<ラスト・オブ・オーベン&コベンダーズ 6-7 ロシアンルーレットのように>
2004年10月22日名誉教授が入ると、みな宗教団体のように立ち上がった。
だが彼は照れた様子で手を振った。
「ああ、いいいい。形式ばったことはやめよう。さ、みな座って」
みんな遠慮がちに座った。
「新しい、未来の院長先生です。末永いお付き合いを」
再び盛大な拍手が巻きおこる。
僕は「お誕生席」に座らされた。
両側を名誉教授・息子が囲む。
名誉教授は慣れた手つきでフォークを操作していた。
「わしはステーキから神経を掘り出すのが得意でな。わっはは!解剖実習だ!わははは!」
息子も満面の笑顔だ。
僕は食が進まなかった。
やっと食べだしたところ、事務長が横から入ってきた。
「先生。当直中でありますので、お酒というわけにはいきませんが、それはまた後日・・」
「え、ええ」
「それで先生、ついでといっては何ですが・・」
事務長はさきほど渡そうとした書類を持ってきた。
「ここにサインを」
「?」
名誉教授と息子は隣席の女性達と話を咲かせ始めた。
「これは・・・」
「まあいろいろ書いてますが。簡単な書類です。建前上、必要なものでして」
「印鑑は・・・」
「うちの印鑑で押しときます。このペンで、サインを・・・」
僕はペンを指でとらえた。
すると反対の脇から、若いナースがジュースのビンを持って現れた。
「先生、若いよねえ!20代?」
「え、ええ・・」
「ピチピチやんか!」
「はあ・・・」
いきなり名誉教授が睨みつけた。
「こら!」
どよめきが凍りついた。時間が止まった。
そのとき僕は察した。これは恐らく、重大な一瞬なんだろう。彼らにとって。
調印・・・。
僕は警戒心を呼び起こした。
「事務長さん。この書類・・・」
「は、はい」
「うちで書いてもよろしいでしょうか・・」
「は?」
「印鑑は自分のを使いたいですし」
「はあ・・・しかし、ここに今」
「今日はすみませんが、書けなくて」
「どっ、どうしてですか?ど、どうし・・・」
事務長は泣きそうな表情になった。
名誉教授はウーロン茶のビンを飲み干した。
「事務長!もういい。それ以上は・・・」
「は、はい!」
事務長はうらめしそうに退いていった。
僕は無言で、目の前の食事を1つずつ処理していった。
僕は外来へ戻った。
12月。
体力的にも精神的にも、僕らは追い詰められていた。
書類のハンコも押さないまま、もう1週間が経過しようとしていた。
大学病院にひとたび入ると、それどころではなくなった。
今日も新規の入院が3人入る。うち1人は重症肺炎だ。
重症は2年目の僕→島→西条→鈴木→僕、と妙なローテーションが組まれていた。
三品病棟医長は患者さんを持たず、自称「総オーベン」としての役割をアピール。
傭兵4人は12/24付けでの退陣が決定していた。それまで彼らは僕らのオーベンだ。
というより、困ったときの相談役でしかない。だが彼らのおかげで、外来・入院の検査は滞ることがなかった。
来年から春の人事までの3ヶ月間は、おそらく検査など業務そのものの縮小が必至だろう。だが一方で、医局での研究面はきちんと人員が補充されていた。
病棟で現在活動できるのは、3年目の傭兵4人、2年目の僕ら4人と三品病棟医長のみ。
だが前述の通り、傭兵たちはもういつ引き上げても不思議ではない。
「AMIが来る!」
西条先生が走ってカンファ室へ入ってきた。
「主治医は・・・僕じゃない。順番では・・・島!」
「あー、俺、無理!」
島はイヤイヤ答えた。僕は困った。
「島。ダメだろ?規則では君の順番・・」
「重症の死にかけが3人もいるんだぜ」
「みんな重症は持ってる」
「おい鈴木!お前、重症この前転院しただろ?」
鈴木先生は困惑して答えた。
「あ、まあね・・」
「じゃあ、決まりだ!お前がしゅ・・」
「そんな勝手に!」
僕は遮った。
「病棟医長に相談しよう。島!」
「病棟医長はバイトでいねえよ!バイト!ここにいるより、よそにいるほうが多いんじゃねえのか?」
実際、その通りだった。
「俺たちはみんな2年目だろ?トシキは仕切らないでくれ。みな平等なんだから!医者の上に医者を造らず・・」
「島だって独断でしようとしてないか?」
「とにかく頼むぞ。鈴木」
鈴木先生は逆らえないような表情で、しぶしぶ頷いた。
西条先生は申し送りを続けた。
「あの・・いいかい?近所の開業医、上田先生からの紹介だ。ビップの先生だな。ST上昇と胸痛数時間」
鈴木先生は肩を落とした。
「スパズムだった、ってことはないよなあ」
「ニトロは効かなかったらしい」
「そっか・・・トロポニンTは?」
「開業医にそういうキットはないらしいよ。でもまあ、間違いないだろ」
鈴木先生は部屋を出て行った。
みな病棟のことがあり、一緒には出なかった。
僕は今日3回目の回診。重症は2人。DPB+肺炎とDM性昏睡。
DM(糖尿病)はうちの専門ではないが、心電図異常などの「おまけ」がつくとたいてい紹介されてくる。名目は「循環管理お願いします」。
DMしか見れない医者は、ナンセンスだ。
DPBの患者さんの肺炎は徐々に軽快しつつあった。
最近はカルテ書き・指示だしもすべて病室で一貫して行っている。
そうしないと回らない。後回しはできないのだ。
DM性昏睡は生食投与とインスリン持続静注で血糖はまずまずコントロールされていた。しかし・・・人工呼吸管理なのだ。これからが大変だ。
「長期になるな・・・」
カルテを閉じ、詰所へ持っていった。
詰所では塩見先生が待ち構えていた。
「や、トシキ先生」
「塩見先生・・・お疲れ様です」
「いや、忙しくはないけど。けどね・・」
彼は気まずそうに自分の患者さんのカルテを数冊差し出した。
「これ、あげる」
「え?あげるって・・?」
「ボクちゃんの仕事は、今日で終了」
「え?そうなんですか?」
「うん。草波さんからお呼びがかかったし」
「および?」
「どこかは言えないけど。医局長にも了解は得たよ」
「先生、ではその患者さん達は・・」
「患者にも1人1人伝えた。みんな怒ってたけどね。謝っといて。これ頼むよ。4人」
「・・・・病棟医長にはまだ?」
「だってアイツ、いつもいないじゃない?君から伝えてよ」
「・・・・・・・先生」
不思議と怒りは湧かなかった。
「?」
「先日は気管支鏡など、いろいろ手伝っていただき誠に・・」
「ついてくる気はないの?」
「え?」
「後継者もいいけど。あとで絶対に後悔するよ」
「・・・・・」
「僕らについてくる?席空いてるよ」
「そこまでは、先生・・」
「もったいないな。先生なら病院、稼げそうなのに」
彼はゆっくり立ち上がって白衣を脱ぎ、そのまま去っていった。白衣はゴミ箱に捨てられた。
4人の患者さんは僕ら2年目に均等に振り分けられた。
「カテ室では今頃インターベンションかな?」
西条先生は心配そうに天井を見上げた。
「鈴木も大変だなあ・・・」
僕も内職をいったん中断、手指のポキポキ運動を始めた。
「だろうね。でも明日はわが身だよ」
「なあトシキ。僕らだけで患者を回すとは無茶だよ」
まるで、ロシアンルーレットのようだ。
だが彼は照れた様子で手を振った。
「ああ、いいいい。形式ばったことはやめよう。さ、みな座って」
みんな遠慮がちに座った。
「新しい、未来の院長先生です。末永いお付き合いを」
再び盛大な拍手が巻きおこる。
僕は「お誕生席」に座らされた。
両側を名誉教授・息子が囲む。
名誉教授は慣れた手つきでフォークを操作していた。
「わしはステーキから神経を掘り出すのが得意でな。わっはは!解剖実習だ!わははは!」
息子も満面の笑顔だ。
僕は食が進まなかった。
やっと食べだしたところ、事務長が横から入ってきた。
「先生。当直中でありますので、お酒というわけにはいきませんが、それはまた後日・・」
「え、ええ」
「それで先生、ついでといっては何ですが・・」
事務長はさきほど渡そうとした書類を持ってきた。
「ここにサインを」
「?」
名誉教授と息子は隣席の女性達と話を咲かせ始めた。
「これは・・・」
「まあいろいろ書いてますが。簡単な書類です。建前上、必要なものでして」
「印鑑は・・・」
「うちの印鑑で押しときます。このペンで、サインを・・・」
僕はペンを指でとらえた。
すると反対の脇から、若いナースがジュースのビンを持って現れた。
「先生、若いよねえ!20代?」
「え、ええ・・」
「ピチピチやんか!」
「はあ・・・」
いきなり名誉教授が睨みつけた。
「こら!」
どよめきが凍りついた。時間が止まった。
そのとき僕は察した。これは恐らく、重大な一瞬なんだろう。彼らにとって。
調印・・・。
僕は警戒心を呼び起こした。
「事務長さん。この書類・・・」
「は、はい」
「うちで書いてもよろしいでしょうか・・」
「は?」
「印鑑は自分のを使いたいですし」
「はあ・・・しかし、ここに今」
「今日はすみませんが、書けなくて」
「どっ、どうしてですか?ど、どうし・・・」
事務長は泣きそうな表情になった。
名誉教授はウーロン茶のビンを飲み干した。
「事務長!もういい。それ以上は・・・」
「は、はい!」
事務長はうらめしそうに退いていった。
僕は無言で、目の前の食事を1つずつ処理していった。
僕は外来へ戻った。
12月。
体力的にも精神的にも、僕らは追い詰められていた。
書類のハンコも押さないまま、もう1週間が経過しようとしていた。
大学病院にひとたび入ると、それどころではなくなった。
今日も新規の入院が3人入る。うち1人は重症肺炎だ。
重症は2年目の僕→島→西条→鈴木→僕、と妙なローテーションが組まれていた。
三品病棟医長は患者さんを持たず、自称「総オーベン」としての役割をアピール。
傭兵4人は12/24付けでの退陣が決定していた。それまで彼らは僕らのオーベンだ。
というより、困ったときの相談役でしかない。だが彼らのおかげで、外来・入院の検査は滞ることがなかった。
来年から春の人事までの3ヶ月間は、おそらく検査など業務そのものの縮小が必至だろう。だが一方で、医局での研究面はきちんと人員が補充されていた。
病棟で現在活動できるのは、3年目の傭兵4人、2年目の僕ら4人と三品病棟医長のみ。
だが前述の通り、傭兵たちはもういつ引き上げても不思議ではない。
「AMIが来る!」
西条先生が走ってカンファ室へ入ってきた。
「主治医は・・・僕じゃない。順番では・・・島!」
「あー、俺、無理!」
島はイヤイヤ答えた。僕は困った。
「島。ダメだろ?規則では君の順番・・」
「重症の死にかけが3人もいるんだぜ」
「みんな重症は持ってる」
「おい鈴木!お前、重症この前転院しただろ?」
鈴木先生は困惑して答えた。
「あ、まあね・・」
「じゃあ、決まりだ!お前がしゅ・・」
「そんな勝手に!」
僕は遮った。
「病棟医長に相談しよう。島!」
「病棟医長はバイトでいねえよ!バイト!ここにいるより、よそにいるほうが多いんじゃねえのか?」
実際、その通りだった。
「俺たちはみんな2年目だろ?トシキは仕切らないでくれ。みな平等なんだから!医者の上に医者を造らず・・」
「島だって独断でしようとしてないか?」
「とにかく頼むぞ。鈴木」
鈴木先生は逆らえないような表情で、しぶしぶ頷いた。
西条先生は申し送りを続けた。
「あの・・いいかい?近所の開業医、上田先生からの紹介だ。ビップの先生だな。ST上昇と胸痛数時間」
鈴木先生は肩を落とした。
「スパズムだった、ってことはないよなあ」
「ニトロは効かなかったらしい」
「そっか・・・トロポニンTは?」
「開業医にそういうキットはないらしいよ。でもまあ、間違いないだろ」
鈴木先生は部屋を出て行った。
みな病棟のことがあり、一緒には出なかった。
僕は今日3回目の回診。重症は2人。DPB+肺炎とDM性昏睡。
DM(糖尿病)はうちの専門ではないが、心電図異常などの「おまけ」がつくとたいてい紹介されてくる。名目は「循環管理お願いします」。
DMしか見れない医者は、ナンセンスだ。
DPBの患者さんの肺炎は徐々に軽快しつつあった。
最近はカルテ書き・指示だしもすべて病室で一貫して行っている。
そうしないと回らない。後回しはできないのだ。
DM性昏睡は生食投与とインスリン持続静注で血糖はまずまずコントロールされていた。しかし・・・人工呼吸管理なのだ。これからが大変だ。
「長期になるな・・・」
カルテを閉じ、詰所へ持っていった。
詰所では塩見先生が待ち構えていた。
「や、トシキ先生」
「塩見先生・・・お疲れ様です」
「いや、忙しくはないけど。けどね・・」
彼は気まずそうに自分の患者さんのカルテを数冊差し出した。
「これ、あげる」
「え?あげるって・・?」
「ボクちゃんの仕事は、今日で終了」
「え?そうなんですか?」
「うん。草波さんからお呼びがかかったし」
「および?」
「どこかは言えないけど。医局長にも了解は得たよ」
「先生、ではその患者さん達は・・」
「患者にも1人1人伝えた。みんな怒ってたけどね。謝っといて。これ頼むよ。4人」
「・・・・病棟医長にはまだ?」
「だってアイツ、いつもいないじゃない?君から伝えてよ」
「・・・・・・・先生」
不思議と怒りは湧かなかった。
「?」
「先日は気管支鏡など、いろいろ手伝っていただき誠に・・」
「ついてくる気はないの?」
「え?」
「後継者もいいけど。あとで絶対に後悔するよ」
「・・・・・」
「僕らについてくる?席空いてるよ」
「そこまでは、先生・・」
「もったいないな。先生なら病院、稼げそうなのに」
彼はゆっくり立ち上がって白衣を脱ぎ、そのまま去っていった。白衣はゴミ箱に捨てられた。
4人の患者さんは僕ら2年目に均等に振り分けられた。
「カテ室では今頃インターベンションかな?」
西条先生は心配そうに天井を見上げた。
「鈴木も大変だなあ・・・」
僕も内職をいったん中断、手指のポキポキ運動を始めた。
「だろうね。でも明日はわが身だよ」
「なあトシキ。僕らだけで患者を回すとは無茶だよ」
まるで、ロシアンルーレットのようだ。
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