例の後継者問題の、週1のバイト先。

年末も近くなると、毎度のように院長室へ通された。
しかし核心に触れる話題はほとんどなく、大学病院内の話題や
とりとめもない話だけだった。

「寒くなりましたね、トシキ先生」
「はい・・」
院長は物憂げに、病院の広大な庭の枯れかけの木々を見つめている。

「大学は人数が減るようですね」
「そのようです」
「退職希望が多いとか・・?」
「はい。かなりショックを受けました」
「まあ大丈夫でしょう。補充はいくらでもきくはずです」
「外病院から戻すんでしょうか」
「そうです。大学院へ進学してないドクターなど何人もいますからね。教授の命令なら問題なく戻ってきますよ」
「若い先生はあまりいないと聞きましたが・・」
「いやあ。かえってある程度経験をつんだ先生のほうがいいですよ」
「?」
「外の民間の病院で、たいした症例もなく、ボケた日常に退屈してる医者は多いと思いますよ」
「・・・・・」
「うちの病院は症例はそこそこありますよ。大学との連携もありますしね」

院長はどうやらそこに話を持っていきたそうだった。

「で・・・もう年末だが」
「は、はい」
「改めて履歴書と、印鑑を・・」
「?」
「手続きに必要なので」

いきなり何を言い出すんだ?

「トシキ先生。こういう手続きは早めにしないと・・」
「あの、それはまだ」
「何か?」
院長は不機嫌そうに片方の眉を吊り上げた。

「いえ・・・自分は、ここに来ると決まったわけでは」
「うん。まあ、正式でなくとも。いったんここに常勤で勤務されて、そこからまた考えればいいのではないですか?」
「いったんここに・・?」
「先生がここで数ヶ月勤務して、なんだこの病院、ってことになれば相談すればいい。そのときは考慮します」

そんなこと、できるわけないのに・・。

「それと、契約の署名を」
院長は1枚の用紙を一瞬サッとかざした。
「これがないと正式に決まらないので」
「そういや、印鑑は手持ちが・・」
「先生の印鑑はこちらで用意してます。あとは署名を」
院長は強引にペンを差し出した。
「ここに先生の氏名を」

今、書かせようというのか。しかし。

気まずい沈黙が流れた。

「トシキ先生。未来の院長としてぜひ先生が必要なのです。さ!」

やはり僕には未だに理解できなかった。

「・・・すみません。今はまだ」
「心の準備が、ですか?」
「僕はまだレジデントですし。このような重大なことはとても・・」
「はっは!だから!今、院長になるわけではないっていうのに・・・」

院長の顔がいきなりいかつく変貌した。

「ったく!医局長はきちんと指導してるのか!」
「え?」
「な、なんでもない!さ、出て!出て!」

何か癪に障ったのか?僕は院長室を出た。
廊下ではナースが待っていた。

「トシキ先生、回診をお願いします」
「は、はい」

ナースが2人付き添いで、カルテ車とともに回診。

常勤がクビになり院長がメインで診ているようだが、カルテの記載がまったくない。

週1回回診している身には、つらい。

「看護婦さん、重症の方は・・」
「こちらです」
個室へ通された。誤嚥性肺炎の患者だ。1週間前の僕の回診では熱が下がらないということで、抗生剤を変更していた。

「熱は・・まだ高いですね」
少し責任を感じ、カルテ内の指示簿を確認した。
1週間前の僕の記載指示は・・・拾われていない。
それどころか、僕が書いた指示内容の上に大きなバツ印がされている。

「僕の指示が・・・消されている?」
ナースはカルテを覗き込んだ。
「あ、先生が指示された抗生剤は・・」
「間違ってた?」
「いえ、とんでもない。その抗生剤は、今は本院にはないのです」
「しかし、詰所の医薬品集には・・」
「最近削除されまして・・」
「削除?」
「院長先生が」
「その抗生剤はセフェム4世代で、割と重宝できるヤツなんだけどなあ・・」
「はあ・・・」
「代わりにアミノグリコシドの指示が出てる」
「これでいってますが」
「カルバペネムはないの?チエナムとか・・」
「それも、最近削除になりまして」
「うそ?」
「そうなんです・・」

いったいどうなってるんだ。こんなに進んだ医療器具が揃っていながら。

僕は大学へ戻った。

カンファ室では三品先生が白い息であたりを歩き回っていた。
「う〜、さぶさぶ・・・!あ、トシキ!」
「はい」
「石丸が、辞めたんだってな!」
「そうでしたか・・」
「お前、止めにいったんだろ?」
「止めには・・・いいえ」
「なんだよ。何やってんだ!」
「彼の人生ですし」
「なあにが彼の人生だ!研修医に、人生もヘッタクレもあるかよ!」

隅っこで固まっていた長谷川さんが歩み寄ってきた。

「あの、先生方」

僕や三品先生他数人のドクターは彼女の次の言動に注目した。

「あたしも、今月で・・辞めますので」

三品先生が目を丸くした。
「え?あ?ナンか言ったか?」
彼女は微動だにしなかった。

「消化器内科へ行きます」
「なに?」
「教授にも相談して。もう決まりました」
「教授がオッケーって言ったのか?」
「はい」
「信じられねえ・・」
「来年は医局員が大勢入るだろうから、と・・」

僕は絶句した。

三品先生は口をポカンと空けたままだった。
「なんだよオイ。これで1年目は0人じゃねえかよ。どうすんだよ!雑用は全部・・・」
長谷川さんは、さあと言わんばかりに首を傾け、カンファ室を出て行った。

「患者を診るのは誰なんだよ!病棟を見るのは!トシキ!」
「な、なんで僕に・・・」
「こんなんじゃあ、お前、後継者どころじゃねえぞ!」
「ですから先生、その話は・・・!」
「水野や森は大丈夫なんだろうな?あいつら結婚すんだろ?」
「最近は話してなくて」
「傭兵4人も、もう辞めちまうんだぞ!」
「・・・・・」
「くそう!オレとトシキが2人で病棟、見ろってことかよ!あ、島たちがいたな。忘れてた」
「最悪の場合、5人ですね。先生、院生や助手の先生方を・・」
「声をかけろってか?」
「ええ。僕の声かけでは多分無理です。できれば先生・・」
「なに言ってんだ!循環器はともかく、呼吸器の連中にどうやって?」
「その。ですから先生が」
「なんでオレがプライド捨てなきゃいかんのだ!お前がやれ!お前が!」
「できません!」
「来年は大勢の医局員が入って、左ウチワになれるんだ!それまでは頼む!」

この先、どうなる?

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