との
カンファにかけます」
「術前検査は?」
助教授が司会。
「してます」
「早いな」
「特にオペに関しては問題ないと思います」
「よし」
「次、63歳のアンステーブル。点滴はミリスロール。本日新たな発作がありST低下、シグマートを追加」
「カテを急がないとな」
「手配しました。割り込みで今日の午後」
「よし」
島、最近張り切ってるな。彼が頭角を現してきた様な気がする。
彼は僕の横の席に戻ってきた。
「午後は、カテのセカンドにつける。ラッキーだ」
「マーブル先生のセカンド?」
「マーブル?よせよ。窪田先生のさ」
「マーブル先生はあまり出てきてないようだな」
「いちおう病院には来てるみたいだが。ま、ショックだったんだろ?」
マーブル先生たちだけでなく傭兵4人とも、以前のような積極性はみられなくなった。
入院患者も進んで取ろうとはせず。
助教授は周囲を見回した。
「今回のプレゼンはこれだけか?なんか少ないなあ。野中くん!」
みなも辺りを見渡した。
「そうか、あの男。もう出発が近かったんだ・・」
センター人事後約2週間の出発ということで、彼はずっと休みをもらっていた。
つまりあの人事の決定の日から、彼は僕らには全く会っていない。
野中先生、土壇場になっていきなり希望するとは。衝動なのか、計算なのか。
僕の付き合ってた子にも手を出してるようだし。こうは思いたくないのだが・・。
非常に目障りだ。
ARDSで助かった患者さんを、車椅子でCT室へ運んだ。
長男も付き添った。
「ほんま、ようここまでしてもろて。先生」
「え?いえ」
「いや。先生が主治医やったから」
「・・・・・」
「ほんま、ありがとう。ありがとう」
涙目になっていた長男はふと顔を上げた。
「先生、まさか転勤とかないですか?」
「え?」
「大学病院の先生はよく転勤なさるから。ひょっとして先生のようないい先生のことですから、
どこかに引き抜かれ・・」
痛いところを突かれた。
「転勤ですか。あれは突然やってくるんです」
「ははあ、突然言われるわけですね。やっぱ教授の命令で?」
「教授・・・・とも限りません」
「ほおほお・・・」
業務を終え、いつものようにカンファ室へ。
また島が近づいてきた。
「もうカルテ書きか?」
「重症が減ったんでね」
「日曜日は見送りに?」
「見送り・・ああ、野中先生のか」
「そりゃ行くだろな。お前のもとオーベンだ」
見送りか。気が重い。
<つづく>
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